投稿者「soshin」のアーカイブ

7/18(土) 学校見学会のご案内

学校見学会を開催いたします。土曜日のため児童は登校しておりませんが、ごゆっくり校内施設をご覧いただけます。

2020年7月18日(土) 9:00〜12:00

こちらのフォームからお申込みください。

☆新型コロナウイルス感染予防への対策として、今年は満5歳〜6歳(年長クラス)のお子様をおもちのご家庭90組までとさせていただきます。                                     ☆ご予約いただいた順に、午前9時、10時、11時のいずれかの時刻を事前にお知らせいたします。
☆3家庭ほどのグループで、教員がご案内いたします。
☆20分ほどご一緒にご見学いただいた後は、自由見学となります。図書室やビオトープ、大型複合遊具などゆっくりとご覧いただけます。
☆お子様向けのプログラムもご用意しておりますので、どうぞご家族の皆様とお気軽にお越しください。
☆どうぞ涼しい服装でいらしてください。本校教員も上着を着用いたしませんことをどうぞご了承ください。

教室やグラウンドで、お子様がのびのびと過ごしながら、すくすくと成長される姿を思い浮かべながら、本校の様子や教職員の雰囲気をごらんください。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

 

 

 

 

 

 

学校が再開してもできるSDGs 捜真SDGs実行会第6弾アピール

こんにちは!捜真SDGs実行会です。
「自粛中でもできるSDGs」改め、「学校が再開してもできるSDGs」と名前を変え、皆さんがSDGsを気軽に実践していけるようなアイデアを発信していきたいと思います!

正面玄関にアピールペーパーを掲示していますのでご覧ください。今回のペーパー作成は内田日奈子、吉田琴美が行いました!

【第6弾】
①古着をアパレルに持って行こう!
もちろん、一つの物を長く使い続けることが一番環境には良いことです。
それでも処分したい服は、ゴミとして捨てるのではなく、アパレルショップへ持っ
て行くのも良い方法です。

H&M、GAP、ユニクロ、GU、無印良品など、あなたの家の近くにも回収しているシ
ョップはきっとあります。このほかにも回収しているブランドはたくさんあります
し、ブランドを問わず回収しているところもあります。

常時回収ではなく、期間限定で回収しているところもあるので、ぜひチェックしてみ
てくださいね!
最後まで、使う責任を全うしましょう!

②地産地消と旬産旬消をしよう!
地産地消をすることで、遠くから食材が輸送される時に排出される温室効果ガスの
削減につながります。地域の直売所などで野菜や果物を買ってみましょう!

また、旬の物を食べることで、旬ではない時期にずらして栽培をする時に使われ
エネルギーを削減することができます。
これからは夏野菜がたくさん出てきますね。旬を取り入れた料理は、より一層美味し
く感じると思います。

地域で栽培された物や旬の食材を食べて、元気いっぱい!コロナに負けない体をつく
りましょう!!

【第6弾の目標ゴール】

図書館オリエンテーション 中学部1年生 国語表現

学校での授業が再開されて3週目に入りました。新中1の生徒たちも少しずつ捜真生活に慣れてきているようです。

今週と来週にわたって国語表現の授業時間に図書館オリエンテーションを行っています。ようやく本を借りることができる!と待ちに待っていた生徒たちもたくさんいます。前半の説明が終わり、「貸し出しタイム」になると思い思いの書棚に行って借りる本を選んでいました。

捜真の図書館には44,000冊の本があります。ぜひ卒業までに幅広く、たくさんの本に出会ってください。

ネット時代の歩き方  中学部1年生 生活指導講演会

 

6月20日(土)中学部1年生の生徒と保護者の方を対象とした生活指導講演会を行いました。講師は、合同会社ロジカルキットの下田太一先生です。先生には毎年、中1を対象に5月にお話をお願いしてきましたが、今年は休校の影響で6月の実施となりました。

お話のテーマは「ネット時代の歩き方」。スマートフォンのリスクを怖がるだけでなく、「使い方」「向き合い方」を親子で考えようという内容でした。特に、スマホを使い続けてしまったり、強い言葉を発してしまったりしたときに、自分自身の心の状態と向き合うことが大切とのお話が印象的でした。コロナ禍におけるスマホの話など、新しい話題も多く、内容の濃い時間でした。

中1数学自由研究

中1の4月は「算数」から「数学」に移行する大切な時期です。
それなのに自宅学習となってしまいました。
そこで、チャンスと変えるべく、家でこそ可能なことを考えました。

1つはトランプのゲームを使った正負の数の足し算です。
ゲームを通して体が覚えた数感覚は、頭で理屈をこねるより確実だからです。

もう1つは立体感覚を養うことです。
ふくらみのある立体をペッタンコの教科書やノートで学ぶより、実際の立体を見た方がはるかにわかりますよね。ですから、中1の皆さんには実際の立体を作っていただきました。

さらに、有志の自由研究として、角錐·円錐の体積が底面と高さが同じ角柱·円柱の体積の3分の1
であることの実験に取り組んでくれた人たちもいました。
お米を使って実験終了したら料理をするようお勧めしたところ、すばらしい食卓を紹介してくれた人もいました!

