投稿者「soshin」のアーカイブ

図書館だより 5月11日

『食事作りに手間暇かけないドイツ人、手料理神話にこだわり続ける日本人』

今村武 ダイヤモンド社

 三学期後半、高三の生徒がヨーロッパの国々を比較した本を読みたいと言ってきました。比較と一口に言っても、政治、歴史、芸術、生活、教育、宗教、産業、文学など、たくさんの分野があります。その生徒はまだこれといったものに絞ってはいなかったようなので、何冊か本を紹介しました。その後、新刊として購入したのがこの一冊です。

コロナウイルスの対応についても各国の対応は様々です。世界中に簡単に出かけていける今、国によって多様な考え方があることを皆さんも実感しているかもしれません。特に「食」については、各国の歴史や伝統に密接に関わっていますし、日本の食卓には和洋中が当たり前のように混在としていますから、今更知らないことはないと思うかもしれません。でも、レシピや味付けの違いだけではなく、その国民性(何を大事にしているか)が「食」に与える影響を著者は紹介しています。

ドイツでは、火を使わない夕食が当たり前。その分自然の中に出かけて行って、大切な家族や友人と過ごす時間を大切にする。食材はその安全性が重要。赤ちゃんの離乳食も市販品を使う人が60%。市販品への安心感はオーガニック製品や有機農業の製品をBIO商品として厳しく認定基準しているから。

「食」に関しては、手作りが愛情だと考えられている日本と、料理にかける時間より笑顔で子供たちの話に耳を傾けることを愛情だと考えるドイツとを比較した上で、著者は新しいライフスタイルの提案をしています。シンプルな「食」の姿を見て、肩の力が抜けたように感じました。

 

 

 

 

礼拝メッセージ 5月11日(月)

「神に問いかける」

中学部·高等学部校長  中山 謙一

 

こちらから讃美歌453番「聞けや愛の言葉を」を聞くことができます

 

【聖書】創世記32章23~31節(旧約聖書p.56)

その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

みなさん、こんにちは! 校長の中山謙一です。

今日の聖書箇所は不思議なお話です。ヤコブという男が何者かと格闘して相手をギブアップさせたのだが、その相手はどうも神様であった、という話です。夢と現実が相半ばしている不思議な話。

休校がさらに延長され、まだ家に居なければいけない日々が続きますが、

「これ、いつまで続くの…?」とか、

「例年だったら今頃は…」とか、

「どうしてこんな目に遭わなければいけないの?」

と思うことがきっとあると思うのです。現に私自身がそう思ってしまいます。

(もっと深刻な命の危機にさらされている人だっているのに…)

そして私のつぶやきは、最終的には、神様に向かって問いかけたくなってしまいます。

「神様、どうしてなのですか?」と。

私は創世記のこの話を思い出しています。

神様に向かって取っ組み合いをし、ヤコブは「祝福してくださるまでは離しません」と神様を困らせるのです。

聖書の中の人物(特に旧約聖書)は、神様に向かっていきます。すごくストレートです。

私たちも、神様にまっすぐに問いかけることをしていいのではないか。たとえ答が与えられないとしても。

こんな時でも、いやこんな時だからこそ、私たちは神様に背を向けるのでなく、神様を忘れるのでもなく、「神様のみ心はどこにあるのですか?」と尋ね続けるべきだと思うのです。

聖書の中では、神様に背を向け逃げようとする人を神様はおゆるしになりませんが、

神様に向かっていく人は、ヤコブのように大いなる祝福が与えられます。

 

〈お祈り〉

すべてを支配したもう全能の神様。

多くの人たちが今日も命の危険にさらされています。

互いにいがみ合ったり、不安でたまらない人が大勢います。

神様のみ心が私たちにはわかりません。

それでも神様は私たちをお見捨てにならないことを信じます。

私たちを助けてください。大いなるみ手で私たちをお支えください。

救い主イエス·キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

課題を郵送しました 

中2の皆さんと、高二「世界史B」、高三「世界史研究Ⅰ」選択者の皆さんに課題が郵送されています。しばらくしても届かない場合、また、内容に不足などがある場合には、学校にご連絡ください。(月~金 9:00~15:00 ☎045-491-3686)

