投稿者「soshin」のアーカイブ

2020年度のPTA活動報告 そして高三保護者の皆様へ【PTA役員会】

保護者の皆さま

捜真の100年桜もかわいらしいつぼみをつけはじめました。皆様にはお健やかにお過ごしのことと存じます。
PTAの活動もコロナ禍でのスタートとなりました。例年のような活動が行えない中、皆様のご協力により2学期には中古制服の販売を行うことが出来ました。制服を献品くださった皆様、ありがとうございました。


また、小学校と女学校との共同行事になりました史跡巡り講話がチャペルにて開催されました。
広報委員会が作成した映像を使い、中島学院長にお話しいただき、捜真の歴史にふれることのできる貴重な時間を持つことができました。
これからも新しい形でのPTA活動を試みていきたいと思います。

そして、高三保護者の皆様
お嬢様のご卒業おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
3月に予定しておりましたお別れ会が中止となり、楽しみにしてくださった皆様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。PTAからの心ばかりの気持ちとして中島学院長からのメッセージと新しいデザインのミニタオルをお嬢様経由でお贈りいたします。捜真で過ごした日々を時々思い出していただけたら幸いです。


お嬢様のこれからのご活躍、そして皆様のご健康をお祈りしています。
これからも捜真PTA活動を温かくお見守りください。
主に在りて

図書館から本の紹介 3月11日

年度末が近づいてきました。春休みに向けて、冊数無制限で貸出しますので、ひと段落したら図書館にいらしてください。今回は新刊を紹介します。

『with you』濱野京子 くもん出版
以前にも紹介しました「ヤングケアラー」(18歳未満で家族のケアをしている子ども)が主人公です。
兄との比較に振り回され、中学3年生の悠人は逃げるように夜のランニングで出かけていく。そこで出会った少女朱音に心が惹かれていく。
「他人に助けを求めることは、大切なことなのよ」と悠人の母が二人に告げた言葉は、私や
あなたの背中をそっと押してくれるのではないでしょうか。「助けを求めている人がそばにいれば、手を伸ばすことも同じように大切なこと」。人と人との温もりを感じさせてくれる一冊。

『サード·プレイス』ささきあり フレーベル館
友達からの一言が、欠けたガラス片のように心に刺さる。そんな時、日常から少し離れた場所で自分を取り戻していく中高生たち。なんと生きにくい世の中になってしまったのでしょう。ほんのちょっぴり立っている場所を動いてみれば、今の自分がそのまま受け止めてもらえる。
いつもと違う場所、違う時間を過ごすことで見えてくる新しい世界。若者、老人を問わず、
~『はじめて』に出会う~時に、手を伸ばしてみよう。

 

第164回芥川賞受賞作
『推し、燃ゆ』宇佐見りん 河出書房新社

一度読み始めて、途中でストップしました。
「推しが燃えた。」最初の一行がするっと頭の中に入って来ませんでした。この言葉、いったい何だろう。しばらくして「応援しているアイドルへのコメントが、SNS上に次から次からへと燃え上がるように書き込まれていく」ということがわかりました。
私にも最近「推し」のバンドが出来て、確かに夜中の配信時間をカレンダーに書き込んで心待ちにすることがあります。あれか。「沼にはまる」。私は還暦を過ぎたれっきとしたおばあさんですが、気持ちは一緒です。もちろん年の功で、日常に差しさわりが出るようなところまで
はまりはしませんが(体力的にも難しいです)「推し」を持つ快感は想像できます。
そんな時代の一こまを切り取ったこの作品、ところどころに私にはどこか懐かしい描写が登場してきて、宇佐見さんは今までどんな本を読んできたのだろうか、と気になりました。
若い人たちは、とか言っていないで、同じ時代を共に生きている私たちなのですから、それぞれの道を認めていけたらお互いをもっと広げることができるかな、と思った一冊でした。

礼拝メッセージ 3月9日

「隣人を自分のように愛する」~東日本大震災を覚えて~

 高二担任 大和 由祈

【聖書】マルコによる福音書12章31節

第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

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突然ですが、皆さんはここ捜真で毎年3月11日の14:46に何が行われているか知っているでしょうか。3月11日は出校日ではなかったり、出校日であっても共練会総会や答案返却日で、午前中で解散してしまったりと、全員が学校にいることはほとんどないので、もしかしたらその瞬間に学校にいたことがない人もいるかもしれません。また、昨年の3月11日は、すでに新型コロナウィルスの影響で皆さんは学校に来ていなかったので、2年前のこと、それよりも更に前のことは覚えていないかもしれません。

毎年3月11日の14:46に、捜真では共練会執行部の人たちのリードの下、1分間の黙とうが捧げられてきました。これは、2011年に起こった東日本大震災を覚えてのことで、2011年度の当時の共練会執行部の人たちが始めたのがきっかけとなり、それ以来ずっと続けられてきました。私は、この瞬間が、1年の中のたったの1分間に過ぎない瞬間が、実はとても好きです。「好き」という表現はおかしいかもしれませんが、「すごく捜真らしい瞬間だ」と思っています。生徒たちは部活動や委員会活動、さらには友達とのお喋りも止め、私たち教職員も仕事の手を止め、学校中が静かになり、黙とうをする、東北に思いを馳せる、その瞬間を大事に出来る環境が捜真にはあるということが、とても良いなと毎年思います。