休校中に培った数感覚や立体感覚を生かして、中1の皆さんが数学の世界を楽しく旅することができますように。

下のリンクで別のノートもご覧いただけます。

中1自由研究p. 1

中1自由研究p. 2

礼拝メッセージ 6月25日(木)

「田中先生のレッスン」

中2副担任  普川 桃花

こちらから讃美歌Ⅱ編157番「この世のなみかぜさわぎ」を聞くことができます

 

【聖書】 ルカによる福音書6章41節〜42節
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

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登校が再開されて3週間が経ちましたが、コロナ禍による世界の混乱は依然として続いています。社会が混乱する時、私たちはしばしば余裕を失い、他者への配慮、とくに弱い立場の人のことを忘れてしまいがちになります。私は、こういう時によく思い出す、ある英語の授業があります。捜真で高校一年生の時に受けた、田中先生の授業です(私はこの学校の教員でもあり、卒業生でもあります)。田中先生はたいへん厳しく、ちょっとコワイ先生でしたが、教え方が丁寧で分かりやすく、希望者には個別でも文法の練習を見てくださる熱心な先生だったので、私は大好きでした。

秋ごろの授業だったかと思いますが、ある英文が課題になりました。第二次世界大戦中のドイツで迫害を受けたユダヤ人の話だったと思います。「〜と思います」というのは、当時からかなり時間も経って、その文章の細かい内容自体はかなり忘れてしまっているからです。
さて、こんなにも記憶がおぼろげな話が、なぜ忘れられない授業なのかというと、授業の最後に先生から私たちに投げかけられた言葉が、とても印象的だったからです。

「さて、みんなはこのドイツ兵がユダヤ人に銃口を向けているシーンを見て、どう思いましたか?」

「ひどいと思いました」とか「戦争って残酷だと思います」とか声が上がります。

「そうですね、その通りです。その通りなんですが、もうちょっと立ち止まって考えてみて。ほとんどの人が被害者のユダヤ人の立場でこの写真を見ますよね。···でもね、私は、こう思うんです。自分は、この時代のドイツ人に生まれていたら、このドイツ兵と同じように加害者になっていたかもしれないなって。この時代のドイツは、これがある意味、正しいと信じられ、「正義」だったんです。皆さんは世界中を見渡してみれば、比較的恵まれた家庭で育つ、「良い子」です。当時のドイツにいたそういう人たちは、ほとんど皆、ユダヤ人を迫害したんです。そんななか、「これは残酷」とか「間違っている」なんて声を上げたら、自分の命が危なかったかもしれない。私たちは、正直なところ、自分が安全ならば良いという考えに簡単に陥ると思います。人間って、周りの意見に流されて、あるいは自分が傷つかないために、平気で弱い立場の人たちを傷つけることができてしまうと思いませんか?本当に、このドイツ兵のしたことを、あなたは非難できますか?自分は絶対にしないと本当に言えますか?もしかしたら、自分もこの時代、この環境に生まれていたら、人に銃口を向けていたかもしれない···、とは考えられませんか?本当に戦争を二度と起こさない、というのは「戦争ってひどい」と言うことだけでなく、自分も戦争に加担したり、加害者になる可能性があるってことを疑ってみることじゃないかな。」

ドキリとした瞬間でした。非行に走るわけでもなく、ひどいイジメの加害者になったこともない私でしたが、戦時下のドイツに生まれ、そういう風潮に触れて育ち、ユダヤ人を批判するようなニュースを毎日のように聞いたら、間違った正義を信じ、大勢のなかの1人としてナチス·ドイツに加担している自分が、簡単に想像できてしまったからです。

自分の弱さに気付かずに、過ちを犯す危険性は誰にでもあると痛感させられた授業でした。そして、その危険性は社会の混乱や大きな変化の時には、とくに高まるのかもしれないな、と考えさせられました。だから、こういう世の中が混乱するような時期には、この授業でドキリとしたことを、今でも鮮明に思い出すのかもしれません。

お祈り
御在天の父なる神様、コロナ禍で、働き方や学校教育まで、いろいろなことが混乱しながら変化しています。世の中の価値観もガラリと変わるような気がします。
その一方で、混乱のなか人々から余裕がなくなると「命の選別」や「自己責任」という言葉の下で、自分たちの命は見捨てられてしまうのではないか、と大きな不安にかられる社会的弱者の方たちがいる状況です。
神様、もし私たちが安全で恵まれたところにいるときには、自分よりも困っている人を想像し、振り返り、助け合うことができますように。知恵と勇気をお与えください。もし私たちが困難に直面し、孤立し弱っているときには、そばにいて慰めてください。あなたが与えてくださった周りの人たちと協力しながら、困難を切り抜ける道を見つけることができますように。そして、どんなときもあなたが共にいてくださることに気付くことができますように。イエス·キリストの御名によって、御前にお捧げいたします。アーメン

礼拝メッセージ 6月24日(水)

「目覚めの時」

中3副担任  大場 正太

こちらから讃美歌174番「起きよ、夜は明けぬ」を聞くことができます

【聖書】マタイによる福音書 7章7節~8節
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

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一昨日,6月22日(月)の「日々の聖句」は私が選んだ「怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ しばらく手をこまねいて、また横になる」(箴言6章9節~10節)でした。
言うまでもなく,この数か月間私たちは,というより世界中の人々が,強制的に「怠け者」にさせられる状況となりました。外出を自粛され,行動を制限されるというのは初めての経験で,元気で健康な人にとってはエネルギーのやり場に困ってしまうという経験したことのない辛さを感じる日々だったと思います。

我が家の2人の息子たち(6歳と4歳)も体を動かしたいストレスを日々抱えていました。
皆さんの中にも,「身体は元気だけど外にも出ちゃいけないし,ゴロゴロするか」となってしまった人は多いのではないでしょうか。

かく言う私も,これまでの「夜は9時台に寝て,朝は5時に起きる」という生活リズムはだいぶ緩やかなものとなり,そういう意味ではずいぶん怠け者になってしまいました。

今日選んだ聖句は,有名な「求めなさい。そうすれば、与えられる」です。私はほぼ毎年,新年度に行う最初の礼拝ではこの箇所を選びます。それは「行動する」ということをシンプルに教えてくれる聖句だからです。クラスで礼拝をする時には「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」の例として,「いま閉まっている教室の扉の向こう,廊下に誰かいるかわかる? もし遅刻したクラスメイトが扉の前にいて、でも礼拝中だから入りにくいなーなんて思っていたとしても,もじもじしているだけでノックでもしてくれなければ,中から開けてあげることもできないよね? 大切なのは『開けてほしい』という意志表示であり、その意志を『ノックする』という行動に移すことだよね」という調子で話しています。

