投稿者「soshin」のアーカイブ

4月24日(金)礼拝メッセージ

信じて歩みを起こす

中学部3年学年主任 三宅 義人

 

【聖書】マルコによる福音書5章25節~36節(新約聖書70㌻)

さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやして頂ける」と思ったからである。すると、出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で、振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのままに話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず。元気に暮らしなさい。」

イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。

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 私たちの学校では、毎年11月の感謝祭礼拝で日雇い労働者、ホームレスの町である寿地区で行われている炊き出しのために野菜やお米を持ち寄り、献品しています。「数は力なり」ではありませんが、一人ひとりが持ち寄る量は少しずつであっても、全校が集まれば、ワゴン車一杯の野菜やお米が集まります。

一人ひとりが出来ることには当然限りがあります。だから時として「自分一人の力では変わらない」と諦めたり、行動することをためらってしまうということがありうると思いますし、私自身を振り返った時も、そういう諦めモード、ためらいモード、嘆きモードに陥って行動に移そうとしないということがよくあります。

今日取り上げた聖書の話は、こんな話です。ヤイロという父親の幼い娘が危篤になっていて、父親がイエスに助けを求め、イエスは父親と共に娘の所へ向かいます。大勢の人々(見物人)もイエスに付いていき、混乱していたのだろうと推測されます。そこへ12年間も出血が止まらない病気に苦しめられていた女性がやって来て、イエスの服に触れます。理由をこう説明しています。「『この方(イエス)の服にでも触れればいやしていただける』と思ったからである(28節)」と。するとたちまち女性の出血は止まり、病気が治ったことを感じたのだそうです。イエスは自分の中から力が出ていったことを感じて、「わたしの服に触れたのはだれか」と問います。そばにいた弟子たちは、「この混乱の中でわかる訳ないじゃないですか」と言います。それでもイエスは、触れた者を探すことを止めません。すると女性が恐る恐る進み出て、すべてをありのままに話しました。するとイエスは「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。元気に暮らしなさい(34節)」と答えます。そういうやり取りの最中に、危篤の娘が死んだという知らせが届くのです。イエスは娘の父親に、「恐れることはない、ただ信じなさい(36節)」と言います。そして最終的には危篤の娘は助かったというのが話の内容です。

大阪に寿地区と同じような日雇い労働者、ホームレスの町である釜ヶ崎という町があります。この釜ヶ崎で活動していらっしゃる本田哲郎さんという神父さんがいらっしゃいます。本田さんが、そういう日雇い労働者やホームレスの方々との関わりの視点から独自に訳した聖書が『小さくされた人々のための福音』という題で出版されています。私は、この聖書を今通っている教会の牧師先生からいただきました。その聖書では、服に触れればを、「服につかまる、つかむ」,あなたの信仰があなたを救ったを、「信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」,恐れることはない、ただ信じなさいを、「おそれるな、ひたすら信頼してあたりなさい」と書かれています。

「信仰=信じてあゆみを起こすこと」、「信じる=信じてあたること」というのです。今年度は前例のない形で新年度を迎えました。この一年がどのような一年間になるか今の時点では見通しが立ちません。不安と混乱の中であっても、今自分にできるあゆみを起こしていくことが私たちに求められているのだということを思わされます。みんなで一緒にがんばって、この年も信じてあたっていきたいと思っています。

4月23日(木)礼拝メッセージ

樹を育て給うのは神のみである

高三担任  石黒 明子

【聖書】コリントの信徒への手紙 一 3章6節

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

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チャペルの西側の窓から見える木の姿がとても好きです。長年、何の木だろうと気になっていましたが、今回調べなおしました。植物にくわしい用務の方の話や植物事典、インターネットの検索などを総合して考えると、エノキであると分かりました。

木偏に夏と書いてエノキ。大樹となって夏の陽射しでも木陰を作ります。エノキは古来から街道の両脇に一里塚の目印として植えられました。なるほど、チャペルの脇のエノキを実際に見ると、根を張り巡らし、幹には苔が生えています。目には楽しい木ですが、春には大量の花がら、秋には実や葉を落とし、掃除をしてくださる用務さん泣かせの木でもあるようです。

A tree that may in summer wear

A nest of robins in her hair;

Upon whose bosom snow has lain;

Who intimately lives with rain.

