投稿者「soshin」のアーカイブ

休校延長のお知らせ

保護者の皆さま

新型コロナウイルスの感染状況は依然として収束の見通しが立たず、政府は「緊急事態宣言」の継続の意向を表明しております。

捜真小学校では、児童とご家族の健康保持、そして更なる感染拡大を防ぐため、今年度は4月7日(火)から臨時休校とし5月11日(月)の学校再開を目指してきましたが、現在の状況では再開することは難しいと判断し、下記のように休校期間を延長することといたしました。

· 5月31日(日)まで休校を延長

· 6月1日(月)から学校再開

この期間の状況により、再度変更を余儀なくされることもありますこと、ご理解ください。5月中旬以降、状況を精査して判断し、ご連絡いたします。

休校延長に伴い、1学期に予定していた行事等については、次のように変更いたします。

  • 1学期に計画していた校外での行事、PTA行事を中止または延期にします。

自然教室、5年臨海実習、学校説明会(予約制でWeb配信へ変更)、6年国会·最高裁見学、バンド合宿、PTAキリスト教講座、PTAスポーツ、

  • 始業式·入学式、1学期終業式、2学期始業式につきましては、追ってご連絡いたします。

2月末から休校が続いています。健康保持、感染拡大抑止のためとはいえ、平常と違った生活を続けることで、不安やストレスを抱えながらお過ごしのことと思います。 学校としましては、今後も少しでも双方向のやりとりができる環境を保てるよう、また学習習慣が維持できるよう努めてまいります。お手数·ご負担をおかけすることもあるかと思いますが、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。ご不明の点、ご不安がありましたらどうぞご連絡ください。

お子さまたちの元気な賛美の歌声が学校に響く日が戻ることを教職員一同心待ちにしております。そしてご家族の上に神様の慰めと励ましが豊かに注がれますよう日々祈っております。

在校生へのお知らせ「休校期間の延長について」 5/1付

捜真生の皆さん、保護者の皆様

5月に入りました。その後、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。

さて、政府の緊急事態宣言の延長が決定的となりましたので、捜真も5月31日までの休校延長を決定しました。

学校長からの詳しいご説明は本日、保護者の皆様方宛てにGmailでお送りいたしましたので、そちらをご確認ください。

また、在校生の皆さんにも中島学院長からのお手紙などをGmailにお送りしています。ご確認ください。

 

 

 

図書館だより 5月1日

『正しく怖がる感染症』岡田晴恵 ちくまプリマー新書

 

毎日テレビでお顔を拝見する岡田先生の著書。

「岩波ブックレット」を紹介した時も触れましたが、この本は2017年3月に発行されています。

①昆虫②接触③吸い込む④母子感染⑤飲み込む⑥傷⑦動物からうつる感染症。感染症をその経路別に説明しています。

一言で感染症といっても、多種の経路、要因、症状、治療法、展望が様々であることがわかります。コロナウイルスの感染拡大で全世界が注目をしているこの病気。

普段はほとんどかかわりのない世界ではありますが、このように平素から意識を持って研究されている方々があって、命は守られているいうことが身に染みて感じることができます。

ちくまプリマー新書は中高生にもわかりやすく書かれていますので、この際、医療にも目をむけてみようと思う人は是非手に取ってみましょう。

身の回りのことだけではなく、「そういえば、これってどうなっているんだろう?」と

思えた時がチャンスです。その時はぜひ本を開いてみてください。

 

5月1日(金)礼拝メッセージ

こんな時だからこそ

こちらで讃美歌7番をきくことができます

中2担任 千葉 眞智子

【聖書】フィリピの信徒への手紙4章6節7節

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト·イエスによって守るでしょう。

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今日の聖書個所「あらゆる人知を超える神の平和」は今年度の学院聖句です。

上級生はご存じの通り、チャペルの正面にはその年の学院聖句が掲げられています。毎年、温かみのある書体で書かれた聖句を眺めながら、そこに込められた意味を考えるのが、4月の私の楽しみの一つです。

 

新型コロナウィルスの感染拡大が騒がれる中、この聖句は私たちになげかけています。人間の人知を超えた未知のウィルスとの戦い。「本当に終息するのだろうか?」「この先どうなるのだろうか···」思い煩いは尽きません。

