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ミニ説明会~夏休みの捜真を見よう~が行われました

8月26日(土)ミニ説明会が行われました。猛暑の中、たくさんの方がご参加くださいました。ありがとうございました。

はじめに、参加者の皆様と共に礼拝を守り、安藤部長の学校紹介に続いて、高三の生徒によるMy Soshin Story。生徒が話し終わるとお客様から自然と拍手が沸き、アンケートには多くのお褒めの言葉を頂戴いたしました。このお話は近日中に、HPのMy Soshin Storyでお読みいただけるよう準備中ですので、ぜひご覧ください。

~夏休みの捜真を見よう~をテーマに開催しましたが、多くの運動部が大会に出場していて、いつもよりひっそりとした校内でした。それでも、9月22日、23日の捜真祭に向けて準備を進める文化祭実行委員の活動や、父親の会の「愛の焼き鳥」の準備の様子などをご覧いただくことができました。学校ツアーでは和やかな雰囲気の中で捜真を堪能していただけたのではないかと思います。

次回の学校説明会は10月4日(水)です。ぜひお出かけください。

ソフトボール部 夏期合宿のご報告

8月6日(日)~10日(木)、那須塩原にて、鶴見大学附属中高と合同でソフトボール部の合宿を行いました。 この合宿は、中高共に新チーム作りに欠かせない合宿です。特に中学チームは、7月に中3が中学チームを引退したばかり。合宿前の練習で、中高分かれて練習することはあったものの、「中2と中1の新チーム始動」とも言える合宿です。

合宿3日目の8日(火)は、台風5号の影響で雨風が強く練習は中止せざるを得ませんでした。そこで、午後は、鶴見大学附属の先生プロデュースのクイズ大会!「世界で一番広い湖は?」「DHAを日本語で言うと?」や英文伝言ゲーム等学びの要素もあるクイズ大会でした。

4日目は、台風一過の青空に恵まれました。中学チームは中3の手を借りて、合宿に来ていた東京の私立中学と練習試合を行いました。高一高二は鶴見大学附属と練習試合。中高ともによい実践練習になりました。

最終日は、内野·外野に分かれてノックを受けました。内野は、ランナーを付けてのノックも行いました。

大きなケガも事故もなく、今年の合宿も無事に終わりました。

滞在期間が重なってしまったホテルご宿泊の皆様、大変お騒がせいたしました。合宿は、技術向上を目指すばかりでなく、社会のルールやマナーを学ぶ場でもあると考え、指導してきていますが、行き届かない点も多くあったことと思います。ご迷惑をおかけいたしました。

「学校のHPを見たよ!頑張って!」「応援してるよ!」と声をかけてくださったお客様との出会いもありました。温かく見守ってくださり、感謝申し上げます。

合宿を支えてくださった宿泊先のホテルのスタッフの皆様、鶴見大学附属中高のソフト部の顧問の先生方、部員の皆さん、保護者の皆様、そして捜真ソフト部の保護者の皆様、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

8月26日 ミニ説明会を行います

8月26日(土)午前9:10から中学部入試「ミニ説明会」を行います。
礼拝にご参加いただいたあと、学校紹介と
高校3年生の生徒による 「My Soshin Story」をお聞きいただきます。
また、2018年度の募集要項をお配りすることになっております。

説明会は10時に終了いたしますが、
その後、約30分間の学校ツアーがあります。
学校の施設とともに、夏休み中でも活動している
部活動や委員会活動の様子をご覧いただく予定です。

この説明会は事前の予約をお願いしております。
明日8/25(金)午後4時までに
お電話(045-491-3686)か
メール(toiawase@nkmr8.sakura.ne.jp)でお申し込みください。