ある年、私はこの瞬間を弦楽部の生徒たちと過ごしたことがあります。私たちは3月の末に行われる定期演奏会に向けての練習をしていましたが、共練会の人たちによる放送が流れたのでいったん練習を止め、1分間黙とうをしました。そしてそれが終わったあと、部員の一人が「こんなに静かな学校初めて。何だか新鮮」と言っていたことがとても印象に残っています。そしてその瞬間を部活動の生徒たちと共にしたことで、私自身も、「自分たちが今こうやって生徒たちと部活動が出来ているのも、決して当たり前のことではないのだ」ということを改めて痛感させられたような気がしました。

昨年は、この日を生徒の皆がいない、教職員しかいない静かな学校で迎えることになりました。しかし、そのような中でもあっても、我々教職員は千葉ホールに集まり、短い祈りのときを持ちました。生徒の皆がいない静かな学校ではありましたが、そして新型コロナウィルスという未知なるものへの対応で右往左往していた私たち教職員でしたが、そんな中でもそのような時間をちゃんと持てる環境が引き続き与えられていることに、私は捜真のブレない部分を感じ、そこにいられることに喜びと感謝を感じました。
そしてそれと同時に驚いたのが、その日、卒業生たちがSNSに東日本大震災を覚えての投稿をしていたことでした。投稿したからといって、誰かの役に立つとか、誰かを助けられるとかそういったことはないかもしれませんが、こうしたふとした瞬間に、他者に思いを馳せ、そしてその人たちのために祈ることが出来る、それを捜真から巣立ったあとも続けているということに私は嬉しくなりました。

先週の内山先生の礼拝でもありましたが、私たちは11日で、東日本大震災から10年のときを迎えます。東北地方をはじめとする被災地に住む人たちにとっても、そしてここにいる私たちにとっても、様々なことがそれぞれにあった10年でしょう。震災当時、まだ幼稚園や保育園に行っていた皆さんにとっては、もしかしたらこの震災自体の記憶もあまりなく、その後もあまり考えることなく過ごしてきた10年かもしれません。それ以上に自分自身の問題に悩んでいる人も当然ながらいるでしょう。ですからこの震災に対する思いも人それぞれ違うと思いますし、またその話?と思う人もいるかもしれません。しかし、節目が近づいている今、今日は私も少しこの震災について話をしたいと思います。

私はこの10年、色々な機会に東北地方を訪れ、そしてその回数はちょうど10回になりました。その目的は毎回様々でしたが、ボランティア活動、中学3年生と一緒に行った修学旅行、岩手県の釜石市で行われたオーケストラのコンサートに参加したとき、宮城県の石巻市で行われた音楽フェスに行ったときなど、東北地方に行ったときの多くは、被災地と呼ばれるところを訪れ、自分自身でその現状を目にし、そしてそこで震災を実際体験した人たちと出会い、そして様々な話を伺ってきました。その中でも特に印象に残っているのは、震災から5か月後の2011年の夏に宮城県の石巻市と気仙沼市でボランティア活動をしたときと、2015年に当時の中学3年生と修学旅行で岩手県の大槌町を訪れたときのことです。

2011年の4月から私は教員として捜真で働き始めましたが、その最初の夏休みにわずか4日間という日程で宮城県を訪れました。当時の自分が、なぜこの貴重な夏休みをボランティアに費やそうと思ったのか、どんな思いが強かったのかというのは正直覚えていません。4日間というわずかな期間しか行けませんでしたから、自分のボランティアとしての活動が誰かの大きな役に立つ自信はなかったように思います。しかし、とにかく自分の足で被災地を訪れ、自分の目でその光景を見なければいけない、そして自分が見たもの触れたものを、実際にはなかなか訪れることの出来ない自分の生徒たちや海外の友人たちに伝えなければならないというような思いに駆られていたことは何となく覚えています。とは言え、当時被災地で自分が目にしたものは想像を絶するもので、それをどう生徒に伝えるかというにはかなり頭を悩ませました。また、当時の生徒には礼拝や授業を通して自分の経験を伝えましたが、それを持続してやり続けたかといえばそれは十分に出来ませんでした。実際、この礼拝を考えるにあたり、そのとき撮った写真や当時礼拝で話した原稿を見返したりしましたが、自分の中でもかなり「久しぶりに見た」という感覚で、やはり時間が経つにつれ、自分の中でも記憶が薄れ、またそのことを考える余裕がなくなってきていることに気付かされました。

2015年度の修学旅行は早い段階から、どう震災学習を盛り込んでいくかということを学年の先生たちと考えていました。捜真ではその前の年から東北修学旅行が再開されていて、その年も一部の生徒が岩手県宮古市に震災学習で訪れていましたが、この年からは何とかして学年全員が震災学習を出来ないかと思い、色々な市が行っている震災学習のプログラムを探しました。そして、2クラスずつ岩手県の大槌町と陸前高田市に分かれて行き、それぞれの場所で1日震災学習を行うというプログラムを行いました。震災から4年が経ち、少しずつ復興にむかって進んでいる大槌町と陸前高田市でしたが、津波の爪痕がのこっている建物が未だにあったり、その建物を今後どうしていくかといった課題を抱えている現状を伺ったりしたことは、実際現地に行かないと出来ないことであったなと今振り返っても思います。

自分自身のボランティアの経験を生徒に伝えようと思ったときも、震災学習を通して生徒たちに何かを考えてほしいと思ったときも、私の中にあった思いは、「知ることだけでも何か意味があるのではないか」ということでした。特別な技術や能力を持っていない私が、ボランティアとして出来ることはほとんどありません。ボランティアと聞けば聞こえは良いかもしれませんが、私がこういった活動に参加していつも思うことは、「ボランティアとしての自分の無力さ」、そして「たとえ現地に行ったとしてもわずかな部分しか知ることは出来ないということ」です。ならばなぜ行くのかとも思う部分もなくはないのですが、しかし何もやらないよりは、何も考えずにいるよりは、何か知ろうとする、自分の目で見ようとする、そのことで得るものが必ずあると思うのです。実際現地に行かなくとも、様々な形で情報を得ることは出来ますが、一度直接何かしらの関わりを持つことで、よりそのものに対して関心を抱いたり、心を寄せたりすることが出来るような気がするのです。