なお、Classroomでの課題配信は、他学年でも行われています。困ったことがあったらClassroom担当教員にお尋ねください。

引き続き、健康が守られますようお祈りしております。

図書館だより 5月8日

『神谷美恵子 島の診療記録から』神谷美恵子 

平凡社 STANDARD BOOKS

「感染症」「隔離」「差別」。今、日々の報道の中で珍しくないこの言葉。捜真生はどこかで聞いた覚えがありませんか。

5月2日の朝日新聞に「ハンセン病と40時間の移動」という記事がありました。昭和6年、現多麿全生園から瀬戸内海に開設された長島愛生園に患者を移送したときの顛末が書かれていました。

「ハンセン病の患者たちは貨物と同じ扱いで運ばれたのだ。それはあたかも、アウシュビッツに運ばれたユダヤ人たちを思い起こさせる。」

神谷美恵子さんは、昭和31年長島愛生園の精神科医として赴任されました。

この本では神谷さんが愛生園で患者と過ごす中での、迷いや思索がエッセイとして書かれています。自分を見つめる真摯な言葉は、私のすぐ隣で語られているように感じます。特に印象に残ったのは「使命感に生きる人の注意すべきことは、つねに謙虚な反省を忘れないこと。使命の内容を少し遠くへつきはなして眺めるゆとりとユーモアのセンスをもつこと。たえずあらたに道を求める祈りの姿勢であろう。」「与える側の謙虚な反省能力と思いやりと与えられる側の素直な受容がうまくかみあえば、互いが与え与えられる者となる。」「何より地球を平和な、美しいところにしたいものである。無力さに打ちひしがれるとき、山に向かって目をあげて、この願いと希望をあらたにしよう。」長い間もやもやとしていた感情がすっと整理されたように思えました。

コロナウイルスの報道の中に、医療従事者や配送業者の家族が排除されたという出来事がありました。自分は差別をしないと思っていても、当事者になれば「近寄りたくない」と思うかもしれません。日本赤十字のHPに「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!」が紹介されています。ぜひ検索してみて下さい。

世界中の患者さんが、一日も早く完治し、当たり前の生活を取り戻すことができるよう心から祈ります。

 

 

5月8日(金)礼拝メッセージ

神から与えられる安らぎ

英語科 星川キャレン

こちらから 讃美歌第2編188番「きみのたまものと」を聞くことができます

【聖書】フィリピの信徒への手紙4章6節~7節

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト·イエスによって守るでしょう。

 

生徒の皆さん、英会話教師のミセス星川です。厳しいコロナ肺炎が蔓延している中で、生徒の皆さんは毎日どのように過ごしているのでしょうか?

ところで聖書の中で、神様は「なにも心配する必要はありません。ただ全てについてお祈りをしなさい」とあります。つまり私達は、本当の心の安らぎは神から手に入れられるということです。そのような安らぎを手に入れるということは、私達の心や考え方を守ってくれるということです。(フィリピ4:6-7)

さて個人的な話になりますが、私は絵を描くのが大好きです。また絵を描くことによってお祈りをしています。コロナウイルスは丸い形をしているようで、最近描いた絵は「コロナ·アンチ·ウイルス」という題の絵です。絵を描きながらお祈りをすると、神様は私の心に平安と安らぎを与えてくれます。

コロナ肺炎のために、皆さんは最近はずっと家族と一緒に家に引きこもっていると思いますが、ある生徒はこのような状態を「コロナ·バケーション」と呼んでいます。このような表現が出来るのは楽しくて素晴らしいと思います。皆さんもどうぞ心の安らぎが与えられるようにこの時期をお過ごし下さい。

神の名において皆様に安らぎが与えられますように、アーメン。

God’s Peace

by Karen Hoshikawa

Hello Everyone! This is Mrs. Hoshikawa.

How are you doing with the stress of staying home?

In the Bible, God says: “Don’t worry about anything, instead pray about everything! Then you will experience God’s peace. God’s peace will guard your hearts and your minds as you live in Jesus.” Philippians 4: 6-7  (New Living Translation)

I love to draw and paint. In my opinion, my hobby is a wonderful way to pray. Coronavirus is round and my recent art is a round “coronavirus-antivirus!” (see photo) When I draw and paint, I also pray. Jesus, then fills my heart with His Peace and His Joy!

