投稿者「soshin」のアーカイブ

礼拝メッセージ 5月13日(水)

「驚き」を大切にした歩みを!

中2担任  藤巻 正悟

 こちらから 讃美歌「ガリラヤの風かおる丘で」を聞くことができます

 

【聖書】ルカによる福音書2:1-7

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

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1.「驚き」を失っていませんか?

幼い子どもの目に映るこの世界は、「驚き」に満ちた場所と言えます。

幼児が大人に向けて、実にさまざまな質問を飽きずにぶつけるのは、あらゆる事象に対する「驚き」を抱くからです。

ですが人間は成長していき、やがて幼年時代の生き方を棄てることになります(Ⅰコリント13:11)。

ともすれば、子どもの頃あれだけ心がワクワクした多種多様な事柄に対する「驚き」も、成長の過程と共に棄ててしまうことが多いのではないでしょうか。

 

2.学びは「驚き」から始まる

哲学の祖プラトン(B.C.427-347)、また彼の一番弟子アリストテレス(B.C.384-322)は、異口同音に『哲学は「驚き」から始まる』という言葉を遺しています。

彼らの金言を、中高生の皆さんに引き付けて言い換えれば、『学びは「驚き」から始まる』となるでしょうか。

授業を通しての学び、宿題を通しての学び、自習を通しての学び、書物を通しての学び、実習や体験を通しての学び……

知らなかった知識を自分のものとする「驚き」、なぜだろうという疑問の「驚き」、もっと調べてみたい意欲をもたらす「驚き」、理解していると思っていたはずの内容がひっくり返される「驚き」……

学びに向かう皆さんは、そのすべての出発点が「驚き」にあることを忘れずにいてください。

 

3.信仰も「驚き」から始まる

少しでも聖書に触れたことのある人なら、イエス·キリストが家畜小屋で誕生し、飼い葉桶に寝かされたことを当然のごとく把握しているに違いありません。

しかしながら、この場面は「当たり前」や「常識」としてあっさり素通りすることなど決して許されない、「驚き」以外の何物でもないはずです。

どうして神の御子が、きらびやかな宮殿ではなく、粗末で汚らしい家畜小屋の中などで誕生したのでしょうか。

どうして神の御子が、清潔に整えられたゆりかごではなく、家畜の唾液でベタベタし、悪臭を放つ不衛生な飼い葉桶の中などに寝かされたのでしょうか。

これほどまでにみじめでみすぼらしく、救い主の降誕の場面としてふさわしくない情景があるでしょうか。

けれども、聖書という書物は、最も高い所にいるべき方が最も低い所に誕生したという「驚き」を語ります(フィリピ2:6-8)。

神はもはや高い場所から我々を見下ろしているのではない!

この世のいちばん低い場所にまで神がくだって来られた!

この「驚き」に撃たれることが信仰の出発点に他なりません。

学びと全く同じで、信仰も「驚き」に撃たれることから始まっていくのです。

 

4.「驚き」から始まった2020年度

今年度の歩みは未だ本格的にスタートすることができていません。

この状況はまさに「驚き」そのものです。

もちろんこの場合の「驚き」は望ましくない意味合いですが、不本意な「驚き」の中に置かれた現在だからこそ、考えなければならない事柄や、するべき事柄が必ずあるはずです。

「驚き」の中にいる自分には今、一体何が求められているのか、心を静めてもう一度じっくり考えてみてください。

「驚き」のスタートにはなったものの、捜真生の皆さんが多くの事柄に対する「驚き」を失うことなく、勉強面でも信仰面でも収穫の豊かな2020年度を歩んで行ってほしいと願っています。

 

今後の学習について 中山校長より

生徒·保護者の皆様。4月中旬にスタートしたG Suiteを用いての学習活動は軌道に乗り、円滑に進むようになりました。皆様のご協力に心から感謝いたします。連休明けからはさらにG Suiteの利用度が高まり、文書課題の配信、動画配信、ライブ授業や質問対応など多様な活用が展開されています。