実際、修学旅行で中学3年生と大槌町と陸前高田市を訪れたあとは、生徒たちがこの経験をどのように受け止めていくのかというのは、正直予想がつかない部分もあり、不安もありました。しかし卒業したあとも、そのことを思い出して大学でそういったボランティア活動に参加していたり、昨年の3月11日のSNSへの投稿を見たりしていると、捜真で「知ったこと」が卒業生たちの中に根付き続けているのだなと思いましたし、そして東北修学旅行がなくなった今でも毎年3月11日に共練会のリードで黙とうを捧げ続けられていることや、クラス献金の送り先など様々なタイミングでこの震災のことを思い出す機会が与えられていることを考えると、これからも何等かの形で捜真生の中で伝わり続けていく思いなのかなとも思っていますし、そうあってほしいと願っています。

震災から10年が経ち、横浜に住む私たちの多くにとってはこの震災も過去のことになりつつあるかもしれません。そして、あと数年もすれば、捜真にもこの震災を経験していない年代の子たちが入学してくるようになり、ますますこの震災のことも「過去のこと」になっていくのだろうと思います。しかしその中でも、捜真の中で、何等かの形でこの震災のことを覚える、この震災のことに限らず自分とは違う環境にいる他者に思いを馳せることが続けられたらと思うのです。
そして、そういった遠くの人だけでなく、自分の身近にいる人たちとの関係の中でも、自分だけのことを考えるのではなく、周りの人のことを考えられる、そういった心の余裕をもって毎日の生活を送ることが出来たらと思います。「隣人を自分のように愛しなさい」この聖書の言葉は簡単なようで、本当に難しいことです。それが出来ない、自分のことしか考えられなくなる弱さが私たちの中にはあります。しかしこの聖書の言葉を、震災から10年という節目を迎えるにあたり、そしてこのコロナ禍で様々な境遇に置かれている人がいることを日々ニュースで目にする最近の日常の中で、改めて心にとめて生活していきたいと思います。

3月9日 高等学部礼拝

学校紹介動画をご覧ください

捜真教育を総合的にご紹介する動画で、ナレーションは卒業生によるものです。

また、高三の生徒へのインタビュー動画では、実際の生徒たちが捜真教育について語っています。

捜真の受験をお考えの皆様、捜真教育に関心を持ってくださる皆様、どうぞご覧ください。

学校紹介動画とインタビュー動画はこちらから

みんなで取り組もうSDGs【第12弾】

こんにちは!

私達は捜真SDGs実行会「みんなで取り組もうSDGs」チームです!
今回は学校にまつわるSDGsを紹介します!

当たり前のように学校に通えている私達とは違い、世界では様々な理由で学校等に行けない子ども達がいます。
そして、私達が普段、学校で使っている紙も当たり前にあるものではありません。
中高生の私達だからこそ、できることを考えてみませんか?

①私達が子ども達のために出来ること。

世界では紛争などにより、子ども達が人身売買されることがあります。救うための方法の一つに、NGOやNPOに寄付をすることがあります。私達が寄付することで、食糧支援や教育支援、子ども達を保護することがでるようになります。

捜真で行われている、里親献金や週献金に積極的に取り組みましょう!

②裏紙を活用しよう!

中高生は、普段から勉強などに多くの紙を使います。そして、日本人は1人当たり年間240kgもの紙を消費していると言われています。
紙資源の不足により、森林破壊、地球温暖化の促進、紙の原料となる植林木のプランテーション造成に伴う住民との社会紛争など様々な方面に問題が広がっています。

こうした問題の解決には消費者の意識(つかう責任)が重要となります。
不要になった小テストや授業プリントの裏側をルーズリーフの代わりとして、単語練習などに活用してみましょう。ルーズリーフの使用量を減らすことで、紙資源の節約になります。

中高生の私たちでも、今からできる工夫として、是非実践してみましょう!

礼拝メッセージ 2月25日

「自分が自分であること」

 高三担任 ネルソン 綾

【聖書】コリントの信徒への手紙二6章2節

なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。
救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。

ルカによる福音書23章39節~43節

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

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皆さんは、自分が自分であること証明するためは、どのようなことをするでしょうか。たとえば英検の試験会場だったら、受験票を見せ、そこには名前と住所が書かれ、顔写真が貼ってあります。あるいは、50年後に同窓会をして、外見が万が一ものすごく変わってしまって誰にも気づかれなかったらどうしますか。きっとまず名前をいうでしょう。そして高3B組だったとか、○○部に入っていたとか、写真を見せるとか、必死になって説明するかもしれません。

話はちょっと学校から出ますが、私は以前、アメリカの空港で、私が私であることを証明できず、苦労した経験があります。それは今までに2回、アメリカ入国の際に、すんなり許可がおりなかったことです。一度目は、アメリカ短期研修の引率をしていた時でした。入国審査では、一人一人、パスポートを見せ、簡単な質問を受け、顔写真を撮られて、指紋を取られて、問題がなければ許可がおります。ところが、私の指紋がうまく取れず、指先が乾燥してるからだとクリームを塗って何度も指紋を取り直し、やっと許可が下りました。しかしそれはまだ序章に過ぎず、その後もっと大変なことがありました。
その時は、まだ子どもが生まれる前で夫と二人でアメリカに行きました。今はアメリカに入国する時は、必ずアメリカ人が並ぶ窓口の方に、夫と一緒に行くようにしていますが、その当時は、そういうことが許されるのか知らず、私は外国人用の窓口に一人で並びました。するとまた、指紋が取れないとなりました。クリームを塗ったりという努力も虚しく、結局私は別室送りとなりました。

