投稿者「soshin」のアーカイブ

卒業生の皆様へ

卒業生の皆様

お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。日頃、母校のためにお祈りお支えをいただき、ありがとうございます。

緊急事態宣言が解除され、6月1日から分散登校という形ではありますが、3か月ぶりに在校生の登校をスタートさせることができ、今日は2週目のスタートを無事に迎えられましたことを感謝しております。

ただ、依然として感染の収束が見えない状態が続いておりますので、今しばらく、証明書取得などの場合を除いて、卒業生の皆様の母校訪問はご遠慮いただきたいと思います。また、証明書申請もお電話やHP上からお申込みいただけますのでご活用ください。皆様にお訪ねいただけるようになりましたら、改めてお知らせいたしますので、それまでお待ちいただければと思います。

一日も早く皆さんにお会いできる日が来ますこと、また、卒業生皆様とご家族皆様のご健康が守られますことをお祈りしております。

礼拝メッセージ 6月8日(月)

「めぐみを受ける」

司書教諭  高橋 香

 

こちらから讃美歌234番A「昔主イエスのまきたまいし」を聞くことができます

 

【聖書】 マタイによる福音書 13章3節~9節
イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のあるものは聞きなさい。」

********************************************

1977年に発行された「捜真小学校20周年グラビア」に次のような文章があります。

「めぐみを受ける

『種を蒔いて置いたら みんな生えて出て来た 僕は感謝した 一粒のまちがひなく からを破って飛んで出た』 室生犀星

捜真小学校も今年で20周年を迎えられるそうで、おめでとうございます。私はもはや、捜真での12年間の生活を終え、この春から新しい土に根を植え替えました。でも、私の種は捜真で蒔かれ、水を与えられました。そして、いつの日か咲く花は、やはり捜真の花でありましょう。よい地に蒔かれた種は、よい実を結ぶと言います。その言葉を大切にして、私の種が、そして皆様の種がよい実を結ぶよう、祈っております。」

これは、43年前、グラビアに寄せた私の文章です。当時、私は高校を卒業したての大学生でした。長い中丸の丘での生活から、都会のど真ん中の共学に通い始め、学食にはなんとなく入れずに、中庭の欅の下のベンチでお昼ご飯を食べていました。特別母校が懐かしかったわけでもなく、ぼんやりと少し目線を遠くにして、身の回りの新しい環境を眺めていた時期だったと思います。多分、聖書の箇所がふと浮かんで、文章を書いたのでしょう。後日、小学校の担任の先生から「寄稿してくれて嬉しかった。」という葉書をいただき、ひどく恐縮したことを今でもよく覚えています。

聖書がずっとそばにありました。母校への愛着よりも、聖書への愛着のほうがずっと強いと今でも思っています。聖書の言葉が、その後の私の人生のピンチや喜びの時に、すっとやってきました。

この種蒔きのたとえもその一つです。この後の18節からは、親切にも「たとえの説明」というものが書かれています。23節には「よい土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」
とあります。

在校生だった時は、「私はどんな土地に蒔いてもらえるんだろうか。何十倍の実を結ぶのだろうか。」と思いながら礼拝に参加していました。
でも今、この聖句を読んでみると「御言葉を聞いて悟る人」をすっかり読み落としていたことに気づきます。もしかしたら、よい土地は待っていれば神様から与えられるものではなく、自分で良い土地を見つけようとする人に与えられるのではないかしら。もしかしたら、「百倍、六十倍、三十倍」と大きな数字でなくてもいい。一倍でも二倍でも実を結べたならいいのではないかしら。と思えます。

「私たちが自分の耳を傾けて聞く」ことを待っていてくださる方が、私たちのそばにいてくださる。「一粒のまちがひなく」神様から私たちに蒔かれた種が、実を結ぶよう、今日一日を過ごしていきたいと思っています。

中学部・高等学部入学式、そして登校再開

6月1日から登校が再開され、初日には中学部、高等学部それぞれの入学式も行われました。

中学部入学式は2回に分けて行われ、高等学部入学式の中では高校からの入学生12名が紹介されました。あいにくの雨模様のお天気でしたが、新入生全員が参列できたことはとても喜ばしいことでした。