中1であれば,まだクラスに緊張感が漂う時期ですから,「『友達が欲しいなー,隣の人に話しかけようかなー,でも恥ずかしいなー』と全員がもじもじしているのではなく,全員が近くの人に話しかけるという行動をとってみよう」となったりするわけです。

私たちは自分の意志や健康状態とは無関係に,強制的に怠け者にされ,潜在的な病人として扱われました。そのこと自体は仕方がないことでしたし,それまでの慌ただしい生活では気づけなかった何かを気づかせてくれた貴重な時間だったというポジティブな側面はあるでしょう。

しかし,そろそろ行動する時です。もう眠りから起き上がって,新しい自分の人生を切り拓く時です。なかなか気持ちはすぐには切り替えられないかもしれませんが,神様は私たちに門をたたくことを求め,眠りから起き上がることを求めています。眠い目をこすって歩き出す一歩をともに踏み出しましょう。その勇気を神様からもらえるようにともに祈りましょう。

4歳の息子による父の顔

 

礼拝メッセージ 6月23日(火)

「自然と共に生きる」

社会科  清水 美紀

こちらから讃美歌Ⅱ編26番「小さなかごに」を聞くことができます

 

【聖書】創世記 1章29節
神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物になる。」

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新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除され、6月から再び学校生活が始まりました。3か月の休校期間中、皆さんはどう過ごしましたか。度々スケジュールが変わって、生活や学習を調整するのが大変だったと思います。

休校中、私は自宅の庭で過ごす時間が増えました。休校が決まった2月末、季節は冬から春へ移ろうとしていました。そして、春、初夏、梅雨と季節は変わりました。私の庭では2月末に梅や水仙が咲きました。3月には小松菜、山桜、4月にはコデマリ、スズラン、5月にはカラー、アイリス、バラ、6月にはアジサイが咲き誇りました。これからユリのシーズンです。まるで、バレエのプリンシパルダンサーが次々に登場して優雅に舞っているようです。春先に蒔いた種は新芽を伸ばし、木々の若葉は夏の日差しで日に日に緑が濃くなっています。

こうして毎日、庭を観察していると、もうすぐどの花が開花するのか分かるようになります。これまでは、いつの間にか咲いているのを見て、季節を思うという順番でした。そして、自然と共に生きるという、よく使われている言葉を実感した日々を送りました。

私たちはいつも神様の造られた自然に守られて生きています。捜真の美しい環境も、神様によって与えられ、神様と捜真の多くの人々によって守られてきました。自然は時に厳しく、台風や地震などがあると、私たちは神様からの試練だと受けとめます。しかし、忙しい毎日を送っていると、草木や自然が神様から与えられたものだということに意識がいかなくなります。

これまでの学校生活とはあまりにも異なる生活を送っていると、何が本来の生活だったかと、考えることがしばしばあります。世界全体が混乱し、状況が刻々と変わる中でも、草花は今年も同じ季節に咲き、果実も同じ季節に実ります。いろんな状態に適応しきれないこともあるかもしれません。そういう時は、草花や木々に合わせていけば良いのだと思いました。きれいな空間にいると、頭もすっきりします。新しい喜びや楽しみの発見もあります。捜真という自然の中で、皆さんと共に学び、祈り、歩んでいけば大丈夫という安心感も思い出します。こうして共に健康で有意義な時を過ごすことが出来るよう、お祈り致します。

 

 

 

第1回エーカック記念 作文コンクール2019 入賞者決まる

「第1回 エーカック記念 捜真女学校作文コンクール2019」には、「ひろう」をテーマに、作文、エッセイ、創作作品、あわせて68品の応募がありました。国語科、中山校長の選考により以下の高等学部一年生2名の作品が栄えある第1回の受賞作品と決まりました。

予定では3月の終業式に全校生徒の前で表彰することになっていたのですが、休校期間中であったため、先日、それぞれの教室で表彰式が行われました。

優秀賞: 〈作文·エッセイ部門〉「数学的ビー玉論」 

佳作:  〈創作部門〉「百億円」

賞状のほかに副賞として、優秀賞には3000円分、佳作には1000円分の図書カードが贈呈されました。また、受賞作品は「文集」に掲載されていますので、生徒のみなさんはぜひお読みください。

 

今年度も第2回コンクールを行う予定です。決まりましたらテーマをお知らせしますので、ぜひ応募してください。

コンクールにお名前をいただいている「エーカック先生」は1946年(昭和21年)から捜真で英会話の授業や宗教教育を担当してくださった先生で、1948年(昭和23年)にはエーカック先生がアメリカの教会に働きかけてくださり、大きな箱4箱の図書と90冊の聖書が届けられました。当時の校長、千葉勇先生はエーカック先生の功労を末永く記念するために「エーカク記念図書館」を開館することにしたのです。

現在も捜真の図書館入り口にはエーカック先生のお写真と共に、当時、掲げられていた看板がかかっています。

 

 

 

高三選択科目「美術Ⅱ」作品 木箱

高三「美術Ⅱ」の作品が教員室前に展示されています。課題は「木箱」。本来は昨年度の3学期末までの課題として取り組んでいたのですが、休校になってしまったため、今週ようやく完成と提出にこぎつけました。

同じ大きさ、同じ形だった箱がそれぞれのイメージに合わせて変身しています。

 

礼拝メッセージ 6月19日(金)

「怒られる『時』」

事務職員  野見山紗弥

こちらから讃美歌536番「報いをのぞまで」を聞くことができます

 

【聖書】コヘレトの言葉3章1節~13節

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
わたしは知った
人間にとって最も幸福なのは
喜び楽しんで一生を送ることだ、と
人だれもが飲み食いし
その労苦によって満足するのは神の賜物だ、と。