別室には同じような境遇と思われる人たちが何人もいました。私は、質問を受けました。「なぜアメリカに来たのか」「私の夫がアメリカ人で、彼の家族と会うために来ました」「なぜその夫と一緒ではないのか」「夫はアメリカ人ですが、私はそうではないので別々の列に並びました」たぶんそういうやり取りがあったと思います。不安の中、「私は今まで何度もアメリカの入国を許可されてきた、このパスポートも確かに私の物、だから大丈夫なはずだ」と言い聞かせました。しかししばらくたつとまた呼ばれ、「あなたは〇〇〇ですか?」と、突然外国語の名前を言われ、驚きましたが「No」とはっきりと否定しました。しかし、何が何だかわからず、もしかして、私はネルソン綾ではないのかな?とさえ思いました。幼い頃からどこかの国のスパイとして育てられてきたのかとか、実は何か大きな犯罪と関わっているのかとか、様々な妄想にとらわれ焦りました。係の人たちはコンピューターと向かいあってパタパタとキーを打ったり、色々話をしたりしています。他の人たちも同じように質問などをされ、やがて一人が去り、二人が去り、、、としていくうちについに私だけが取り残されてしまいました。

どのくらい時間が過ぎたのかも覚えていません。突破口が見つからない中、空港の掃除をしていた女性が突然その別室の入り口のところに来て、「ここにMrs. Nelsonいますか?アヤ·ネルソンです。ご主人が下の荷物受け取りのところでずっと待っています。聞いてきてくれって頼まれたから。」私はとっさに「That’s me!!」と声を上げました。まるでドラマのようですが、たったそれだけでした。その後すぐ、係の人たちはまたコンピューターをパタパタして、特に説明もなく、釈放なのか解放なのか、どんな言葉を使えばいいのかさえわかりませんが、ともかく自由の身となりアメリカへの入国を果たしました。この出来事は10年以上前の話で、それから指紋を取る機械の性能も上がったのか、私もそれ以来一切引っかからなくなったので、皆さんも何も問題ないはずなので外国に行くことを心配しないでください。

ともかくも、空港では、パスポートと指紋を取る機械やコンピューターが、私を私と特定する手段なわけで、それが一致しなければ私が私とみなされないのです。

このように私たちの生活の様々な場面では、書類などをもって本人であることの証明をします。
ここでちょっと話を精神的なレベルに上げてみましょう。もし、あなたが空港ではなく、「天国」の入り口に立っていたとして、そこでもし本人証明を求められたら、その時にあなたが見せる証明書には、なんて書いてあると思いますか。
ちょっと想像するのは難しいかもしれませんが、「自分が自分である」ことを何をもって証明できると思いますか?ある人は家族と言うかもしれません。今もう、そちらに入っている誰誰の娘ですとか、家系図が書いてある証明書を持っていくかもしれません。大切な友人や関わりを持った人たちのことを挙げる人もいると思います。またある人は自分が学んできた事や、自分が働いてきたことだと思い、学校や職場が書かれた履歴書みたいなものを見せるかもしれません。あるいは、自分が所有していたものが自分を表すと考え、こだわりの衣類やかばん、家や車を説明するかもしれません。これらの事柄は多かれ少なかれ、私たちが影響を受けたり自分の人生を捧げてきたものであり、私たちを定義するものにもなり得ます。しかしこれらのことで自分をすべて説明できるかというと、それもまた疑問です。たとえどんなに強く影響を受けたとしても、完全には、私自身を言い表すことはできないのではないかという気がします。本当の私は、地上の生活で得たものだけでなく、神様が私を造られたその原点に立ち返って見出せるものなのかなと思います。

さて、先日テレビ番組を通して考えさせられたことを最後にお話しして終わります。それは60年以上も刑務所にいた無期懲役囚の話でした。彼は強盗殺人の罪を犯し、刑務所に21歳の時から80歳を超えるまでいたのですが、ついに仮釈放となりました。受け入れ施設で過ごし始めますが、しっくりいきません。何をしたらいいのか、どう考えたらいいのかわからなくなってしまっていたのです。数か月経つと「食べたくない、刑務所に戻りたい」とさえ言い始めます。最初は優しく「自由に過ごしていいんだよ」と言っていた施設長も、やがて「ここで生活するのなら、ここでの決まりに従って欲しい。自分の置かれている立場がわかっているのか。あなたは自分の罪をつぐなって生きていくのだ。」と諭します。しかし程なく、彼は体調を崩しこの世を去っていきます。「この人の人生に意味はあったのでしょうか」と問うテレビ局のインタビューに、施設長は「仕方がない。一人の人の命を、人生を奪った彼がのうのうと生きていくわけにはいかない。」と言いました。その施設長が言う事には何も間違いはないと思いました。

ただ、私の心には、今日最初に読んだルカによる福音書23章の言葉が浮かんでいました。「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ」という犯罪人に、イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言いました。この個所を読んで、結局私自身も罪を背負ったもので、天国の入口で見せるに値するものは何もなく、ただただ「神様、私の罪はあなたによって贖われました。あなたによって救われました。」と言うことしかないのかなと思わされました。
皆さんは、ご自分のことをどう表すでしょうか。願わくは、お一人お一人が神様に愛された大切な存在であることを知っていて欲しいと思っています。