同じ日、上級生は、昨年度のクラスに置いたままになっていた荷物を新しい教室に移動させ、授業開始に備えました。

3日からはクラスを半分にしての授業もスタート。ようやく学校での2020年度を始めることができました。いつもと違う学校生活に少し緊張した表情の生徒たちですが、中2以上の生徒たちは約3か月ぶりの友達との再会に笑顔があふれました。中1も授業がスタートしました。これからは学校での授業と家庭でのClassroomを使っての学習を組み合わせて学習が進みます。

 

 

礼拝メッセージ 6月5日(金)

「希望の歌」

音楽科  仁平のぞみ

讃美歌174番「起きよ、夜は明けぬ」を聞くことができます

讃美歌346番「たえに麗しや」を聞くことができます

 

 

【聖書】詩編 84編6節〜10節

いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気をだし/心に広い道を見ている人は。

嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。/雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

彼らはいよいよ力を増して進み/ついに、シオンで神にまみえるでしょう。

万軍の神、主よ、わたしの祈りを聞いてください。/ヤコブの神よ、耳を傾けてください。

神よ、わたしたちが盾とする人をご覧になり/あなたが油注がれた人を顧みて下さい。

ヨハネによる黙示録22章16節

わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。

********************************************

新型コロナウイルスが蔓延して、社会全体が落ち着かなくなってきた3月末頃、なんとなく気持ちが沈むような時に、私は2つの讃美歌をふと思い出し口ずさみました。それは讃美歌174番「起きよ夜は明けぬ」と346番「たえにうるわしや」です。学校の礼拝ではほとんど歌うことがないので、知らない人が多いと思います。

この2曲は16世紀後半にドイツで活躍したルター派の牧師フィリップ·ニコライ(1556~1608)が作詞作曲した曲です。このニコライが北ドイツ、ヴェストファーレン州のウンナという町の教会で牧師をしていた1597年の夏から1598年の初めにかけて、恐ろしい感染症ペストが大流行しました。この期間、牧師であるニコライは毎日毎日、亡くなった人々の埋葬に立ち会いました。多い時は1日に30人もの人を埋葬したと伝えられています。町の通りには埋葬が間に合わない棺が並べられ、嘆きの声が溢れていました。彼自身も大切な家族を亡くしています。

ペストの惨禍が過ぎた後には、生きることに絶望した人々や、神などいるものかと自暴自棄に陥って荒れた生活に身を落としていく人々が取り残されました。このような中でニコライは聖書のことばに集中し、人々の救いのために祈り続けます。そしてこの讃美歌の詞にたどり着くのです。

174番はマタイによる福音書25:1~13「10人のおとめ」のたとえから、346番は上記の聖書箇所から言葉が取られています。文語体の詞はみなさんには判りにくいかもしれませんが、どちらの詞も“キラキラ”していて希望に溢れ、ひたすら神様を讃美しほめたたえています。そしてイエス·キリストの救いのみわざを喜び歌い、その歌声は途切れることはないといっています。まるで遠くにいる恋人に宛てたラブレターのようです。人々が嘆き悲しみ、心を震わせ、暗闇をさまよっているような時に不謹慎ではないのかと思うほど、この詞のことばは“キラキラ”と光っています。

ニコライは苦難の時こそ心を荒げるのではなく、静かに主の救いに希望を持つようにと町の人々を慰め励ましたのです。生も死も人の想いをはるかに超えた主のご計画の中にあるのだから、恐れず、主に全幅の信頼をおいて歩むこと、主の声に耳を傾け、花婿を心待ちにしているおとめたちのように、心の目を覚まして救いにあずかるようにと声を上げ続けました。心の平安を得るにはそれが一番良いことだと確信を持ってこの讃美歌を作り歌ったのです。その歌は町から町へ希望の歌として歌い継がれ、後世の多くの作曲家たちによって合唱曲やオルガン曲にアレンジされて、今や世界中で歌われています。

「感染症」というキーワードでこの歌が私の心によみがえりました。心を騒がせることなく、静かに主のみことばに耳を傾けて平安であれと神様が呼びかけてくださっているように感じます。自主的にSNSを通して毎日礼拝を守るグループが起こされて、静かに祈る生徒たちがたくさんいるこの学校で、私自身もそのようでありたいと思います。