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突然ですが、皆さんの一番好きなジブリ映画は何ですか。
私は真っ先に『魔女の宅急便』と答えます。魔女の血を受け継ぐ13歳の少女がしきたりに従ってのどかな田舎町を旅立ち、魔女のいない大都会で一人挫折を味わいながらも自分ができることを探しながら修行をし、様々な人に出会いながら成長していく姿を描いたお話です。(原作の角野栄子『魔女の宅急便』もおすすめです。)

エンディングで松任谷由実さん作詞作曲の『やさしさに包まれたなら』の歌詞、「全てのこと~は~、メ~セェ~ジ~♪」というところでじんわり泣きそうになります。頑張る女子の応援映画ナンバーワンの太鼓判を押したいです。

話は変わりますが、私自身の「旅立ち」はいつだったかなと思い返すと、捜真を卒業した時だったのではないかと思います。

私は中高生のころ、実はほとんど怒られた記憶がありません。逆に、一度だけ怒られたことを鮮明に覚えているくらい、私はいわゆる「優等生」でした。反抗期と呼べる反抗期がなかった私は、幼いころは両親に怒られることもありましたが、中高生くらいになると両親の期待にも応えつつ、その見返りに自分のやりたいことを自由にやらせてもらっていたように思います。

今思うと、私は両親や先生から喜んでもらえることをするのが「正しい行動」だと認識してきたのだと思います。家や学校で認められることが私の喜びだったし、幸いそれは私のやりたいことと大きく違わなかったので、思春期にありがちな衝突をあまりすることなく、両親や先生のサポートを受けながら、守られながら学校生活を100%満喫することができました。

ところが、高校を卒業した途端、私は今までとは全く違う世界に足を踏み入れることとなります。私がこれまで培ってきた経験や価値観が通用しない世界があることを知ります。井の中の蛙とは正にこのこと。失敗をしてたくさん怒られました。また、時には理不尽だと感じることで怒られる経験もしました。人や場所によって「正解」は異なり、一つではなかったのです。

怒られ慣れていない私は、恥ずかしながら「怒られた=ダメな人間だ」という負のスパイラル思考に陥りました。

そんな時に私を支えてくれたの言葉が捜真に在学中に礼拝で聞いたこの聖句でした。そうか、今は「怒られる時」なんだ、と。何事にも定められた時(意味)があって、困難にあってもそれが私にとって意味のある時間なんだと思えた瞬間、私は前を向くエネルギーを与えられました。怒ってもらうことでしか得られないものがあったのです。今振り返ってみれば怒ってもらえたことのありがたさが分かります。理不尽なことでさえも、それをやりすごす心の訓練だったように思えるのです。

最後にもう一つ私の好きな聖句をご紹介したいと思います。

テサロニケの信徒へ手紙一 5章16節~18節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト·イエスにおいて、神があなたがたに望んでられることです。

自分が今いる場所が、苦しい、生きづらいと感じている人もいるかもしれません。自分と周りとの衝突に疲れることもあるでしょう。さらに、変化を強いられる時代、正解のない問いと向き合い続けなければいけない時代。私たちが与えられた「時」に感謝しながら、「全てのことはメッセージ」と受け取れる心の強さを持てますように、困難を乗り越えることができるように、お祈りして礼拝の言葉とさていただきます。

 

 

 

 

 

礼拝メッセージ 6月18日(木)

「今、私たちにできること」

養護教諭  川崎 彩水

こちらから讃美歌265番「世びとの友となりて」を聞くことができます

 

【聖書】ペトロの手紙 一 3章10節~11節

命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。

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久しぶりに学校が始まりました。長い自粛期間を経て、徐々に日常生活が戻ってきましたね。 3か月ぶりに聞く皆さんの明るい笑い声は、保健室にもよく届いています。

さて、学校が再開するまでの期間を、皆さんはどんなふうに振り返っていますか?「コロナの前と後」という言葉をよく耳にしますが、今回の出来事は皆さんの人生にどのような変化をもたらしたでしょうか。外に出て人に会えない分、メディアを通して知る日本中の動き、人々の思い、遠く離れた国や政治の様子などが、いつも以上に身近に感じたのではないでしょうか。逆に、今まで毎日一緒にいた友達が、会えない分とても遠くに感じられた人もいるのではないでしょうか。

私もそのひとりです。外出をして自分の目で確かめられない分、家族や友達のこと、特に私の前の職場の同僚で、今も看護師として働いている友人のことを思うと、居てもたってもいられない日々が続きました。そして、あちらこちらで広がる不満の声を耳にするたびに、なんだか気持ちが落ち込んで、ニュースに耳を傾けることも嫌になってしまった時期がありました。大切な人を自分の手で支えられないことが本当にもどかしく、「何もできない自分」に落胆してしまった時期もありました。

そんな憂鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれたのは、自粛期間中、以前の同僚と久しぶりに電話をした時のことでした。

彼女は私の大学生の時からの友人で、今も看護師として大学病院で働いています。ニュースでは、医療従事者の過酷な勤務状況が取りあげられていた最中だったので、彼女が心身ともに疲弊し、緊迫した様子だったらどう励まそうと、少し不安に思いながらも電話をつなぎました。

ところが、拍子抜けするほど、彼女は変わらず元気で明るく、忙しい中でも落ち着いていました。私が、思わず、「コロナの事、大変でしょ?」と尋ねると、「まあね。でも、コロナの患者さんであっても、そうでなくても、私が今できることは一緒だからね。目の前の患者さんの命は、全員同じだから。」と返答がありました。

きっと、少ないスタッフで業務を回し、見通しが立たない忙しい日々を送っていたはずです。それでも不満を口に出さず、今自分にできることにまっすぐ向き合う彼女はとても素敵で、私もこうなりたいと思ったと同時に、ここ最近の私は、「自分ができないこと」ばかりにとらわれて、「今私にできること」を見失っていたのだなと気づかされました。まずは私にもできることを捜してみよう、そう思い直すことができたことは、私が大切な友達を通してコロナから得たものだと思います。

今日の聖句は、最近私がよく思い出す箇所です。捜真生である皆さんは、隣にいる誰かをホッとさせてあげられる優しい言葉や笑顔を沢山知っていると思うので、こんな時だからこそ、誰かのためにその力を使ってほしいなあと願っています。

 

 

 

礼拝メッセージ 6月22日(月)

「最善の自己」

中1担任  稲野 祥子

こちらから讃美歌494番「我が行く道いついかに」を聞くことができます

 

【聖書】ローマの信徒への手紙8章28節

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることをわたしたちは知っています。

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“Trust in God. Be true to your best self.”

