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嫌いだった

私は中学1年生の頃、捜真が好きではありませんでした。どちらかというと嫌いでした。中学1年生という多感な時期であったためか、反抗期であったためか、折々で感じる捜真関係者の「捜真信仰」のような、とにかく、捜真はいい学校なんだ、という雰囲気が嫌いでした。入学式で初めて聞いた「捜真ファミリー」という言葉もなんだかうさんくさく感じたし、愛だとか信仰だとか、すべて薄っぺらい偽善のような気がして、嫌でした。中1や中2の時、私は嫌なことがあるとすぐ逃げていました。特に当時は勉強から、学校から逃げていました。だから、いろいろな先生に叱られました。礼拝もやはり好きではありませんでした。中学生の頃を振り返ると、当時の私はすべてがいい加減で、投げやりな生き方をしていたと感じます。

そんな私に転機が訪れたのは高一でした。部活でもめごとがあり、友人関係でとても悩んだことがありました。今までうまく築けていたと思っていた友人関係が張りぼてだったことを思い知りました。私にとってこの経験は、正直なところ、耐え難いほどの苦痛でした。たぶん、捜真で生活していた中で、一番つらく、できれば思い出したくない出来事です。自分のそれまでのあり方すべてを否定されたような気がして、何とも言えない、苦しいような、悔しいような気持ちがしました。今後どうやって友人と接していけばよいだろう、自分はどうあるべきなのだろう…。考えたくないのに考えなくてはなりませんでした。ふとした時にそのことが頭を占領して、自分がひどく孤独に感じました。自分の中にあった芯がふにゃふにゃと揺れて、定まらない感じでした。

そんな私を救ったのは、意外なことに聖書の言葉でした。このお話のために、無理に神様と結び付けようとしているのではありません。本当に、聖書に、そして礼拝で語られるお話に助けられたのです。とても不思議なことなのですが、聖書の言葉や礼拝の言葉というのは、悩んでいることがあると、やたらに頭の中に入ってくるし、なにかと自分に身近に感じるのです。何も悩みがない時に、何気なく聞いていた言葉たちが、苦悩の中にあるときに聞くと、考え方を変えてくれたり、助けてくれたりするのです。当時の私には、全校礼拝で先生が語る言葉も、生徒礼拝でクラスメートが語る言葉も、同様に、心にしみわたっていきました。悩みはすぐには私の中からは消えてくれませんでしたが、少しずつゆっくりと自分の芯を確立することができました。私は確かに神様に近づくことができたのだと思います。

私たちは、捜真女学校という校名の意味を知っています。真理を捜し求める学校、という意味です。では、「真理」って一体何でしょうか。辞書を引くと、「どんなに時間が経過しても変わらない物の考え方」「どんな人間にとっても絶対に定義の変わらない物の考え方」とあります。では、それはたとえば何でしょうか。「地球は丸い」というのは、一見いつでも変わらない世界の常識に思えるけれど、江戸時代の人たちには常識でもなんでもありません。果たして、「地球は丸い」は真理でしょうか。

私は6年間、捜真で過ごしてきたけれど、この「真理」という言葉の意味がいまだにうまくつかめません。この先一生かかっても、つかむことはできないのかもしれません。けれども、「真理を捜し求める」の意味は、少しだけわかったような気がします。私がこの学校で、自分の芯を見つけたように、真理という世界の芯のようなものを捜すことなのではないかと思います。そしてこのことは、あの頃神様に近づくことができたように、神様に近づくための一歩となるのだと思います。

中学生のころ、私は捜真が嫌いでした。高校三年生の今、私は捜真が大好きです。綱引きに全力で挑み、負けて大泣きする高三A組が大好きです。全てのイベントを楽しもうとする68期(高三)が大好きです。そして何よりも「私」を作ってくれた捜真が大好きです。あと数カ月で卒業ですが、大切に過ごします。

ソフトボール部の経験

私の捜真生活が始まったのは、5年前…。 今小学生の皆さんがきっと1年生や幼稚園生だった頃に始まりました。 実際のところ私は捜真小学校から通っていたため、捜真生活は今年で12年目になります。 捜真を選んだ理由は、小学校から通っていたからという理由でした。入学した当初は、こんなにも楽しくて自分自身がこんなに変わるなんて思ってもいませんでした。