お祈り

毎日暗い重苦しいニュースばかりが社会を覆っている今この時も、神様が共にいて慰め励ましてくださることに感謝いたします。私たちが自分のことばかりでなく、広く社会に目をむけてたくさんの人々のために祈ることができるよう力をお与えください。命を救うために日々働く医療従事者、私たちの生活を守るために働くたくさんの仕事従事者、その他私たちの目に触れないところで苦労を重ねていらっしゃる多くの方々のうちに主よりの励ましと慰めが豊かにありますようお祈りいたします。主の聖名によって アーメン

 

 

自粛中でも取り組めるSDGs第4弾

こんにちは、捜真SDGs実行会です。
本日は「自粛中でも取り組めるSDGs」の第四弾の配信です!
先週も報告を送って下さった皆さん、ありがとうございました。
皆さんが協力してくださっていること、そして報告を頂けることがとっても嬉しいです!
これからも配信をしていきますので、引き続きよろしくお願いします。
今週もたくさんの報告をお待ちしています。こちらのメールアドレスにお送り下さい。
【第四弾】
①差別について考えてみよう! 世界では、コロナヘイトと呼ばれるコロナウイルス感染者や、アジア人に対して、暴言を吐くなどの差別が起きています。今だからこそ、このような差別について考えてみませんか?
②家事の役割分担をしよう!
 家族で過ごすことが多くなった今、お互いが気持ちよく生活できるように家事を任せきりにするのではなく、率先して関わりましょう!
【第四弾の目標ゴール】
【目標ゴールに関する豆知識】
「10  人や国の不平等をなくそう」
•不平等は、人種や民族·宗教などから起こり、豊かな人と貧しい人の格差を広げること
 につながります。
•国の経済格差もあり、発展途上国の商品は安く売られてしまいがちです。
  捜真で行っているフェアトレードの活動は、10のゴールを解決する方法の1つです。
「16  平和と公正をすべての人に」
•現在、武力紛争の地域に住んでいる人は2億人以上いると言われています
•住んでいる地域や人種·性別が理由で公正さが保たれていないのが現状です。
「5  ジェンダー平等を実現しよう」
·ジェンダーとは、生物学的な性別ではなく、社会的·文化的につくられる性別のこと
 を言います。
·2019年ジェンダー·ギャップ指数で、日本は153カ国中121位。日本のジェンダー格
 差は深刻です。
·ジェンダー平等が実現されるためには、私たちの意思と行動力も必要です。
 ※この3つのゴールは、とても密接な関係にあります。どれも大きな問題ですが、身
  の回りのことから考えることで、少しづつ解決させていきましょう。

 

 

 

捜真といえば…… 先生たち、走りました【動画】 

在校生のみなさん、この土日が明けたらいよいよ登校です!
久しぶりの学校、ワクワクしてますか? 少し緊張しているかもしれませんね。
3カ月ぶりに友達に会うなんていう経験、今までにありませんでしたから!

学校からのお知らせにあったように、バスは混雑が予想されるので
反町駅や三ッ沢下町駅から徒歩での通学をお願いします。
と言うことは···。
そうです!久しぶりにあの〇〇坂を上るということですね!

さあ、みなさん、頑張って!!
動画はこちら

礼拝メッセージ 6月4日(木)

「『自分の居場所』のない救い主」

中2担任·聖書科  藤巻 正悟

こちらから讃美歌Ⅱ編196番「救い主は待っておられる」を聞くことができます

 

【聖書】ルカによる福音書2:1-7

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

********************************************

1.誰にでも必要な『自分の居場所』

『自分の居場所』がない、それほどつらいことはありません。

子どもであれ大人であれ、人間が人間として生きていくには『自分の居場所』が必要です。捜真生の皆さんは『自分の居場所』と聞くとどこを思い浮かべますか? 家でしょうか? 自分の部屋? リビング? ダイニング? 学校でしょうか? 教室? 部室? カフェテリア? チャペル?