Poems are made by fools like me,

But only God can make a tree.

(引用「豊かなる流れ」日野綾子、TREES by Joyce Kilmer)

これは第一次世界大戦の兵士の詩の一節ですが、戦地で見た木を詠んだ作品だそうです。お母さんの誕生日が近いので詩を贈ったのですが、手紙が届いた頃にはすでに戦死していました。この詩を、捜真の初代院長でいらっしゃった日野綾子先生は大好きで、暗誦なさっていました。

捜真のいたるところに木々が植えられ、四季折々に花が咲いています。草花に囲まれて学校生活を送る、これは創立当初からの捜真の理念の一つであり、そうした環境を整えることを日野先生は大事になさってきました。休校期間ですが、いつもの春と変わらず木々の芽は萌え出し、花々が咲いています。用務の方々も丁寧に手入れをしてくれています。学校が再開したら見られることを楽しみに、自宅でのときを大切に過ごしてください。

 

図書館だより 号外 4月22日

『NAKED FASHON ファッションで世界を変える』サフィア·ミニー 

サンクチュアリ出版

 

「ピープルツリー」を知っていますか?バレンタインデーに捜真のチョコプロジェクトで販売されているチョコレートのブランドです。みなさんは、フェアトレードの製品だということを知っていますね。「ピープルツリー」が扱っている製品は食品だけではありません。手仕事と自然素材を活かした衣料品も扱っています。

サフィア·ミニーはその創設者であり、彼女の歩んできた道のりと彼女に賛同して活動する人たちの証言が紹介されています。フェアトレードは多くの人の強い思いに支えられています。その根底には、生産者に公正で平等な対価を支払うことがあります。逆の言い方をすれば、世界には公正でなく不平等な扱いをされている生産者がたくさんいるということです


皆さんが普段買っている手ごろな値段の洋服は、アジアの国の貧困による児童労働によって作られています。何故安価な洋服を簡単に手に入れることができるのか、ぜひ知ってください。知らなかったことを知ることで、自分の行動を変えることができます。将来ファッションに関わる仕事をしたいと思っている人は手に取ってみて欲しいです。

『ザ·トゥルー·コスト ファストファッション 真の代償』 2015年アメリカ

「ピープルツリー」のHPに「4月24日は何の日?」という記事とともに、紹介されていたDVDです。興味のある人はご覧ください。衝撃的です。
(このDVDを観たい方は司書教諭に声をかけてください。図書館にあります。)

 

 

 

4月22日(水)礼拝メッセージ

「私たちに与えられた時」

中2副担任 醍醐温子

【聖書】コヘレトの言葉3章1節~8節

何事にも時があり   天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時  植える時、植えたものを抜く時

殺す時、癒す時    破壊する時、建てる時

泣く時、笑う時    嘆く時、踊る時

石を放つ時、石を集める時  抱擁の時、抱擁を遠ざける時

求める時、失う時   保つ時、放つ時

裂く時、縫う時    黙する時、語る時

愛する時、憎む時   戦いの時、平和の時。

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先週、学校と皆さんとをつなぐツールの一つとしてG Suiteに登録してもらいました。私の担当する学年では、Classroomを使ってテスト配信を兼ねたアンケートをしました。その質問の一つ「学校から送られた課題の他に何かしていることはありますか?」の回答を見ると、「中1の時にできなかった問題のやり直しをしている」「毎日3キロ走っている」「お母さんと一緒にチョコレートケーキを作った」など、突然与えられたこの時間を自分で考えて上手に過ごしているんだということが分かり、私は皆さんの立派な姿勢に、ホッとしたり、頼もしく思ったりしました。

今日の聖句で語られているのは、私たちが人生の中で味わう一つ一つの時についてです。私たちの人生は、笑う時だけでも踊る時だけでもありません。泣く時も嘆きの時もあります。そして、それらは偶然に起こる「時」ではなく、全てのことを見通しておられる神様が、私たちにとって最もふさわしい時に、ふさわしい仕方で、最もふさわしい事をしてくださっている、一人ひとりにとって意味のある「時」なのです。