One of my students calls this time of isolation with our families “corona-vacation.” This is a clever and joyful word!

Please enjoy your “corona-vacation!” May God bless you with His Peace.

 

5月7日(木)礼拝メッセージ

ひとりひとりの役割

 

高三担任 富樫恵実

【聖書】コリントの信徒への手紙(一)12章21節~22節、24節~27節

目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前達は要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

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神様は、私達には一人一人にかなった役割があるとおっしゃっています。そして、聖書に示されている「体の中でほかよりも弱く見える部分」という表現は、ある人がそう思っているだけで神様は、体の中の大切な一機能として必要があったから神様が配置したのだと示されているのです。その役割に、差はないのだ。どれがすごいとか、すごくないということではない。それぞれがその役割を自信持って発揮することが大事であるという事なのだと思います。

見劣りのする部分」これも人々から見て劣ると見えるだけであって、神様から見れば自らの作品として全て良い物なのです。そして、自分の苦しみは、「自分だけで感じるものではなく、共に苦しみを感じる仲間がいるのだ、良いことが起きれば、一緒に喜ぶ仲間がいるのだ」ともおっしゃっています。

今コロナウィルスにより、体だけでなく心までもが影響を受け、人々の争いも起こっています。私自身も、以前よりも、些細なことで、イライラしたりすることがあり「良くないなー」と、感じています。なるべく体を定期的に動かしたりして、気持ちをリフレッシュするようにしていますが、気持ちをコントロールするのは難しいものです。

私達は、自分に見えている、また、知っている世界の中で生きています。そして、体も心も大きく成長するにつれ、自分に見えている世界の外にも本当はもっと違う広い世界があるのだということに気付いていきます。学校生活を送るなかで、勉強をして知識を得て広い世界を知ることは大事なことですが、このこと以上に、様々な人と出会い、喜びや、悲しみ、辛さなどを実際に体験することに大きな意味があると私は感じています。

特に捜真女学校には、勉強だけでなく、行事、委員会、クラブ活動、キリスト教の行事、他様々な活動から、自分の可能性を広げるチャンスが散りばめられています。そして、この学校での経験を足がかりにして、世の中に出た時に、勇気のある一歩を踏み出し、やがては自分なりの大きな力が発揮できるようになるのではないかと思っています。でも、思いがけず、今現在、その機会が奪われてしまいました。この貴重な機会が奪われたことで、心に力が湧かない、なかなか元気になれないと感じている生徒の皆さんもいるのではないでしょうか。

特に高校三年生の中にはクラブ活動の最後の数カ月を迎えられず、最後の大会の機会さえも奪われてしまった生徒がいます。また、これからの進路について、どう進んでいくのか先行きがみえない状態です。運動部に携わってきた私自身、心の行き場を失い戸惑っている状況です。

しかし、このような中、風穴を開けるべく動き出した高三がいました。高三の人たちの中からインターネットを使っての礼拝をしたいという声があがったのです。オンラインで伴奏をし、別の人が司会をし、生徒や一部の教員がお話をしています。5月になっても続いています。不安な中で少しでも前に歩もうとする、その行動に私自身も力を得ました。この礼拝で、力を得た仲間、そして先生方もいらっしゃいます。

捜真女学校の皆さん、そして特に中学部1年生の皆さん、高校1年生の皆さんの中には、いよいよ捜真での生活が始まるという時にこのような事態となり、何が何だかわからないという状況の中、力が抜けてしまっている人、不安を覚えている人もいるかもしれません。

でも皆さん一人一人には、それぞれの役割が必ずあります。神様は必要があって私たちをこの世に送りました。小さなことでも良いから、何か人にエネルギーや元気を与えられることができたら良いなあと思っています。身近な人にでも良いですし、勿論捜真の仲間にでも良い。エネルギーを伝えられる何かがあるはずです。伝えれば、またそのエネルギーは自分にも力となって返ってきます。辛い時には一緒に苦しんでくれる仲間がいます。一緒に喜んでくれる仲間がいます。何かアクションを起こしてみてはいかがでしょうか。