「神を信頼せよ。最善の自己に忠実であれ」

この言葉は捜真女学校の建学の精神です。シンプルだけど、奥が深い。「最善の自己」って何だろう。順風満帆で何もかもがうまくいっている、絶好調の自分のことだろうか。私がこの学校に勤め始めてから3年が経ちますが、時々この言葉を思い出しては、「最善の自己」について考えることがあります。

みなさんには、自分の選択を後悔したことがありますか?些細なことでも、大きなことでも、何かしら心当たりはあるのではないでしょうか。私はかなり慎重な人間で、まさに「石橋を叩いて渡る」タイプです。たとえば、私は敏感肌で自分の肌に合う化粧品を見つけるのに苦労するのですが、いいなと思うものがあると、インターネットの複数のサイトで片っ端からレビューを見て、成分表を調べ、販売員さんに話を聞いて、とにかく綿密にリサーチをします。大丈夫だと思えたら、ようやく購入します。しかし、膨大な時間をかけて選んだものでも、実際に使い始めてみると肌に合わなくて、「失敗したなあ」と思うことが多々あります。

最善の手を尽くして物ごとを決めたのに、それが思うようにいかなくて、残念に思ったり後悔したりしたことがあるという人は少なくないと思います。

そんな時、私には思い出す言葉があります。それは、「指した手が最善手」という言葉です。これは将棋の世界でよく使われる言葉です。将棋を指したことがある人はわかると思いますが、将棋では次の一手を何千、何万通りのうちからひとつ、選ばなければいけません。その一手が勝ちにつながることもあれば、負けにつながることもある。「指した手が最善手」という言葉には二通りの捉え方があると思います。ひとつは「自分が指した手、選んだ道筋を最善のものにしなさい」です。その時、自分が選んだ道を最善だと信じ、たとえ期待外れな展開になってしまっても、後悔するのではなく、それを「最善のもの」にしていこうよ、という考え方です。どんな局面に置かれても、その都度、自分が信じる最善の選択をしていけば、いずれは明るい場所に出ることができるのだと勇気づけられます。二つめの捉え方は、「熟考して最善の一手を指しなさい、最善の選択をしなさい」です。将来の自分が、過去の自分を信頼できるように、過去の自分の選択を責めないように、よく考えなさい、と捉えられます。

さて、最善の一手を考えるとき、あなたはどうしますか。私の場合、考え抜いて答えを出したあとは、全てを神さまにお委ねすることにしています。今日の聖書の箇所に書かれているように、神さまはあらゆることを働かせて「益」としてくださります。私たちひとりひとりに最善の道を備えてくださります。たとえ、思うようにいかなかったとしても、そこに試練が待っていたとしても、その都度神さまに「どうすればいいですか」と問いかけ、聖書に書かれていることを頼りに前に進めば、きっと道は開かれるのだと信じています。

「最善の自己」とは、絶好調の自分、ではなく、どんな状況にあっても神さまの声に耳を傾け、最善を追い求める自己のことだと私は思います。この混乱する世の中における「最善」とは何なのか、神さまに問い、考え続けたいと思います。

礼拝メッセージ 6月15日(月)

「Small Gift Big Smile」

高一副担任  斎藤辰太郎

こちらから讃美歌321番「我が主イエスよひたすら」を聞くことができます

 

【聖書】マタイによる福音書 7章12節

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。

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先日、サンリオキャラクター大賞の結果が発表され、捜真の職員室も一部この話題で賑わっていました。その投票総数はなんと14,556,939票にも上るそうです。一位は納得のあのキャラクターでした。ぜひ、検索して結果を確かめてみてください。

ところでみなさんはサンリオの企業理念をご存知でしょうか。創業者の辻信太郎さんが掲げた企業理念は次の一文です。

Small Gift Big Smile

サンリオは小さな贈り物で、笑顔あふれる平和な社会の実現を目指しています。プレゼントは贈るのも楽しいですし、貰ったらプレゼント以上に贈ってくださった方からの心遣いが嬉しいですよね。

実は、平和にかけるサンリオの思いは1975年から発刊している「いちご新聞」の創刊号で詳しく読むことができます。そこでは辻信太郎さんはいちごの王さまというペンネームで次のように書いています。

人間の顔は、みんなそれぞれ違うように考え方だってみんな違うんです。

でも…そんな中で みんな仲良く生きていきたい…
やさしい思いやりをいつまでも持ち続けたい…そう思うのです。
それができれば、こんな悲しいことは起こらないと思います。
みんながしあわせな世界
そんな世界をつくりたい…

※サンリオホームページより一部抜粋,https://www.sanrio.co.jp/strawberrymsg/message201608/

  分散登校という形で学校が再開してから今日で2週間が経ちました。新任の私にとって、初めて会う生徒たち、新しい場所で行う授業は、とても新鮮でやや緊張感のある時間でした。そんな中ときどき、放課後の職員室の机の上にお菓子を置いて頂いていることがあります。甘いお菓子は食べるとホッと一息つくことができますし、置いてくださった先生の心遣いに優しい気持ちになり、もう一息頑張ろうと気合が入ります。

今回選んだ聖句を見つけたとき、何か贈り物をしようと思い立ちサンリオのお話と、このお菓子のお話を紹介しました。そういえばもうすぐ父の日ですし、これをきっかけにしばらく会っていない恩師に手紙を書きたいと思います。

 

 