皆様にお会いできますことを楽しみにしております。

笑顔の似合う母

聖書:「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
マタイによる福音書7章12節

 私の母は、笑顔がよく似合う人です。根は真面目だと思いますが、普段はとても子供っぽい人です。この前、母がパンを食べていたので、私が「ちょっとちょうだい」というと米粒くらいにちぎったパンをニヤニヤしながら渡してきました。私が「小学生じゃないんだから」と呆れながら言うと、「だってちょっとって言ったじゃん」と満面の笑みで言ってきました。
そんな母に、昔よく言われていたことでずっと覚えていて、今でも常に心に置いてあることがあります。「頑張っている人のことをバカにしてはいけない」「死ね、クズ、殺すはどんな時でも言ってはいけない」「ケンカをした時、どんなにボコボコにされても、先に自分が手を出したなら、それは自分が悪い」「人のせいにしてはいけない」「嘘をついてはいけない」「自分で決めたことは最後までやり遂げること」「挨拶は元気よくすること」「人にされて嬉しかったことは同じように人にもしてあげること、逆にされて嫌な事は絶対にしないこと」「ありがとうとごめんなさいをちゃんと言える人になること」「常に相手の気持ちになって考えること」「嫌いになっちゃったお友達を好きになれとは言わないけど、いじわるとか無視は絶対にしてはいけない」いつもは、おちゃらけた感じの母ですが、すごく最もなことを言ってるなと思いました。
 私は最近、将来のことについて考えるようになりました。それと同時に、今までの自分はどうだったのかとも考えるようになりました。今までの私はなんとなく生きてきました。もともと誰かが用意してくれた道をずっと歩いてきたような気がします。その道をどう歩くかは自分次第ですが、自分から道を切り拓いたと思うような出来事はなかったと思います。私は2歳から水泳を習っています。2歳ですから、もちろん自分の意思で始めたわけではありません。父も母も兄2人も水泳経験者です。気付いたら当たり前に毎日泳ぐ生活をしていました。小学生の頃習っていた体操教室も兄2人が通っているのを見てなんとなく楽しそうだなと思い通い始めました。兄2人が中学受験したら私もなんとなく受験してみようと思いました。当時の私は私立で知ってる学校が、兄の通っている学校と母の勤めている捜真しかなかったので、S試験があった捜真に決めました。
 なんとなくの人生ってあまり聞こえが良くありませんが、私はそのなんとなくの人生の中でたくさんのことを得ることができました。自分の意思で始めた水泳ではないけれど、水泳をやっていたことで出会えた人はたくさんいます。10年以上ほぼ毎日通っているスイミングの友達や、スイミングも学校も違うけど大会で知り合ってできた友達は、幼なじみであり、お互いを高め合うライバルであり、なんでも言い合える大切な仲間です。もし水泳をやっていなければ出会うことがなかった人です。人だけではありません。良い記録を出せた時の達成感、頑張り続けることの大切さ、自分の弱さや甘さも水泳をやっていなければ分からなかったと思います。また、なんとなくで入った捜真でしたが、捜真に入ったことで私は変われました。感情を表に出さず無表情と言われていた私ですが、今ではよく笑うようになったねと言われます。話す時はモゴモゴしていて何を言っているか分からないし、自分の思っていることを口に出すこともあまりしませんでしたが、今も相変わらずモゴモゴはしていますが、自分の思っていることは伝えるようになりました。それは、捜真で出会った友達のおかげだと思っています。くだらないことでいつも笑わせてくれる友達、うるさいくらい元気な友達、困った時にいつでも助けてくれる友達、素の自分でいられて多くを語らなくても分かり合える友達、そんなみんなのおかげで私は変わることができました。なんとなくで生きてきてこれだけたくさんの大切な人に出会い、たくさんの大切なことを得られた私は幸せだなって思います。
 最近、今までの私の道を用意してくれていたのは母だったのではないかなと思います。母が先にその道を歩いて、歩きやすくなった道を私がついて行ってるような気がします。もちろん違うところもたくさんありますが、同じように水泳に夢中になり、捜真で学びました。
 顔は似ているけど性格が真反対な母と私はぶつかり合うことが多いです。兄弟の中で一番母とケンカが多いのは、年齢的に私の思春期と母の更年期が重なったこともあると思います。母はよく、今はお互いホルモンバランスが良くないから、けんかするのはしょうがないと言ってきます。ケンカした後、私は母に二度と会いたくないと思います。しかし家にいても、学校に行っても、部活に行っても、部活の合宿中でさえ常に母がいます。ケンカの内容は大体私が悪いです。勉強をしない私に、勉強しなさいと言ってきてケンカになります。今までは、勉強しなくてテストの点数が悪くても、こんな点数どうやったら取れるのと笑ってくれましたが、高三になった私にそうは言ってくれません。私が休日4時間くらい昼寝すると、寝過ぎと言われ、だって眠いからと言い返しケンカになります。母は、自分の方が悪いと思うとすぐに謝ってきますが、私はなかなか謝りません。私は兄弟の中で水泳の成績をこれと言って残せていませんが、母が私を兄たちと比べることはありません。また、母は忙しい中、お昼のお弁当もそうですが、私が部活からスイミングに行くまでの車で食べる夜ご飯のお弁当も作ってくれます。本当は感謝をしているけど、口に出して言えず、母に対して良くない態度ばかり取ってしまいます。だから母の日くらいはありがとうと伝えたいです。
 今の私は、もともと整備された道でならしっかり歩けるようになりました。しかしこれからは、自分で新しい道を切り拓いていかなければいけません。自信はないけど不安もありません。自分で決めた道ならきっと納得して歩くことができると思います。
 これからは、今まで私が道を歩きやすいように前を歩いてくれた母に感謝して、自分で決めた道を歩いて行きたいなと思います。その歩みがたとえ遅くても、胸を張って歩けるようにしたいです。そして、どんな形になるかは分からないけど、母に恩返しをしたいです。

