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礼拝メッセージ 4月22日 中学部礼拝

強いられた恵み

中2担任 杉山知子

【聖書】ローマの信徒への手紙8章31節~34節

「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるイエス·キリストが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」

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今日、4月22日は、私にとって特別な日です。2つ目の誕生日であるとも言えます。
37年前の今日、私は洗礼を受けてクリスチャンになりました。その年のイースターでした。(今年のイースターは4月4日でしたね)

私の父方の先祖は、幕末にプロテスタントの宣教師たちが日本に来て間もなくクリスチャンになったので、キリスト教は先祖代々の宗教と言えるかもしれません。私が洗礼を受けた教会は母方の祖父母が通った教会であり、父方の祖父の親友が牧師だった時期もあるので両親が出会った教会でもあり、偶然にも両親の結婚記念日に(当時両親は海外にいましたが)私はイエス·キリストの復活にあずかるバプテスマを受け、新しく生き始めました。

こんな話をすると、私がクリスチャンホームで純粋に育ち、素直に洗礼を受けたように聞こえるかもしれませんね。しかし、全くそんなことはありません。

時々、先祖代々医者の家系だから医者にならなくてはいけないとか、親戚がみな〇〇大学だから〇〇大学に進学しないと肩身が狭い、などという話を聞きます。一人一人別人格なのに変ですよね。それぞれが希望する進路があって当たり前ですし、好みや適性もそれぞれちがうはずです。ただ、似たような価値観の中で育つと、自然と影響されることもあるかもしれません。
宗教も、ユダヤ教の一部の人々のように先祖代々信仰を守るのが掟であり義務であるという考え方もありますし、イスラム教の信者の多くも親から子へ信仰を継承しています。そのために迫害されている人々もいます。
日本では、特定の宗教に属していると明言する人や意識的に信仰生活をしている人の割合は世界的に見ても多くありません。キリスト教人口に至ってはずっと1%前後です。その少数派の家庭に生まれた私は、キリスト教以外の宗教行事をほとんど経験することなく育ちました。大学時代は教会学校で奉仕もしていました。だからと言って洗礼を受ける気にはなれず、周囲に期待されると反発を感じ、でも友人が洗礼を受けるとうらやましく思ったりもしました。神さまにとらえられているという感覚はありましたが、なんだか悔しくて、まだまだ自分の力で何とかしたいと意地を張る気持ちがあったのです。

優柔不断な日々に終止符を打つきっかけとなったのは、実はこの捜真でした。
洗礼を受ける半年前に捜真の採用面接を受けた際、当時校長だった日野綾子先生にクリスチャンにならないと採用しないと言われた、いや、そんなことを言われたわけはないのですが、そのように言われたと感じてしまったのです。日野先生は後日、「私はちょっとプッシュしただけよ」とおっしゃっていましたが、まさにそのプッシュが決め手となり、私は泣く泣く(!) 洗礼を受け、2か月後の6月に大学を卒業し、9月から捜真で働き始めました。もし捜真に就職が決まらなければ、私はクリスチャンになりそびれていたかもしれません。神さまの導きを感じます。

キリスト教ではよく「強いられた恵み」という言い方をします。

今、このチャペルでお話ししているのも「強いられた恵み」と言えます。
チャペルで話す先生方はとても苦労なさっていると思います。もしかしたら授業準備よりも時間と気力をたくさん費やすこともあるかもしれません。チャペル当番がうれしくてたまらない先生はほとんどいらっしゃらないでしょう。それでもやはり「恵み」なのです。中2の皆さん、昨年生徒礼拝を担当していかがでしたか?お話を考えるのは大変だったかもしれませんが、話し終わったらけっこう達成感がありませんでしたか?共感してくれる感想をもらってうれしかった人や、自分のことを深く考えるきっかけとなった人もいたことでしょう。中1の皆さんも、2学期からは一人一人順番にクラスのみんなの前で礼拝のお話をすることになるはずです。希望者でなく、全員が担当するのが捜真流です。ぜひ「強いられた恵み」を体験してください。

