My Soshin Story
笑顔の似合う母
2017.5母の日礼拝
聖書:「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
マタイによる福音書7章12節
私の母は、笑顔がよく似合う人です。根は真面目だと思いますが、普段はとても子供っぽい人です。この前、母がパンを食べていたので、私が「ちょっとちょうだい」というと米粒くらいにちぎったパンをニヤニヤしながら渡してきました。私が「小学生じゃないんだから」と呆れながら言うと、「だってちょっとって言ったじゃん」と満面の笑みで言ってきました。
そんな母に、昔よく言われていたことでずっと覚えていて、今でも常に心に置いてあることがあります。「頑張っている人のことをバカにしてはいけない」「死ね、クズ、殺すはどんな時でも言ってはいけない」「ケンカをした時、どんなにボコボコにされても、先に自分が手を出したなら、それは自分が悪い」「人のせいにしてはいけない」「嘘をついてはいけない」「自分で決めたことは最後までやり遂げること」「挨拶は元気よくすること」「人にされて嬉しかったことは同じように人にもしてあげること、逆にされて嫌な事は絶対にしないこと」「ありがとうとごめんなさいをちゃんと言える人になること」「常に相手の気持ちになって考えること」「嫌いになっちゃったお友達を好きになれとは言わないけど、いじわるとか無視は絶対にしてはいけない」いつもは、おちゃらけた感じの母ですが、すごく最もなことを言ってるなと思いました。
私は最近、将来のことについて考えるようになりました。それと同時に、今までの自分はどうだったのかとも考えるようになりました。今までの私はなんとなく生きてきました。もともと誰かが用意してくれた道をずっと歩いてきたような気がします。その道をどう歩くかは自分次第ですが、自分から道を切り拓いたと思うような出来事はなかったと思います。私は2歳から水泳を習っています。2歳ですから、もちろん自分の意思で始めたわけではありません。父も母も兄2人も水泳経験者です。気付いたら当たり前に毎日泳ぐ生活をしていました。小学生の頃習っていた体操教室も兄2人が通っているのを見てなんとなく楽しそうだなと思い通い始めました。兄2人が中学受験したら私もなんとなく受験してみようと思いました。当時の私は私立で知ってる学校が、兄の通っている学校と母の勤めている捜真しかなかったので、S試験があった捜真に決めました。
なんとなくの人生ってあまり聞こえが良くありませんが、私はそのなんとなくの人生の中でたくさんのことを得ることができました。自分の意思で始めた水泳ではないけれど、水泳をやっていたことで出会えた人はたくさんいます。10年以上ほぼ毎日通っているスイミングの友達や、スイミングも学校も違うけど大会で知り合ってできた友達は、幼なじみであり、お互いを高め合うライバルであり、なんでも言い合える大切な仲間です。もし水泳をやっていなければ出会うことがなかった人です。人だけではありません。良い記録を出せた時の達成感、頑張り続けることの大切さ、自分の弱さや甘さも水泳をやっていなければ分からなかったと思います。また、なんとなくで入った捜真でしたが、捜真に入ったことで私は変われました。感情を表に出さず無表情と言われていた私ですが、今ではよく笑うようになったねと言われます。話す時はモゴモゴしていて何を言っているか分からないし、自分の思っていることを口に出すこともあまりしませんでしたが、今も相変わらずモゴモゴはしていますが、自分の思っていることは伝えるようになりました。それは、捜真で出会った友達のおかげだと思っています。くだらないことでいつも笑わせてくれる友達、うるさいくらい元気な友達、困った時にいつでも助けてくれる友達、素の自分でいられて多くを語らなくても分かり合える友達、そんなみんなのおかげで私は変わることができました。なんとなくで生きてきてこれだけたくさんの大切な人に出会い、たくさんの大切なことを得られた私は幸せだなって思います。
最近、今までの私の道を用意してくれていたのは母だったのではないかなと思います。母が先にその道を歩いて、歩きやすくなった道を私がついて行ってるような気がします。もちろん違うところもたくさんありますが、同じように水泳に夢中になり、捜真で学びました。
顔は似ているけど性格が真反対な母と私はぶつかり合うことが多いです。兄弟の中で一番母とケンカが多いのは、年齢的に私の思春期と母の更年期が重なったこともあると思います。母はよく、今はお互いホルモンバランスが良くないから、けんかするのはしょうがないと言ってきます。ケンカした後、私は母に二度と会いたくないと思います。しかし家にいても、学校に行っても、部活に行っても、部活の合宿中でさえ常に母がいます。ケンカの内容は大体私が悪いです。勉強をしない私に、勉強しなさいと言ってきてケンカになります。今までは、勉強しなくてテストの点数が悪くても、こんな点数どうやったら取れるのと笑ってくれましたが、高三になった私にそうは言ってくれません。私が休日4時間くらい昼寝すると、寝過ぎと言われ、だって眠いからと言い返しケンカになります。母は、自分の方が悪いと思うとすぐに謝ってきますが、私はなかなか謝りません。私は兄弟の中で水泳の成績をこれと言って残せていませんが、母が私を兄たちと比べることはありません。また、母は忙しい中、お昼のお弁当もそうですが、私が部活からスイミングに行くまでの車で食べる夜ご飯のお弁当も作ってくれます。本当は感謝をしているけど、口に出して言えず、母に対して良くない態度ばかり取ってしまいます。だから母の日くらいはありがとうと伝えたいです。
今の私は、もともと整備された道でならしっかり歩けるようになりました。しかしこれからは、自分で新しい道を切り拓いていかなければいけません。自信はないけど不安もありません。自分で決めた道ならきっと納得して歩くことができると思います。
これからは、今まで私が道を歩きやすいように前を歩いてくれた母に感謝して、自分で決めた道を歩いて行きたいなと思います。その歩みがたとえ遅くても、胸を張って歩けるようにしたいです。そして、どんな形になるかは分からないけど、母に恩返しをしたいです。