もし通信上のトラブルについて、あるいはその他のご相談があれば、電話で学校に直接お問い合わせください。☎ 045-491-3686(平日9~15時)

家庭学習は大変重要です。自ら学ぶ姿勢を身につけるチャンスです。6月の学校再開に向けて家庭学習の質と量を高めてください。

2020年5月12日

捜真女学校中学部高等学部

校長 中山謙一

 

 

礼拝メッセージ 5月12日(火)

「ありがとう」

中2担任  小澤 淑恵

こちらから讃美歌312番「いつくしみふかき」を聞くことができます

 

【聖書】ヨナ書 4章5節~11節

そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。

すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰を作ったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」

神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」

彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」

すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

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緊急事態宣言による休校が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか。担当学年の生徒さんたちからは、課題に取り組んでいる、身体を動かしている、家の手伝いをしている、趣味を楽しんでいるなど、前向きな返答をたくさんいただき、とても元気づけられています。

誰もが不自由な生活を強いられている状況で、今まで当たり前だったことが当たり前でなくなり、大きな戸惑いを覚えている人も多いでしょう。私自身、失ってはじめてその大切さを知る、ということが多いので、この期間は色々見つめなおして考える貴重な時となっています。

自然教室でのある講演で、「『ありがとう』の対語は『あたりまえ』だ」という言葉を聞き、目から鱗のようなものが落ちた経験をしたことを思い出しました。「ありがとう」とは「有り難い」こと、つまり「有って当たり前ではない」こと、というわけです。「ある」ことの奇跡に感謝、ということなんです。

今この時も、人々の「当たり前の」生活を守るために、命をかけて働いている方々がいらっしゃいますが、その働きは決して「当たり前」ではありません。本当に「有り難い」ことです。心から感謝します。

今日も(ヨナのように)「ない」こと、「できない」ことに不満を言うのでなく、「ある」こと、「できる」ことに注目して、「ありがとう」の気持ちを忘れずに過ごしたいと思います。

 

「自粛中でも取り組めるSDGs」プロジェクト

こんにちは、捜真SDGs実行会です。

「寿町支援プロジェクト」についで,新たに「自粛中でも取り組めるSDGs」というプロジェクトを立ち上げました。

これは、家にいながらも積極的にSDGsに取り組めるような、様々なアイデアを皆さんに発信していきたいという思いからできたプロジェクトです。

SDGsは、一人一人が少しずつ意識することで大きな結果に繋がっていきます。

毎週月曜日にGメールでアイデアを発信していきますので、自分ができることに取り組んでみて下さい。よろしくお願いします。

また、皆さんの“取り組んでみました“の報告もお待ちしています。

こちらのメールアドレスにお送り下さい。

stayhomeSDGs@gmail.com

(報告の例)

①電気を節約しよう

  • スマートフォンやタブレットなどの充電器は一回一回コンセントから抜いています!
  • 太陽の光が入る明るい部屋で本を読みました。

このように、どんな些細なことでも大丈夫です。

また、他に家で出来るSDGsで、良いアイデアが思いついたという場合も連絡して下さると嬉しいです。

【第一弾 5月11日】

①電気を節約しよう!

②ネットショッピングでは地球に良いものを選ぼう!

第一弾の目標ゴール

図書館だより 5月11日

『食事作りに手間暇かけないドイツ人、手料理神話にこだわり続ける日本人』

今村武 ダイヤモンド社

 三学期後半、高三の生徒がヨーロッパの国々を比較した本を読みたいと言ってきました。比較と一口に言っても、政治、歴史、芸術、生活、教育、宗教、産業、文学など、たくさんの分野があります。その生徒はまだこれといったものに絞ってはいなかったようなので、何冊か本を紹介しました。その後、新刊として購入したのがこの一冊です。