部活はソフトボール部に入りました。仮入部はバトミントン部やバレーボール部、バスケットボール部などに行きましたが、何故かソフトボール部の仮入部が一番楽しくて全く飽きなかったため入部を決めました。そんな理由で入部を決めたソフトボール部での経験は今の私を作り上げてくれました。ですが、決して楽な道ではなかったです。そのことについて少しお話ししたいと思います。

ソフトボールは9人で行うチーム競技です。ポジションでいうと、ピッチャー、キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、ショート、レフト、センター、ライトです。私はその中でもピッチャーというポジションについていました。
私が中学1年生の時は、1つ上のピッチャーの先輩が上手かったため、なかな か試合に出られず、ただただ憧れ、「ああいうピッチャーになるんだ」という思 いで毎日練習に励んでいました。そして、1つ上の先輩方は、神奈川県私立中 学校体育連盟秋季ソフトボール大会で優勝するなど結果を出していました。そうこうしているうちに私は中学部のトップになり、エースピッチャーとキャプ テンを任されることになりました。エースピッチャーは主に、投球によって失点を最小限に抑え、チームの勝利に貢献することであり、キャプテンはリーダーシップが求められ、練習メニューを考案したりチームを盛り上げる事が主 役割です。想像以上にキャプテンとピッチャーの両立は大変で、通常の練習や試合でその2つの役割を全く果たすことができてなかったと思います。
むしろチームに迷惑をかけ、キャプテンである自分がチームメイトをバラバラ にしていたのではないか、と思うこともありました。そして、本当なら試合を 作らなければならないピッチャーである私が自分で試合をダメにしてしまって いたのです。当時は、同学年とのコミュニケーションがうまくいかなくて、試 合どころではなかったというのが事実です。
そんな状況で迎えた私学大会。一つ上の先輩が優勝した大会です。結果はなん と3位でした。当時の私たちからは想像もできない良い結果でした。その試合 中に今でも鮮明に残っているチームメイトからの声掛けがあります。「うちがバ ント処理全部するからRはバッターだけに集中して」私はこれを言われた時感動しました。今までうまくいかなかった同学年とこうしてやれているんだと。

この大会がきっかけでソフトボールの楽しさ、勝つことによって得られる達成 感が嬉しくて、みんなで頑張ろうと思えたのです。私たちの始まりはここからだったのだと思います。
高校生になって私はエースピッチャーと副キャプテンになりました。 高校チームの目標は神奈川県ベスト8。これは、ここ最近掲げられている目標ですがまだ達成されていません。県ベスト8入りを達成するために毎日トレーニングや基礎練習、練習試合などに励みました。
無事県大会出場が決まり、ベスト16まで行くことができました。ベスト8決 めの相手は、大会第3シードの強豪向上高校でした。目標達成のためには勝た なければならない相手でしたが、やはりシード校の壁は厚く、良い試合展開に 持って行ったものの、3対6で負けてしまいました。 しかし、県16強入りし、優勝候補の学校と互角に戦えたということは私たちに大きな自信をもたらしてくれました。実際のところとても悔しかったです。ですが、気持ちを切り替えて残り少ない引退までの時間でどれだけ伸びることができるか、毎日朝練、昼練、放課後練を欠かさずやりきりました。

2015年5月30日、高3最後の大会となるインターハイ神奈川県予選に出 場しました。ここでもベスト8以上の成績を目指しました。しかし、初戦の相 手は強豪の座間総合高校。試合会場も座間総合高校でした。
緊張から初回にいくつかのミスが重なり3点を先制され、苦しい展開となりま した。2回以降は持ち直し互角の展開に持ち込むことができました。終盤には 高1が執念の内野安打を放ち、代走で出た高3がホームインして1点を返すことができました。
最終的にはスコア1-6で初戦敗退。私たち高3は引退となりました。試合が終わった瞬間、「明日はバッティングをやらないと」と一瞬考えましたが、 「そうだ、もうできないんだ」と思い悲しく思わず泣いてしまいました。今まで中1から高 3 まで休まず練習にも出で、高校生活のほとんどをソフトボールに捧げてきたのに、終わる時は一瞬のように思えました。

約6年間こうして部活を続けられたのは、学校、家族、友達の協力があったからです。こんな私を指導してくださった顧問の先生には本当に感謝しています。顧問にあんなに怒られていなかったら、今の私はいません。そして、いつも応援してくださった捜真の先生方。廊下ですれ違った時などに「次の大会頑張って」とか「応援してる」など声をかけていただいた時は本当に嬉しかったです。 ありがとうございました。かなり前、たまたま帰りに中島学院長先生にお会いした時部活の悩みをお話ししたら、アドバイスをしてくださいました。心のモヤモヤが消えた気がしました。きっと、先生と生徒の距離が近い捜真だからできることなのだと思います。