でもこの聖句は教えてくれます。

思い煩うことをやめて、どんなことでも神様に感謝して祈るようにと···そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えを守ると···。

実は、学院聖句は前年度の2学期末には決められます。昨年度の2学期末といえば、まだ新型コロナウィルスの存在すら知らなかった頃です。

その時点で今年度の聖句としてこの箇所が与えられていたのです。なんということでしょう。神さまの愛、守られていることを強く感じずにはいられません。

先日、久しぶりにチャペルに入りました。パイプオルガンは皆さんと一緒に讃美できず、寂しそうにみえました。皆さんと一緒に礼拝できる日を心待ちにしているように感じました。

中学1年生の皆さん、捜真のチャペルでの礼拝は素晴らしい時間です。どうぞ、チャペルで礼拝を受ける時を楽しみに待っていてください。

上級生の皆さん、チャペルが、パイプオルガンが静かに皆さんを待ってましたよ。また一緒に礼拝を守りましょう。

こんな時だからこそ、思い煩うことなく、感謝を込めて祈りと願いをささげて、神さまを信頼して今日も元気に過ごしてください。

 

 

 

図書館だより 4月30日

2020年4月本屋大賞受賞作品から三冊を紹介。

『ライオンのおやつ』小川糸 ポプラ社

2020年本屋大賞、2位。書店で見かけて購入しました。

捜真生には少し先のテーマかもしれませんが、死を間近にし、ホスピスで過ごす若い女性の物語です。ホスピスに行ったことのある人は多くはないと思いますが、病院とは違い治療はせず、医師や看護師が残された日々に寄り添って最期を看取ってくれる場所です。

人は生まれたからには誰でもが一度は死を迎える。その日までをどのように生きていくのか、命に限りがあることを常に意識することは難しいと思いますが、この本を読んで自分の命にも向き合ってみてはいいのではないでしょうか。

思いのほか、柔らかい気持ちになれる作品です。それは、おやつのおかげかもしれません。

 

 

 『アーモンド』ソン·ウォンピョン 祥伝社

2020年本屋大賞、翻訳小説部門1位。

すでに読んだという人もいるかと思います。以前に『82年生まれ、キム·ジヨン』を読んでとても面白く、韓国の作家さんが書いた本をまた読んでみたいと思い昨年購入しました。どちらも海外の作品であることを忘れてしまうほど日本語の訳が自然だということも魅力です。

主人公はユンジェとゴニ。ふたりは「怪物」と呼ばれる普通とは違った子どもでした。しかし、二人が出会うことで「怪物」がそれぞれ成長をしていくというストーリー。

キーワードは“感情”と“理性”。じっくり読んでみてください。

 

 

『無理難題が多すぎる』土屋賢二 文春文庫

2020年本屋大賞、発掘部門

この本はまだ読んではいませんが、一度読んでみたいと思っています。

読んだ人は感想を教えてほしいな。“そんなに頑張らなくても生きていていい”ってことが書いてあるらしい。

 

 

4月30日(木)礼拝メッセージ

忍耐強い神様

中3副担任 阿部一博

【聖書】民数記21:4-9

 彼らはホル山を旅立ち、、エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って行った。しかし、民は途中で耐えきれなくなって、神とモーセに逆らっていった。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。民はモーセのもとに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

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昔々、イスラエル民族は奴隷としてエジプトに囚われていました。神様は、そんなイスラエル民族を哀れんで、モーセをリーダーとしてエジプトから脱出させてくださいました。そして、自分たちのふるさとであるカナンの地(現在のイスラエル)を目指して大移動を始めたのです。

奴隷から解放され、喜びに満ち溢れて旅を始めたイスラエル人たちでしたが、エジプトからシナイ半島を経てカナンの地へ至る道は、険しく荒れた土地です。砂漠もとおらなければなりません。やがて、イスラエルの人々は疲れてきて、だんだんと文句を言うようになります。「荒地で歩くのは大変だ。」「食べ物や水も十分ではない。」「これなら、エジプトの地で奴隷をしていたほうがよかった。少なくとも飢える事はなかった。」等など。彼らはとうとう、リーダーのモーセにまでかみつきます。「あなたは、こんな場所で私たちを死なせるためにエジプトから連れ出したのですか?」文句は神様にまで向けられました。