コロナウイルスの対応についても各国の対応は様々です。世界中に簡単に出かけていける今、国によって多様な考え方があることを皆さんも実感しているかもしれません。特に「食」については、各国の歴史や伝統に密接に関わっていますし、日本の食卓には和洋中が当たり前のように混在としていますから、今更知らないことはないと思うかもしれません。でも、レシピや味付けの違いだけではなく、その国民性(何を大事にしているか)が「食」に与える影響を著者は紹介しています。

ドイツでは、火を使わない夕食が当たり前。その分自然の中に出かけて行って、大切な家族や友人と過ごす時間を大切にする。食材はその安全性が重要。赤ちゃんの離乳食も市販品を使う人が60%。市販品への安心感はオーガニック製品や有機農業の製品をBIO商品として厳しく認定基準しているから。

「食」に関しては、手作りが愛情だと考えられている日本と、料理にかける時間より笑顔で子供たちの話に耳を傾けることを愛情だと考えるドイツとを比較した上で、著者は新しいライフスタイルの提案をしています。シンプルな「食」の姿を見て、肩の力が抜けたように感じました。

 

 

 

 

礼拝メッセージ 5月11日(月)

「神に問いかける」

中学部·高等学部校長  中山 謙一

 

こちらから讃美歌453番「聞けや愛の言葉を」を聞くことができます

 

【聖書】創世記32章23~31節(旧約聖書p.56)

その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

みなさん、こんにちは! 校長の中山謙一です。

今日の聖書箇所は不思議なお話です。ヤコブという男が何者かと格闘して相手をギブアップさせたのだが、その相手はどうも神様であった、という話です。夢と現実が相半ばしている不思議な話。

休校がさらに延長され、まだ家に居なければいけない日々が続きますが、

「これ、いつまで続くの…?」とか、

「例年だったら今頃は…」とか、

「どうしてこんな目に遭わなければいけないの?」

と思うことがきっとあると思うのです。現に私自身がそう思ってしまいます。

(もっと深刻な命の危機にさらされている人だっているのに…)

そして私のつぶやきは、最終的には、神様に向かって問いかけたくなってしまいます。

「神様、どうしてなのですか?」と。

私は創世記のこの話を思い出しています。

神様に向かって取っ組み合いをし、ヤコブは「祝福してくださるまでは離しません」と神様を困らせるのです。

聖書の中の人物(特に旧約聖書)は、神様に向かっていきます。すごくストレートです。

私たちも、神様にまっすぐに問いかけることをしていいのではないか。たとえ答が与えられないとしても。

こんな時でも、いやこんな時だからこそ、私たちは神様に背を向けるのでなく、神様を忘れるのでもなく、「神様のみ心はどこにあるのですか?」と尋ね続けるべきだと思うのです。

聖書の中では、神様に背を向け逃げようとする人を神様はおゆるしになりませんが、

神様に向かっていく人は、ヤコブのように大いなる祝福が与えられます。

 

〈お祈り〉

すべてを支配したもう全能の神様。

多くの人たちが今日も命の危険にさらされています。

互いにいがみ合ったり、不安でたまらない人が大勢います。

神様のみ心が私たちにはわかりません。

それでも神様は私たちをお見捨てにならないことを信じます。

私たちを助けてください。大いなるみ手で私たちをお支えください。

救い主イエス·キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

課題を郵送しました 

中2の皆さんと、高二「世界史B」、高三「世界史研究Ⅰ」選択者の皆さんに課題が郵送されています。しばらくしても届かない場合、また、内容に不足などがある場合には、学校にご連絡ください。(月~金 9:00~15:00 ☎045-491-3686)

なお、Classroomでの課題配信は、他学年でも行われています。困ったことがあったらClassroom担当教員にお尋ねください。

引き続き、健康が守られますようお祈りしております。

図書館だより 5月8日

『神谷美恵子 島の診療記録から』神谷美恵子 

平凡社 STANDARD BOOKS

「感染症」「隔離」「差別」。今、日々の報道の中で珍しくないこの言葉。捜真生はどこかで聞いた覚えがありませんか。

5月2日の朝日新聞に「ハンセン病と40時間の移動」という記事がありました。昭和6年、現多麿全生園から瀬戸内海に開設された長島愛生園に患者を移送したときの顛末が書かれていました。

