【PTA活動】中島先生のお話会 (聖書研究会) 2025年11月14日(金)
2025.12.3
Soshin Jogakko

グラウンド脇にそびえる樹齢50年を超える銀杏が美しく色づく季節となり、今年もPTAキリスト教教育研究会委員会(以下キリ研)主催の「中島先生のお話会(聖書研究会)」が開催されました。PTA会員、ベタニア会員が多く参加し、会場となった千葉ホールは賑わいを見せました。

会場入口ではミニバザーを開催。校章入りの品々や刺繍の施されたクリスマスカードなどバザー委員会による温かみあふれる製作品が並び、参加者は思い思いの品を手に取っていました。

「ガリラヤの風かおる丘で」の讃美から礼拝が始まりました。気持ちの良い秋晴れの昼下がり、窓辺には色づいた木々の葉が広がり、グラウンドからは体育の授業に励む、愛らしくも元気な子どもたちの声が漏れ聞こえてきて、ホール内はあたたかな空気に包まれました。
聖書箇所は《マタイによる福音書7章1節~5節》。「人を裁くな」という言葉について中島学院長は「法の裁きそのものを否定するのではなく 、自分の個人的な考えで他者を批判したり誹謗中傷しない、無責任に噂をしないということだと解釈·理解されている」と解説くださいました。
「私たちは気づかないうちに誰かを傷つけてしまったり、うっかり罪を犯してしまうこともあるけれど、そのすべての罪を赦すためにイエス様はお生まれになり、十字架にかけられ復活し、今、ともにいてくださるのです」と心に響くお話でした。

後半は、PTA会員から事前に寄せられたキリスト教についての疑問や子育ての悩みについて、キリ研委員長との対談形式で中島学院長にお答えいただきました。その中で、ある保護者から「思春期まっただ中の娘ですが、捜真を卒業する頃には人を思いやり、感謝の心を持てる子になるのでしょうか」という問いが寄せられました。
中島学院長は温かくも確信に満ちたお声で「はい。絶対になれます」とお答えになりました。「実りは在学中には現れないかもしれませんが、撒かれた種は必ず花開き、実となって現れるときが来ます。その土台となるのが、毎日の礼拝です」というお言葉は、聞いている私たちも大変勇気づけられるものでした。

捜真女学校では、信徒でない生徒であってもクラス礼拝や自然教室での生徒礼拝を務め、自分の体験を交えながら「聖書をどう読んだのか·自分はどう受け止めたのか」について語る機会があります。自分の在り方や考え方を仲間とともに見つめる、この積み重ねが子どもたちの心を少しずつ育んでいきますが、特に高校生ともなると、自分の心の奥底にある思いを言葉にできるようになる生徒も多いそうです。
「人の言葉はとても変動的で、時として意図せず人を裏切ってしまうことがあります。しかし、聖書の言葉は絶対に動かない。聖書の言葉は人生を乗り越えていく心を育み、時として背中を押してくれるかけがえのないものなのです」そう中島学院長は語られました。
日々、いろいろな声に揺さぶられながらも懸命に歩み続ける娘たち。「時に心ない言葉が聞こえてくるような今の世の中でも、その色に染まらず凛と人を思いやれる大人に育ってくれるのだろうか――」そう案じる私たち保護者にとって、中島学院長のお言葉は、聖書の「人を裁くな」という教えとともに「大丈夫、必ず実になります」と大変あたたかく寄り添うものでした。

キリ研委員会とバザー委員会の方々が心を込めてご準備くださったお話会は、盛況のうちにお開きとなりました。あっという間の数時間ではありましたが、卒業生の保護者であるベタニア会の方も「卒業後もこうして毎年母校を訪れ、中島学院長にお会いできる機会があって本当に嬉しいです」と話しておられました。
訪れるたびに新たな学びを得られ、卒業してもなお足を運びたくなる学校があることの尊さをあらためて実感するとともに、互いの悩みや思いを分かち合うかけがえのないひとときを過ごせたことにも、より一層感謝の思いを深くした一日となりました。
(広報委員 中1·中2·高二)
