礼拝メッセージ 10月2日

2020.10.3

Soshin Jogakko

映画「マザー」を観て

(10月2日 学校説明会礼拝メッセージ)

 

こちらから讃美歌500番「聖霊(みたま)なる清き神」を聞くことができます

中2担任 千葉 眞智子

【聖書】 テサロニケの信徒への手紙5章16節~18節

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト·イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

*******************************************

先日、「マザー」という映画を観ました。長澤まさみさんが、毒親、最低な母親役を演じるということでも話題になりました。この映画は実は2014年に起きた、「17歳の少年による祖父母殺害事件」という実話に基づいて製作された映画です。

私は、テレビコマーシャルで流れていた、映画の宣伝で、長澤まさみさん演じる秋子という母親が言っていた言葉が気になって、映画を観てみたいと思ったのです。母親は何と言っていたかというと、「私はあの子をなめるようにして育ててきたの。私があの子をどう育てても、親の勝手じゃないですか···」というフレーズです。その言葉が同じ母親として衝撃で、一体どう育てたんだと気になって、映画館に足を運びました。

この秋子という母親は、定職にも就かず、生活保護や児童手当で得たお金は、すべてパチンコや飲み代に費やし、親や妹から借金をしまくった挙句にもちろん返済せずに絶縁される。行きずりの男と生活を共にしては別れ···を繰り返す。と私たちが考え付く限りの「最低」な生活を続けていました。息子の周平は学校にも行かせてもらえず、最低な母親と生活をしていきますが、やがて成長すると、周平がまじめに働いて、母親との生活を立て直そうとします。が、この母親は息子が働いたお金もギャンブルなどに使い果たし、挙句の果てに、周平に職場からお金を盗んでくるようにと、仕向けていくのです。少年の周平に手を差し伸べる周りの大人もいました。母親と離れて生活する環境を整えてくれる行政のサポートもありました。なのに、周平はそんな「毒親」ともいえる母親の元に自ら戻ってしまうのです。

そして、事態は最悪の状況を迎えます。お金に困り果てた秋子は、周平を絶縁状態にある自分の親のところへ行かせ、お金を借りてくるよう指示をするのです。貸してくれないならば、殺してもいい···というニュアンスを含めて··· ついに周平は祖父母を殺害してしまうのです。その後の裁判においても、この母親の態度は衝撃的でした。この後、どのようになったかは是非、映画を観て見てください。

この映画を観終わって、何故、周平は差し伸べられた助けを拒否して、なおこの母親と一緒に居続け、母親の言いなりになっていったのだろう···ということが不思議で仕方ありませんでした。周平は学校に行っていませんでしたが、賢い子でした。今の生活が良くない事、母親と離れた方がどれだけ自分に有益か···周平はわかっていたはずです。それでも母親の側を離れなかったのは、母に対する愛なのでしょうか?母親もそこまで落ちた生活をしながら子育てを放棄しなかった。周平が施設に保護されると、「この子は私の子、誰にも渡さない」と言って、息子を取り返しに来る。互いに共にいることが、良い事ではないとわかりつつ、離れることができなかった。周平にとっては母が唯一の「真実」であり、母にとっても息子が生きる生きる意味だったのでしょう。互いに依存しあいながら共にいる。共依存の母子であったのだと思います。

話は少し変わりますが、戦争中の人々の心理を私はずっと不思議に思っていました。「お国のために命を捨てることは名誉なことだ」当時の人は本当にそう思っていたんだろうか···「戦争を批判するような発言をすると、憲兵に密告される。」本当にそんな事が起こっていたのだろうか。しかし、今回の新型コロナウイルス感染拡大に伴って広がった「自粛警察」という現象をみた時、戦時中の心理もわかるようになりました。コロナ下では、営業しているお店が嫌がらせにあう、県外ナンバーの車が威嚇される···など他人に自粛を強要し、出来ていない人を誹謗中傷をするという行為が起こりました。
その現象はまさに戦時中の日本人が互いを取り締まり合ったという現象に似ています。つまり、「これが正しい」と植えつけられると、それに従ってしまう。たとえ、どこかで本当にそうだろうか?と思いながらも、その圧力に従ってしまう、そういう弱さが人間にはあるのだと思います。特に純粋な若い魂ほど、その傾向は強いのではないでしょうか。