私は、5月に行われる予定だった岩手県陸前高田市の海岸線の松林の植樹に参加するのを楽しみにしていました。その日程は、私にとって物理的には最高のタイミングでした。これを逃したら次のチャンスはないかもと思えるほどでした。5月の陸前高田は初めてなのでそれも楽しみでした。しかし、3月末に延期が決まりました。当然の決定ですが、とても残念でした。私にとってはまたとないチャンスでも、神様の計画では「時」ではないのだと思いました。

学校に行けない、友達と会えない、部活ができない···様々な思いがあるでしょう。そればかりでなく、友達と遊びに行くとか家族旅行をするとかいういつもの長期休みとは全く異なる、外出することすらままならない時です。「行けない、会えない、できない」ではなく、今だからこそできることが必ずあるはずです。神様から与えられたこの時を、今だけ特別に与えられた時として生きる意味を見出すことのできる人になりましょう。

ところで、知っている人もいるかもしれませんが、大型豪華客船ダイヤモンド·プリンセス号の乗船手記を読んだことがあるでしょうか。その中の「横浜市の皆様へ」をぜひ読んでみてください。どんな状況におかれてもこういう気持ちを持てる人でありたいと心を打たれました。

「横浜市の皆様へ」はこちらから

5月16日(土)中学部学校説明会(オンライン説明会)のご案内

5月16日(土)の中学部第1回学校説明会はwebで行います!

捜真の歴史や教育理念のご紹介はもちろん、教員によるテーマ別の学校紹介を行います。内容については順次ホームページでお知らせします。なお、事前に予約をしていただいた方のみご覧いただける動画も用意しておりますので、ぜひご予約ください。

説明会ご予約はこちら

また、当日午前10時からは以下の通り、オンラインでの個別相談も行います。ご希望の時間帯をご予約ください。

① 10:00~10:20  ② 10:20~10:40  

③ 10:40~11:00  ④ 11:00~11:20  

⑤ 11:20~11:40  (各回3組まで)

説明会も個別相談も、予約受付期間は4月27日(月)0:00から5月14日(木)23:59までです。

皆様のご予約をお待ちしております。

 

説明会チラシはこちらから

4月21日(火) 礼拝メッセージ

HAPPY BIRTHDAY

高一副担任·生活指導委員長 森川 亮

【聖書】ヨハネによる福音書 1章1節

はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。

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いつもと同じ日常なんてものはない。そのようなことは分かっていたけれども本当は全く理解していなかったと気がつかされたこの2ヶ月でした。2011年の東日本大震災の時にだってこのようなことを書いていたのに、時間はこうやって人の記憶を薄れさせていくのだなと思いました。

この間に娘の誕生日がありました。春休み中の誕生日なので娘はいつも「学校があるときの誕生日の人がうらやましい!」と言っておりました。捜真女学校でももちろん、生徒の誕生日の日には生徒が廊下やクラスで「Happy Birthday♪」と熱唱する姿よく見ました。ケーキを作ってくる生徒がいたり、こっそりプレゼントを用意していたり。そんな姿を横目で見ながら「思い出に残る誕生日になるんだろうな…」と思っていました。

外を見ると美しく緑が目に入ってくるし、太陽の光はもうすぐ夏が来ることを知らせてくれます。今の私たちはみんなで集まって話すことも、みんなで笑いあうことも許されません。目に見えない脅威におびえながら、我々はやはり目に見えない、人と人のつながりとか、人の優しさを心から欲しているのだなと今強く思います。何でもない毎日。電車に乗って、てくてく歩いて、急な坂を上って見えてくる十字架。それは尊い日常だったと。そんな当たり前を何よりも愛している自分に気がつきました。だからいつか日常が戻ってきたら、以前よりも暮らしを大切にしたい、人を大切にしたい、言葉を大切にしたいと強く思うのです。

この間に誕生日を迎えた皆さん。心から「おめでとう!」とお伝えしたい。そして、今は寂しいかもしれないけれど、医療従事者の方々や、深い悲しみの中にいる方々のことを覚えてください。そして今、この時に自分ができることを一歩一歩実行していってください。来年の誕生日にみんなで大きな声で「Happy Birthday♪」を歌おう。