捜真ソフトボール部にはスローガンがあります。「初志貫徹」という四字熟語です。意味は「初めに心に決めた志を最後まで貫き通すこと」です。私は引退してからもこの言葉を意識してきました。私は進路を考える際にも、この言葉を忘れずに自分に言い聞かせてきました。それもあり、高1で決めた第一志望の大学から内定を頂くこととなったのかもしれません。最初に自分で決めたことを中途半端にするのではなく、それを最後まで諦めなければ目標は達成できるのだ。ということを教えられた言葉です。
自分に強い意志を与えてくれています。
この言葉はこれからも私を強くしてくれるはずです。
そして、ソフト部の仲間は一生モノです。喜怒哀楽を共にしてきたからこそ信頼が厚いのです。みなさんもそういう仲間にめぐりあえるよう今、頑張ってください!是非、ソフトボール部、見学にいらしてください!

捜真には、三ツ沢競技場で陸上競技の様々な種目の測定をする体育記録会、横 浜国際プールのメインプールで行う水泳大会、全身クラスカラーに染め騎馬戦や綱引き、応援団などを行い縦割りで6学年が一つになって戦う体育祭。 様々な行事を通じて横だけでなく、縦の繋がりを持ち、私たちは大きく成長できたと思います。
そんな68thと、去年の5月20日から22日まで自然教室に行ってきました。自然教室は、御殿場にある捜真の寮に2泊3日でいく宿泊行事です。高3は6年間の締めくくりとして、「信仰と人生」というテーマで、聖書の先生や、中島学院長先生からお話しを聞いたり、グループディスカッションを行いました。このディスカッションが私にはとても心に残りました。普段自分が思っていることや考えていることや悩みを語り合いました。いつもあまり話さない同級生とも本音でぶつけ合うことができました。そして、学年の先生方の思いも包み隠さず語ってくださいました。

普段の学校生活では、担任の誕生日を祝ったり友達の悩みを熱心に聞いたり。 生徒礼拝を通じて友達の意外性に気づかされたり。毎日が本当に楽しくて楽しくて仕方なかったです。高3の3学期は自由登校なため、68th のみんなに会 えません。授業も、もうありません。毎日当たり前のように通っていた学校、 部活に行くことはないのです。そうなった今、とても寂しいと思うと同時に卒業しなければならないという事実を突きつけられています。 こんなに居心地がよくて自由で大好きな捜真を卒業したくないと思う反面、次の新しい場所での生活が楽しみ、という非常に複雑な感情を抱いています。 捜真は自由を学び、大切な仲間、後輩、先生、経験を与えてくれる場所です。それらによって自分は大切な存在である、と気づくことが出来る場所だと思います。

私は、捜真に入って、ソフトボール部に入ってよかったと心から思っています。
この捜真での経験を生かして、自分の将来の夢に向かって進んでいきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

「二役」と捜真祭、留学

今日は捜真においでくださり、ありがとうございます。高校3年のNKと申します。今日は少しでも、私の捜真生活についてお伝えできたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。

私の捜真生活は、今から5年前…。今小学生のみなさんがきっと1年生や幼稚園生だったころに始まりました。2010年2月、中学受験を終え、2校から合格通知を頂き、どちらにしようかなーと迷っていると母に「捜真がいいんじゃない?」と言われ、そのまま捜真へと入学しました。そのころはこんなにも楽しい日々がやって来るなんて、みじんも思っていませんでした。

中学1年、2年の頃は、たくさんたくさん笑っていたことを思い出します。ずっとずっと笑って過ごしていました。毎日、学校行くのが楽しみで、みんなに会って今日は何を話そうか。など考えて過ごしていました。
部活はテニス部に入りました。捜真では高校生と活動を共にする部活が多いのですが、テニス部もそうでした。高校2年生の先輩に指導してもらう日々が続き、次の日は筋肉痛になって歩くのが痛いほどでしたが、高校生の先輩に憧れて、大好きだったため、部活の時間がやって来るのを1番の楽しみにしていました。