放送部 夏の活動をご報告します

中3の部員がアナウンス部門で、中2の部員が朗読部門で、
横浜市代表としてNHK杯全国中学高校放送コンテスト全国大会に出場しました。
残念ながら公開審査の決勝には進めませんでしたが、健闘しました。

 また、8月6日~8日まで、恒例の軽井沢合宿が行われました。
さわやかな環境の中で読みの基礎やお店や町行く人への突撃取材によるミニ番組制作を行い、
基礎の学び直しとチームワークづくりを行いました。

夏季休業のお知らせ

8月10日(木)から16日(水)まで、夏季休業とさせていただきます。
お問い合わせ·資料のご請求に関するお返事ならびにご送付につきましては、
少々お時間をいただきますが、何卒ご理解ください。

お問い合わせ·資料のご請求をいただけましたことを感謝申し上げます。
9月7日(木)の小学校学校説明会や、9月22日(木)23日(金)の捜真祭にも
ぜひお越しください。お待ちしております。

夏休みも活動しています

夏休み中ではありますが、捜真では毎日、クラブ活動や委員会活動が活発に行われています。高校三年生はすでに引退して、それぞれの進路の実現のために勉強をしていますが、この日は文化祭実行委員会のモニュメントづくりと、カンボジア研修旅行メンバーのカンボジアダンスの練習に高三が応援に来ていました。

自分の勉強も大切だけれど、後輩を手伝いたい、自分たちが先輩から受け継いだものを後輩に伝えたい。高三のそんな気持ちが感じられます。

9月の捜真祭では、こうして受け継がれている捜真の文化をご覧いただきたいと思います。

 

放送部が全国高校総合文化祭(みやぎ総文)に参加しました

仙台で行われたみやぎ総文(8/2~8/4)の放送部門、ビデオメッセージ部門に

県代表として参加してきました。

各県の地域の話題を取り上げるという課題のもと、

我が校は、型絵染め作家の岩井さんを取り上げた作品を出品しました。

また、神奈川県内外の放送部の人とも交わりを深めることができました。

作品は、Nコンの作品と併せて文化祭で発表させていただきます。

 

 

放送部、NHK杯全国高校放送コンテストで制作奨励賞をいただきました!