中学部・高等学部 在校生へのお知らせ 4月21日

捜真生の皆さん

今日も一日が始まります。どのような計画を立てていらっしゃいますか。このホームページで毎日10時に礼拝メッセージを掲載していますので、その時間に合わせてぜひ祈りの時を持っていただきたいと願っています。

皆さん、G Suiteへの登録にご協力ありがとうございました。生徒の皆さんの登録は順調に進んでいます。もし、保護者の方で登録がまだという方がいらっしゃいましたら、速やかにご登録ください。

G Suite(高校生はClassiも)での配信が各学年で始まっています。Classroomも授業ごとに順次開設されています。私たち教員も慣れるまでは試行錯誤ですので、うまくいかないこともあるかもしれませんが、皆さんに規則正しく、また少しでも有意義な学びの時をもってもらえるよう工夫していきますので、皆さんも力を貸してください。

さて、昨日、中1と高三のご家庭に課題が郵送されました。しばらくたっても届かない場合には、学校にご連絡ください。学校へのご連絡は午前9時から午後3時までの間にお願いいたします。(045-491-3686)

緊急事態宣言が発出されて3週目に入ります。不自由さを感じることもたくさんありますが、自分と家族と周囲の方たちの命と健康を守るために、もう少し頑張りましょう。

一日も早く、皆さんと捜真でお会いできるようになることを、お祈りしましょう。

共練会(生徒会)執行部から中学部・高等学部在校生のみなさんへ

捜真生の皆さん

今日は冷たい雨が降っていました。いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

共練会(捜真では「生徒会」のことを共練会といいます)執行部からのメッセージが届きましたのでご覧ください。

共練会執行部からのメッセージはこちらから

図書館だより 号外 4月20日

捜真でも最近よく話題になるSDGs。その中の、目標14 海の豊かさを守ろう に関連する本を紹介します。

2016年ダボス会議「2050年までに海洋中に存在するプラスチックの量は、重量ベースで魚の量を超える」と発表されたことはご存じですか。それが現実となれば、皆さんがお母さんになって子育てをする頃には、海水浴や潮干狩りは夢のまた夢になっているでしょう。

岩波ブックレットに続いて絵本と雑誌を紹介します。

 

『ポリぶくろ、1まい、すてた』ミランダ·ポール文 エリザベス·ズーノン絵 さ·え·ら書房

ガンビアはアフリカ大陸の最小国。セネガルに囲まれ、横長の国土をガンビア川が一直線に走っています。主人公のアイサトは荷物を運ぶかごがこわれたので、代わりにビニール袋を使い始めます。しかし、やぶれたビニール袋を捨てたことで今まで気づかなかったことに気づきます。そして、アイサトはある計画を思いつきました。それは……。

巻末にあるQRコードで、アイサトと仲間との活動が動画で見ることができます。この絵本があなたの興味の扉開き、何かにつながってくれたらと願います。

 

 

『FRAU SDGs MOOK OCEAN 2019 海に願いを。』講談社MOOK

写真家、企業、イラスト、活動家、ファッション、旅、自治体、アーティスト、研究者、各国の取組、具体的なアクション、日本での取組、本の紹介、製品の紹介、活動している女性たちの座談会等、海を守るために今行われていることについて、広く広く取材されています。

写真が綺麗で、若者の活動がたくさん紹介されています。(年配の方の取組ももちろん載っています!)気になるページからめくってみたらいいですね。

私が嬉しかったのは、“海を愛する人たちの本棚。”に『センス·オブ·ワンダー』レイチェル·カーソン と 『海からの贈り物』リンドバーグ があったこと。

私たちが今一番やらなければならないのは、海に行って波の音に耳を傾け、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで、自然の力を感じることなのかも知れないと思える一冊です。

 

豆知識:「MOOK」とは、magazine雑誌と book書籍を合わせた本のこと。

 

礼拝メッセージ 4月20日(月)

「神さまの声に」

音楽科 河原真実

【聖書】箴言 4章20節~23節

わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしの言うことに耳を向けよ。見失うことなく、心に納めて守れ。それらに到達する者にとって、それは命となり/全身を健康にする。何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。