「ハンセン病の患者たちは貨物と同じ扱いで運ばれたのだ。それはあたかも、アウシュビッツに運ばれたユダヤ人たちを思い起こさせる。」

神谷美恵子さんは、昭和31年長島愛生園の精神科医として赴任されました。

この本では神谷さんが愛生園で患者と過ごす中での、迷いや思索がエッセイとして書かれています。自分を見つめる真摯な言葉は、私のすぐ隣で語られているように感じます。特に印象に残ったのは「使命感に生きる人の注意すべきことは、つねに謙虚な反省を忘れないこと。使命の内容を少し遠くへつきはなして眺めるゆとりとユーモアのセンスをもつこと。たえずあらたに道を求める祈りの姿勢であろう。」「与える側の謙虚な反省能力と思いやりと与えられる側の素直な受容がうまくかみあえば、互いが与え与えられる者となる。」「何より地球を平和な、美しいところにしたいものである。無力さに打ちひしがれるとき、山に向かって目をあげて、この願いと希望をあらたにしよう。」長い間もやもやとしていた感情がすっと整理されたように思えました。

コロナウイルスの報道の中に、医療従事者や配送業者の家族が排除されたという出来事がありました。自分は差別をしないと思っていても、当事者になれば「近寄りたくない」と思うかもしれません。日本赤十字のHPに「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!」が紹介されています。ぜひ検索してみて下さい。

世界中の患者さんが、一日も早く完治し、当たり前の生活を取り戻すことができるよう心から祈ります。

 

 

5月8日(金)礼拝メッセージ

神から与えられる安らぎ

英語科 星川キャレン

こちらから 讃美歌第2編188番「きみのたまものと」を聞くことができます

【聖書】フィリピの信徒への手紙4章6節~7節

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト·イエスによって守るでしょう。

 

生徒の皆さん、英会話教師のミセス星川です。厳しいコロナ肺炎が蔓延している中で、生徒の皆さんは毎日どのように過ごしているのでしょうか?

ところで聖書の中で、神様は「なにも心配する必要はありません。ただ全てについてお祈りをしなさい」とあります。つまり私達は、本当の心の安らぎは神から手に入れられるということです。そのような安らぎを手に入れるということは、私達の心や考え方を守ってくれるということです。(フィリピ4:6-7)

さて個人的な話になりますが、私は絵を描くのが大好きです。また絵を描くことによってお祈りをしています。コロナウイルスは丸い形をしているようで、最近描いた絵は「コロナ·アンチ·ウイルス」という題の絵です。絵を描きながらお祈りをすると、神様は私の心に平安と安らぎを与えてくれます。

コロナ肺炎のために、皆さんは最近はずっと家族と一緒に家に引きこもっていると思いますが、ある生徒はこのような状態を「コロナ·バケーション」と呼んでいます。このような表現が出来るのは楽しくて素晴らしいと思います。皆さんもどうぞ心の安らぎが与えられるようにこの時期をお過ごし下さい。

神の名において皆様に安らぎが与えられますように、アーメン。

God’s Peace

by Karen Hoshikawa

Hello Everyone! This is Mrs. Hoshikawa.

How are you doing with the stress of staying home?

In the Bible, God says: “Don’t worry about anything, instead pray about everything! Then you will experience God’s peace. God’s peace will guard your hearts and your minds as you live in Jesus.” Philippians 4: 6-7  (New Living Translation)

I love to draw and paint. In my opinion, my hobby is a wonderful way to pray. Coronavirus is round and my recent art is a round “coronavirus-antivirus!” (see photo) When I draw and paint, I also pray. Jesus, then fills my heart with His Peace and His Joy!

