投稿者「soshin」のアーカイブ

GoogleClassroomログインのご協力ありがとうございます

書面にてお知らせいたしております、GoogleClassroomに関して、ログインのご協力をいただきましてありがとうございます。まだお済みで無い方、お困りの方もいらっしゃると思います。ログイン方法をご説明した動画を配信いたしましたので、そちらをご覧いただきながら、24日金曜日ごろまでに設定していただけますと幸いです。お手数をおかけしておりますが、引き続きご協力をいただけますようお願い申し上げます。

 

図書館だより 号外 4月17日

『プラスチック汚染とは何か』枝廣淳子 岩波ブックレットNo.1003

 

「岩波ブックレット」をご存じですか?

HPによれば、『岩波ブックレットは一貫して政治·経済·社会·文化の様々な領域におけるその時々の「課題」に即応する書目を刊行してきた。近年の情報の中に混在する多くの「フェイク」に惑わされることなく「ファクト」にたどり着くためにこのツールを活用してほしい。』とあります。だいたいが100ページ以内の薄い軽い冊子で、お値段も数百円。

予約受付中の最新刊は『どうする!? 新型コロナ』岡田晴恵 今まさに毎日テレビで解説をされている方ですね。

岩波ジュニア新書より少し専門的な言葉が多いですが、高校生は、時事用語を丸暗記するよりもじっくりこれを一冊読んだら理解が深まると思います。

みなさんは7月1日からレジ袋が有料化されることはご存じですか?値段(お店によって違う)はまだ決定はしていませんが、今までのように何も言わずレジ袋に買ったものを入れてくれるわけではないのです。では何故、今有料に?それにはきちんとした理由があるのです。(詳しくは環境省HP)

そして、今回紹介するテーマは「プラスチック」。この本では、プラスチックそのものの成り立ち、海洋汚染につながる理由、今後の課題を紹介しています。さて“容リ法”“マイクロプラスチック”“ボトル·ツー·ボトル”という言葉を知っていますか?ぜひ覚えていただきたい。まずは、この本で基本的な知識をインプットしましょう。

 

 

 

4月17日(金)礼拝メッセージ

「マイ·ルール」

宗教主任 藤本 忍

【聖書】マルコによる福音書15章16節~20節

兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。

 

フィリピの信徒への手紙2章6節~9節

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

メッセージを音声でお聞きになる場合はこちら

 

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新型コロナウィルス拡散防止のために、 3 月に行われた高等学部卒業式の参列人数に制限 がかかり、卒業式への出席ができなくなった元同級生が3人いました。どうにか参列を許 してもらえないかと、校長に直談判したようでしたが、もちろん答えは NO でした。諦めきれない彼女達を見て私は、「ルールの中で勝利を収めなさい」と言いました。出席はできない、けれど気持ちを伝えるにはどうしたらいいか、考えて欲しかったのです。当日、彼女 たちの姿は式にはありませんでした。式を終え、HR を終え、部活ごとの儀式を終えて、卒 業生たちが正面玄関から出て行きました。元同級生3人の姿は正面玄関の外にありました。徹夜で書いた手紙を、卒業生146人全員一人一人に渡していました。「祝·卒業」と書いた横断幕を掲げながら。

なぜ「ルールの中で勝利を収めよ」と難題を言ったのか。それは、大好きな映画「炎の ランナー」の大きなテーマだからです。これは1924年のパリ·オリンピックに出場したイギリスの陸上選手達を描いた映画です。100m 走の優勝候補だったエリック·リデル は、中国への伝道を控えていた宣教師でもありました。100m予選が日曜日だとパリへ の出航の日に知り、出場できないと言い出します。宣教師にとって、日曜日の礼拝ほど大切なものはありません。オリンピックの金メダルと安息日の礼拝。誰もがオリンピック出 場の方を選びそうですが、彼はイギリスの太子や貴族、大会の委員長から何と言われても、祖国と国王への忠誠よりも、神への信仰の方が勝るとして拒否します。マイ·ルールです。誰が決めた訳ではない、自分のルールです。神の栄光を表すために走っていた彼にとって、神の掟を破ってまで走る意味はないのです。しかし、2種目をエントリーしていた友人の アンドリューが木曜日に行われる400m走の出場枠をエリックに譲ると言い、話は好転 しました。急きょ400m走に出場することになったエリックでしたが、なんと優勝して 金メダルを獲得します。彼はマイ·ルールの中で見事に勝利を収めたのです。