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新型コロナウイルスの影響で多くのことが制限されている中、店内の席数を大幅に減らして「おひとり様カフェ」として営業を続けているお店が京都にあるそうです。

通常このお店は、昼間はカフェ、夜は小規模のクラシックコンサートを頻繁に開催し、クラシック好きの人達が多く集う場所になっていましたが、2月末頃から全国的に多くのイベントが自粛され始め、このお店でも3月に予定していた半分以上の公演が中止になりました。

そんな中でも、なんとか生の音楽を提供できないかと、実験的に、お店に入った瞬間から、公演が終わってお店を出るまで一切口を開かない「私語厳禁」のクラシックコンサートが企画されました。

 

お店のオーナーの高田さんは、

「私語はしないというある種の『積極的な参加』をそれぞれが意思表示することで感覚が研ぎ澄まされ、耳がいっそう開かれて、その空間にいる人同士のつながりを強くしてくれました。ここで『話さない』『接しない』という行為は後ろ向きなものではない。それが出来ることを証明したかった。」と語られていました。

クラシックの演奏会は、ウイルスに関わらず元々とても静かなものです。おしゃべりはもちろん、咳払いやパンフレットの紙をめくる音すら立てずに、目の前の音楽に集中する、そんな空間を意図的に作り出すことで、そこに集う人たちは共に音楽を楽しみ、音楽を愛する心やお互いを尊重する思いを共有することができるのが、生のクラシック音楽を聴く醍醐味なのかもしれません。

そのお店の話を聞いた時私は、捜真で毎日行われている礼拝も、とても良く似た空間だと思い出しました。チャペルに入ったその瞬間から神様の前でそれぞれが一人になって、自分と、神様と向き合う時間を持つ。そうやって得た思いを共有し、尊重し合うことでお互いの心が交わっていく空間。時代が変わってもそんな空間を毎日みんなで作り出している捜真生の皆さんは、無意識につながりを深めているに違いありません。

情報量が多く複雑な現代社会では、逆に単純でわかりやすいことを追ってみんなで盛り上がることを常に求めがちですが、ふと立ち止まって、自分のアンテナを立て直し、語りかけられている神様の小さな声に耳を澄ます事は、次に全力で走り出すためにとても大切なことではないでしょうか。

今私たちは「目に見えないウイルス」の影響で1つの場所に集まって礼拝することができない状況にありますが、その中でこの礼拝のページが「私語厳禁コンサート」の様に、「目に見えない神様」を感じ、コロナに負けないつながりを強める積極的な場になるよう共にお祈りしていきましょう。

GoogleClassroomログインのご協力ありがとうございます

書面にてお知らせいたしております、GoogleClassroomに関して、ログインのご協力をいただきましてありがとうございます。まだお済みで無い方、お困りの方もいらっしゃると思います。ログイン方法をご説明した動画を配信いたしましたので、そちらをご覧いただきながら、24日金曜日ごろまでに設定していただけますと幸いです。お手数をおかけしておりますが、引き続きご協力をいただけますようお願い申し上げます。

 

図書館だより 号外 4月17日

『プラスチック汚染とは何か』枝廣淳子 岩波ブックレットNo.1003

 

「岩波ブックレット」をご存じですか?

HPによれば、『岩波ブックレットは一貫して政治·経済·社会·文化の様々な領域におけるその時々の「課題」に即応する書目を刊行してきた。近年の情報の中に混在する多くの「フェイク」に惑わされることなく「ファクト」にたどり着くためにこのツールを活用してほしい。』とあります。だいたいが100ページ以内の薄い軽い冊子で、お値段も数百円。

予約受付中の最新刊は『どうする!? 新型コロナ』岡田晴恵 今まさに毎日テレビで解説をされている方ですね。

岩波ジュニア新書より少し専門的な言葉が多いですが、高校生は、時事用語を丸暗記するよりもじっくりこれを一冊読んだら理解が深まると思います。

みなさんは7月1日からレジ袋が有料化されることはご存じですか?値段(お店によって違う)はまだ決定はしていませんが、今までのように何も言わずレジ袋に買ったものを入れてくれるわけではないのです。では何故、今有料に?それにはきちんとした理由があるのです。(詳しくは環境省HP)