NHK杯全国高校放送コンテスト(7/25~7/27)に出品していた
テレビドキュメント「18年、共に働く」が制作奨励賞をいただきました。
地方大会から数えると573作品の中のベスト40作品に選ばれたことになります。

今回の作品は男女共同参画社会の現場で女性消防士、男性保育士、
男性家庭科教師として働く方の声を集めたものです。
文化祭で上映いたしますのでぜひご覧ください!
更なる上位入賞を目指して努力を重ねたいと思います。

 

 

中1自然教室が終わりました

3白4日の自然教室が神様のお守りのうちに終わりました。
お天気は雨続きでしたが、中1の生徒たちは元気いっぱい。
3日目の夜には班ごとに作製したステンドグラスの光あふれる中でキャンドルライトサービスも行われ、
改めてイエス様の生涯を思い起こしました。
生徒にとって心に残るひと時となったようです。

これから6年間を共に過ごす学年の友達との
新たな出会いもたくさんあり、充実した自然教室となりました。

小雨交じりの涼しい御殿場で、中1自然教室が行われています

主題はイエス·キリストの生涯。講演、映画観賞、ステンドグラス作り、聖書スキット発表を通して主題について考えます。

今夜、完成したステンドグラスを飾って、キャンドルライトサービスが行われます。

美しい仕上がりをイメージして各班ごとに作成に取り組む生徒たちは真剣で、そして楽しそうです。

神奈川全私学展に参加しました

毎年海の日に行われる神奈川全私学展に今年も参加しました。
ステージ発表には新体操部が出演。「ファンタジー」をテーマに、ゴースという大小の布を使った演技を華麗に披露してくれました。演技中、大きなゴースが宙を舞うと、満席のお客様から歓声も上がり、会場が盛り上がりました。

ブースでは、ボランティアステューデント(VS)がしおり作りを行いました。今年は、VSが「中学受験を目指す小学生に伝えたい聖句」をいくつか選び、その中から小学生に気に入ったものを選んでもらい、実際に聖書を開いて、VSが自身と聖句とのエピソードやその聖句の意味やなどを語りました。その後、小学生が自分でしおりに聖句を書いて完成です。保護者の方からの質問にも丁寧に応対する姿が頼もしくもありました。

夏休みも活動中!

4年生以上の特別クラブが、夏休みの活動を行なっています。
プライマリーバンドは山中湖へ合宿に行き、聖歌隊、美術クラブは校内にて練習、製作を頑張っています。仲間と共に努力したり、食事を共にする時間は楽しい思い出となることでしょう。
2学期以降、発表の時が楽しみです。

 

 

 

 

高バレーボール部 関東私立選手権出場!

高等学部バレーボール部が関東私立バレーボール選手権に出場します。
7月21日(金)サン町田旭体育館で行われる、関東私立バレーボール選手権、予選リーグに出場します。高校三年生にとっては最後の大会です。9:40試合開始です。応援をよろしくお願いします。

第25回関東私立高等学校男女バレーボール選手権大会

1学期終業式を迎えました。

本日、1学期の終業式を迎えました。真新しいランドセルを背負って4月に入学した1年生が、いまではすっかり捜真小学校の一員としてたくましい姿を見せてくれることを嬉しく思います。ご家族のみなさまのお支えに心より感謝申し上げます。どうぞ良い夏休みをお過ごしください。

中3の修学旅行の準備が始まりました

期末試験の答案返却の後、中3は学年集会を行いました。2学期は、高校進学査定の行われる大事な学期であると同時に、修学旅行のある学期でもあります。「進学査定の学期を迎えるにあたっては、夏休みの過ごし方が大事であると同時に、世の中3は、この夏高校入試に向けて、必死に勉強していて、そういう夏を過ごした人たちと来年の4月、高校生活を始めるのだ」という学年主任からのお話に続いて、修学旅行委員から旅行2日目の選択コースのプレゼンが行われました。

2日目の選択コースは、4つのコースに分かれています。そのコースをクラスごとに担当し、見どころを調べ、プレゼンでスクリーンに映し出す資料を選び、リハーサルをして、と準備を重ねてきました。修学旅行委員は、限られた時間を有効に使い、上手にまとめていました。

 

 

このプレゼンをもとに、2学期の始業式の日に、選択コースの決定を行います。

 

「大学出張講義」を開催しました

毎年恒例の「大学出張講義」では、大学の先生をお招きして、生徒たちに大学の雰囲気を感じる講義をお願いしています。文系、理系の2つの講義が設けられていて、高校生の参加希望者がどちらか興味のある講座に出席します。