もちろん家や学校以外に『自分の居場所』がある人も大勢いるはずです。

 

2.目には見えない『自分の居場所』

『自分の居場所』というのは、目に見える物理的な空間のことだけではありません。『心の居場所』という言葉を聞いたことがありますか? 『心の居場所』とは、何かをしている時や誰かと一緒にいる時などに「飾らない自分でいられる」「リラックスした自分でいられる」、そういった「時間」や「つながり」を意味しています。

それが存在することによって、安心感や自己肯定感を持って自分らしく過ごせる『心の居場所』、これも『自分の居場所』に含まれます。 物理的にも精神的にも、人間は誰もが『自分の居場所』を不可欠としているのです。

 

3.生まれた時からイエスには『自分の居場所』がなかった

イエスの誕生、それは非常にみじめなものでした。

「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」、これがイエスが家畜小屋で生まれた理由です。ヨセフとマリアは、ローマ帝国の指示で住民登録をするためにベツレヘムを訪れ、そこで予定より早く出産をすることになりました。しかもどこの宿屋も満室で、2人は泊まる場所を確保できませんでした。『自分の居場所』のない夫婦のもとに生まれた『自分の居場所』のない赤子、それがイエスだったのです。

そのようにして生まれたイエスは、敵対する権力者たちに捕らえられ、十字架で処刑されて死んでいく最期を遂げることになりますが、その意味でイエスは最初から最期まで『自分の居場所』のない生涯を歩んだと言えます。

 

4.『自分の居場所』のない救い主が共におられる

家畜小屋に生まれたイエスは、高い所から人間を見下ろしているのではなく、この世のいちばん低い所に身を置くことで、徹底的に人間と共に生きようとする救い主です。私たちと共にいてくださるイエスは、悲しみや悩みなど全く知らないという方ではありません。痛みやうめきをどこまでも知り抜いています。

みじめな誕生から十字架の死に至るまで、『自分の居場所』がないという最大の苦しみを味わい尽くした救い主だからこそ、私たちが経験するあらゆる苦しみに寄り添ってくださいます。

「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブライ2:18)

共におられるイエスが『自分の居場所』のない方であったことを深く悟る時に、私たちには「苦難から立ち上がる力」と「もう一度新しく生きようとする力」が与えられるのではないでしょうか。

 

 

礼拝メッセージ 6月3日(水)

「先生、どうして恋愛の楽しい部分はすっぽり抜けてしまうのですか?」

中1担任 新井 昂太

こちらから讃美歌453番「聞けや愛の言葉を」を聞くことができます

【聖書箇所】列王記上 19章6節~8節
主の御使いは戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ。」と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。

********************************************

「先生、どうして恋愛の楽しい部分はすっぽりと抜けてしまうのですか?楽しい部分がいいところなのに、出会ったと思ったらすぐにお別れなのですね」。というような質問だったと思います。大学生の私は、その時習っていた教授に聞いてみました。

大学で私は和歌を勉強していました。(和歌とは、五·七·五·七·七のあれ、百人一首などのあれ、ですよ。)和歌によく詠まれる二大テーマは「季節」と「恋愛」です。そうして、その時のクラスでは「恋愛の和歌」が教材になっていました。私たちのクラスは思いついたらすぐ質問、どんなにくだらないことでもすぐ質問、というクラスで、その時の私も深く考えずに先ほどの質問を教授にぶつけた、というわけです。
というのも、和歌集の「恋」のテーマを見ると、「恋心が芽生える→会いたいなあと思う気持ち→お別れした後のさみしさ→また会いたいと思うさみしさ→すっかり会えなくなってしまった悲しみ」と続いていくのです。要するに「会いたい」と思ったらすぐに「さみしい」。だから私は、どんな質問にも完璧な答えを返してくれるその先生に、「そこには日本文化の考え方がね…」とか「そこには歌人の思いが込められていてね…」といった解答を期待して、質問をしたのでした。
先生の答えはこうでした。
「そりゃあさー、デート中はデートが大事ですから。そんな大事に時に和歌なんか詠んでちゃダメでしょー。」
「和歌なんか」と言い切った先生のコメントに、そりゃそうだわー!とクラスで笑ったのをよく覚えています。(先生はその後ちゃんとした解説もしてくれました。)
続けてクラスメートがこんなことを言いました。
「確かにさ、『楽しい』っていうのは皆同じように『楽しい!』って感じだけど、『悲しい』っていうのは人とか場面でそれぞれじゃない?だから歌にできるのかもよ。」と。

