礼拝メッセージ 5月29日(金)

2020.5.29

Soshin Jogakko

「W.W.J.D.?」

中学部教頭  島名 恭子

こちらから讃美歌7番「主のみいつとみさかえとを」を聞くことができます

【聖書】ヨハネによる福音書1章1節

初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。

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長かった休校期間も終わりが近づき、来週からは学校への登校が再開できるようになりました。少しずつであっても日常が戻ってくることはうれしいことですが、ここに至るまでに多くの方の命が失われたこと、医療や介護、その他の様々な場所で、今も命がけで働いてくださる方たちがいらっしゃることを、私たちは忘れてはならない。そう思います。

さて、今日のタイトル「WWJD?」とは何でしょう。これは「What would Jesus do?(イエス様ならどうなさるでしょう)」を略して表したもので、ネックレスとかブレスレット、キーホルダーなどのデザインとしても使われていることがあります。
捜真では「WWJD?」といえば、J.O.C.のキャッチフレーズでもあります(中1の皆さん、J.O.C.については入学したらきっと紹介がありますから、楽しみにしていてください)。

先日、東京にある「上馬キリスト教会」のTwitterを見ていて思わず笑ってしまいました。有名な「最後の晩餐」の絵を題材にして「新しい生活様式、はじめました。対面でなく横並びで座ろう」とツイートしていたのです。誰でも知っているいわゆる「名画」に、こんなユーモアたっぷりのツイートは不似合いなのでしょうが、とにかく楽しくなりました。もし、イエス様が今、ここにいらしたら、きっとこんなふうに私たちを笑わせてホッとさせる、あたたかな言葉をかけてくださるにちがいない、とも思いました。

今回の「コロナ禍」と呼ばれる状況で、家にいる時間が長い分、私たちはテレビやネットでたくさんの言葉を聞いてきました。人を励ます言葉もたくさん聞かれました。でも、人の心がささくれだつような言葉を聞くことも、それと同じくらいたくさんあったと思います。私自身ももしかしたら人を傷つけるような言葉を使っていたかもしれません。「イエス様だったらどうなさるでしょう?」と考えるゆとりもなかったことに気づきます。

本来、言葉は人を生かすものであるはずです。ヨハネによる福音書の最初に「言は神と共にあった」とありますが、神様は私たちをいかしてくださる方ですから、その神様と共にある言葉もまた、私たちをいかすものであるはずなのです。

聖書には、言葉によって人の病をいやし、人を生かすイエス様のことがたくさん書かれています。
もし、今、ここにイエス様がいらしたらいったいどうなさるでしょう。きっと、今、苦しさ、孤独、弱さ、寂しさを感じている私たちをいやし、生かす言葉をかけてくださるに違いありません。時にはユーモアたっぷりに私たちを笑わせてくださるかもしれません。

まず私たち自身がイエス様の言葉から生きる力をいただきたいと思います。そして、少しでもイエス様に倣って、私たちの近くで苦しんでいる人、つらい思いをしている人、寂しくて助けてほしいと思っている人にあたたかな生きる力となる言葉をお伝えできるものでありたいと思います。「イエス様ならどうなさるでしょう?」と考えながら今日一日を過ごしたいと思います。

お祈り
天にいらっしゃる父なる神様。今日、このような形で多くの方とともに礼拝を守ることができましたことを感謝します。
その時々で、「イエス様ならどうなさるでしょう?」と祈り考えることができるものと、私たちをしてください。イエス·キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

 

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