そして、今回紹介するテーマは「プラスチック」。この本では、プラスチックそのものの成り立ち、海洋汚染につながる理由、今後の課題を紹介しています。さて“容リ法”“マイクロプラスチック”“ボトル·ツー·ボトル”という言葉を知っていますか?ぜひ覚えていただきたい。まずは、この本で基本的な知識をインプットしましょう。

 

 

 

4月17日(金)礼拝メッセージ

「マイ·ルール」

宗教主任 藤本 忍

【聖書】マルコによる福音書15章16節~20節

兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。

 

フィリピの信徒への手紙2章6節~9節

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

メッセージを音声でお聞きになる場合はこちら

 

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新型コロナウィルス拡散防止のために、 3 月に行われた高等学部卒業式の参列人数に制限 がかかり、卒業式への出席ができなくなった元同級生が3人いました。どうにか参列を許 してもらえないかと、校長に直談判したようでしたが、もちろん答えは NO でした。諦めきれない彼女達を見て私は、「ルールの中で勝利を収めなさい」と言いました。出席はできない、けれど気持ちを伝えるにはどうしたらいいか、考えて欲しかったのです。当日、彼女 たちの姿は式にはありませんでした。式を終え、HR を終え、部活ごとの儀式を終えて、卒 業生たちが正面玄関から出て行きました。元同級生3人の姿は正面玄関の外にありました。徹夜で書いた手紙を、卒業生146人全員一人一人に渡していました。「祝·卒業」と書いた横断幕を掲げながら。

なぜ「ルールの中で勝利を収めよ」と難題を言ったのか。それは、大好きな映画「炎の ランナー」の大きなテーマだからです。これは1924年のパリ·オリンピックに出場したイギリスの陸上選手達を描いた映画です。100m 走の優勝候補だったエリック·リデル は、中国への伝道を控えていた宣教師でもありました。100m予選が日曜日だとパリへ の出航の日に知り、出場できないと言い出します。宣教師にとって、日曜日の礼拝ほど大切なものはありません。オリンピックの金メダルと安息日の礼拝。誰もがオリンピック出 場の方を選びそうですが、彼はイギリスの太子や貴族、大会の委員長から何と言われても、祖国と国王への忠誠よりも、神への信仰の方が勝るとして拒否します。マイ·ルールです。誰が決めた訳ではない、自分のルールです。神の栄光を表すために走っていた彼にとって、神の掟を破ってまで走る意味はないのです。しかし、2種目をエントリーしていた友人の アンドリューが木曜日に行われる400m走の出場枠をエリックに譲ると言い、話は好転 しました。急きょ400m走に出場することになったエリックでしたが、なんと優勝して 金メダルを獲得します。彼はマイ·ルールの中で見事に勝利を収めたのです。

国内にいる卒業生も、海外で働く卒業生も、よく同じ事で悩みます。「打算なく純粋に相手のことを思って行う行為でも、人からは何か下心があると思われたり、または、お返しがあったりする。Give&Take で世界は回っているみたい。私には下心もないし、見返りもいらないのに。」と。「今まで受けてきた捜真教育やその価値観だと生きにくいと感じるなら、やめてもいい。生きやすくなるのなら世間に合わせてもいいのではないか。」と私は言います。すると必ず返ってくる答えは「そうすると自分が自分でなくなる」です。どちらを選んだらいいか良心がわかっています。でも、いつの間にか私達は楽な方、世間から浮かない無難な方を選ぶようになっていきます。でも、そうすると自分が自分でなくなる。そこで顔を出してくるのがマイ·ルールです。

キリストのマイ·ルール。それは神の御心と思えないことはしないことでした。たとえ それが自分の命を落とすことになったとしても、です。鞭打たれ、唾を吐きかけられ、な ぶり者にされても、十字架への道が御心と思えたからこそ進まれました。どんなに力があったとしても自分で自分を救うことはされませんでした。マイ·ルールとは、たとえできたとしてもしないことを選択する力、自己を制御し、あえて難しい方を選ぶ生き方なのだ と思います。マイ·ルールを破ると、自分が自分でなくなってしまう、だから誰が何と言 おうと守るのです。そしてこれを別名「軸」とか「信仰」というのだと思います。