その言葉に私は確かな説得力を感じたのでした。もちろん、「悲しみを共にする」ということはあり、それはとても大切なことです。でも、悲しみの色合いというのは私達一人ひとりが持っているもののような気がします。

新型コロナウイルスがあろうとなかろうと、私たちには日々悲しいことや辛いことがやってきます。楽しいことはたくさん起こってほしいけれど、悲しいことや辛いことにはなるべく起こってほしくありません。そして悲しいことは早く忘れたいものです。
でも、今。まさに今、あなたが悲しんでいることは、あなたという人間の大切な、中心的な「何か」を表しているのではないか、と思ったりもするのです。あなたという人間だけが、そのことにそんな風に悲しめる。そこにあなたの大切な何かがある。
その大切な何かこそ、私たちが神様によって与えられたもの。それに基づいて「生きよ。」と言われたもの。そんな風に思って歩んでゆければよいな、と思っています。

 

ご入学おめでとうございます!

6月2日、2020年度入学式が行われ、一年生のみなさんをお迎えいたしました。

ほっとした顔、ちょっとドキドキしている顔、にこにこ笑顔···新しいランドセルを背負う姿は、どこか誇らしそうでした。

ご入学おめでとうございます!

 

 

礼拝メッセージ 6月2日(火)

「前に向かって進もう!」

体育科 小澤 優子

こちらから讃美歌448番「み恵みを身に受くれば」を聞くことができます

【聖書】 フィリピの信徒への手紙 3章13-14節

兄弟たち、わたし自身は既に捉えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト·イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

********************************************

4月26日、今年の水泳部の一番大きな目標だったインターハイの中止が決定しました。その次の日、水泳部の高三の生徒が水泳部のclassroomに後輩たちに向けてメッセージを送りました。そこにはその生徒のインターハイ出場にかけてきた強い思いや『私達高三の夏は始まらないうちに終わってしまった。でも、みんなにはまだ来年があるということを忘れないで自分の目標に向かって真っすぐでいて欲しい』と後輩たちに託す願いが書かれていました。そのメッセージをきっかけに他の生徒からも、自分も大きな目標を失ってつらい、悔しい、悲しいといった高三の生徒に共感するメッセージがたくさん寄せられました。

そんな中、ある生徒が「自分は先輩たちとは違う思いです」という書き出しでメッセージを載せました。「今自分の中にある1番大きな感情は安心です。」と。その生徒はタイムが順調に伸びている先輩たちとは違って自分は調子が不安定で自分のせいでインターハイに行けなくなったら一緒に泳ぐ先輩たちはもちろん、応援してくれる沢山の人たちをがっかりさせてしまうと思っていたというのです。だからインターハイが中止になってこの思いから解放されて安心してしまっている自分がいる。そしてその時初めて抱えてきた思いを言葉にして、わけもわからず泣いているというものでした。

私はそれを読んで彼女がここで正直な気持ちを吐き出せて良かったと心からそう思いました。もしこのもやもやした思いをかかえたままで練習してもその成果は出にくくなったでしょうし、部活にいても後ろめたい気持ちでいづらさを感じながら過ごすことになってしまうと思ったからです。また、自分の気持ちを誰かに伝えたくても相手の反応が怖くて出来ないということは誰にでもよくある事だと思います。ましてや今回は自分だけが違う思いだとわかっていましたからその状況での告白はものすごく勇気のいることだったにちがいありません。それでも彼女が自分の気持ちを素直に伝えられたのは先輩たちを信頼していたからではないでしょうか。みんなとは違う思いの自分を受け入れてくれると信じられる関係が先輩と後輩のあいだに築かれていたことを実感でき教員の私にとってこれはとてもうれしいことでした。そしてうちあけられた上級生の方としても彼女は中学生の時から大会で華々しく活躍していて水泳には自信を持っていると思い込んでいたと思うので、強いと思っていた後輩が不安な気持ちを素直に自分たちに伝えてくれてうれしかっただろうと思います。そして先輩である自分がこの後輩の支えになりたいと思った上級生は多かったのではないかと私は思っています。