国内にいる卒業生も、海外で働く卒業生も、よく同じ事で悩みます。「打算なく純粋に相手のことを思って行う行為でも、人からは何か下心があると思われたり、または、お返しがあったりする。Give&Take で世界は回っているみたい。私には下心もないし、見返りもいらないのに。」と。「今まで受けてきた捜真教育やその価値観だと生きにくいと感じるなら、やめてもいい。生きやすくなるのなら世間に合わせてもいいのではないか。」と私は言います。すると必ず返ってくる答えは「そうすると自分が自分でなくなる」です。どちらを選んだらいいか良心がわかっています。でも、いつの間にか私達は楽な方、世間から浮かない無難な方を選ぶようになっていきます。でも、そうすると自分が自分でなくなる。そこで顔を出してくるのがマイ·ルールです。

キリストのマイ·ルール。それは神の御心と思えないことはしないことでした。たとえ それが自分の命を落とすことになったとしても、です。鞭打たれ、唾を吐きかけられ、な ぶり者にされても、十字架への道が御心と思えたからこそ進まれました。どんなに力があったとしても自分で自分を救うことはされませんでした。マイ·ルールとは、たとえできたとしてもしないことを選択する力、自己を制御し、あえて難しい方を選ぶ生き方なのだ と思います。マイ·ルールを破ると、自分が自分でなくなってしまう、だから誰が何と言 おうと守るのです。そしてこれを別名「軸」とか「信仰」というのだと思います。

 

4月16日(木)礼拝メッセージ

「正しさは時に人を傷つける」

高等学部教頭 鳥居 敬一

【聖書】ルカによる福音書10章38節~42節

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

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 早く平常の生活に戻りたいと世界中の人たちが心から願う日々が続いていますが、皆さんはどのように過ごしていらっしゃいますか。願う方向にはなかなか進まない状況ですが、今だからこそできることがあるのではないかと感じています。そして、今までの平常の生活が当たり前ではなかったことを痛感させられます。今後、平常の生活に戻っても、この思いを心に刻んでおきたいです。

さて、今日の聖書の箇所は、「マルタのように忙しく働くことよりも、マリアのように座ってイエス様の話を聞くことのほうが良いことである」と読むこともできます。

しかし、ここではマルタの心の状態に注目してください。マルタは最初、イエス様をもてなすために自分にできることを一生懸命やっていました。そのこと自体は立派で尊い働きです。しかし、忙しく働いているうちに心に余裕がなくなって、「私だけに働かせて、何もしないマリアはずるい。」と感じるようになりました。マルタの主張はもっともで、行いも正しかったように思われます。しかし、その正しさは、人に向かって振りかざされた瞬間に相手を傷つける武器に変わります。そこには愛も平和もありません。

私たちも自分の正しさを示すために、人を攻撃してしまうことがあります。戦争も突き詰めれば、このことが原因で起きていると言えます。

では、私たちはどのようにすれば良いのでしょうか。正しさを主張する前に、相手のために神様に祈ってみてください。祈りは神様との会話です。それによって心が整えられ、相手を傷つけることなく自分の主張を伝えることができるようになったり、あるいは、自分の主張が絶対的に正しいとは限らないと気づかされたりするではないでしょうか。

この休校期間中も毎日、礼拝の時間をもって神様に祈ってください。そうすれば、不安や恐れで心が乱されることなく、あなたにとって本当に必要なことに目を向けることができるようになると信じています。

G Suite のアカウント登録にご協力ください

在校生·保護者の皆様

先日のお便りでお願いいたしました、G Suite for Educationへのアカウント登録はお済みでしょうか。本日、学校からのご挨拶を配信いたしますので、ご確認ください。

なお、登録がお済みでないご家庭は速やかな登録にご協力をお願いいたします。

4月15日(水)礼拝メッセージ

隣人になる

学院長  中島 昭子

 

【聖書】ルカによる福音書10章36節~37節

「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 

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捜真生の皆さん、お元気ですか?今皆さんはご自宅でさまざまな工夫をし、忍耐強く生活していることと思います。多くのことが、「いつもの」「ふつうの」時とは違う形になっているでしょう。不安やストレスを感じている方もあるかもしれません。皆さんの声が聞こえない学校も本当にさびしく感じられます。中庭のテューリップは満開、藤は白と紫の花をつけ始めたところです。誰もいない中庭に美しい花が咲いているように、皆さんもお家で「最善の自己」を覚えて過ごせるようにと願っています。そして、皆さんが学校に帰ってくる日を祈りつつ待っています。

さて、今日の聖書の箇所は「善いサマリア人」というイエス様の語られた有名なたとえ話です。はじめての方はぜひ30節(新約聖書126頁)からお読みください。

追いはぎに襲われて苦しんでいるユダヤ人が道に倒れていました。通りかかった人たちは皆、見て見ぬふりをしたのですが、サマリア人だけが「憐れに思い」(33節)手当をしました。サマリア人は隣人になったのです。「行って、あなたも同じようにしなさい」と、イエス様は聖書を通して私たちに教えられます。