中学3年になり、私の捜真生活には大きな変化が起きました。私は初めてクラス会長?副会長?となり、「二役」と呼ばれる役職に就いたのです。二役とは各クラスの会長と副会長、つまり学級委員長と副学級委員長のことです。結果、私はこの二役を4年間続けました。
この二役の仕事はもちろんクラスをまとめることです。具体的にやったこととして、特に思い出に残っていることが二つあります。ひとつはクラスTシャツ作りを推し進めたことです。クラスTシャツは、クラスの団結や絆の象徴として作るのですが、毎年各クラスによって色も形もデザインも様々で、私たちの学年は今までにこんなにも多くのTシャツを作りました。デザイン、布地を決める、1からクラスのみんなと話し合いながら作り上げていきます。

もうひとつの大きな仕事、そしてこれが私の捜真生活にとても大きなインパクトを与えたのが文化祭参加です。
少し詳しくお話しします。私たちの学校の文化祭、捜真祭は毎年9月にあります。そこで、中学生はお化け屋敷やゲーム、高校生は模擬店などを行います。クラスや学年で参加するときに「二役」がまとめ役をやります。
中3のときは脱出ゲーム、高1のときは模擬店をやりました。高1では学年として「味彩亭」という模擬店を出し、たこやきやキュウリやうどんやチュロスなど8種類のものを売ることにしました。学年で売る食べ物を決め、打ち合わせを重ね、マニュアルを作り、仕入れも全て生徒で行いました。そこで、2日で合計5000食売り上げるという目標を二役で打ちたてました。

しかし、高1の先生たちに「いやいや、2日で2000食位にしなさい」と止められました。先生たちには私たちの5000食という数があまりにも無謀に感じられたようでした。ですが、私たち二役はおれませんでした。今では、先生の止めた理由もわかりますが、その時私たちは目標に向かって無我夢中で、今までの先輩たちを超えて捜真祭模擬店の歴史に名を残したかったのです。先生がたは、「じゃあやってみなさい」と許可してくださいました。このとき、私たちがやりたいことを先生にきちんと伝え、お願いし、自分で動けばなんでもできる。なんでもやらせてもらえる。同時に、学年全員が一致団結したことによるパワーのすごさ、前に立つ人を支えてくれる人がたくさんいること。
そのことを私は学びました。

実際、捜真ではこの様な「自由」が許されている学校です。自由だからこそ、個人個人に責任が課せられますが、先生や友人が助けてくれるから挑戦し、その結果成功を得ることができる。そんな学校だと思います。
結果的に、2日で5000食を完売させ、二役で立てた目標を達成しました。高1の文化祭「味彩亭」を通して、一層捜真祭が好きになり、自分で捜真祭を運営し、もっと捜真祭に深く関わりたい、今度は誰かを裏から支えたいという気持ちが強くなった私は、翌年、文化祭実行委員会に入り、開閉会パレード部門長という役職に就きました。

部門長となった高2の捜真祭では、ステージやパレードを運営をしました。パレードとは高3パレードのことです。高3が毎年、有志でグループを作り、先生と一緒に踊ったり劇をしたりします。きっと、先生と生徒の距離が近い捜真だからできる催しだと思います。
私は文化祭では、ほぼ裏方に徹しました。ステージに立つバトン部やダンス部など光が当たる人たちの影となり、支える役目でした。見えないところでも頑張ることの重要性、でもそんな裏の仕事でも誰かが見てくれていること、新しいことへ挑戦する楽しさ。同時に、自分がいなければ成り立たなくなる責任、みんなでやることの楽しさ、協力することの大切さ、学年の垣根を越えて捜真生全員でひとつのものを作り上げる達成感と喜び、そんなことなどを私に教えてくれた捜真祭となりました。
捜真祭は、捜真の雰囲気を一番肌に感じられるイベントだと思います。是非、いらしてください!

少し、話は変わりますがこの写真は私の同期です。68thと呼ばれる学年です。わたしにとって大好きでかけがえのなくて尊敬できる学年の仲間です。この仲間たちと私は捜真に入学してから5年4か月の間、嬉しい時も悲しい時も一緒に過ごしました。嬉しい時はたくさん笑って、悲しい時はわんわん泣きました。新しい道を切り開いていくことも共にしました。

捜真には、三ツ沢競技場で様々な種目の測定をする体育記録会、国際プールのメインプールで行う水泳大会、全身クラスカラーに染め騎馬戦や棒倒し、応援団などを行い縦割りで6学年が1つになって戦う体育祭。
様々な行事を通じて横だけでなく、縦のつながりを持ち、私たちは大きく成長できたと思います。