お祈りします。

神様、私たちを愛し、いつも共にいてくださることに感謝します。私たちが弱い時、苦しい時は特に支えてくださることに感謝します。どうぞこの困難の中私たちが希望を失わずに生きることができるように、あなたに希望を置く事がいかに確かな事かを知ることができるようにお導きください。今日も受験に挑んでいる高校3年生がいます。あなたが支えてください。このお祈りを主イエス·キリストの御名によって、御前におささげ致します。

2月25日 高等学部礼拝

「Aoの空・・」

高三の選択科目の一つ「音楽研究4」では、今年度絵本動画の制作に取り組みました。

12名の選択者と授業担当の三塚先生とで、‟すべて”を完全オリジナルで創り上げた作品です。

例年とは違う環境の中、様々な制約がありました。
その中でもこれだけの作品を完成させた12名の選択者に大きな拍手を送りたいと思います。
担当した三塚先生はこの作品と音楽研究4のこれからについて
このようにコメントしています。
「作品はコロナ禍にあって試行錯誤しながら制作したもので、
生徒たちの、想像力、発想力、協調性はもとより、
今後は国語や英語、社会科、理科など色々な科目とのコラボの可能性もあると思います。」

音楽研究4では、毎年いろいろな取り組みをしています。
数年前にはオリジナル曲をつくり、それを三塚先生が合唱曲にアレンジ。
その曲が、合唱コンクールの課題曲なりました。
さて、来年度はどんな作品が出来上がるのでしょうか。
今から楽しみですね!

「Aoの空··」

中1 English Contest

2月22日(月)LHRの時間に、中学部1年生のイングリッシュ·コンテストとして、捜真女学校英語科伝統行事であるスペリングコンテストが行われました。1月の単語テストで選ばれた41名の生徒たちは、学年の生徒と先生たちが見守る中、チャペルの壇上に並んで、英会話のテリオ先生が発音する単語のスペリングを間違えないように気を付けながらマイクを使って答えていきました。今年は壇上に並んだクラスメートや友達に大きな声援を送ることはできませんでしたが、コンテストは順調に進み、大いに盛り上がりました。1対1の白熱した敗者復活戦をへて、最終的に10名の生徒が入賞を果たしました。

図書館から本の紹介 2月24日

 

先日、中1の生徒から本のリクエストがありました。
「小学生の時、読書感想文の課題図書だったけれど、対象学年ではなかったので読めなかった。」
本が届いたと、教室に伝えに行ったところ、飛びあがって喜んでくれました。そんなにも、心待ちにしている本の作者はどんな人なんだろうと調べてみたところ、15歳で書いた小説で賞を受賞して、大学では獣医学部を専攻。
その『ぼくとニケ』は今貸出し中なので、戻ってきたら私も読むのを楽しみにしています。
今回は先に読んだ片川さんの作品、二冊を紹介します。

『わたしがここにいる理由』片川優子 岩崎書店
朝日中高生新聞に連載されていたものが単行本として出版されました。
小学校の幼馴染三人が中学に進学し、それぞれの居場所を見つけていくという青春物語。とても読みやすいです。皆さんの身近にもこういった場面があるんだろうなと、思いました。
普段なかなか読書する機会がないな、という中学生におススメです。
「王様の耳はロバの耳」むしゃくしゃした時は、図書館の窓から空に向かって大声で叫んでみてください。スカッとしますよ。

『ただいまラボ』片川優子 講談社
こちらは、高校生におススメ。獣医学部で大学生活を過ごしている仲間たちの日常が描かれています。捜真にも獣医学部を目指す生徒が少なくありません。大学の研究室(ラボ)での日常が爽やかに描かれています。参考になるかな。
アパートで仲間ともやし鍋を囲んでみたり、ひたすら鹿の耳を切り刻んだり、友達の実家に転がり込んだり、インターンで挫折したり、社会に出る直前の不安と期待が入り混じる時期。
「悩んでもいいし、迷ってもいいんだ。そう思うと、なんだか肩の力が抜けた。だってそれは『生物学的にも正しいこと』なんだから。大事なのは、そこからなにを見出すか。少しずつでも前へ進んでいけば、いつかその悩みや迷いに、意味があったと気付ける日が来るはず。前に進むことをやめなければ、いつか進むべき道が見えてくるだろう。」がんばれ!応援してるよ。

みんなで取り組もうSDGs【第11弾】

こんにちは。捜真SDGs実行会「みんなで取り組もうSDGs」チームです。
寒い季節はエネルギーを多く使う時期です。
こんな時こそ、エネルギー資源や節電の方法などを考えて、できることを実践してみましょう。
①節電しよう
寒さが本格化し、学校や家で暖房を使用する機会が増えていませんか?
暖房の性質をよく理解し、賢く節電しましょう!
暖かい空気は上にいくという性質があるため、エアコンの羽を下向きに設定して、低い温度でも部屋が暖まるようにしましょう!
②エネルギーを大切にしよう
私たちが主に利用しているエネルギーは、石油や天然ガスといった自然環境に良くないエネルギーです。
環境を良くするためには、水力·太陽光発電といった、繰り返し利用できる再生可能エネルギーの利用率を上げることが求められています。
こまめに「電気を消す」「コンセントを抜く」など小さなことを心掛けることで、再生可能エネルギーを増やすことに繋がります。

JOC&YWCA 合同修養会「主に向かって新しい歌を歌え」

毎年2月に一泊で行っていた有志の修養会でしたが、今年はコロナの影響により、「参加上限人数は20人、宿泊はせず校内で実施する」という変則的な形で行うことになり、2月13日、千葉ホールを会場に行われました。