7月13日に行われた今回の出張講義、文系講座では、文教大学国際学部国際理解学科の阿野幸一先生が、教員を目指している大学生たちを連れていらっしゃいました。参加した生徒は、大学生との話し合いを通して大学でのゼミの雰囲気を味わうことができました。

理系講座では、北里大学薬学部分子薬理学教室の中原努先生が、薬の効果のしくみを、工夫された画像を使って教えて下さいました。化学や生物の知識と合致して、納得していた生徒もいたようです。

 

自然教室3日目

自然教室3日目の朝は、雨上がりのさわやかな朝です。自分が使ったシーツや布団の片付けはもちろんのこと、友達や下級生を進んで助け、協力し合える姿は、本当に頼もしいです。青空の下で最後の自由時間を過ごしていると、富士山も少しだけ顔を出してくれました。
みんなで自然教室を掃除したあとは、楽しく賛美。そして3日間ともに過ごした班のメンバーに感謝して、自然教室を後にしました。
神様のお守りのうちに過ごせたこと、ご家族のお祈りとお支えに心から感謝いたします。

全校カンボジア礼拝

聖書: それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも/一切の業を、隠れたこともすべて/裁きの座に引き出されるであろう。」コヘレトの言葉12:12~14

 

カンボジアに行ってきて、一番伝えたいと思ったことを話したいと思います。
突然ですが、今日から「ただ本を読んでいる人、時計が読める人、眼鏡をしている人、手がキレイな人、美男美女が殺されます」なんて法律が出されたらどうしますか?皆さんは今、「え?意味が分からない」「急に何を言っているんだ」と思いませんでしたか。そうですよね、それは私たちの正しいと思うことと違うからです。
しかし、これは実際に30~40年前のカンボジアという国で起こったことなのです。1970年代にカンボジアはアメリカが始めたベトナム戦争に巻き込まれ、国が混乱し貧富の差が拡大しました。そうした中、1人の革命家が「平等な社会」という理想を実現するための革命を起こしました。権力を握った彼は、格差をなくすためにカンボジアをお金も機械もない原始時代のような状態に戻しました。そこのルールをつくり農業をさせました。カンボジアの人々は、敵やスパイを隠していると疑われたために尋問され、拷問を受け、そして処刑されました。革命家にとって頭の良い人は邪魔でした。例えば、ふとした時に時計を見るだけで「この人は、時間が分かり時計を読める人だ=頭の良い知識人だ」などという理不尽な理由で罪のない多くの人が殺されました。きっと、革命家の彼は、このやり方が正しいと思っていたのでしょう。
私は今回、当時、尋問や拷問が行われたトゥールスレーン収容所や、当時の人口の大半にあたる400万人以上が殺されたキリングフィールドへ行きました。
トゥールスレーン収容所はもともと普通の高校でした。しかし、ある日突然、恐ろしいところへと変わったのです。キリングフィールドでも赤ちゃんから老人まで無差別に虐殺されました。お金も機械もないため、多くの人は鉄砲ではなく、農業で使う棒で頭蓋骨が壊れるくらい殴られました。赤ちゃんは足をつかまれ1本の木に向かって打ちつけられるという無残な方法で殺されました。そういうことが、何年間も毎日のように繰り返されていました。私はこの研修に参加する前に、カンボジアの内戦の歴史を調べている中で、この虐殺について知りました。普段から、私は何かを調べると、そのことについてもっと知りたいと思うようになるのですが、このことについても、もっと知りたいと思いました。しかし一方で、そんな恐ろしいところに行きたくないし、見てはいけない人間の歴史のような気がして見たくない、と思う気持ちもありました。カンボジアへのうのうと足を運ぶことは、本当に他人事としてしか考えていないようで、自分が許せませんでした。私には,このような複雑ないくつかの気持ちがありました。
そんな葛藤を持ちながら行った収容所で、私はたった7人しか生き残らなかった内の2人の方と会うことができました。その人は、傍から見たら普通の男の人で、自然に話し、笑っていました。うまい言葉は見つかりませんが、つらい経験をしながら強く生きている姿に、心がぎゅっと締め付けられました。その方は「生還者」という本を出し、この虐殺での体験や思いを多くの人に詳しく伝えています。私はその本を読みました。彼の人生は、私には考えられないほど辛いものでした。彼は、収容所などでひどく残酷な目に遭い、何度も死にそうになりました。そして、大切な家族や友人が目の前で殺されていく中、本当に運良くここまで生き残りました。