先ほどの映画の周平が、若いうちに出会った「真実」が母親でなかったら···周平の人生は全く別のものになっていたでしょう。若い魂に何が「真実」かと教える事、若いうちに「真実」に出会うことはその人の一生を大きく変えることとなるのです。

今日、お読みした聖書箇所「いつも喜んでいなさい。絶えず感謝しなさい」という聖句は、最近の私のクラスでの生徒礼拝で1番多く読まれている箇所です。捜真生の皆さんが大好きな聖書箇所ですよね。先日の生徒礼拝でこの箇所のお話をしてくれた生徒がいました。今日はその原稿の一部分をそのまま読みたいと思います。

「コロナで出来ないことがたくさん続き、苦しいことばかりで、気分も下がっていた頃、学校では礼拝が再開され、ある礼拝でこの聖書箇所に出会いました。この聖書箇所によって、今までの生活の考え方や気持ちを改めて、本当にずっと苦しいことばかりだったのか、楽しくはなかったのか、出来るようになったことはなかったのか、分かったことはなかったのか、考え直しました。すると、今まで当たり前に過ごしていた日々がとても恵まれていて、当たり前でないことに気付くことができました。そして学校が始まって、お弁当の時間に前を向いて無言で食べている私たちのために、曲を流してくれて、それがとてもたのしいことを思い出しました。他にも友だちとこんな今だからこそ生まれたアイデアを実行することが出来、とっても充実していることを改めて感じることが出来ました。」という文です。

ちなみにこれを書いた生徒は、自分たちのアイデアで新しいマスクを考え、それを10月末に行われる校内発表会(文化祭)で販売するという企画を今、進めています。

コロナ下の生活で、学校では、あれもこれもできなくなりました。皆さんにとっては大きな楽しみとなるであろう、様々な行事も中止であったり、かなり規模が縮小されたり、そんなことばかりです。テレビを付ければ暗いニュースが続きます。そんな中にあって、そんな生活の中から、楽しみを見出し、その生活に感謝することができる、中学2年生の皆さんを、捜真生の皆さんを、私は素晴らしいと思いますし、誇らしく思います。

何がそのような考えにさせるのか、それはやはり皆さんの心に「キリスト教」のエッセンスが注がれているからではないでしょうか? 皆さんの真実に「聖書」が刻まれる。若い魂に「聖書」からの御言葉が真実として刻まれることは、きっと皆さんの人生を豊かにするであろうと思います。中学2年生という、若くて純粋な魂。まだまだ何にでも染まる可能性のある魂が、このような毎日の礼拝を通して、聖書の御言葉に導かれて、皆さんの人生を豊かにしていくことを、心から願っています。

お祈りします
御在天の父なる神様、今日も生きよと新しい命を与えて下さり、ありがとうございます。健康を与えられこの場に集えたことを心から感謝いたします。
神様、捜真に学ぶ若い魂が、自分にとっての真理を追い求め、あなたに喜ばれる生き方ができますように。道に迷ってしまった時にはどうぞあなたが一人一人の歩む道を示してくださいますように。
今日は、たくさんのお客様をお迎えして礼拝を守ることが出来たことにも感謝いたします。世の中が落ち着かない中での受験ということは、多くの不安を伴う事と思います。どうぞ、ここにご家庭を、神様が守ってさしあげてください。
この感謝と願い、ここに集うそれぞれの祈りに合わせて、尊きまる主·イエス·キリストの御名によって御前にお捧げ致します。
アーメン
 

Back

page top