One of my students calls this time of isolation with our families “corona-vacation.” This is a clever and joyful word!

Please enjoy your “corona-vacation!” May God bless you with His Peace.

 

5月7日(木)礼拝メッセージ

ひとりひとりの役割

 

高三担任 富樫恵実

【聖書】コリントの信徒への手紙(一)12章21節~22節、24節~27節

目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前達は要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

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神様は、私達には一人一人にかなった役割があるとおっしゃっています。そして、聖書に示されている「体の中でほかよりも弱く見える部分」という表現は、ある人がそう思っているだけで神様は、体の中の大切な一機能として必要があったから神様が配置したのだと示されているのです。その役割に、差はないのだ。どれがすごいとか、すごくないということではない。それぞれがその役割を自信持って発揮することが大事であるという事なのだと思います。

見劣りのする部分」これも人々から見て劣ると見えるだけであって、神様から見れば自らの作品として全て良い物なのです。そして、自分の苦しみは、「自分だけで感じるものではなく、共に苦しみを感じる仲間がいるのだ、良いことが起きれば、一緒に喜ぶ仲間がいるのだ」ともおっしゃっています。

今コロナウィルスにより、体だけでなく心までもが影響を受け、人々の争いも起こっています。私自身も、以前よりも、些細なことで、イライラしたりすることがあり「良くないなー」と、感じています。なるべく体を定期的に動かしたりして、気持ちをリフレッシュするようにしていますが、気持ちをコントロールするのは難しいものです。

私達は、自分に見えている、また、知っている世界の中で生きています。そして、体も心も大きく成長するにつれ、自分に見えている世界の外にも本当はもっと違う広い世界があるのだということに気付いていきます。学校生活を送るなかで、勉強をして知識を得て広い世界を知ることは大事なことですが、このこと以上に、様々な人と出会い、喜びや、悲しみ、辛さなどを実際に体験することに大きな意味があると私は感じています。

特に捜真女学校には、勉強だけでなく、行事、委員会、クラブ活動、キリスト教の行事、他様々な活動から、自分の可能性を広げるチャンスが散りばめられています。そして、この学校での経験を足がかりにして、世の中に出た時に、勇気のある一歩を踏み出し、やがては自分なりの大きな力が発揮できるようになるのではないかと思っています。でも、思いがけず、今現在、その機会が奪われてしまいました。この貴重な機会が奪われたことで、心に力が湧かない、なかなか元気になれないと感じている生徒の皆さんもいるのではないでしょうか。

特に高校三年生の中にはクラブ活動の最後の数カ月を迎えられず、最後の大会の機会さえも奪われてしまった生徒がいます。また、これからの進路について、どう進んでいくのか先行きがみえない状態です。運動部に携わってきた私自身、心の行き場を失い戸惑っている状況です。

しかし、このような中、風穴を開けるべく動き出した高三がいました。高三の人たちの中からインターネットを使っての礼拝をしたいという声があがったのです。オンラインで伴奏をし、別の人が司会をし、生徒や一部の教員がお話をしています。5月になっても続いています。不安な中で少しでも前に歩もうとする、その行動に私自身も力を得ました。この礼拝で、力を得た仲間、そして先生方もいらっしゃいます。

捜真女学校の皆さん、そして特に中学部1年生の皆さん、高校1年生の皆さんの中には、いよいよ捜真での生活が始まるという時にこのような事態となり、何が何だかわからないという状況の中、力が抜けてしまっている人、不安を覚えている人もいるかもしれません。

でも皆さん一人一人には、それぞれの役割が必ずあります。神様は必要があって私たちをこの世に送りました。小さなことでも良いから、何か人にエネルギーや元気を与えられることができたら良いなあと思っています。身近な人にでも良いですし、勿論捜真の仲間にでも良い。エネルギーを伝えられる何かがあるはずです。伝えれば、またそのエネルギーは自分にも力となって返ってきます。辛い時には一緒に苦しんでくれる仲間がいます。一緒に喜んでくれる仲間がいます。何かアクションを起こしてみてはいかがでしょうか。