生きていく上で、この「強いられた恵み」はしょっちゅう現れます。

皆さんは義務教育の年齢ですから、 保護者に義務があり、 たとえば学校に通わせるなどして皆さんに教育を受けさせなくてはいけません。 眠くても面倒くさくても朝早く登校しなくてはならないのは 、皆さんにしてみれば「強いられた」と感じることもあるかもしれませんが、世界の子どもたちの現状を考えると、教育を受ける権利が保障されているのは「恵み」と言えますよね。
私たち教員にも義務があるので、授業をし、課題を出し、試験をします。皆さんの年頃で、課題も試験もなしに自分を高めるために勉強できる人は、まだそう多くはないと思います。手帳を使って課題の管理をする、試験に向けて学習計画を立てる、など、「強いられた」ことで身につく力は多いのではないでしょうか。それも「恵み」ですよね。

クラスや部活での役割も、ときに「強いられた恵み」になります。
よく「強みを生かす」という言い方をしますが、強みを生かすことを強調しすぎると、苦手を克服する機会を失ったり、やってみたらできるかもしれないのに食わず嫌いで終わってしまったり、ひどいときは自分が得意なことだけしてその他のことは人に押し付けることにもなりかねません。
皆さんはまだ人生経験が浅いのですから、意識して未経験のことに挑戦してみてください。するつもりがなかったのに、たとえばじゃんけんで負けて、ある役割を押し付けられた形になったとしても、そこから思わぬ出会いや発見につながるかもしれません。
また、よく私も経験するのですが、得意なことをしていると、「あの人はあれが得意だから」と思われるのか、大変でも周りがあまり手伝ってくれないことがあります。でも、苦手なことを一生懸命している人の周りには応援する人が集まりますよね。特に捜真生はそうだと思います。捜真生は本当にやさしいです。だから、安心して苦手なことにも挑戦してほしいです。弱いロボットってご存じですか?強いロボットが知らないうちにゴミを全部片付けてくれるイメージだとすると、弱いロボットの1つである「ゴミ箱ロボット」はよたよたと動き回るのですが、自分ではゴミを拾えません。ゴミの存在を周りの人に教えるような仕草をするだけです。自分の弱さをさらけ出すことで、周りのやさしさを引き出すのです。

生きていることそのものが、時として「強いられた」と感じることもあるかもしれません。なぜこの顔なのか、なぜこの性格なのか、なぜこの家族なのか等、人生を考え始めた皆さんの中には、こんなにも自分の望んでいることとかけ離れた自分がなぜ生きていなければならないのか、と考えたことが全くないという人は少ないのではないでしょうか。
でも、聖書のメッセージは明快です。神さまはあなたを愛している。あなたは大切な存在。あなたの生きる目的は神さまから与えられていて、それは、あなたと同様に大切な存在である隣り人を愛して神さまを喜ばせること。
何よりすばらしいのは、結論はすでに神さまが決めていてくださっていて、私たちが何回失敗してもその結論は変わらないということです。こんなにもダメな自分は神さまにゆるしていただけるはずがない、もうがんばっても無駄だ、どうせ自分は死んだら無になってしまうのだ···まじめな人ほど自分を責めたりあきらめたりしてしまいがちですが、聖書ははっきり述べています(今日の聖書個所を見てください)。神さまは私たちの味方である。義としてくださるのは神さまである。さらに神さまの隣りにはイエスさまがいて、私たちのために弁護してくださる、と。
このイエスさまこそ、人間のすべての苦しみをご自身で味わい、人間のすべての罪を背負って殺され、しかしそれで終わりではなく、死に打ち勝って復活なさった方だと信じるかどうか。
私たちが愛の足りない存在であるという現実に打ちのめされるか、それでも神さまの愛は揺るがないという真実を信じるか。
現実か真実か。
神さまの真実を信じる方に一歩踏み出したのが、今思うと37年前の今日だったのだと思います。
私が罪を犯す存在であるという現実が変わったわけではありません。自分は神さまに無条件にゆるされているのに、自分に不当なことをした人々をなかなかゆるせません。それでも、 神さまの側の結論が変わらないのですから、何があっても生きていることは「恵み」なのです。