捜真生の日頃の活動を思いますと、この「隣人になる」取り組みの何と多いことでしょう。炊き出しのお手伝いをする、オレンジリボン運動に参加する、被災地や福祉施設にボランティアに行く、フィリピンの子どもたちの里親になる、カンボジアに建てた小学校の子どもたちを支援する、アジアの子どもたちに絵本を送る、アフリカの子どもたちが労働から解放されて教育を受けられるようにするなど。他にもたくさんありますが、書ききれません。まことに誇らしいことと思います。

また、東日本大震災の被災地ボランティアに参加した生徒がこんな話をしてくださいました。「私には何もできないということが分かりました。重機を動かせないのだから瓦礫の撤去ができるわけではなく、医師や看護師ではないから怪我をした方の手当てもできない、献金をするのだって自分で働いたお金ではありません。何かできるようになって、誰かの隣人になりたいのです」と。尊い思いであると感じました。

そして、皆さん、追いはぎに襲われた人を私たち、サマリア人をイエス様と考えてみたらどうでしょう。私たちが苦しんでいる時、悲しい時、孤独な時、イエス様が隣人となり、助けてくださる、私たちの人生を一緒に歩んでくださるのです。何と心強いことでしょう。

 

お祈りします。全知全能の父なる神様、私たちに新しい一日を与えてくださり、ありがとうございます。復活のイエス·キリストが私たちの隣人となってくださることを信じ、感謝します。私たちもまたどなたかの隣人となることができますように導いてください。捜真生に今日なすべきことをあなたが示し、一人ひとりの心と体の健康を守ってください。また、病とたたかっている全世界の医療従事者の方々、私たちの日常生活を支えるために仕事をしてくださっている方々を、あなたが特別に祝福してくださいますようお願いいたします。この祈りをイエス様のお名前によって御前におささげします。アーメン

「シカクいアタマをマルくする。」に紹介されました

日能研の「シカクいアタマをマルくする。」に捜真の国語の入試問題が紹介されました。

捜真の国語科がどのようなことを大切にして授業や入試問題の作成に取り組んでいるのかを知っていただけると思います。どうぞご覧下さい。

こちらからご覧いただけます

 

 

4月14日(火)礼拝メッセージ

今日の「ものさし」として

中学部教頭 島名恭子

【聖書】コリントの信徒への手紙一134節~7 

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

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今日の聖書の言葉は、イエス様が復活なさった後に弟子になったパウロという人が、コリントという大きな町の人々に宛てて書いた手紙の一部です。「愛の賛歌」と呼ばれていて、よく読まれる聖書の言葉です。上級生の皆さんはよくご存じでしょう。

この聖書の言葉は、私自身の捜真生活のスタートのころに印象深く聞いた言葉でもあります。私が捜真に入学したばかりの頃、当時の校長先生であった日野綾子先生は、この言葉について次のように教えてくださいました。

「この聖書の言葉の『愛』の部分に自分の名前を入れて読んでごらんなさい。いかに、自分に愛がないかがわかります。そして、そのように愛のない私のために、イエス様は十字架にかかってくださったことがわかるはずです。」

正直に言えば、その頃の私は、私のためにイエス様が十字架にかかってくださったということについては良くわかりませんでした。でも、この聖書の言葉が自分自身の毎日の生活の「ものさし」になると感じたことは今でもよく覚えています。以来、折に触れて読み返し、考え直しています。

世界が混乱したり不安に襲われたりするとき、私たちはどのように行動すればいいのか、どのように生きていけばいいのか、わからなくなります。時に、自分自身の中にある「自分さえよければよい」という考え方に引っ張られてしまうこともあります。でも、そんなとき、聖書の言葉に立ち返って、聖書の中の「ものさし」で自分の在り方を測りなおしたいと思います。

学校に行かれず、外出もできず、不自由で、できないことが多いと感じる毎日ですが、それでも、私たちに今日できることがあります。それは、今、目の前にいる人を「愛する」ことです。「愛する」とはどういうことでしょう。答えは聖書の言葉にあります。「愛」のところに自分の名前を入れて声に出して読んでみましょう。この聖書の言葉が、今日のみなさんの「ものさし」になりますよう、お祈りしています。また、明日からも聖書の中に、皆さんの人生の「ものさし」を見つけていってほしいと思います。

 

中3の皆さんへ 

中学部3年生の皆さんのご家庭に、昨日、各教科からの課題プリントをお送りしました。内容は以下の通りです。

1、国語 2枚

2、理科1 2枚

3、数学 3枚

4、英語 3枚

しばらくたっても届かない場合や、不足のものがあった場合、また質問がある場合には学校までご連絡ください。

学校へのご連絡は月曜日~金曜日の、午前9時から午後3時の間にお願いいたします。(045-491-3686)

 

イースター礼拝 メッセージ

捜真生の皆さん

今日はイースター礼拝をご一緒に守りましょう。担当の宗教主任、藤本 忍先生の礼拝メッセージを読んで、それぞれの場所で祈りの時を持っていただきたいと思います。音声でお聞きになりたい方は一番下をご覧ください。

明日以降も、学校での礼拝の時間に合わせて午前10時に礼拝メッセージをアップしていきます。日々の生活リズムの中に祈りの時を加えてください。

 

 

Happy Easter!