怒った神様は毒蛇をイスラエル人のところに送られました。多くの人が死んでいくのを見て、人々も自分たちが犯した罪をさとり、モーセのところに来て自分たちの事を神様にとりなしてくださるようにお願いしたのです。その結果が「青銅の蛇」です。その蛇を見上げたものは助かりました。というのが今回の聖書箇所のお話です。

でも、実はイスラエル人が神様に逆らうのはこれが初めてではありません。というより、旧約聖書全体を通して、イスラエル民族は神様に逆らい続けたのです。それに対して神様が怒り、イスラエル人が悔い改める。旧約聖書の内容は、ものすごく簡単に言うと、そういうことです。

そう考えると、旧約聖書って変わった本ですよね。想像してみてください。皆さんが、新しい宗教を作って、その本を書くとしたら、旧約聖書みたいな本を作りますか?イスラエル民族は旧約聖書の中では、神様から選ばれた民なのです。そのイスラエル人が、いかに神様の前でだらしなかったか、それが旧約聖書です。普通そんな本書きませんよね!

しかし、この事を反対に見ると、神様はいかに忍耐強かったか、と考える事ができます。旧約聖書に記されているのは、イスラエル民族のだらしなさではなく、神様の忍耐強さです。どんなに、イスラエル民族が強情で神様の言う事を聞かず、逆らい続けても、神様は時に怒る事はあっても、決してイスラエル民族を見捨てず、愛し導き続けてくださったのです。

皆さんは中学生以上です。その年になれば、どんな人でも自分の汚さや、だらしなさや、愛のなさに、消え入りたいような思いをした事が一度や二度はあるはずです。夜家族の皆が寝静まったとき、一人ベッドの中で「ああ、あの時、私は何であんな事をしてしまったのだろう!」と頭を抱えて叫びたくなるような思いをした事のある人も多いでしょう。私たちは、自分たちが罪びとである事に、本能的に気づいています。そのままでは、神様に受け入れてもらえない、とわかっているのです。

でも、そんな私たちの罪以上に、神様の忍耐力の方が大きいのです。神様は、何百年にわたり逆らい続けるイスラエル民族を決して見捨てませんでした。もちろん、私たちの事も見捨てません。常にともにあるいてくださるのです。そして、イスラエルの人々が青銅の蛇を見上げたときに命を得たように、「私を見上げなさい」とおっしゃってくださいます。旗竿に上げられた青銅の蛇は、十字架にあげられたイエス様のモデルです。イエス様の十字架を見上げて私たちは罪を許され、命を得ます。皆さん、一人一人が、イエス様の十字架を自分の物とされますよう、心からお祈りいたします。

 

在校生のみなさんへ 4月28日

捜真生の皆さん

学校の中庭では、捜真のシンボルの一つである藤の花が美しく咲いています。捜真生の皆さん、ご家族の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

G Suite for Educationへの登録に、ご協力ありがとうございました。急なお願いだったにも関わらず、速やかに応じてくださり、ほとんどの方とご連絡が取れるようになりました。ありがとうございました。

既に、それぞれ学年に合わせた教科からの課題が配信されていると思います。使い方がわかりにくくて戸惑っている方もいらっしゃると思います。困ったことがあったら、そのClassroomの担当の先生に遠慮なく相談してください。私たち教員も試行錯誤しながら、皆さんの学習がサポートできる最善の方法を探していきたいと考えています。

中1と中3の皆さんには、本日、郵送でも課題などをお送りします。郵便事情にも支障が出ている地域がありますので、もし、しばらくしても届かない場合には、学校にお問い合わせください。

明日4月29日は祝日のため、学校は閉鎖していますので、ご連絡は4月30日、5月1日の午前9時から午後3時の間にお願いします。(045-491-3686)

引き続き、皆様の健康が守られますようお祈りしています。

4月28日(火)礼拝メッセージ

途上にある私たち

高3担任 ネルソン 綾

【聖書】フィリピの信徒への手紙1章6節

あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト·イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、私は確信しています。

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生徒の皆さん、こんにちは。皆さんは、“Hermie(ハーミー)”というイモムシの話をご存知ですか。ハーミーはとても平凡なイモムシで、彼はそのことに不満を感じています。たとえば、同じイモムシでも模様や色がついているものもいるのに、ハーミーは黄緑一色でした。

