My Soshin Story
1月22日東北修学旅行報告礼拝②
2018.1東北修学旅行報告礼拝
昨年秋、中学3年生は50年以上続いた最後の東北修学旅行に行きました。最近では、その中に陸前高田と大槌町での震災学習を取り入れていて、その報告を兼ねた全校礼拝が行われています。そこでのお話をご紹介します。
聖書:テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5章18節
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト·イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
本当に起こると思って考えてみてください。もし、明日地球が滅亡すると言われたら、あなたは最後に何がしたいですか?家族と過ごす、おなかをこわすまで好きな物を食べる、思う存分に遊ぶなどたくさんあると思います。中には本当に滅亡するのかと不安で何もできない人もいるでしょう。私だったらきっと家族と過ごしているだろうなと思います。今の私たちは、家族と過ごすということなど、当たり前のいつでもできることだと思っています。しかし、当たり前という言葉は本当は存在しないのではないでしょうか。まるでこれを証明するかのように2011年3月11日東北を襲う大地震がありました。東北の方々もきっと私たちと同じように当たり前に登校して学校生活を送り、中には家で子育てを行っていたりしていたと思います。実際にケンカをし、仲直りできないままで亡くなってしまう人もいました。悔いが残ったままの人もたくさんいるでしょう。
私は今回修学旅行の震災学習で被災地を訪れました。そこでの第1印象は、6年経った今でもあまり復興が進んでいないということでした。6年前というと、ここにいる多くの人たちは小学生、高三の方々は入学したばかりの頃です。私たちにとってこの6年間は町の様子が変わり長かったように感じます。しかし、東北の方々にとっては、ついこの間のような忘れることのできない出来事だったのです。
私は陸前高田市に行きました。最初に行った津波で破壊された道の駅、タピック45ではすぐ目の前にきれいな海が広がっています。今では穏やかできらきらと輝いている海ですが、それが大きな津波となって陸前を飲み込んでしまったと思うと海の怖さを感じさせられました。この時の津波の最高到達点15.1m。捜真のパイプオルガンの高さで5m強です。15mの津波が来たら人間はもちろん町全体が飲み込まれてしまいます。
「一本松の木」、皆さんも一度は聞いたことがあると思います。陸前は海の前に並んでいた松並木で有名なところです。当時の私は「一本松の木」と聞いても何も思いませんでした。しかし今回実際に見て、これだけの津波によく耐えられたなという驚きとそれだけ津波は怖いということを教えられたような気がします。
海の前の道の駅は当時のままです。柱の鉄がむき出しになっているところもあります。壊して欲しいと市民から要望のあった市役所などはすでに壊されていますが,この道の駅は「震災遺構」として残されることになっています。私は残って良かったと思いました。今の小学生や小さい子供たちは東日本大震災を覚えている、または知っている人は少ないと思います。だからこの地震や津波について軽く思ってはいけないと教えることでも残って良かったです。
見学やお話の後では今まで見てきたことを踏まえての「本当の生きる意味とは」について話し合いました。生きる意味なんて普段ではあまり考えたことはありませんでした。陸前に行ったことで、生きるとはこの地にいる上で一番大切だと感じることができました。行きたくても生きることのできなかった人はたくさんいます。死にたいと逃げ出したい気持ちになる時も人生で一度はあると思います。そこで、行きたくても生きられなかった人のことを思うと自分の悩みはちっぽけなことで、その人の分まで生きようと思えるはずです。
今回この東北の震災学習を経て、改めて家族や友達と過ごすことや、日常生活を送れていることに感謝して一日一日を大切に過ごしていこうと思いました。当たり前にあるものなんて現実には存在しません。今まで一日を何となくただ過ぎるものだと思っていたならば、今日からもっと感謝して一日を過ごしてみてください。