宗教主任 藤本 忍

【聖書】

マルコによる福音書16章1節~8節

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐに墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの意思を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げてみると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

ペトロの手紙一1章3節~5節

わたしたちの主イエス·キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス·キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐものとしてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。

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人を裏切ったことがありますか。また、謝りたくても相手が亡くなってしまって謝れていないという経験はありますか。ずっと一緒にいるよ、と言っておきながら、簡単に離れ、その人を独りにして、自分だけ安全地帯にいたことはないですか。

キリストの十字架は、まさしく弟子達の裏切りの日と言っても過言ではありませんでした。イエス様の十字架のそばにいたのはイエス様を「神の子」と告白したローマの百人隊長でした。遺体を引き取りに行ったのは神の国を待望していた議員のヨセフでしたし、埋葬の様子を見守っていたのもイエスに従ってきた女性達でした。弟子は誰一人イエス様のそばにはいませんでした。他の福音書には、罪悪感と迫害の恐怖で家の扉にカギを掛けて、閉じこもっていたと書かれています。自分の罪に苦しみ、取り返しがつかないと自ら命を絶った弟子さえいました。

しかし、そんな弟子たちに対して、主イエスはこう言っています。「以前から言っていたように、先にガリラヤに行っている。そこで会おう。」と。この言葉が何を意味しているのか。それは、あなたがその罪を犯す前から、とっくのとうに赦されているということ、だから、もう自分を責めないで、初めからもう一回やって欲しいということです。そして私達人間は「イエスという方を墓に閉じ込めてはおくことはできなかった」ということ、そして「イエスという方はいつも私達の先に立って進んでいる」ということです。

大切な人を亡くして大きな喪失感に打ちのめされた経験はありますか。その人がどこに行ったのか、探したことはありますか。私は両方あります。打ちのめされたことも、探したことも。

そして「あの人は、あの子は、どこに行ったの?」と聞かれたことも、幾度かあります。その時は必ずこう答えています。「神様のもとだよ。」と。「どうしたら会えるの?」と聞かれたら「必ず再会できるから、それまで地上での命を生き切ろう。」と答えています。これはイエス·キリストの復活の命にあずかり、私が神様から与えて頂いた答えです。

主イエスの復活は、罪と死という二つの絶望は「絶望ではない」ということを私に教えてくれました。イエス·キリストの復活は「罪の赦しと永遠の命を生きる(死者との再会)」という希望を与えてくれたのです。

そして、今、世界がこのような状況の中で最も大切なことは、このような自分の身に起こった赦しと希望を、神は私以外の他者に対しても同様に与えてくださっていること、私たち人類は同じ神の被造物であって、互いに愛し合い、支え合い、助け合うために存在しているということ、そのことをしっかりと自覚することです。決して、今の事態を争いの種にしてはならないのです。

このメッセージを音声でお聞きになりたい方はこちらから

 

教科書をお送りしました。

在校生のみなさま、保護者のみなさま

今週の火曜日から木曜日にかけて、お手紙と、各学年の教科書や休校中の課題をお送りいたしました。少し郵送物の量が多い学年もあってびっくりなさったかもしれませんが、おゆるしください。どうかお子様とご一緒に、記名をしたり、これからの学習を想像したりしながら、少しでも新しい学習を楽しみにしていただければ幸いです。

今後の学習や学校再開に向けて、教職員一同知恵を絞り、協力して準備を進めております。子どもたちも、おうちのみなさまも、それぞれの場所にあって本当にがんばっていらっしゃることでしょう。
引き続き、みなさまの健康が守られますようお祈り申し上げます。

聖書 フィリピの信徒への手紙4章6~7節
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト·イエスによって守るでしょう。」

今年度の学院聖句の箇所です。ご一緒に、祈りつつ、歩みましょう。

「捜真SDGs実行会」メンバーが神奈川県知事にプレゼン

この春、捜真を卒業した年友さんが、湘南学園さんの生徒とともに神奈川県知事にプレゼンテーションをした様子が「SDGsパートナーブックかながわ」の記事になりました。

捜真SDGs実行会は、ここまで湘南学園さんとコラボして様々な取り組みをしてきました。それらの経験から感じたこと、これからの目標などを、黒岩祐治知事にプレゼンテーションし、SDGsの更なる取り組みの必要性を語りました。

「若い力が大人や社会を動かし、世界を変えていく」そのことをあらためて意識した活動でした。

下記から「SDGsパートナーブックかながわ」WEB版がご覧いただけます。

WEB版はこちらから