神さまは、あなたのできなかったことを責めるおそろしい方ではなく、できたことをほめてくださる方です。失敗しながらも隣り人を愛そうと努力したあなたに、終わりの日に「よくやった」と言ってくださる方です。
あなたも、自分のできたことを、小さなことであっても喜びましょう。友だちがしてくれた小さなことを喜びましょう。それが、自分を愛するように隣り人を愛する第一歩となり、自分も友だちが喜ぶこと、そして神さまが喜ぶことをできるようになると信じます。

 

みんなで取り組もうSDGs【第14弾】

こんにちは!
私達は捜真SDGs実行会「みんなで取り組もうSDGs」チームです!
今回は飢餓とジェンダー問題について取り上げます。

①飢餓をゼロに
私たちが当たり前のように食べている食べ物も、世界には食べたくても食べられず困っている人々が沢山います。私たちのほんの少しの心がけが、世界の困っている人々を救う手助けとなります。

食べ物がなくて栄養が足りないことを飢餓といいます。世界には飢餓の子供が5人に1人います。
一方で日本には給食の食品ロスが毎年約5万トンもあります。
私たちにできることは、食べられることに感謝することや、食品ロスが少なくなるように「好き嫌い」を無くし、「買いすぎ」「作りすぎ」に注意することです。
これらを心がけていきましょう!

②ジェンダー平等を実現しよう
今、日本に限らず世界中で女性に対する差別が増えています。特に、性暴力、未成年の早期結婚、雇用機会·賃金の不平等や教育格差があります。

ソマリアの女の子は家事に費やす時間が週に26時間になっています。
この数字は男の子の2倍、働いているということです。
南アジア、中東アジアや北アフリカに暮らしてる女の子たちは学校に行きたくても家事のために学校に行けないでいます。

先ずは私たちが今、学校に行けていることに感謝しましょう。
そしてジェンダー平等について考えていきましょう。

図書館から本の紹介 4月12日

『イーブン』 村上しいこ 小学館

“even” 英和辞書には「平らな」「等分の」「落ち着いた」とありますが、この本のタイトルの意味には「対等」が近いでしょうか。
小学生向けの本を数多く書かれている村上さんの作品を読んだことのある人もいるでしょう。この本は中学生向け。
主人公は中1の美桜里(みおり)。彼女の周りにはシングルのママ、おばあちゃん、おばあちゃんの知り合いの貴夫さん、トム16歳、そして今は別れて暮らすパパ。それぞれの事情を持つ人たちとのかかわりの中から、美桜里は何をみつけていくのでしょうか。
お話はわかりやすく爽やかな展開ですが、一つ一つの出来事は簡単に解決できるとは思えない深い内容です。でも、現実を垣間見ることで、皆さんが社会に目を向けるきっかけにしてほしいと思います。
「尊敬と感謝」どんな時にもこの言葉を忘れないようにしたいですね。

 

 

『赤毛証明』 光丘真理 くもん出版

「赤毛」というと「アン」とつながるのは私だけでしょうか。この本で言う「赤毛証明」は、「中学校の頭髪色彩チェックで生まれつき茶髪だということを証明すること」。生徒手帳に押された赤毛証明」を校門で見せることで、主人公の堀内めぐは気の重い毎朝を迎えていました。
他人から見た「ふつう」、自分の中の「ふつう」。「ふつう」っていったい何なんだろう?
立ち止まって考えてみたら、世の中にはおかしなことがたくさんあるのです。心の中のざわざわをめぐはどうやって解決していくのでしょう。あなたもそう感じたことはないでしょうか。
たくましく成長していくめぐにエールを贈りたくなります。