主題は「主に向かって新しい歌を歌え」(詩編98篇1節)。これを主題にした理由はこれまでとは異なる生活様式が求められる中、何を変え、何を変えずに生きていけば良いのか、生徒と共に考える機会としたかったからです。また、どのような状況であっても、生徒たちには、希望を絶やさず前を向いて「新しい歌」を歌っていって欲しいと思ったからです。

生徒たちが自ら心を開いて語れるように、今年も、ディスカッションの前に1時間かけて「今の自分」を紙粘土(高二以下)とコラージュ(高三)で表現してもらいました。その後、出来た作品を持って静かな場所に移動、グループのメンバーに今考えていることを話していきました。「水たまりに落ちた、一滴の雨の雫」を作っている生徒は「水たまりに跳ねた水滴はもうどん底にはいない、跳ねた分だけ上がっている。それが今の私です。」と言っていました。また素手でボールを掴んでいる作品がありました。理由を聞くと「相談に乗ってくれた友人の返してくれた言葉が、今の私が求めていたものとピッタリで、直球を心のど真ん中で受け止めている様を表現してみたかった」と教えてくれました。各々自分の作品を説明しながら、また仲間の言葉を聴いて、無意識の感情に気付いたり、心の傷が癒されたり、共感してもらえたことが信頼や安心につながったり、とても豊かな時間になりました。

お昼休みはお弁当を食べながら、音楽科の河原先生の「音楽と詩編」に関する講演を聞き、「メンフィス」という映画を観ました。ゴスペルが生まれる背景には、想像を超える酷い差別受けた黒人達の魂の叫び·祈りがあったことを学びました。

例年ならば高三から二人の生徒が選ばれて朝拝を担当していましたが、今年は参加した高三生7人全員に話をしてもらいました。進路に対する後悔や期待、友人の大切さ、セルフイメージとそのギャップ、人の目や評価からの解放、失敗からのリベンジなど、それらはみな体験に基づく生きた言葉でした。高三から在学生への素敵なギフトになりました。

今年は学校での毎日の礼拝もままならず、6月の登校開始当初は朝のHRでの聖書朗読と祈祷だけでした。2学期なってからようやくチャペルが使えるようにはなりましたが、1~2学年しか入れず、未だに全校が揃って礼拝を捧げることはできません。しかし、高三の生徒たちは学年でline礼拝を始め、有志でチャペル礼拝を要望して、実現させてきました。高三の生徒たちが、しっかりとキリスト教教育を受けて育っていることを実感できる修養会でした。後輩たちが後に続くかどうかは我々教員にかかっています。

コロナ禍にも関わらず、聖書の御言葉に触れ、先生や仲間と人生を分かち合い、豊かな時間を共に過ごせたことを神様と学校に感謝します。また、祈りをもって支えて下さった方々、具体的な形で支えて下さった同窓会の皆さまにも心からお礼を申し上げます。


2020年度JOC&YWCA一日修養会
時間 プログラム
9:00 オリエンテーション
開会礼拝
9:40 講演            (コラージュ又は紙粘土)
11:00 ディスカッション(学年)
12:00 昼食

(講演:DVD鑑賞)

14:00 高三のお話
15:00 ディスカッション
15:45

16:00

閉会礼拝

解散

図書館から本の紹介 2月15日

登校、在宅学習と落ち着かない日々ですが、最近高校生が新書を借りに来ることが多く、自分の
引き出しを増やしていってくれたらなと、一人一人のリクエストに合わせた選書をしています。
「比較文化」について書かれているものはないか。とレファレンスされることがよくあり、出来るだけ新しい情報を届けたいと思っていたところに、この一冊をみつけました。

『たちどまって考える』ヤマザキマリ 中央公論新社

漫画家で文筆家でもあるヤマザキさん。高校の途中からイタリアに渡り美術の勉強を始めたというタフな方です。
この本では、昨年から感染拡大しているコロナに関してのイタリアと日本の対応の違いや、両国の歴史、文化、思想の変遷をたどり、今日本で起きていること、今すべきことがズバッと書かれています。一気に読まされてしまうほど、ヤマザキさんが今まで溜めていた思いが次から次から書かれていて、「比較文化」について興味のある人に、是非読んでいただきたい。

「特定の宗教的拘束のない社会で生きる私たちは、倫理観を一体どこから学んでいるかというと、それは『社会』と『世間体』だと思われる」「今まで表に出てこなかったものが、パンデミックによって剥き出しになっている」「自らもコロナ禍の中で生きる一人の市民としての脳で考える姿勢は、政治家にとって不可欠」「世の不条理と向き合うことで、募る悲しみや怒りを浄化させる。そういった意味でも、文化に携わるのは大切」「これまで見過ごしてきた物事を落ち着いて考え、またじっくりと、それまでとは違った角度からも見つめなおす」他にもたくさんの示唆にあふれた言葉がみつかります。

津田塾大学の講演会でお話をされたり(1月29日に終了)、六本木アートカレッジでディレクターとして多彩なゲストと対談をされたり(3月9日)、旬な活動もされています。ヤマザキさんの動向に今後も注目です。

「在宅学習川柳」中1オンラインホームルームで

中1のクラスでは、在宅学習日のある日常に慣れてきたので、「在宅学習川柳」を投稿してもらいました。

「朝7時 焦って気がつく 在宅日」
「行ってきます 向かう先には PC画面」

meet によるライブ授業もあり、時間割にしたがって過ごします。

「マスク無し 逆に違和感 meet中」
「在宅日 『今何時?』が 口癖だ」

友だちに会えないのは寂しいという人も。

「友達の 元気な声が 聞こえない」
「在宅中 話し相手は スマホだよ」

感染に留意しつつ対面の良さも存分に生かして、
少しでもストレスの少ない学習環境を維持できますように。

 