ハーミーは神様に、「なぜ僕には水玉やストライプの模様がないのですか?」と訴えます。アリがたくさんの荷物を運んでいるのを見て、「神様、なぜ僕はアリのように力持ちではないのですか?」と訴え、突然の雨でカタツムリがササッと自分の殻に入っていくのを見て、「神様、どうして僕にはあんな素敵な家がついていないのですか?」と問います。テントウムシの素敵な赤地に黒の水玉模様をほめたたえ、華麗に空へと飛び去っていく姿をうらやましそうに見つめます。そして、何とか彼らのようになれないかと様々な努力をします。でも、努力のかいも空しく何も変わりません。

ハーミーが訴える度に、神様はハーミーに同じ言葉を返します。「ハーミー、私は君のことをそのままで愛しているよ。それに、私はまだ君を完成させていないんだよ。心配しないで。」ハーミーは、その言葉を聞いたその時だけは、そうかと納得し安心するのですが、またしばらくすると他の虫たちに出会い、彼らと比べて自分の平凡さに嘆くということの繰り返しでした。

ところがある日、だんだん眠くなり、気が付けば暖かい寝袋の中にいて、そして、目を覚ますと自分は蝶になって空を舞っていた、というお話です。

ハーミーは自分が蝶になるとは知りませんでした。同じように私達も、自分がどうなっていくかは誰も知りません。皆さんなら、どんな大学に行くか、どんな仕事、どんな結婚、と知らないことばかりでしょう。将来への期待の一方で、自分の現状に様々な不平不満をこぼすことも少なくないかもしれません。また今のこのような状況下で、当然不安や恐れも覚えるかもしれません。しかし、私達はまだ完成されていないのです。私達は完成に向かっての道の途中にあるのです。

今日読んだ聖書の箇所には、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト·イエスの日までに、その業を成し遂げてくださる」とあります。神様が、一人一人のうちで、完成に向かって働いてくださっているのだと思います。私達一人一人にとって、何が、蝶になることなのか、まだわかりません。でも、善い業を始められた方が、その善い業を必ず成し遂げてくださるということを信じて、希望を持って、今できることに前向きに取り組みながら歩いていけたらと思っています。

 

 

 

図書館だより 号外 4月27日

『色から読み解く日本画』  水戸信惠 エクスナレッジ

東京広尾の山種美術館に研究員として所属する水戸さんが、そこに所蔵されている日本画を中心に、四十数点の作品の基本色を七つ(赤·青·黄·緑·金銀·白·黒)に分けて解説をします。

40年以上前、高校生の頃、美術の時間に日本画を教えていただきました。その時に使った膠(にかわ)や色絵具を道具箱から取出してみたところ、最後に使った時と同じように使えました。

300年も前の作品が色あせず鮮やかな色を残したまま、画家が表現したい世界を伝えているということに感動します。本来ならば、本物の絵を目の前にして向き合いたいところですが、今はStay Home。本の中でその世界を感じていただきましょう。

 

『日本民藝館へいこう』坂田和實 尾久彰三 山口信博 とんぼの本

昨年の夏にふらりと立ち寄り、とても気に入った場所なので皆さんにも紹介したいと思い、本を購入しました。

ところで、普段使っているご飯茶碗の形、色はどのようなものですか?おかずをのせるお皿でお気に入りのものはありますか?

「民藝」と聞くと、地方のお土産かなと思う方も多いと思いますが、この民藝館に展示されている器や道具は、一つ一つが芸術作品と言っても過言ではありません。18世紀に造られたもの、アジアやヨーロッパから海を渡ってやってきたもの。時代や国を選ばずに、民藝品として人々に使われてきた手のぬくもりと歴史を感じることができます。

ちなみに私のご飯茶碗は薄鼠色で両手にすっぽりおさまるころんとした形、気に入っているコーヒー用のコップは持ち手が取れしまい少々不便ですが、友人と川越に出かけたときに買った思い出の品です。学校が始まったら、皆さんのお気に入りを教えてほしいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月27日(月)礼拝メッセージ

ひたすら走る赤の女王

中2副担任 日浦 華子

【聖書】フィリピの信徒への手紙 3章13-14節

兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト·イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

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生物は細胞という小さな単位でできています。私たちヒトは約37兆個の細胞でできていると言われています。