実際、彼女の正直な気持ちに対して高三の生徒からは『とってもわかるよ』『怖いとか不安とか誰でもあることだから安心したことは悪いことではないよ』『あなたのこと嫌いにならないよ』『あなたの気持ちがわかってよかった、ありがとう』などという言葉が返ってきました。そのことで彼女は先輩たちに気持ちを伝えて良かったと言っていました。そして私はこれで彼女がすっきりした気持ちで前へ進む事が出来ることになって本当によかったと思いましたし、この暗い状況の中、光が見えた気がしました。弱い自分をさらけだすことは結果、自分を強めることになりました。そしてチームの絆も一層強くなったと私は確信しています。

新型コロナウイルスの流行により、当たり前だった日常が当たり前でなくなりました。そして目標も夢も奪われる経験はできればしたくなかったのが本音です。でも後ろをふり返って嘆いてもそこからは何も生まれません。前を向いて進んでいきたいと思います。昨日から学校が始まりました。生徒の皆さんの声が校舎内に響き静まり返っていた学校に活気が戻ってきました。ここからまた皆さんと共に新しい気持ちで新しい目標に向かって希望を持って日々過ごしていきたいと思います。

新しい学校生活が始まりました!

6月1日、待ちに待った学校再開です。みなさんあらためまして、進級おめでとうございます。

これまでオンラインで学習したり、お友達と顔を合わせたりしてきましたが、やはり実際に会えるのは嬉しいもの。こどもたちの笑顔がはじけていました。

とはいえ、しばらくは半日ずつの2部登校制のため、全員で顔を合わせるのはまだ少し先になります。また、マスクの着用はもちろん、登校時や授業後の手洗い、間隔を開けた座席、特別な時間割など、これまでとはちがう学校での過ごし方になります。不自由さを感じることもあるかもしれませんが、私たちだけでなく、家族、お友達、日本や世界の人たちのいのちを守るため一つひとつ大切なことになります。どうかともに助けあい、支え合いながら、新しい生活を歩んでいきましょう。

礼拝メッセージ 6月1日(月)

「磨き合い」

高三副担任 関 一樹

こちらから讃美歌Ⅱ編26番「小さなかごに」を聞くことができます

【聖書】箴言27章17節

鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。

********************************************

皆さんこんにちは。

いよいよ今日から学校への分散登校が始まりますね。「久しぶりに友達に会える!」と気持ちが高まっている方や、どのような学校生活になるのかと不安に思っている方もいらっしゃるかと思います。特に中学1年生の方や高校から入学された方はなどは、「友達できるかな…」と不安に思っている方も多いかもしれません。冒頭で御言葉を紹介させて頂きましたが、これは私が友人と会ったり、ぶつかったりする際にいつも思い出す御言葉です。じきに学校が始まり、クラスメートや友だちと会うことができるようになるということで、ここを選びました。

私はこの御言葉の意味は「二本の鉄の刃をこすり合わせるとお互いが磨かれてより鋭く、より輝きを増すのと同じように、人は人との関わりでお互いが磨かれて成長する」という風に解釈しています。人とお互いに成長するという意味では、切磋琢磨という言葉にも似ているでしょうか。

この御言葉では友という字が使われていますが、友と一口に言っても一緒にいて居心地が良い人や、好きだけど嫌な部分もある人、心の中で苦手だなと思ってしまう人など、色々な友がいると思います。また、必ずしも 友=友だち ということでは無く、普段自分が関わりのある人の事を指すかもしれません。

「友によって研磨される」という言葉は一見「友と関わることで研磨されるのだから、仲良しの友と沢山関わりなさい」という意味のようにも感じられますが、苦手と感じる友との関わりも含んでいるのではと思います。私の経験談ですが、「こいつ自己中だな~」と感じたり、友人の態度にムカついてしまったりする際に自分を省みてみると、自分もそういうところがあるなと思わされることが意外とあるものです。友人と話して刺激を受けた時などにこの御言葉を思い出し、素晴らしい友人を与えて下さった神様に感謝するのはもちろんのこと、私は友人とぶつかった時にもこの御言葉を思い出し、神様はその友を通して私に何を教えて下さろうとしているのかと考えます。