5・6月の個別相談会は中止とさせていただきます

5月と6月に予定していました校長または教頭による個別相談会は、新型コロナウイルス感染拡大の現況を考慮し、中止とさせていただきます。お会いしてゆっくりとお話しさせていただけることを楽しみにしておりましたが、それが適わず残念な気持ちでいっぱいです。9月·10月の開催につきましては未定ですが、開催可能な場合にはお待ちしております。

休校延長のお知らせ

保護者の皆さま

新型コロナウイルスの感染状況は依然として収束の見通しが立たず、政府は「緊急事態宣言」の継続の意向を表明しております。

捜真小学校では、児童とご家族の健康保持、そして更なる感染拡大を防ぐため、今年度は4月7日(火)から臨時休校とし5月11日(月)の学校再開を目指してきましたが、現在の状況では再開することは難しいと判断し、下記のように休校期間を延長することといたしました。

· 5月31日(日)まで休校を延長

· 6月1日(月)から学校再開

この期間の状況により、再度変更を余儀なくされることもありますこと、ご理解ください。5月中旬以降、状況を精査して判断し、ご連絡いたします。

休校延長に伴い、1学期に予定していた行事等については、次のように変更いたします。

  • 1学期に計画していた校外での行事、PTA行事を中止または延期にします。

自然教室、5年臨海実習、学校説明会(予約制でWeb配信へ変更)、6年国会·最高裁見学、バンド合宿、PTAキリスト教講座、PTAスポーツ、

  • 始業式·入学式、1学期終業式、2学期始業式につきましては、追ってご連絡いたします。

2月末から休校が続いています。健康保持、感染拡大抑止のためとはいえ、平常と違った生活を続けることで、不安やストレスを抱えながらお過ごしのことと思います。 学校としましては、今後も少しでも双方向のやりとりができる環境を保てるよう、また学習習慣が維持できるよう努めてまいります。お手数·ご負担をおかけすることもあるかと思いますが、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。ご不明の点、ご不安がありましたらどうぞご連絡ください。

お子さまたちの元気な賛美の歌声が学校に響く日が戻ることを教職員一同心待ちにしております。そしてご家族の上に神様の慰めと励ましが豊かに注がれますよう日々祈っております。

在校生へのお知らせ「休校期間の延長について」 5/1付

捜真生の皆さん、保護者の皆様

5月に入りました。その後、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。

さて、政府の緊急事態宣言の延長が決定的となりましたので、捜真も5月31日までの休校延長を決定しました。

学校長からの詳しいご説明は本日、保護者の皆様方宛てにGmailでお送りいたしましたので、そちらをご確認ください。

また、在校生の皆さんにも中島学院長からのお手紙などをGmailにお送りしています。ご確認ください。

 

 

 

図書館だより 5月1日

『正しく怖がる感染症』岡田晴恵 ちくまプリマー新書

 

毎日テレビでお顔を拝見する岡田先生の著書。

「岩波ブックレット」を紹介した時も触れましたが、この本は2017年3月に発行されています。

①昆虫②接触③吸い込む④母子感染⑤飲み込む⑥傷⑦動物からうつる感染症。感染症をその経路別に説明しています。

一言で感染症といっても、多種の経路、要因、症状、治療法、展望が様々であることがわかります。コロナウイルスの感染拡大で全世界が注目をしているこの病気。

普段はほとんどかかわりのない世界ではありますが、このように平素から意識を持って研究されている方々があって、命は守られているいうことが身に染みて感じることができます。

ちくまプリマー新書は中高生にもわかりやすく書かれていますので、この際、医療にも目をむけてみようと思う人は是非手に取ってみましょう。

身の回りのことだけではなく、「そういえば、これってどうなっているんだろう?」と

思えた時がチャンスです。その時はぜひ本を開いてみてください。

 

5月1日(金)礼拝メッセージ

こんな時だからこそ

こちらで讃美歌7番をきくことができます

中2担任 千葉 眞智子

【聖書】フィリピの信徒への手紙4章6節7節

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト·イエスによって守るでしょう。

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今日の聖書個所「あらゆる人知を超える神の平和」は今年度の学院聖句です。