今回私たちを苦しめているウィルスは細胞のようなものでできていますが、細胞ではありません。ですから生物の仲間か、というと微妙な位置にあるわけです。(現にコロナウィルスに関するニュースの中で、何人かの医療関係のコメンテーターたちが「ウィルスは生物では無い」と断言していました)

ウィルスは簡単な細胞のようなものでできていますが、私たち生物の細胞に比べると100~1000分の1と、とんでもなく小さい大きさです。ですからウィルスは、私たちの細胞に簡単に入りこんでくるのです。そして私たちの細胞を破壊してしまいます。

寄生される私たちは入ってくるウィルスに対して時間をかけて防衛能力を身に付けますが、ウィルスはすぐにタイプを変えてまた私たちに襲いかかってきます。インフルエンザウィルスにA型やB型など色々なタイプがあることでもわかりますよね。

私たち生物は、ウィルスとの戦いの歴史を繰り返してきたとも言えます。

生物と変化し続けるウィルスとの関係について出されている学説があって、「RED QUEEN説」(赤の女王説)と呼ばれています。赤の女王とは、不思議の国のアリスに出てくるトランプの女王のことです。

不思議の国のアリスの続編、鏡の国のアリスでは、チェスのゲームのやりとりで、話が進められていきます。アリスが性懲りもなくまた不思議の国に迷いこんだときに、チェス盤の上で赤の女王と走り始めるシーンがあります。ますますスピードを上げて走る女王に、アリスがなんでそんなに走り続けるのかと聞くと、女王は「この国では同じ場所にいるためには走り続けなくてはいけないんだよ」と答えます。現状を維持するためには走り続けなくてはいけないというこの赤の女王のセリフが生物とウィルスとのやりとりを表しているのです。

現状を維持するためには変化し続けなくてはいけない。すなわち、変化するウィルスに対抗して私たちも変化し続けなくてはいけない。この「私たちの変化」というのは、体の中の免疫力アップなどの物理的なものもありますが、臨機応変さや忍耐などが必要なのでしょう。

現状を維持するためには私たちも変わらなくてはいけない。

現在私たちは思いもよらない局面におかれています。変化に柔軟に対応するしなやかさが求められているのだと思います。皆さんの今の輝きを曇らさないように、そしてさらなる成長のために、前向きに出来ることを見つけて進めていきましょう。

図書館だより 号外 4月24日

『世界はデザインでできている』 秋山具義 ちくまプリマー新書

 

みなさんはデザインと聞いて真っ先に何を思い浮かべますか。洋服のデザインでしょうか、インテリアのデザインでしょうか。美術系に進路を考えている人にとっては、具体的に○○デザインと方向性が決まっているかもしれません。

高校生は先生方から薦められて手に取ったことがある人が多いと思いますが、「ちくまプリマー新書」の中から今回はデザインについて書かれたものを紹介します。(さくさく読めます!)

著者の秋山さんは、江戸や明治ではなく、令和の今、世の中から求められているデザインを生み出す仕事をされています。広告業界の特徴や仕組みももちろん、モチベーションの保ち方や仕事を進める時のコツなどを紹介しています。

「嫌なことがあった時こそ外へ出る」「十年後に何をやっていたいか」「それを毎年見直す」。

今進路を選ぼうとしている皆さんに届いてほしい言葉がたくさんみつかります。

 

 

 

4月24日(金)礼拝メッセージ

信じて歩みを起こす

中学部3年学年主任 三宅 義人

 

【聖書】マルコによる福音書5章25節~36節(新約聖書70㌻)

さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやして頂ける」と思ったからである。すると、出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で、振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのままに話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず。元気に暮らしなさい。」

イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。

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 私たちの学校では、毎年11月の感謝祭礼拝で日雇い労働者、ホームレスの町である寿地区で行われている炊き出しのために野菜やお米を持ち寄り、献品しています。「数は力なり」ではありませんが、一人ひとりが持ち寄る量は少しずつであっても、全校が集まれば、ワゴン車一杯の野菜やお米が集まります。

一人ひとりが出来ることには当然限りがあります。だから時として「自分一人の力では変わらない」と諦めたり、行動することをためらってしまうということがありうると思いますし、私自身を振り返った時も、そういう諦めモード、ためらいモード、嘆きモードに陥って行動に移そうとしないということがよくあります。