今までの日々は、ある意味、居心地が良い友とテキストや電話を通して関わり合うものだったかもしれません。これからはそういった友と直接会うことができるようになっていき、苦手と感じる友と関わる機会も増えるかもしれません。新しい友との出会いもあるでしょう。この期間に新しいことを始めたという人も多いでしょうし(私も人生初の料理に挑戦してみたりしました。)

前から知っていた友人と学校で会っても、話してみたら「え?休校中にそんなことやってたの⁉すご!」という驚きがあったり、変化があったりするかもしれません。そういった友との関わり合いで私たちは刺激を受け、磨かれていくのではないでしょうか。COVID-19による影響で密集を避けるという動きの中、捜真生同士の対面での関わり合いが始まって行きますが、刺激を与え合い、磨き合っていく姿を見られることを楽しみに思います。

6月1日 入学式が行われます

政府による緊急事態宣言が解除され、在校生の準備登校が6月1日からスタート。同じ日に新入生の入学式が行われる予定です。
「捜真版『新しい生活様式』」にのっとってのいつもと違う入学式ではありますが、式の中でオルガンによって校歌が演奏されます。新入生の皆さんも在校生の皆さんも、校歌を聞いてテンションアップ!しましょう。

 

図書館だより 5月30日(土)

杉山先生から是非皆さんにと、本の紹介が届きました。

『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』カウテル·アディミ 作品社

「1960年4月9日
ここは恐ろしい場所だ。外出しないよう言われるが、もちろん働かなくてはならない。外出を控えるよう新聞で書く連中は、僕らがどうやって生活費を稼ぐと思っているのだろう。」

エドモン·シャルロの手帳のこの1節を読んだとき、ぎょっとしました。
ちょうど60年後の今、新型ウイルスで命を落とさなくても経済で亡くなる人がいるかもしれない状況だからです。

60年前の外出禁止令は、アルジェリアの独立戦争のさなか、フランスに住むアルジェリア人に対して出され、パリ警察による虐殺も起きたそうです。
エドモン·シャルロはアルジェリア生まれのフランス人で、21歳のときアルジェに書店兼出版社を開き、今話題の『ペスト』を書いたアルベール·カミュを世に送り出した実在の人物です。

〈真の富〉と名付けられた店には「若者の、若者による、若者のための」という看板を掲げ、激動の時代に命をかけて本を愛しぬきました。

著者はアルジェ生まれの女性作家。この作品は現代の大学生(読書嫌い!)のエピソードが挟み込まれている巧みな構成で、「高校生のルノドー賞」をはじめ、いくつもの文学賞を受賞しました。フランスの高校生に選ばれた作品なので、ぜひ捜真生にも読んでほしいです。

 

 

学校再開に向けて

以下は、5/25(月)15:00に配信したメールから抜粋しました。

保護者の皆様

新型コロナウイルス感染拡大のための長期に渡る休校にご協力くださり、誠にありがとうございます。

緊急事態宣言とそれに伴う外出自粛要請の成果が現れ、緊急事態宣言が解除された府県が大半になりました。そしてご存知の通り、北海道及び首都圏の緊急事態宣言の解除も本日中に公表される模様です。つきましては、学校における教育活動を6月1日より再開いたします。

しかしながら、市中にどの程度ウイルスが残っているのか把握する手段もなく、横浜市、神奈川県、東京都の現状から慎重に登校を再開させるべきであるという判断をいたしました。学校再開を待ちわびていた児童·保護者の皆様には本当に申し訳なく思いますが、どうぞご理解くださいますようお願いいたします。

具体的には、学年をクラスで分けて、午前·午後の二部登校を実施いたします。期間は概ね4週間といたします。

6月2日(火)は、入学式をクラス別に午前·午後に分けて行います。これに伴い、2年生〜6年生は6月2日(火)を再び休校とさせていただきます。

○学校の対策

①手洗い

登校時

登校時に子どもたちが確実に手を洗えるように、昇降口前に蛇口やポンプに触れなくても手を洗え  る器具を設置しました。また、一日に何度も手を洗うことを踏まえて、紙タオルを用意し手を拭けるようにします。