礼拝メッセージ 6月16日(火)

「今日を大切にする」

事務職員  阿部美和子

こちらから讃美歌494番「我が行く道いついかに」を聞くことができます

 

【聖書】フィリピの信徒への手紙4章6節
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
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2月26日から休校となり、最初はお休みを喜んだ人もいたでしょう。そして、休校の延長によりだんだんと不安になってきたと思います。

突然、「日常」が奪われた経験は、約10年前にも規模は違いますがありました。私の娘が捜真生だった頃です。運動部に所属していた娘は、高校1年生の夏に新型インフルエンザが流行、高校2年生の3月に東日本大震災を経験しています。新型インフルエンザが流行したのは夏休みの頃でしたから、その夏の合宿は中止、夏休み期間中もクラブ活動禁止の為、練習できない日々が続きました。高校2年生の3月11日、この日は期末テストの答案返却日で、その午後のクラブ活動中に地震が発生し、そのまま学校は休校。お世話になった高校3年生の卒業式には参加できず、挨拶もできないまま先輩たちは卒業してしまいました。皆さんのように3ヶ月も休校が続くということはありませんでしたが、当たり前にあると思っていたことがなくなってしまうという経験をしました。
誰が悪いわけでもないから、怒りや悔しさをどこかにぶつけることもできず、それぞれやり切れない思いを抱えながらの生活の中で、最初は不平不満を言ってふてくされて、「やる気無くした。」と言って何もせずにいましたが、クラブの仲間と連絡を取り合ううちに、だんだんと各自が今出来る事を見つけて動き出しました。(家の近くをランニンングしたり、家の中でできるストレッチをしたり、それをまた情報交換したり、競争したり。)

学校が再開され、「久しぶりに制服着たよー」と友達と会話している在校生の姿を見て、この前の卒業式を思い出しました。
2月26日から休校となり、卒業式も短時間で実施という状況でしたから、進学先に提出する卒業証明書を受け取りに来た際、「もっと制服着たかった〜。」「卒業式まで登校できないなんて思ってもみなかった。」と、例年とは少し違った会話となりました。その中でも、「受験が終わったら、3月になったら、制服をきちんと着まーす」と言っていた一人は、
「今日はスカートのウエストまくっていないです。」と笑顔でやって来て
「こんなことならもっと早くからきちんと着ればよかったー。制服を着られることが嬉しい事だって、卒業式に知りました。」と言って帰って行きました。
「学生生活が短く、あっという間に高校3年生になって、それぞれの道に進む日が来ます。学生時代は今しかありません。熱中できること、大切な仲間·友達、やってみたいこと、今できることを大切に、今を大切に過ごしてほしい。そうしないと絶対に後悔する。」と「日常」を奪われた経験をした卒業生たちが口を揃えて言っていました。

このステイホームの期間、いろいろな経験をされ、当たり前が当たり前ではない事、何気ない日常は、実は毎日特別な1日を与えられているということに気付かされた方も多いと思います。
皆さんは「日常」を急に奪われた経験があるからこそ、今日を大切にする生き方ができると思います。不安や悲しみもあると思いますが、今与えられている時を、大事にしていきましょう。そして、感謝をすることも出来るようにしたいですね。

礼拝メッセージ 6月17日(水)

「6月のワンピース」

高三副担任·進路指導委員長  稲川さつき

 

こちらから讃美歌243番「ああ主のひとみ まなざしよ」を聞くことができます

 

【聖書】ヨハネの手紙一 2章7節~8節
愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟なのです。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。

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「ステイホームの今だからこそ日頃後回しにしがちな『片付けをしよう!』」と考える日本人は随分と多かったようです。(コロナによってステイホームをしたのは日本だけではないのに、これだけ片付けに勤しむ国民は日本人以外にあるのだろうか……。)と、溢れ返る古着でパンパンの倉庫を前に語る古着回収業者の苦悩を報じるニュースを見て、ぼんやりそんなことを思った時がありました。

「断捨離」とか「ときめき」とか、とにかく日本人は「片付け」が大好きなようです。今やちょっとした書店には「片付け」というコーナーさえ見かけます。そして「片付け」に付随して「ミニマリスト」という単語も最近よく耳にするようになりました。

以前、たった一度だけでしたが、YouTubeで片付けに関する動画を視聴したためでしょうか、ミニマリスト関連の動画がいまだに配信されてきます。ついつい視聴してしまうこともあり、その度ごとにミニマリストの方々、実に思い切りがよく、モノにおさらばしていて、世の中にはこんなにも潔い人達がいるんだなぁとつくづく感心してしまいます。

「一年以上着なかった服は手放すタイミング!」
よく聞くフレーズです。私も半世紀以上の齢を重ねてきましたから、それなりに若い時に着ていた服を処分してきたつもりなのですが、それでも実は手放せない服がいまだに数点手元にあります。
その中の1着があるブランドのアジサイを思わせる花柄のパフスリーブのワンピース。ムシムシし始める今頃は通気性の良さからつい手が伸びてしまうのがワンピース。このワンピースは涼しげな柄とよく人から「似会っている」と褒められることもあって、6月の今頃は本当によく着ていました。ただ単純に好きな服だっただけではなく、このワンピースは私にとって若かりし頃の思い出がたっぷり詰まった、いわば「勝負服」でもありました。

捜真の暦で6月と言えば「合唱コンクール」チャペルに冷房のなかった時代、初めて担任を持ったクラス中3D。「親知らず子知らず」で優勝時に着ていたのがこのワンピース。それ以来、中3「月のうさぎ」、高三(高62)「なぎさの地球」、高三(高65)「いのち」と4回の優勝。中3、高三学年では優勝もしくは入賞という実績でした。

国語科の先輩の先生から「審査を待つ時間の間、トイレで祈るといいわよ。」と言われ、必死で祈った当時の私。祈りすぎて肝心の審査発表の時に遅れてしまったことさえありました。傍から見れば「バカみたい」と一笑に付されてしまいそうなエビソードですが、ワンピースを見るたびにこみあげてくる私の思い出です。