そんな大好きな学年と、今年の5月20日から22日に自然教室に行ってきました。御殿場にある捜真の寮に2泊3日で行く宿泊行事です。高3は6年間の締めくくりとして、「信仰と人生」というテーマで、聖書の先生や、中島学院長先生からお話を聞いたり、グループディスカッションを行いました。このディスカッションが私にはとても心に残りました。普段、自分が思っていること、考えていることをお互い心のうちから語り合いました。いつも、喋らない同級生とも本音で語り合えました。悩み、苦しみ、何もかもぶつけ合うことができました。学年の先生たちが何を思っているのか包み隠さず語ってくださいました。また自由時間に、夜空の星が光る中、外で語り合ったりしました。
そんな仲間を持てたこと、学年集団に成長できたことを私は誇りに思います。上辺だけではない絆、言葉で表せないくらいしっかりとした絆が私たち68thにはあります。

ですが、私は彼女たちと共に卒業することができません。なぜなら8月11日から1年休学し、ロータリー青少年交換派遣プログラムで留学に行くからです。今までの捜真生活により、新しいことに挑戦したい、新しい場所へ行きたいと思ったためです。留学先は南米のエクアドルです。もしかしたら、どこだかわからない人もいると思います。
ですが、どこだかわからないからこそ、私は行きたいと思いました。

きっと、このエクアドルという選択も私が捜真生だからなのかな、と思います。なぜなら、捜真生の年間留学者の中では英語圏外に行く人も多いです。フランス、ドイツ、イタリア、コスタリカ、フィンランド、ブラジル…。多種多様です。もともと、捜真ではアメリカやオーストラリアに行く学校独自の海外研修も多いため外国が私のすぐ近くにありました。さらに、年間留学の経験者が学年に大体8人ほどいて、今年も総勢11人が年間留学へと行きます。年間留学に行く人が多いことは、私にとっても、同じような経験をしている人がいる、という安心感へと繋がっています。

今までの、捜真生活があったからこそ留学に行こうと思った私がいて、今ここに私がいます。エクアドルという未知な国に対しての不安はもちろんあります。ですが、私には応援してくれる友人たちがいます。留学が決まった時、泣きながら「一緒に卒業できないのは寂しいけれど、あなたが決めたんだから応援する。あなたが選んだんだもんね。」と言ってくれた友人、「文化祭と卒業式だけでも帰ってきてー」と言う友人、「何があっても大丈夫。祈ってるよ。愛してるよ。思ってるよ。」と言ってくれる友人。祈ってるや愛してる、思ってるよという言葉は他校の友人は全く使わないので、捜真生らしいなーと思うのですが、私のことを思ってくれる、考えてくれる、そんな人が1人でもいるだけで嬉しいのにたくさんの友人が私のことを考え、そしてそのことを言葉に出して伝えてくれます。私の同期たちは、自分の大切さ、「私」という存在の大切さ、そして友人という存在の大切さ、そんなことをはっきりと教えてくれる仲間だと思います。

きっとこれからの人生、大変なこともたくさんあると思います。勿論、エクアドルでの日々も大変なこともあり、辛いこともあると思います。ですが、私の同期の68thもみなさんと同じように受験、今の私にはわからないほど辛く、悩み、苦しんでいると思います。でも、彼女たちがいるからこそ、場所を超えて頑張っている仲間がいるからこそ、きっと私は頑張れるんだと思います。

捜真は、自由を学び、日々楽しく笑って過ごせ、かけがえのない仲間と先生方に出会い、かけがえのない「自分」を見つけられる場所だと思います。
今、私は捜真に入って本当に良かったと思っています。あのとき、母に勧めてもらってよかった、大変だったけれど中学受験してよかった、って心から思っています。
1年後、みなさんにこの捜真女学校で会えることを楽しみにしています。ご清聴ありがとうございました。

2017年6月2日(金)ミニ説明会

横浜開港記念日の6月2日10:00~11:30、今年もミニ説明会を行います。
中学部礼拝に参加していただいた後、捜真の教育理念や授業、生徒活動についてのお話を聞いていただきます。最後に4時間目の授業(国語、英語、英会話、理科など)の様子をご覧いただく予定です。
6月1日の午後4時までに電話(045-491-3686)、あるいはメール(toiawase@nkmr8.sakura.ne.jp)で予約をお願いいたします。
学校がお休みの児童の皆さんもぜひお出かけください。お待ちしております。