5・6月の個別相談会は中止とさせていただきます

5月と6月に予定していました校長または教頭による個別相談会は、新型コロナウイルス感染拡大の現況を考慮し、中止とさせていただきます。お会いしてゆっくりとお話しさせていただけることを楽しみにしておりましたが、それが適わず残念な気持ちでいっぱいです。9月·10月の開催につきましては未定ですが、開催可能な場合にはお待ちしております。

休校延長のお知らせ

保護者の皆さま

新型コロナウイルスの感染状況は依然として収束の見通しが立たず、政府は「緊急事態宣言」の継続の意向を表明しております。

捜真小学校では、児童とご家族の健康保持、そして更なる感染拡大を防ぐため、今年度は4月7日(火)から臨時休校とし5月11日(月)の学校再開を目指してきましたが、現在の状況では再開することは難しいと判断し、下記のように休校期間を延長することといたしました。

· 5月31日(日)まで休校を延長

· 6月1日(月)から学校再開

この期間の状況により、再度変更を余儀なくされることもありますこと、ご理解ください。5月中旬以降、状況を精査して判断し、ご連絡いたします。

休校延長に伴い、1学期に予定していた行事等については、次のように変更いたします。

  • 1学期に計画していた校外での行事、PTA行事を中止または延期にします。

自然教室、5年臨海実習、学校説明会(予約制でWeb配信へ変更)、6年国会·最高裁見学、バンド合宿、PTAキリスト教講座、PTAスポーツ、

  • 始業式·入学式、1学期終業式、2学期始業式につきましては、追ってご連絡いたします。

2月末から休校が続いています。健康保持、感染拡大抑止のためとはいえ、平常と違った生活を続けることで、不安やストレスを抱えながらお過ごしのことと思います。 学校としましては、今後も少しでも双方向のやりとりができる環境を保てるよう、また学習習慣が維持できるよう努めてまいります。お手数·ご負担をおかけすることもあるかと思いますが、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。ご不明の点、ご不安がありましたらどうぞご連絡ください。

お子さまたちの元気な賛美の歌声が学校に響く日が戻ることを教職員一同心待ちにしております。そしてご家族の上に神様の慰めと励ましが豊かに注がれますよう日々祈っております。

在校生へのお知らせ「休校期間の延長について」 5/1付

捜真生の皆さん、保護者の皆様

5月に入りました。その後、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。

さて、政府の緊急事態宣言の延長が決定的となりましたので、捜真も5月31日までの休校延長を決定しました。

学校長からの詳しいご説明は本日、保護者の皆様方宛てにGmailでお送りいたしましたので、そちらをご確認ください。

また、在校生の皆さんにも中島学院長からのお手紙などをGmailにお送りしています。ご確認ください。

 

 

 

図書館だより 5月1日

『正しく怖がる感染症』岡田晴恵 ちくまプリマー新書

 

毎日テレビでお顔を拝見する岡田先生の著書。

「岩波ブックレット」を紹介した時も触れましたが、この本は2017年3月に発行されています。

①昆虫②接触③吸い込む④母子感染⑤飲み込む⑥傷⑦動物からうつる感染症。感染症をその経路別に説明しています。

一言で感染症といっても、多種の経路、要因、症状、治療法、展望が様々であることがわかります。コロナウイルスの感染拡大で全世界が注目をしているこの病気。

普段はほとんどかかわりのない世界ではありますが、このように平素から意識を持って研究されている方々があって、命は守られているいうことが身に染みて感じることができます。

ちくまプリマー新書は中高生にもわかりやすく書かれていますので、この際、医療にも目をむけてみようと思う人は是非手に取ってみましょう。

身の回りのことだけではなく、「そういえば、これってどうなっているんだろう?」と

思えた時がチャンスです。その時はぜひ本を開いてみてください。

 