コロナをきっかけにものすごい勢いで、江戸から明治の変化以上の波に今、まさに遭遇しているんだろうなぁという感覚はあるものの、つい「昔を今になすよしもがな」と思ってしまう私。
以前、別の国語科の先輩の先生から頂いた年賀状に「思い出を宝物のように抱きしめております」という言葉がありました。休校期間中、思いがけなくも卒業生から手紙やメールをもらいました。その時、思ったのです。「思い出は過去だけではなく現在も創り続けられている」と。

変化の中にあっても「人が人を思いやる心」だけはいつまでも、いつまでも失わないでいていって欲しい――と、クローゼットの奥深く再びワンピースをしまい込んでしまいました。

 

 

 

自粛中でも取り組めるSDGs第5弾

こんにちは、捜真SDGs実行会です。
本日は、「自粛中に取り組めるSDGs」の第5弾の配信です!
先週から学校が始まり、笑顔の溢れる日常が少しずつ戻ってきているのではないでしょうか
学校が再開されたので、この活動は次回から、昇降口や正面玄関に掲示していく形に変更したいと思います。今後もぜひチェックして下さいね!
報告を送って下さったみなさん、ありがとうございました。
みなさんが取り組みを報告して下さって、とても嬉しいです!
今週もたくさんの報告をお待ちしています。こちらのメールアドレスにお送り下さい。
【第5弾】
①「Ecosia」を使ってみよう!
パソコンやスマートフォンから検索する時、GoogleやSafariを使っている人が多いのではないでしょうか。「Ecosia」という検索エンジンを使って検索すると、なんと木が植えられる仕組みになっています。こちらをクリックすると開けるので、ぜひ使ってみて下さい!
②挨拶をしよう!
学校へ行けるようになって、学校の先生や近所の方など、人に会う機会が増えたと思います。ソーシャルディスタンスは保ちながらでも挨拶はできます。体の距離は離れていても、心の距離を縮めてお互い気持ちよく過ごしましょう!
【第5弾の目標ゴール】
【目標ゴールに関する豆知識】
「15 陸の豊かさも守ろう」
·毎年1,300万ヘクタール、なんと東京都約60個分の森林が世界で失われています。
·森林破壊は生物多様性の崩壊の原因で、年間4万種もの生物が絶滅しています。これは13分に1種の生物が絶滅していることになります。
「11 住み続けられるまちづくりを」
·安全なまちをつくるためには、まず近所の方との連携が必要です。日頃から挨拶をして関係を築いておくことで、非常時には助け合うことができます。

 

 

 

 

礼拝メッセージ 6月12日(金)

「しなやかな強さ」

事務職員  山田 園子

こちらから讃美歌536番「むくいをのぞまで」を聞くことができます

 

【聖書】ローマの信徒への手紙 5章 3-4節
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

コリントの信徒への手紙二 4章 16節
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

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最近のひそかな楽しみ、それは毎週日曜日の新聞の「短歌」「俳句」欄を眺めることです。
読者から寄せられた中から、歌人·俳人である選者が、よりすぐりの十首を取り上げ、一面には60~70ほどの句や歌が載っています。わずか17文字ないし31文字の中から読み上げられる世界は端的に仕上げられとても魅了されます。
日常の発見を詠う人、世情を問うような歌など、読み上げる目線の先を思い返したり、くっきり彩られたものを、顔も知らぬ紙面の向こうにいる読み手から教えていただく。
先日、“戦争もしらないわたしは、きっとこのコロナ禍のできごとを語ってゆくのだろう、(かつて祖父母らが戦争を語ったように)大事な局面で、これからも”との思いを綴った歌が詠まれていました。世界が一変したことを、心に刻み忘れてはいけないのだ、そんな決意を感じました。

ふっと十数年前の記憶が呼び覚まされました。大学の授業の一環、家の建築活動ボランティアとして訪れたフィリピン。初めての海外旅行、20数名の仲間との共同生活、慣れない暑さ、突然襲ってきて作業を中断させるスコール、煙と匂いがたちこめるごみや瓦礫の山であるスモーキーマウンテンの有り様と、対照的な首都マニラの喧騒。2週間の旅程中、大きなショッピングモールで買い物を楽しむ時間がありました。
午後、鐘の音がモール全体に鳴り響き、タガログ語の放送が入りました。人々は足を止め、少し頭を傾け手を組み、祈りを捧げる姿勢へと変わっていきました。「アメリカ合衆国で起きた同時多発テロ事件の犠牲者を追悼するためよ」と、NGOスタッフの方が後から教えてくれました。事件から3年目を迎えた2004年9月11日の出来事です。

8月6日、9日以外で大勢の人が黙祷を捧げるのを見た瞬間でした。日常が、変わった日。

事件当時、私は高校生で、夜ニュース番組を見ていると画面が切り替わり、世界貿易センタービルに飛行機が衝突していく様が流れ込んできたのをよく覚えています。映像の衝撃はとても大きくその夜は中々寝付けず、この先どうなってしまうのだろうと不安な気持ちが芽生えました。

世界情勢は大きく変わりましたが、寝付けなかった夜から日々が過ぎてゆくにつれ、私の生活は、目の前のことに取り組むことで精いっぱいでした。

フィリピンで見た光景が強く心に残ったのは、当時の混乱した状態、わからなさを埋めていく作業や大きくうねる世界情勢とそれらの報道の先に、振り返る時間をひとりひとりがもつことの大切さを祈る姿から教えてもらったからです。

本日の聖書箇所は私のすきな御言葉の一部です。
年を重ねるごとに、困難さ·複雑さが増すような出来事が起きるたび、この二つの御言葉がもつしなやかな強さを思い、立ち返り、少し冷静になることができます。
困難な状況にあっても、また少し先の未来から今を振り返った時、実るものがあるように働きたい、そのように思います。