上級生はご存じの通り、チャペルの正面にはその年の学院聖句が掲げられています。毎年、温かみのある書体で書かれた聖句を眺めながら、そこに込められた意味を考えるのが、4月の私の楽しみの一つです。

 

新型コロナウィルスの感染拡大が騒がれる中、この聖句は私たちになげかけています。人間の人知を超えた未知のウィルスとの戦い。「本当に終息するのだろうか?」「この先どうなるのだろうか···」思い煩いは尽きません。

でもこの聖句は教えてくれます。

思い煩うことをやめて、どんなことでも神様に感謝して祈るようにと···そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えを守ると···。

実は、学院聖句は前年度の2学期末には決められます。昨年度の2学期末といえば、まだ新型コロナウィルスの存在すら知らなかった頃です。

その時点で今年度の聖句としてこの箇所が与えられていたのです。なんということでしょう。神さまの愛、守られていることを強く感じずにはいられません。

先日、久しぶりにチャペルに入りました。パイプオルガンは皆さんと一緒に讃美できず、寂しそうにみえました。皆さんと一緒に礼拝できる日を心待ちにしているように感じました。

中学1年生の皆さん、捜真のチャペルでの礼拝は素晴らしい時間です。どうぞ、チャペルで礼拝を受ける時を楽しみに待っていてください。

上級生の皆さん、チャペルが、パイプオルガンが静かに皆さんを待ってましたよ。また一緒に礼拝を守りましょう。

こんな時だからこそ、思い煩うことなく、感謝を込めて祈りと願いをささげて、神さまを信頼して今日も元気に過ごしてください。

 

 

 

図書館だより 4月30日

2020年4月本屋大賞受賞作品から三冊を紹介。

『ライオンのおやつ』小川糸 ポプラ社

2020年本屋大賞、2位。書店で見かけて購入しました。

捜真生には少し先のテーマかもしれませんが、死を間近にし、ホスピスで過ごす若い女性の物語です。ホスピスに行ったことのある人は多くはないと思いますが、病院とは違い治療はせず、医師や看護師が残された日々に寄り添って最期を看取ってくれる場所です。

人は生まれたからには誰でもが一度は死を迎える。その日までをどのように生きていくのか、命に限りがあることを常に意識することは難しいと思いますが、この本を読んで自分の命にも向き合ってみてはいいのではないでしょうか。

思いのほか、柔らかい気持ちになれる作品です。それは、おやつのおかげかもしれません。

 

 

 『アーモンド』ソン·ウォンピョン 祥伝社

2020年本屋大賞、翻訳小説部門1位。

すでに読んだという人もいるかと思います。以前に『82年生まれ、キム·ジヨン』を読んでとても面白く、韓国の作家さんが書いた本をまた読んでみたいと思い昨年購入しました。どちらも海外の作品であることを忘れてしまうほど日本語の訳が自然だということも魅力です。

主人公はユンジェとゴニ。ふたりは「怪物」と呼ばれる普通とは違った子どもでした。しかし、二人が出会うことで「怪物」がそれぞれ成長をしていくというストーリー。

キーワードは“感情”と“理性”。じっくり読んでみてください。

 

 

『無理難題が多すぎる』土屋賢二 文春文庫

2020年本屋大賞、発掘部門

この本はまだ読んではいませんが、一度読んでみたいと思っています。

読んだ人は感想を教えてほしいな。“そんなに頑張らなくても生きていていい”ってことが書いてあるらしい。

 

 

4月30日(木)礼拝メッセージ

忍耐強い神様

中3副担任 阿部一博

【聖書】民数記21:4-9

 彼らはホル山を旅立ち、、エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って行った。しかし、民は途中で耐えきれなくなって、神とモーセに逆らっていった。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。民はモーセのもとに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

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昔々、イスラエル民族は奴隷としてエジプトに囚われていました。神様は、そんなイスラエル民族を哀れんで、モーセをリーダーとしてエジプトから脱出させてくださいました。そして、自分たちのふるさとであるカナンの地(現在のイスラエル)を目指して大移動を始めたのです。

