歴史と理念

歴史と理念

捜真女学校の歴史と理念

1886年、聖書印刷所の2階から
はじまった捜真の歴史

明治初期、アメリカ人宣教師ネーサン·ブラウンは、新約聖書をはじめて日本語に翻訳し、横浜山手で印刷しました。1886年、彼の妻シャーロットがその印刷所の二階で、 女子のための塾を始めることになります。捜真女学校130年の歴史の始まりです。

捜真の礎を築いたのは第二代校長のクララ·A·カンヴァースでした。カンヴァース校長は、1891年に新校舎を建設し、生徒と共に校名を「捜真女学校」と決めました。1910年、生徒数が増え山手の地が手狭になったため、現在の中丸に学校を移転しました。

捜真は、創立以来多くの困難と危機に見舞われました。1945年の横浜大空襲では、校舎が全焼し、生徒3名、教員2名を失いました。学校再建まで、毎日礼拝を守り、全員で焼け跡の整理にあたりました。学校存亡の危機にあったこのとき、捜真を支えたのは、 かつてカンヴァース校長が学内の者に求めた「心の誓い」でした。

時代が移り、校舎も人もかわりました。しかし、私たち捜真に関わる者は、カンヴァース校長が遺された「心の誓い」を捜真スピリットとして受け継 ぎ、誇りをもってこの中丸の地に立っています。これからも、新しい時代を築く若い魂 に、この精神を伝えていきたいと思います。

受け継がれる二本の柱

第七代校長日野綾子がまだ生徒であった頃、カンヴァース校長から二つの言葉を贈られました。それから100年近く受け継がれ、捜真のスクールモットーとなっています。

建学の精神
キリスト教に基づき、真理の探究をなしつつ、人間形成の教育をする
教育方針
自己の能力を最善に伸ばし、自分を愛するように隣人を愛し、
感謝を持って奉仕できる人格を育成する。