 

 

 

 

礼拝メッセージ 6月11日(木)

「他の誰かのために」

社会科  上野麻彩子

こちらから讃美歌Ⅱ編1番「心を高くあげよ」を聞くことができます

【聖書】ヨハネによる福音書3章16節17節

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

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4月の半ば、新聞でこんな記事を読みました。
「1665年、イギリス中部のイーム(Eyam)という村の洋服店に、ペスト菌を持ったノミまみれの布地が持ち込まれた。すぐに、ノミを介してイーム村でペストが広がった。ペストは高熱で苦しみ、最後は全身が黒くなって死ぬため黒死病と呼ばれ、世界中で恐れられた病気である。しかし、このイーム村の牧師はこう決断し、村人を説得した。『ペストをこの村で食い止めなければいけない。村から出てはいけない。他の村にうつしてはならない。』イーム村の人びとは牧師の決断に従い、村をロックダウンした。最終的に700人いた村人のうち260人が死亡したが、まわりの村や大都市へのペストの拡大を食い止められたのである。」

こんにちは、社会科の上野麻彩子です。主に日本史の授業を担当しています。なぜ歴史が好きになったのかというと、最初は、算数の計算とちがって覚えたものを正しく書くだけで点数がとれて、嬉しかったから。もう少し成長すると、自分とは何か、人とは何かを歴史という事実の積み重ねを通して知ることができると思ったからです。

私は大学でも歴史を学ぼうと思い、文学部の史学科に自ら望んで所属しました。しかし、その頃からすでに文学部で学んだことはお金にならないと言われ、他の法·政経·商·理工·教育などの私の在籍した大学にある他の学部より価値がないように扱われることが多くありました。お金にならない文学部の、趣味の学問といわれるような歴史学の存在意義などなおさらない、という感じでした。

そんな私が大学二年生の時にとった授業で、西洋史の教授がこう言いました。「歴史というのは、過去に学び、過去をせおって未来を見通すことができる学問なのだ」と。その時は、教授かっこいい!と思い、これを心にとめておこうと思いましたが、なかなかこれを他の分野の人にわかってもらうことはできませんでした。

さて、歴史を勉強していると、かならずどこかで同じようなことが何度も起きることに気がつきます。「歴史はくりかえす」というものです。たとえば、戦争。今でも戦争はなくなりません。なぜか。それは、人間というのは自分だけが豊かになりたい、そのためには相手を出しぬいて支配して言うことをきかせたい、そういう本能に近いものを持っているのだと私は思っています。しかしその一方で人間は捨てたものではない、と思わせるような場面に出会うこともあります。それは、人間でも「他の誰かのために動けるのだ」と感じたときです。

この2020年のはじまりから、新型コロナウィルスの危機に直面した私たちは、極限状態の時にどうあるべきか、多くのことを試されました。この21世紀に生きる私たちが、350年前のペストの恐怖にさらされたイギリスのイーム村と同じような決断を迫られることがあるのだと思い知らされました。イーム村の人のように、村の全滅までかけて、誰か知らない人を守るためにロックダウンできる勇気があるか…といわれると、全部はさすがに無理かも…と思ってしまいますが、イーム村の人たちの、文字通り命をかけた行動には間違いなく心が動かされますし、その行動が価値あるものであったことは歴史が証明しました。そして、歴史を学ぶことは、過去に学び結果を予想し、私たちが未来を決断する手がかりを持つことなのだ…とあの時の大学教授の言葉を今年の春、私もようやく確信できました。

人間の本性は、極限状態で試されます。自分の弱さに負けた時の行動は、他の誰かを傷つけます。しかし、イエス·キリストは、弱さゆえに人を裏切り、社会で何の役に立っていないと思っている人間に、それでもあなたには存在価値があるということを命をかけて示され、共にいてくださること選んでくださいました。イエス·キリストが共にいてくださる事に励まされ、自らの弱さに負ける道を選ぶのではなく、少しでも他の誰かのために行動できるようにありたいと願い祈ります。

 

図書館から本の紹介 6月9日

『文房具56話』串田孫一 ちくま文庫

串田孫一さんのプロフィールには、随筆家·詩人·哲学者。登山、文芸誌『アルプ』創刊、大学教授、FMラジオ『音楽の絵本』のパーソナリティなど、多彩な活躍をされた。1915年生まれ、89歳で死去。とある。

私がお名前を知ったのは、大学時代に山登りをしていた時、本屋でみかけた『山のパンセ』。哲学的だが、スマートな文章を書く方だという印象だった。

最近、この本を店頭でみかけ、懐かしく思い手に取った。表紙や挿画に使われている木版画の雰囲気もよく、私も好きな文房具がテーマの短編集あったので期待が膨らんだ。期待通り、くすっと笑えるお話や、コロナ禍のいまだから余計に胸にささる一言なども登場し、明快な文章に「知性と教養」とはこういうものか、とほっとするやらがっかりするやら。

ともかく、文章を書こうと思っているがどのように書いてみたらいいのかと、考えあぐんでいる人は、読んでみることをお勧めする。お手絵本にするにはとても良い文章だ。
「お喋りの人の口にでも貼ったら効果があるかも知れない。」(「糊」より)
「これを使って、順に直角の線を引いて行くと必ず喰違いができる。」(「定規」より)
「洋服の埃とりは、まさか真の用途ではあるまい。」(「セロハンテープ」より)
など、辛口のところも魅力的である。
「物ではあっても付き合いが深くなると単なる物とは言い難い。」(「七つ道具」より)
「みんな落ちるところまで落ちると、却ってさっぱりしたような錯覚を抱いてしまう。」
たかが文房具、されど文房具。串田さんはこんな深い思いをもって、文房具を使っていらしたんだ、と最後の「文化を守る力」でとどめを刺される。

ラジオパーソナリティをされた『音楽の絵本』のYouTubeもお勧め。眠れない夜にいかが。