ご入学おめでとうございます

61名の新入生をお迎えして、2021年度入学式が行われました。
校長先生から一人ひとり帽子をかぶせてもらい、
捜真小学校の仲間入りをした1年生は、とっても誇らしげな表情でした。
みなさま、ご入学おめでとうございます。
6年間の小学校生活が、神様の祝福に満ち溢れたものでありますよう、
お祈りいたします。

 

 

進級おめでとうございます

2021年度が始まりました!新しい教室で、新しいクラスメート、新しい先生と、新しい1年がスタートいたしました。進級おめでとうございます。引き続き十分な感染症対策を行いながら、希望を持って新しい歩みを進めていきたいと思います

本日の始業礼拝は、各教室でオンライン会議システムの”Zoom”で行いました。昨年度より、ICTを用いて新しい取り組みを進めてまいりましたが、今後もできることを一つずつ増やしながら、子どもたちとともに挑戦を続けてまいります。

2021年度も、あたたかいご支援とご協力をよろしくお願いいたします。

図書館から本の紹介 4月3日

『寿町のひとびと』山田清機 朝日新聞出版

今日、図書館の本を購入するため書店に行ったところ売り場のあちこちにこの本が平積みされていました。近くには新聞や雑誌の記事が貼ってあり、とても目立っていました。
それもそのはず、伊勢佐木町にあるその書店から、寿町までは徒歩10分弱。まさしく地元の本なのです。そして、捜真生が炊き出しでお邪魔している寿町に暮らしている人たちの人生が紹介されています。
昨年はコロナの感染拡大でお邪魔することはできませんでしたが、寿町には日本で初めて平仮名新約聖書を印刷したネイサン·ブラウン先生がいらした日本バプテスト横浜教会があります。その牧師をされ、寿町のひとびとと共に歩まれた益牧師の人生については最後の章で紹介されています。そして、ここに登場する「ひとびと」を筆者の山田さんは丁寧に取材をしながら描いていきます。
一人一人の人生と命に寄り添い、名誉や富からは程遠い人生に向き合う。一人一人の人生に意味を見出し、世に出そうとする著者の思いが熱く伝わる一冊でした。
炊き出しに行ったことも、時間がたつにつれて遠い話になってしまいがちですが、寿町で感じた空気はこの本を読めばすぐによみがえってくると思います。記憶として忘れてしまったとしても経験は残ります。本の最初のページにとじこまれた地図を指でなぞってみてください。
自分とは違う人生にも意味があると教えてくれたのは、どなただったでしょうか。

2020年度合唱コンクール委員会から

コロナとの闘いが始まってから早くも一年が経ちました。この一年合唱コンクール委員会としては、出来ることが限られていながらもたくさんの新たな挑戦をし、新しい力を見出した一年でもありました。

「道」という曲は、2016年に音楽研究を選択していた卒業生が作った曲です。コロナ禍の中でも新しい形で充実した学校生活を作ろうと、新たな道を築いている今の捜真に、歌詞がぴったりだと思い、今年歌うことにしました。

有志参加で集合した20名の歌声を、私たち捜真生の現状や葛藤、今年の部活動の様子を映した写真と共にお聞きください。

「何度でも」という曲は、日本赤十字社が呼びかけをしている全国の医療従事者の方への応援プロジェクト 「#最前線にエールを何度でも」 に参加したいと考え歌うことにしました。

全校生徒が医療従事者の方へ感謝の気持ちを込めて リモートで合唱しました。中学1年生から高校3年生まで各学年で作成した応援メッセージの写真と合わせてお聴きください。捜真生の感謝とエールが動画を通してお伝えできれば嬉しいと思います。

合唱「道」

#最前線にエールを何度でも