奴隷から解放され、喜びに満ち溢れて旅を始めたイスラエル人たちでしたが、エジプトからシナイ半島を経てカナンの地へ至る道は、険しく荒れた土地です。砂漠もとおらなければなりません。やがて、イスラエルの人々は疲れてきて、だんだんと文句を言うようになります。「荒地で歩くのは大変だ。」「食べ物や水も十分ではない。」「これなら、エジプトの地で奴隷をしていたほうがよかった。少なくとも飢える事はなかった。」等など。彼らはとうとう、リーダーのモーセにまでかみつきます。「あなたは、こんな場所で私たちを死なせるためにエジプトから連れ出したのですか?」文句は神様にまで向けられました。

怒った神様は毒蛇をイスラエル人のところに送られました。多くの人が死んでいくのを見て、人々も自分たちが犯した罪をさとり、モーセのところに来て自分たちの事を神様にとりなしてくださるようにお願いしたのです。その結果が「青銅の蛇」です。その蛇を見上げたものは助かりました。というのが今回の聖書箇所のお話です。

でも、実はイスラエル人が神様に逆らうのはこれが初めてではありません。というより、旧約聖書全体を通して、イスラエル民族は神様に逆らい続けたのです。それに対して神様が怒り、イスラエル人が悔い改める。旧約聖書の内容は、ものすごく簡単に言うと、そういうことです。

そう考えると、旧約聖書って変わった本ですよね。想像してみてください。皆さんが、新しい宗教を作って、その本を書くとしたら、旧約聖書みたいな本を作りますか?イスラエル民族は旧約聖書の中では、神様から選ばれた民なのです。そのイスラエル人が、いかに神様の前でだらしなかったか、それが旧約聖書です。普通そんな本書きませんよね!

しかし、この事を反対に見ると、神様はいかに忍耐強かったか、と考える事ができます。旧約聖書に記されているのは、イスラエル民族のだらしなさではなく、神様の忍耐強さです。どんなに、イスラエル民族が強情で神様の言う事を聞かず、逆らい続けても、神様は時に怒る事はあっても、決してイスラエル民族を見捨てず、愛し導き続けてくださったのです。

皆さんは中学生以上です。その年になれば、どんな人でも自分の汚さや、だらしなさや、愛のなさに、消え入りたいような思いをした事が一度や二度はあるはずです。夜家族の皆が寝静まったとき、一人ベッドの中で「ああ、あの時、私は何であんな事をしてしまったのだろう!」と頭を抱えて叫びたくなるような思いをした事のある人も多いでしょう。私たちは、自分たちが罪びとである事に、本能的に気づいています。そのままでは、神様に受け入れてもらえない、とわかっているのです。

でも、そんな私たちの罪以上に、神様の忍耐力の方が大きいのです。神様は、何百年にわたり逆らい続けるイスラエル民族を決して見捨てませんでした。もちろん、私たちの事も見捨てません。常にともにあるいてくださるのです。そして、イスラエルの人々が青銅の蛇を見上げたときに命を得たように、「私を見上げなさい」とおっしゃってくださいます。旗竿に上げられた青銅の蛇は、十字架にあげられたイエス様のモデルです。イエス様の十字架を見上げて私たちは罪を許され、命を得ます。皆さん、一人一人が、イエス様の十字架を自分の物とされますよう、心からお祈りいたします。

 

在校生のみなさんへ 4月28日

捜真生の皆さん

学校の中庭では、捜真のシンボルの一つである藤の花が美しく咲いています。捜真生の皆さん、ご家族の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

G Suite for Educationへの登録に、ご協力ありがとうございました。急なお願いだったにも関わらず、速やかに応じてくださり、ほとんどの方とご連絡が取れるようになりました。ありがとうございました。

既に、それぞれ学年に合わせた教科からの課題が配信されていると思います。使い方がわかりにくくて戸惑っている方もいらっしゃると思います。困ったことがあったら、そのClassroomの担当の先生に遠慮なく相談してください。私たち教員も試行錯誤しながら、皆さんの学習がサポートできる最善の方法を探していきたいと考えています。

中1と中3の皆さんには、本日、郵送でも課題などをお送りします。郵便事情にも支障が出ている地域がありますので、もし、しばらくしても届かない場合には、学校にお問い合わせください。