今日取り上げた聖書の話は、こんな話です。ヤイロという父親の幼い娘が危篤になっていて、父親がイエスに助けを求め、イエスは父親と共に娘の所へ向かいます。大勢の人々(見物人)もイエスに付いていき、混乱していたのだろうと推測されます。そこへ12年間も出血が止まらない病気に苦しめられていた女性がやって来て、イエスの服に触れます。理由をこう説明しています。「『この方(イエス)の服にでも触れればいやしていただける』と思ったからである(28節)」と。するとたちまち女性の出血は止まり、病気が治ったことを感じたのだそうです。イエスは自分の中から力が出ていったことを感じて、「わたしの服に触れたのはだれか」と問います。そばにいた弟子たちは、「この混乱の中でわかる訳ないじゃないですか」と言います。それでもイエスは、触れた者を探すことを止めません。すると女性が恐る恐る進み出て、すべてをありのままに話しました。するとイエスは「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。元気に暮らしなさい(34節)」と答えます。そういうやり取りの最中に、危篤の娘が死んだという知らせが届くのです。イエスは娘の父親に、「恐れることはない、ただ信じなさい(36節)」と言います。そして最終的には危篤の娘は助かったというのが話の内容です。

大阪に寿地区と同じような日雇い労働者、ホームレスの町である釜ヶ崎という町があります。この釜ヶ崎で活動していらっしゃる本田哲郎さんという神父さんがいらっしゃいます。本田さんが、そういう日雇い労働者やホームレスの方々との関わりの視点から独自に訳した聖書が『小さくされた人々のための福音』という題で出版されています。私は、この聖書を今通っている教会の牧師先生からいただきました。その聖書では、服に触れればを、「服につかまる、つかむ」,あなたの信仰があなたを救ったを、「信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」,恐れることはない、ただ信じなさいを、「おそれるな、ひたすら信頼してあたりなさい」と書かれています。

「信仰=信じてあゆみを起こすこと」、「信じる=信じてあたること」というのです。今年度は前例のない形で新年度を迎えました。この一年がどのような一年間になるか今の時点では見通しが立ちません。不安と混乱の中であっても、今自分にできるあゆみを起こしていくことが私たちに求められているのだということを思わされます。みんなで一緒にがんばって、この年も信じてあたっていきたいと思っています。

4月23日(木)礼拝メッセージ

樹を育て給うのは神のみである

高三担任  石黒 明子

【聖書】コリントの信徒への手紙 一 3章6節

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

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チャペルの西側の窓から見える木の姿がとても好きです。長年、何の木だろうと気になっていましたが、今回調べなおしました。植物にくわしい用務の方の話や植物事典、インターネットの検索などを総合して考えると、エノキであると分かりました。

木偏に夏と書いてエノキ。大樹となって夏の陽射しでも木陰を作ります。エノキは古来から街道の両脇に一里塚の目印として植えられました。なるほど、チャペルの脇のエノキを実際に見ると、根を張り巡らし、幹には苔が生えています。目には楽しい木ですが、春には大量の花がら、秋には実や葉を落とし、掃除をしてくださる用務さん泣かせの木でもあるようです。

A tree that may in summer wear

A nest of robins in her hair;

Upon whose bosom snow has lain;

Who intimately lives with rain.

Poems are made by fools like me,

But only God can make a tree.

(引用「豊かなる流れ」日野綾子、TREES by Joyce Kilmer)

これは第一次世界大戦の兵士の詩の一節ですが、戦地で見た木を詠んだ作品だそうです。お母さんの誕生日が近いので詩を贈ったのですが、手紙が届いた頃にはすでに戦死していました。この詩を、捜真の初代院長でいらっしゃった日野綾子先生は大好きで、暗誦なさっていました。

捜真のいたるところに木々が植えられ、四季折々に花が咲いています。草花に囲まれて学校生活を送る、これは創立当初からの捜真の理念の一つであり、そうした環境を整えることを日野先生は大事になさってきました。休校期間ですが、いつもの春と変わらず木々の芽は萌え出し、花々が咲いています。用務の方々も丁寧に手入れをしてくれています。学校が再開したら見られることを楽しみに、自宅でのときを大切に過ごしてください。

 

図書館だより 号外 4月22日

『NAKED FASHON ファッションで世界を変える』サフィア·ミニー 

サンクチュアリ出版

 