捜真SDGs実行会「チョコレートプロジェクト」によるチョコ販売

今年もバレンタインデーに向けて、フェアートレードのチョコレートの販売を行いました。
今年のテーマは「CHOCOLATE×EAT= SUPPORT」です。
例年のような宣伝活動ができなかったので、今年はフェアトレードや児童労働に関する動画を製作して、それを観てもらうことで全校生徒にアピールしました。
チョコレートの販売日には、多くの生徒が協力してくれ、185枚のチョコレートを完売することができました。
収益金の4,985円を、世界の子供を児童労働から守る活動をしているNPO団体「ACE」に寄付させていただきます。
皆さんのご協力、ありがとうございました。

2/27(土)学校説明会の変更について

新型コロナウイルスによる現状況を考慮し、2月27日(土)に予定しておりました学校説明会は実施方法を変更し、オンラインにて本校のご案内をご視聴いただくかたちにさせていただきました。お申込いただいたご家庭にURLをメールでお伝えいたします。(当日のLive配信はございません。)
説明会当日にお配りする予定であった書類一式は郵送させていただきます。
お申込み受付期間は3月12日(金)14:00まで延長いたします。

こちらのフォームからお申し込みください。

何卒ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

 

 

 

中1 オンラインホームルームでは

捜真では現在、学年ごとの分散登校を行っていて、週に1~2日、在宅学習日があります。在宅学習日にはオンラインでのホームルームや授業が行われます。

在宅学習日と週末合わせて4連休になったので、中1のあるクラスでは「自分で作ったごはん」を投稿してもらいました。納豆オムレツの朝食から生地も手作りしたニョッキの夕食まで、バラエティ豊かな食卓が並びました。手作り感あふれるマフィンや、思わずよだれが出そうなラーメンも!お皿や盛り付け方を工夫した楽しい写真もたくさんありました。さすがインスタ映えの時代です。

礼拝メッセージ 1月25日

「勉強したその先」

宗教主任 高一担任 藤本 忍

【聖書】イザヤ書35章1節~2節

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。
花を咲かせ/大いに喜んで、声をあげよ。/砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。/人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。

 

イザヤ書43章19節~20節

見よ、新しいことをわたしは行う。/今や、それは芽生えている。/あなたたちはそれを悟らないのか。/わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。
野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。/荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ/わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。

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仕事柄、教会員以外の方のご葬儀の司式を引き受けることがあります。ご葬儀と言えば、通常は納棺式、前夜式、告別式、火葬式、納骨式と五回執り行われるものなのですが、昨年は火葬式だけを依頼されることがありました。火葬場に行き、讃美歌を歌い、祈りを捧げ、祝祷をしてお見送りをしました。五分程でした。ご遺族三人だけで行われ、召された方がどのようなお人柄でどのような人生を送られたのか、全くわからないご葬儀は初めてで、そして寂しいものでした。

昨年の二月末、コロナの影響で学校が休校になってから、間もなく一年が経ちます。この一年を振り返ってどう思いますか。高二は特に捜真では「華の高二」と言われていただけに、一番辛かったのではないでしょうか。「私の高二を返せ」と私の姪っ子もよく言っています。部活だけでなく、修学旅行、文化祭、体育祭と、ありとあらゆる行事が全て消えてしまって、こうなると、もう期待というものをしなくなるのではないでしょうか。また、一方では、かなり早い時期から切り替えられた人もいたのではないですか。
結果的に、やりたいと思っていたこと、やろうと思っていたことが出来なくて、そのエネルギーを今年はどこに向けましたか。勉強を始めた人も多くないですか。最初はある種の「逃げ」で始めた勉強も一山越えて意外と面白くなっている人もいると思います。やらされていた勉強が、今ではやりたくてやっていると言う人も多いと思います。コロナ禍でも将来に夢を持ち、自分の生き方にプライドを持って、納得して勉強している生徒が今年は増えた気がします。

先日たまたまTVをつけていたら、「林先生の初耳学」という番組がやっていました。ローランドとの対談でした。ローランドは「大学は空港だ」と言っていました。「行き先がわからない人は空港には行かない、行き先がわかっている、やりたいことがある人が行く」と言っていました。そして「僕は成功や結果よりやりがいを追究したい。たとえ目の前に負傷したシマウマがいても、それを襲わないライオンでいたい。勝ち方には拘りたい」とも言っていました。それに対して林先生は「そうやってやりたいことがある人はいいけど、ない人はどうすればいいの?」と聞き、続けて「僕はやりたいことに拘っていない。」と言いました。「全ては偶発的だと思っている。置かれた環境にたまたま入ってきた情報によって導かれる。今の仕事もやりたいからやったというより、『いつやるの、今でしょ』がバズって、偶然導かれてここにいる。」主体的に生きるローランドと受動的に生きる林先生、私はどちらにも共感しました。

そして、もう一人、皆に知って欲しい人がいます。それはアフガニスタンに医療活動に行って、最期はテロリストの銃弾に倒れた中村哲さんです。彼は蝶が大好きで、大変珍しい蝶がアフガンにいると聞いて現地に赴きました。しかし、干ばつが続き、子どもたちは治療しても治療しても悪化して死んでいくばかりでした。彼は言います。「医者が100人いても救えない。でも一本の水路があれば命を救える」と。そして彼はゼロから土木工学を学び六年かけて25km先の山から水路を引くことに成功しました。私が彼を尊敬してやまないのは、彼がこれまでの自分のスキルに拘らず、目の前の一人の命を救うために自分を変えることができたという点です。本当に勉強をした人というのは、自分のスキルに縋りつかず、こうやってまた一から別の分野を学び始めることができる人なのかもしれないと思いました。神様はそういう人に力を貸して下さる方です。事実、砂漠に水が流れ、花が咲いたのです。

