学院の歴史

 

学院の歴史 Trust in God

Trust in God

捜真に伝わる、小さなバースデーノート。このノートには、こんなお話があります。 持ち主は、大正時代に寄宿舎で暮らしていた捜真生。ある年、尊敬する大好きな校長先生のお誕生日に、生徒は問いかけました。「先生、ノートの今日のところに何か書いていただけますか?」 先生は Trust in God. Be true to yourself. と書き、少し考えてから your と self の間に best を加えました。「神を信頼せよ。最善の自己に忠実であれ」という意味です。 こうして生まれた、たった1行30文字の英文。この文はその後たくさんの人に読まれ、受け継がれ、心を動かしてきました。 この生徒は、その後捜真で英語を教えるようになり、卒業生としてはじめて校長に就任、また初代学院長として、生涯を捜真にささげることになります。もしかしたらこの英文が、生徒の一生を導いたのかもしれません。 このバースデーノートは、今も学校にあり、大切な2つの言葉を捜真生に伝えています。

学院の歴史

  • 1886

    山手67番

    捜真の歴史は、1886(明治19)年、横浜の外国人居留地山手67番にあった聖書印刷所の2階で始まりました。プロテスタントのバプテスト派宣教師でアメリカ人のシャーロット·ブラウンが7名の少女の教育にあたり、翌年10月1日英和女学校の看板を掲げました。

  • 1890

    カンヴァース先生

    第2代校長クララ·A·カンヴァースが来日したのは1890(明治23)年でした。翌年山手34番に新しい校舎を建設し、英語の校名をメリー·エル·コルビー·ホーム(建築費用を寄付してくださった女性の名前に由来)、日本名を捜真女学校と改めました。

  • 1910

    白い塔のある校舎

    捜真が神奈川区中丸の現在地に移転したのは1910(明治43)年のことです。麦畑の広がる丘に学校のシンボルであった白い塔やニューイングランド風の建物が遠くからも見えるようになりました。川端康成の小説の挿絵にもなった美しい校舎でした。共練会(生徒会)が発足し、現在の中学部·高等学部に相当する課程に加えて、短大程度の教育を行う英語、音楽、家政などの専門学部も設置されました。

  • 1945

    焼け跡

    1923(大正12)年の関東大震災にも耐えた捜真の校舎は、1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲により、わずか30分で燃え尽きてしまいました。終戦まで2ヶ月余りのことでした。授業は関東学院の建物を借りて再開しましたが、中丸に最初の校舎が再建されたのはそれから3年後でした。

  • 1957

    小学校の再開と自然教室

    戦後の困難な時期に、千葉勇第6代校長は、1957(昭和32)年男女共学の小学校を開き、翌年御殿場で自然教室を始めました。この自然教室は、修養会をはじめ、勉強合宿、クラブ活動の合宿などに利用されています。室内プールのある体育館や1200名を収容するチャペルが完成したのもこのころです。

  • 1980

    本館十字架

    1980(昭和55)年には、女学校校舎は1号館から5号館までの建物となり、小学校校舎も1983(昭和58)年に新築されました。1986(昭和61)年に創立100周年を迎えました。その年の2月、同窓生、PTAのお支えにより、チャペルにパイプオルガンが献納されました。1991(平成3)年、創立105周年の年には女学校新校舎(本館)が落成しました。その後、2006(平成18)年、創立120周年には自然教室が新築され、2010(平成22)年に中丸移転100周年を祝いました。

  • 2016

    創立130年

    2016(平成28)年には、創立130年を迎え、女学校新校舎(7号館)が完成しました。山手の地に捜真学院発祥の地の記念碑が建てられました。2017(平成29)年には、捜真小学校再開60周年を迎えます。