明日4月29日は祝日のため、学校は閉鎖していますので、ご連絡は4月30日、5月1日の午前9時から午後3時の間にお願いします。(045-491-3686)

引き続き、皆様の健康が守られますようお祈りしています。

4月28日(火)礼拝メッセージ

途上にある私たち

高3担任 ネルソン 綾

【聖書】フィリピの信徒への手紙1章6節

あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト·イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、私は確信しています。

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生徒の皆さん、こんにちは。皆さんは、“Hermie(ハーミー)”というイモムシの話をご存知ですか。ハーミーはとても平凡なイモムシで、彼はそのことに不満を感じています。たとえば、同じイモムシでも模様や色がついているものもいるのに、ハーミーは黄緑一色でした。

ハーミーは神様に、「なぜ僕には水玉やストライプの模様がないのですか?」と訴えます。アリがたくさんの荷物を運んでいるのを見て、「神様、なぜ僕はアリのように力持ちではないのですか?」と訴え、突然の雨でカタツムリがササッと自分の殻に入っていくのを見て、「神様、どうして僕にはあんな素敵な家がついていないのですか?」と問います。テントウムシの素敵な赤地に黒の水玉模様をほめたたえ、華麗に空へと飛び去っていく姿をうらやましそうに見つめます。そして、何とか彼らのようになれないかと様々な努力をします。でも、努力のかいも空しく何も変わりません。

ハーミーが訴える度に、神様はハーミーに同じ言葉を返します。「ハーミー、私は君のことをそのままで愛しているよ。それに、私はまだ君を完成させていないんだよ。心配しないで。」ハーミーは、その言葉を聞いたその時だけは、そうかと納得し安心するのですが、またしばらくすると他の虫たちに出会い、彼らと比べて自分の平凡さに嘆くということの繰り返しでした。

ところがある日、だんだん眠くなり、気が付けば暖かい寝袋の中にいて、そして、目を覚ますと自分は蝶になって空を舞っていた、というお話です。

ハーミーは自分が蝶になるとは知りませんでした。同じように私達も、自分がどうなっていくかは誰も知りません。皆さんなら、どんな大学に行くか、どんな仕事、どんな結婚、と知らないことばかりでしょう。将来への期待の一方で、自分の現状に様々な不平不満をこぼすことも少なくないかもしれません。また今のこのような状況下で、当然不安や恐れも覚えるかもしれません。しかし、私達はまだ完成されていないのです。私達は完成に向かっての道の途中にあるのです。

今日読んだ聖書の箇所には、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト·イエスの日までに、その業を成し遂げてくださる」とあります。神様が、一人一人のうちで、完成に向かって働いてくださっているのだと思います。私達一人一人にとって、何が、蝶になることなのか、まだわかりません。でも、善い業を始められた方が、その善い業を必ず成し遂げてくださるということを信じて、希望を持って、今できることに前向きに取り組みながら歩いていけたらと思っています。

 

 

 

図書館だより 号外 4月27日

『色から読み解く日本画』  水戸信惠 エクスナレッジ

東京広尾の山種美術館に研究員として所属する水戸さんが、そこに所蔵されている日本画を中心に、四十数点の作品の基本色を七つ(赤·青·黄·緑·金銀·白·黒)に分けて解説をします。

40年以上前、高校生の頃、美術の時間に日本画を教えていただきました。その時に使った膠(にかわ)や色絵具を道具箱から取出してみたところ、最後に使った時と同じように使えました。

300年も前の作品が色あせず鮮やかな色を残したまま、画家が表現したい世界を伝えているということに感動します。本来ならば、本物の絵を目の前にして向き合いたいところですが、今はStay Home。本の中でその世界を感じていただきましょう。

 

『日本民藝館へいこう』坂田和實 尾久彰三 山口信博 とんぼの本

昨年の夏にふらりと立ち寄り、とても気に入った場所なので皆さんにも紹介したいと思い、本を購入しました。

ところで、普段使っているご飯茶碗の形、色はどのようなものですか?おかずをのせるお皿でお気に入りのものはありますか?