5月1日(金)礼拝メッセージ

こんな時だからこそ

こちらで讃美歌7番をきくことができます

中2担任 千葉 眞智子

【聖書】フィリピの信徒への手紙4章6節7節

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト·イエスによって守るでしょう。

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今日の聖書個所「あらゆる人知を超える神の平和」は今年度の学院聖句です。

上級生はご存じの通り、チャペルの正面にはその年の学院聖句が掲げられています。毎年、温かみのある書体で書かれた聖句を眺めながら、そこに込められた意味を考えるのが、4月の私の楽しみの一つです。

 

新型コロナウィルスの感染拡大が騒がれる中、この聖句は私たちになげかけています。人間の人知を超えた未知のウィルスとの戦い。「本当に終息するのだろうか?」「この先どうなるのだろうか···」思い煩いは尽きません。

でもこの聖句は教えてくれます。

思い煩うことをやめて、どんなことでも神様に感謝して祈るようにと···そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えを守ると···。

実は、学院聖句は前年度の2学期末には決められます。昨年度の2学期末といえば、まだ新型コロナウィルスの存在すら知らなかった頃です。

その時点で今年度の聖句としてこの箇所が与えられていたのです。なんということでしょう。神さまの愛、守られていることを強く感じずにはいられません。

先日、久しぶりにチャペルに入りました。パイプオルガンは皆さんと一緒に讃美できず、寂しそうにみえました。皆さんと一緒に礼拝できる日を心待ちにしているように感じました。

中学1年生の皆さん、捜真のチャペルでの礼拝は素晴らしい時間です。どうぞ、チャペルで礼拝を受ける時を楽しみに待っていてください。

上級生の皆さん、チャペルが、パイプオルガンが静かに皆さんを待ってましたよ。また一緒に礼拝を守りましょう。

こんな時だからこそ、思い煩うことなく、感謝を込めて祈りと願いをささげて、神さまを信頼して今日も元気に過ごしてください。

 

 

 

図書館だより 4月30日

2020年4月本屋大賞受賞作品から三冊を紹介。

『ライオンのおやつ』小川糸 ポプラ社

2020年本屋大賞、2位。書店で見かけて購入しました。

捜真生には少し先のテーマかもしれませんが、死を間近にし、ホスピスで過ごす若い女性の物語です。ホスピスに行ったことのある人は多くはないと思いますが、病院とは違い治療はせず、医師や看護師が残された日々に寄り添って最期を看取ってくれる場所です。

人は生まれたからには誰でもが一度は死を迎える。その日までをどのように生きていくのか、命に限りがあることを常に意識することは難しいと思いますが、この本を読んで自分の命にも向き合ってみてはいいのではないでしょうか。

思いのほか、柔らかい気持ちになれる作品です。それは、おやつのおかげかもしれません。

 

 

 『アーモンド』ソン·ウォンピョン 祥伝社

2020年本屋大賞、翻訳小説部門1位。

すでに読んだという人もいるかと思います。以前に『82年生まれ、キム·ジヨン』を読んでとても面白く、韓国の作家さんが書いた本をまた読んでみたいと思い昨年購入しました。どちらも海外の作品であることを忘れてしまうほど日本語の訳が自然だということも魅力です。

主人公はユンジェとゴニ。ふたりは「怪物」と呼ばれる普通とは違った子どもでした。しかし、二人が出会うことで「怪物」がそれぞれ成長をしていくというストーリー。

キーワードは“感情”と“理性”。じっくり読んでみてください。

 

 

『無理難題が多すぎる』土屋賢二 文春文庫

2020年本屋大賞、発掘部門

この本はまだ読んではいませんが、一度読んでみたいと思っています。

読んだ人は感想を教えてほしいな。“そんなに頑張らなくても生きていていい”ってことが書いてあるらしい。

 

 

