礼拝メッセージ 4月23日 高等学部礼拝

2021.4.23

Soshin Jogakko

あの日を境に

高二副担任 森川 亮

【聖書】ヘブライ人への手紙12章4節~7節

あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。

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高3現代文で取り上げた評論、「大人への条件」は非常に興味深い内容でした。簡単に内容を説明しますと、現代人はどのようにしたら大人と定義されるのかということです。昔の日本ではある一定の年齢に達したら、元服のような儀式を経て、大人として承認されました。
ミャンマーの少数民族の村では子供ができると、土地にその人の名前が付けられて、「○○の畑」と呼ばれるようになるそうです。これは財産を含めて地域社会から大人として承認されたということです。

現在の日本で、人はどうしたら子供から大人になれるのでしょうか。成人式を経たら大人になるのか、それとも大学を卒業したら大人になるのか、就職し、親から独立したら大人になるのでしょうか。現代は周囲の人がもうあなたは大人であると承認する時代ではなく、自分自身で、これが自分にとって大人となる出来事だったという事柄を見つけていかないと大人にはなれない時代なのです。
そう考えると、現代の日本人は「ある日を境に」突然、大人になるのでしょう。私自身も勝手に自分の解釈で、この日から大人になったのではないかという日、時点があります。それは周囲の人には全くわからないことでしょう。

大人になるということとは少しずれるのですが、私の「あの日を境に」の話を一つしたいと思います。
小学校3年の夏休みのことです。当時ナルニア国物語にはまっていた私は、夜から「銀の椅子」という本を読み始めました。あまりに面白い内容に引き込まれました。そして、途中で決めたんです。今日は徹夜してでもこの本を読み切ろう。私の中では徹夜するということに憧れがありました。部屋を暗くして机の電燈だけをつけて本を読み続けました。空が明るくなってきたときに思いました「僕はやりきった」いや「俺はやりきったんだ、ついに徹夜した」そしてみんなに徹夜をしたんだ!と自慢した後、深い眠りにつきました。

同じころです。それまで母親のことを「お母さん」と呼んでいました。しかし友人と話しているときに、「まだお母さんなんてよんでいるのかよ」と言われ、恥ずかしくなったのです。その日からどうしようか迷い始めました。母を何と呼んだら大人っぽいのか。「お母さん」でだめなら、と数日考えた末に「オッカー」と呼ぶことにしました。そして「オッカー」と呼ぶんだ、オッカーと呼ぶんだ、と思いながらついにその時が来ました。「ねぇ、オッカー」その時の母の反応はおぼえていませんが、「ある日を境に」勇気を振り絞って、しかも小さな声で「オッカー」と言った気がします。ある日を境に「お母さん」から「オッカー」と呼ばれた母はどのように感じたのでしょうか。その時「なにオッカーって?」などと言われなくて本当に良かったと思います。知ってか知らずか、スルーしれくれたのは、もしかしたら「私の中で生まれた変化」を承認してくれたのかもしれません。親が気づかないところで子供は何かをきっかけに、大人になる契機をつかんでいるだと思います。そして「その境の日」を作ろうとしているのでしょう。

知り合いの話です。その人は両親が医者の家系で、彼はその家の初孫·長男という状況でした。親戚はその人を医者にしようと、幼稚園、小学校時代から塾通い、お受験と医者にするべく英才教育を施そうとし、親は躍起になりました。ある時点までその人は母親の言うことを絶対だと信じて生きていました。しかし、その人はものすごく運動が好きで、医者になることよりも、みんなと放課後サッカーをしたいのだということに気がついたそうです。小学校6年生の時に、それまですべて従っていた母親に「もうこんな勉強なんかいやだ、僕は僕の行きたいと思う学校に行きたい」と言って親に反抗し、自分の進路を勝ち取ったそうです。お母さんは非常にびっくりしたそうです。その人に言わせると、あの母親に反抗し、初めて大声を出した日が自分に取って大人になる「境目」だったのかな、ということでした。

今度は親としての立場からの「あの日を境に」ついてです。現在、私の子供たちは中3と高二です、考えてみるとある日を境に手をつながなくなりました。当たり前のことですが、多分どこに行くにしても手をつないでいた子供たちはいつの日からか手をつながなくなったわけです。実はその時のことを私は覚えています。下の娘が手をつなごうとした時に、恥ずかしくて拒否してしまったことがあるのです。これは私にとっては大きな失敗でした。なぜならこれは親が選択することではなくて、子どもが選択すべきことだからです。同じようなことをあげると、私の家には車がありませんので、娘たちが遅刻しそうになると自転車で駅まで送ります。制服を着ているとき、日中でひと目がある時には彼女たちは私のおなかにつかまることはなくなりました。人目を気にしているから当たり前のことですが、昨晩、駅まで迎えに行った時にひと気が少なかったので、久しぶりにお腹につかまる娘の手に懐かしさを感じました。多分、子どもたちは自分で何かを選択しながら、自立していくのだろうなと思うと嬉しい気持ちになります。

どんなに年若くあろうと、人は自分の人生をそれぞれ歩んでおり、親の知らないところでどんどん大人になるきっかけをつかんでいるのだろうなと私は思います。そしてその「ある日を境に」という日が来た時には、大人はその変化を怒ったり潰したりしてはいけない、突然「オッカー」と呼ばれた私の母のようにスルーしなくてはいけないのです。

現代は多様なライフスタイルが認められているために、単純に一人前である、とか大人であるとか言いきれない時代です。あなたはいつ親から離れ、自分の生き方を獲得するのでしょうか。呼び名が変わるのか、それまでしたがっていた生き方を変え、自分の価値観にしたがって生きようとするのかわかりません。すべての大人が暖かくあなたの自立を見守るとは限りません。しかし、私にとって「この日が境目だ」という、その日が来たら勇気をもって自分の思いを伝えたり、行動したりしなければいけない時が来るはずです。「どうせ言っても無理だし」とか、「抑え付けられているから何もできない」と文句を言うだけでなく、その抑えを自分自身の力で解き放つ勇気をもってほしいと思います。そうすれば、その日はあなたにとって「あの日を境に」という大人になれた記念する一日になると思います。「私の幸せは私が決める」。人に決めてもらうのではなく、勇気を持って自分で決断する人生を歩んでください。それでも迷う時は神様が最善の道を備えてくださると信じ生きていくのです。

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