「民藝」と聞くと、地方のお土産かなと思う方も多いと思いますが、この民藝館に展示されている器や道具は、一つ一つが芸術作品と言っても過言ではありません。18世紀に造られたもの、アジアやヨーロッパから海を渡ってやってきたもの。時代や国を選ばずに、民藝品として人々に使われてきた手のぬくもりと歴史を感じることができます。

ちなみに私のご飯茶碗は薄鼠色で両手にすっぽりおさまるころんとした形、気に入っているコーヒー用のコップは持ち手が取れしまい少々不便ですが、友人と川越に出かけたときに買った思い出の品です。学校が始まったら、皆さんのお気に入りを教えてほしいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月27日(月)礼拝メッセージ

ひたすら走る赤の女王

中2副担任 日浦 華子

【聖書】フィリピの信徒への手紙 3章13-14節

兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト·イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

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生物は細胞という小さな単位でできています。私たちヒトは約37兆個の細胞でできていると言われています。

今回私たちを苦しめているウィルスは細胞のようなものでできていますが、細胞ではありません。ですから生物の仲間か、というと微妙な位置にあるわけです。(現にコロナウィルスに関するニュースの中で、何人かの医療関係のコメンテーターたちが「ウィルスは生物では無い」と断言していました)

ウィルスは簡単な細胞のようなものでできていますが、私たち生物の細胞に比べると100~1000分の1と、とんでもなく小さい大きさです。ですからウィルスは、私たちの細胞に簡単に入りこんでくるのです。そして私たちの細胞を破壊してしまいます。

寄生される私たちは入ってくるウィルスに対して時間をかけて防衛能力を身に付けますが、ウィルスはすぐにタイプを変えてまた私たちに襲いかかってきます。インフルエンザウィルスにA型やB型など色々なタイプがあることでもわかりますよね。

私たち生物は、ウィルスとの戦いの歴史を繰り返してきたとも言えます。

生物と変化し続けるウィルスとの関係について出されている学説があって、「RED QUEEN説」(赤の女王説)と呼ばれています。赤の女王とは、不思議の国のアリスに出てくるトランプの女王のことです。

不思議の国のアリスの続編、鏡の国のアリスでは、チェスのゲームのやりとりで、話が進められていきます。アリスが性懲りもなくまた不思議の国に迷いこんだときに、チェス盤の上で赤の女王と走り始めるシーンがあります。ますますスピードを上げて走る女王に、アリスがなんでそんなに走り続けるのかと聞くと、女王は「この国では同じ場所にいるためには走り続けなくてはいけないんだよ」と答えます。現状を維持するためには走り続けなくてはいけないというこの赤の女王のセリフが生物とウィルスとのやりとりを表しているのです。

現状を維持するためには変化し続けなくてはいけない。すなわち、変化するウィルスに対抗して私たちも変化し続けなくてはいけない。この「私たちの変化」というのは、体の中の免疫力アップなどの物理的なものもありますが、臨機応変さや忍耐などが必要なのでしょう。

現状を維持するためには私たちも変わらなくてはいけない。

現在私たちは思いもよらない局面におかれています。変化に柔軟に対応するしなやかさが求められているのだと思います。皆さんの今の輝きを曇らさないように、そしてさらなる成長のために、前向きに出来ることを見つけて進めていきましょう。

図書館だより 号外 4月24日

『世界はデザインでできている』 秋山具義 ちくまプリマー新書

 

みなさんはデザインと聞いて真っ先に何を思い浮かべますか。洋服のデザインでしょうか、インテリアのデザインでしょうか。美術系に進路を考えている人にとっては、具体的に○○デザインと方向性が決まっているかもしれません。

高校生は先生方から薦められて手に取ったことがある人が多いと思いますが、「ちくまプリマー新書」の中から今回はデザインについて書かれたものを紹介します。(さくさく読めます!)

著者の秋山さんは、江戸や明治ではなく、令和の今、世の中から求められているデザインを生み出す仕事をされています。広告業界の特徴や仕組みももちろん、モチベーションの保ち方や仕事を進める時のコツなどを紹介しています。

「嫌なことがあった時こそ外へ出る」「十年後に何をやっていたいか」「それを毎年見直す」。

今進路を選ぼうとしている皆さんに届いてほしい言葉がたくさんみつかります。