4月30日(木)礼拝メッセージ

忍耐強い神様

中3副担任 阿部一博

【聖書】民数記21:4-9

 彼らはホル山を旅立ち、、エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って行った。しかし、民は途中で耐えきれなくなって、神とモーセに逆らっていった。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。民はモーセのもとに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

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昔々、イスラエル民族は奴隷としてエジプトに囚われていました。神様は、そんなイスラエル民族を哀れんで、モーセをリーダーとしてエジプトから脱出させてくださいました。そして、自分たちのふるさとであるカナンの地(現在のイスラエル)を目指して大移動を始めたのです。

奴隷から解放され、喜びに満ち溢れて旅を始めたイスラエル人たちでしたが、エジプトからシナイ半島を経てカナンの地へ至る道は、険しく荒れた土地です。砂漠もとおらなければなりません。やがて、イスラエルの人々は疲れてきて、だんだんと文句を言うようになります。「荒地で歩くのは大変だ。」「食べ物や水も十分ではない。」「これなら、エジプトの地で奴隷をしていたほうがよかった。少なくとも飢える事はなかった。」等など。彼らはとうとう、リーダーのモーセにまでかみつきます。「あなたは、こんな場所で私たちを死なせるためにエジプトから連れ出したのですか?」文句は神様にまで向けられました。

怒った神様は毒蛇をイスラエル人のところに送られました。多くの人が死んでいくのを見て、人々も自分たちが犯した罪をさとり、モーセのところに来て自分たちの事を神様にとりなしてくださるようにお願いしたのです。その結果が「青銅の蛇」です。その蛇を見上げたものは助かりました。というのが今回の聖書箇所のお話です。

でも、実はイスラエル人が神様に逆らうのはこれが初めてではありません。というより、旧約聖書全体を通して、イスラエル民族は神様に逆らい続けたのです。それに対して神様が怒り、イスラエル人が悔い改める。旧約聖書の内容は、ものすごく簡単に言うと、そういうことです。

そう考えると、旧約聖書って変わった本ですよね。想像してみてください。皆さんが、新しい宗教を作って、その本を書くとしたら、旧約聖書みたいな本を作りますか?イスラエル民族は旧約聖書の中では、神様から選ばれた民なのです。そのイスラエル人が、いかに神様の前でだらしなかったか、それが旧約聖書です。普通そんな本書きませんよね!

しかし、この事を反対に見ると、神様はいかに忍耐強かったか、と考える事ができます。旧約聖書に記されているのは、イスラエル民族のだらしなさではなく、神様の忍耐強さです。どんなに、イスラエル民族が強情で神様の言う事を聞かず、逆らい続けても、神様は時に怒る事はあっても、決してイスラエル民族を見捨てず、愛し導き続けてくださったのです。

皆さんは中学生以上です。その年になれば、どんな人でも自分の汚さや、だらしなさや、愛のなさに、消え入りたいような思いをした事が一度や二度はあるはずです。夜家族の皆が寝静まったとき、一人ベッドの中で「ああ、あの時、私は何であんな事をしてしまったのだろう!」と頭を抱えて叫びたくなるような思いをした事のある人も多いでしょう。私たちは、自分たちが罪びとである事に、本能的に気づいています。そのままでは、神様に受け入れてもらえない、とわかっているのです。

でも、そんな私たちの罪以上に、神様の忍耐力の方が大きいのです。神様は、何百年にわたり逆らい続けるイスラエル民族を決して見捨てませんでした。もちろん、私たちの事も見捨てません。常にともにあるいてくださるのです。そして、イスラエルの人々が青銅の蛇を見上げたときに命を得たように、「私を見上げなさい」とおっしゃってくださいます。旗竿に上げられた青銅の蛇は、十字架にあげられたイエス様のモデルです。イエス様の十字架を見上げて私たちは罪を許され、命を得ます。皆さん、一人一人が、イエス様の十字架を自分の物とされますよう、心からお祈りいたします。