「ピープルツリー」を知っていますか?バレンタインデーに捜真のチョコプロジェクトで販売されているチョコレートのブランドです。みなさんは、フェアトレードの製品だということを知っていますね。「ピープルツリー」が扱っている製品は食品だけではありません。手仕事と自然素材を活かした衣料品も扱っています。

サフィア·ミニーはその創設者であり、彼女の歩んできた道のりと彼女に賛同して活動する人たちの証言が紹介されています。フェアトレードは多くの人の強い思いに支えられています。その根底には、生産者に公正で平等な対価を支払うことがあります。逆の言い方をすれば、世界には公正でなく不平等な扱いをされている生産者がたくさんいるということです


皆さんが普段買っている手ごろな値段の洋服は、アジアの国の貧困による児童労働によって作られています。何故安価な洋服を簡単に手に入れることができるのか、ぜひ知ってください。知らなかったことを知ることで、自分の行動を変えることができます。将来ファッションに関わる仕事をしたいと思っている人は手に取ってみて欲しいです。

『ザ·トゥルー·コスト ファストファッション 真の代償』 2015年アメリカ

「ピープルツリー」のHPに「4月24日は何の日?」という記事とともに、紹介されていたDVDです。興味のある人はご覧ください。衝撃的です。
(このDVDを観たい方は司書教諭に声をかけてください。図書館にあります。)

 

 

 

4月22日(水)礼拝メッセージ

「私たちに与えられた時」

中2副担任 醍醐温子

【聖書】コヘレトの言葉3章1節~8節

何事にも時があり   天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時  植える時、植えたものを抜く時

殺す時、癒す時    破壊する時、建てる時

泣く時、笑う時    嘆く時、踊る時

石を放つ時、石を集める時  抱擁の時、抱擁を遠ざける時

求める時、失う時   保つ時、放つ時

裂く時、縫う時    黙する時、語る時

愛する時、憎む時   戦いの時、平和の時。

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先週、学校と皆さんとをつなぐツールの一つとしてG Suiteに登録してもらいました。私の担当する学年では、Classroomを使ってテスト配信を兼ねたアンケートをしました。その質問の一つ「学校から送られた課題の他に何かしていることはありますか?」の回答を見ると、「中1の時にできなかった問題のやり直しをしている」「毎日3キロ走っている」「お母さんと一緒にチョコレートケーキを作った」など、突然与えられたこの時間を自分で考えて上手に過ごしているんだということが分かり、私は皆さんの立派な姿勢に、ホッとしたり、頼もしく思ったりしました。

今日の聖句で語られているのは、私たちが人生の中で味わう一つ一つの時についてです。私たちの人生は、笑う時だけでも踊る時だけでもありません。泣く時も嘆きの時もあります。そして、それらは偶然に起こる「時」ではなく、全てのことを見通しておられる神様が、私たちにとって最もふさわしい時に、ふさわしい仕方で、最もふさわしい事をしてくださっている、一人ひとりにとって意味のある「時」なのです。

私は、5月に行われる予定だった岩手県陸前高田市の海岸線の松林の植樹に参加するのを楽しみにしていました。その日程は、私にとって物理的には最高のタイミングでした。これを逃したら次のチャンスはないかもと思えるほどでした。5月の陸前高田は初めてなのでそれも楽しみでした。しかし、3月末に延期が決まりました。当然の決定ですが、とても残念でした。私にとってはまたとないチャンスでも、神様の計画では「時」ではないのだと思いました。

学校に行けない、友達と会えない、部活ができない···様々な思いがあるでしょう。そればかりでなく、友達と遊びに行くとか家族旅行をするとかいういつもの長期休みとは全く異なる、外出することすらままならない時です。「行けない、会えない、できない」ではなく、今だからこそできることが必ずあるはずです。神様から与えられたこの時を、今だけ特別に与えられた時として生きる意味を見出すことのできる人になりましょう。

ところで、知っている人もいるかもしれませんが、大型豪華客船ダイヤモンド·プリンセス号の乗船手記を読んだことがあるでしょうか。その中の「横浜市の皆様へ」をぜひ読んでみてください。どんな状況におかれてもこういう気持ちを持てる人でありたいと心を打たれました。

「横浜市の皆様へ」はこちらから