彼は本の中でこう語っています。
私は生き残ったが、幸運だったなどとは言えない。妻と子供は死に、私が耐え抜いた拷問の恐ろしさと言ったら。その時に生き残るよりも死ぬべきだったのかもしれない。しかし私は生き残った。私は私の物語を語ることが私の義務であると信じる。トゥールスレーン収容所で命を落とした人々の写真の前を歩く時、誰もがみんな生きたかったのだと思う。なぜ彼らは殺されたのだろうか?これらの命を落とされた人々の写真の中に、私も入っていたかもしれないと考えることが時々ある。こんなにも多くの人々が殺害された中で、私が生き残ったのは偶然だったのだろう。毎晩考えるのだ。生き残ったというのは何たる幸運だったのだろう。なぜ私は生き残ったのだろう。私の人生では1000回は死ぬ機会があった。何度も至近距離から撃たれた。しかし殺されなかったのだ。これはもう、私の理解の及ぶところではない。他の人たちだったら殺されていたのかもしれない。しかし私は生き残った。
私は、私を拷問した人々を責める気はない。もし彼らがまだ生きていて、私の前に現れたとして、私は今も彼らに怒りを抱くだろうか。いや彼らは上位の指導者ではなかったのだから。その時、彼らはそうせざるを得なかったのだ。私は彼らも私のように犠牲者であったのだと考える。彼らは他の人間の命令に従うしかなかったのだ。私なら何か違う振る舞いができたと言えるだろうか。命令に背けば自分が死ぬはずだ。殺すことを拒否する強さが自分にはあったのだろうか。尋問の間は私の中に怒りがあった。しかし長い時が経ち、この収容所について学び、そうせよと言われていたことを彼らがせざるを得なかったことを理解した時、それ以上に怒りを抱く事はなくなった。私を尋問していた人々も両親や家族を失ったのである。
私はこの収容所やキリングフィールドに行き、この本を読み、多少重い話でも、この事実を皆さんに知って欲しいと思い、礼拝で話をすることにしました。
皆さん、考えてみてください。自分がこの時代にいたら、きっとどちらの立場であっても、同じように苦しみ、この虐殺を止められないのだと思います。そして家族が友人が殺されればきっと少しは怒りを覚えるでしょう。しかし、長い時が経って事実を知ったとして、この人のように責めずに許せるでしょうか。
初めはこの場所へ行った時、ただここでひどいことが行われていたんだという想像しかできず、ただただ見ることしかできませんでした。自分に何ができるかも分かりませんでした。
しかし、今、分かったことがあります。歴史を学び事実を知るという事は、それだけで意味があるのです。隠したいような負の歴史でも、伝えなければその歴史は後の世代に知られません。
しかしながら、今、人は過去を見るだけで変わっていないような気もします。今日、トゥールスレーン収容所やキリングフィールドでは「展示」という形で、人々に内戦の事実を伝えています。私は収容所やキリングフィールドへ行きたくないと思っていましたが、今は行って良かったと思います。この虐殺は、一人の革命家が、自分の理想の世界をつくろうとした結果だったのではないかと感じます。
私は思います。強欲になってはならない、人は神様にはなれはしないと。人は、あくまでも神様の下にいて、力をもらいながら生きているのだと思います。私の周りには、優しくて明るい良い友達や尊敬できる人がたくさんいます。カンボジアでも、実際出会った人、お店の人,すれ違った人たちは、皆優しくて温かい人達でした。でも、人は追い詰められれば残酷にもなれます。人は、自分次第で優しくも残酷にもなれる生き物だと思います。だからこそ私は、周りの人や環境に恵まれ、今、生きている事を感謝して、神様の下で自分らしく生きていきたいです。そして、たくさんのことを経験し、「知る」事を恐れずに、人の痛みや喜びを分かち合うことを大切にしたいです。
皆さん、知らないよりは、知る方が良いことを忘れないでください。そして、自分の気持ちを伝えることを大切にしてください。