学習時間帯

定期的に教師の指導の下、蛇口やポンプに触れないかたちでクラス全員で手洗いを行います。更に頻繁に手を拭きたい場合は、ウエットティッシュを持たせていただき、児童が適宜拭くようにしてください。

②消毒

子どもたちが教室内にいる時間帯を利用して、蛇口、トイレの扉·ボタン·バルブ、階段の手摺りなど、多人数が触れることが想定される箇所を1日に複数回消毒します。一日の学習活動が終了後、児童の使用した机を同様に消毒します。教室の机·椅子は午前と午後で別とし、専用で使うようにします。

③換気

教室は必ず2方向の窓を開けて、換気を図ります。

④水分補給

個人の水筒から行うことといたします。マスクを外す場面になりますので、着席して教員の指導の下、マスクの片側だけを外すかたちで行います。尚、前述の手洗いの方法と水分補給の仕方などの動画を明日配信いたします。お子様と一緒にご確認ください。

⑤教員·学習

子どもたちと対面するかたちになる教師は、マスクを必須とすることはもちろん、全体に説明するような場面では児童から2m離れることを心がけます。大きな声を出さないよう、簡易的なマイク を必要に応じて使用します。また、飛沫を飛ばす恐れのあるホイッスルの使用は止め、電子ホイッスルを使用します。

以下のような子どもたちが同時に発声するような学習は当面行いません。(個別に行う場合はあります。)

歌唱、音読、発声練習、リコーダー·ピアニカ演奏 等 接触が増えるグループ学習などは当面行いません。また、休校期間  が長かったこと、気温が上昇する季節になっていることを考慮して体育の学習は穏やかなものから少しずつ進めていきます。

○保護者の方、子どもたちへのお願い

マスク

登下校時および学校内では十分な距離をとれない場面もありますので、マスクの着用は必ずお願いします。市販の大人用マスクを使う場合は子どもの顔の大きさに合うようにゴム紐の長さを調節してください。ずれると顔を頻繁に触ったり、口·鼻を覆えなくなり意味が薄くなります。マスクは、使い捨てのサージカルマスク、布マスク、手作りマスク、ハンカチを折って作った簡易マスク、政府配付の洗えるマスク、どのようなものでも構いません。色柄も問いません。汚れた場合に備えて、予備を一つ持たせてください。

検温および欠席のお願い

登校前には必ず検温してください。平熱と差がある場合、その他、咳が出る、のどが痛い等の風邪症状がある場合は欠席をお願いいたします。

子どもたちへのおねがい

子どもたちへは、①マスクをつける ②手を洗う に加えて、③友だちと手をつながない ④友だちや自分の顔を触らない。心配があるご家庭は花粉症用の眼鏡を着用させてください。 ⑤相撲のような抱き合う感じになる遊びはしない。以上の5つをお願いします。(子どもたちだけで自由に遊ぶ時間は、当分の間設けません。)

休校期間中の取り組みはこちらから

図書館だより 5月29日(金)

『犬は神様 DOG is GOD』山本容子 講談社

偶然にも、前回の本同様、表紙に犬が描かれています。
山本容子さんは、銅版画家でエッセイストでもあります。
銅版画を描いたことはありますか?私は捜真の高校時代に美術研究で一度だけ描いたことがあります。銅板に鉄筆で傷をつけ、さらに薬品でその傷を腐食させ、凹んだところにインクをのせて紙に摺って完成。なかなか思い通りならず、苦心した思い出があります。

山本さんの作品は銅版画にのせた薄い黄色や橙色の明るい彩色が特に印象に残ります。鉄筆でつけた線の太さ細さ、線を重ねた濃いところ、一本の繊細な線が豊かな表情をあらわしています。目を凝らすと手作業で創られた優しい世界が見えてきます。絵を描く感性は、文章を書く感性にもつながるのでしょうか。

この作品は、長年一緒に暮らしてきた犬の“ルーカス”との思い出がつまったエッセイです。犬を飼うまでは想像できなかった生きもの同志の深い関わりが、胸の奥に届いく作品でした。
昨冬に16歳で逝った我が家の柴犬を思い出しては、幸せだった日々を又期待するこの頃です。
疲れてしまった時は、近くの誰かに「ただそばにいてもらう」ことをおすすめします。