今、皆が学んでいることが将来どのような形になっていくかなんてわかりません。しかし、自分を創造してくれた神様を信頼して最善を尽くしたいと思いませんか。なぜなら、人生の終わりなんて私たちには何もコントロールできないのですから。生きているときだけです。自分の命を何かに使える(仕える)のは。

1月25日(月)全校礼拝

みんなで取り組もうSDGs 【第10弾】

こんにちは!捜真SDGs実行委員会「みんなで取り組もうSDGs」チームです。
昨年秋から始まった、2020年度の新メンバーによる初のポスター掲示です。
通算では第10弾になります。
これからも様々な情報を提供していきたいと思います。
私たちにできるSDGsの取り組みを続けていきましょう!

【第10弾】
①プラスチックごみを減らそう!
プラスチックごみの9割がリサイクルされずに、毎年800トン以上が海に流れ込んでいます。

②知ってた?SDGs
皆さんはSDGsを知っていますか?SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略で2013年〜2030年の間に達成するための17の目標です。まずは知ることから始めましょう。

現時点での各国のSDGs達成率を見てみると、1位スウェーデン、2位デンマーク、3位フィンランドと北欧の国々の達成率が高くなっています。日本は17位で、目標5の「ジェンダー平等を実現しよう」目標13の「気候変動に具体的な対策を」の達成率が低くなっています。

2030年まで10年を切りました。皆で意識を高め目標達成を目指しましょう。

【第10弾のゴール目標】

図書館から本の紹介 1月16日

新しい年を迎えました。
今年も気になる本の紹介をしていきます。
冬休み中、図書館からたくさんの本を借りて家で読みました。その中で88歳の父も読んで、涙が
止まらなかったという本を紹介します。
みなさんもよくご存じの本です。

『あらしのよるに』きむらゆういち 小学館

アニメや映画、教科書にも載っている有名なお話です。絵本の第一作『あらしのよるに』は1994年、今から25年ほど前に出版されました。一時は書店にずらりと並びテレビを通してお茶の間でも話題になりました。今回は絵本ではなく、単行本をおすすめします。
今年のお正月に父が読んで、びっくりするほどのめり込み、一気に読んだと聞いてこのお話の魅力を再確認しました。
喰うか喰われるかの宿命を持つ「オオカミ」と「ヤギ」。しかしその関係を乗り越えて「友達」となり、一緒に暮らすことのできる「緑の森」を目指す。
結末は本を読んでいただきたいのですが(単行本には結末が書いてあります)、このお話がどの世代の人にも、どの時代にも必要だということをみなさんにお伝えしたいです。
命と心を震わせて生きていく人生に出会ってほしいな。

礼拝メッセージ 1月15日

「キリストの約束を信じて~分断ではなく平和を」

中1担任 杉山 知子

【聖書】ヨハネによる福音書16章33節

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

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皆さん、在宅学習日を有効活用していますか?
実は、数学という教科に関しては、この学習体制はチャンスなのです。
他教科に比べて「わかる」と「できる」の差が激しく、理解するスピードなど個人差も大きいからです。
4月5月のように全部在宅だときついですが、今のように、授業で説明を聞いて「わかる」まで質問しておき、家で自分のペースでじっくり課題に取り組んで「できる」ようにするのは理想的とも言えます。いつも提出期限に追われて適当にしてしまいがちな人は、時間をかけて練習して本当の力を身につけられますね。余裕のある人は、課題以外のもっと難しい問題にも挑戦できます。数学に限らず、何か自分でテーマを決めて研究してもよいかもしれません。

日本の中高生にとって、「自分でテーマを決めて研究する」というのはあまり日常的ではないですよね。部活や委員会活動で忙しく、自由研究も小学校で終わり、というイメージです。
ところが、アメリカには「サイエンス·フェア」という科学に関する自由研究を発表する大々的な場が小·中·高にあることを、冬休みに読んだ本で知りました。高校生になって地域の大会、州の大会と勝ち進むと、世界最大のサイエンス·フェアと呼ばれる国際学生科学フェア(ISEF)に出場できます。ISEFでは1人1つのブースを与えられて、世界中から集まった専門家に自分の研究を説明するとのこと。20以上の分野で合計3億円以上と賞金額もケタ違いで、ここで賞を取った若者の中からノーベル賞受賞者が何人も出ているそうです。
でも、一部のいわゆる理系オタクたちだけのイベントというわけではなく、たとえば女優·モデルとして活躍していた高校生が思いがけないテーマと出合って勝ち進む、というエピソードもありました。そういう意味では、この本の日本語タイトル「理系の子」はちょっとずれていて、副題の「高校生科学オリンピックの青春」の方が原題の「サイエンス·フェア·シーズン」(ジュディ·ダットン著)に近いかもしれません。
ISEFには日本からも代表が派遣されていて、毎年のように受賞者がいるそうです。この本の巻末付録として2011年にアメリカ地質研究所1等賞を受賞した千葉県の女子高校生の当時の手記が載っていますが、彼女がその研究を始めたのは中1の時だそうですよ。

2012年に出版されたこの本を2021年のこのタイミングで読んで、最も大きく心に残ったのは次の二つです。

まず、この本は2009年のISEFに出場したアメリカの若者たちを追っているドキュメントなのですが、実は2009年は唯一日本から代表を派遣しなかった年なのです。それは、アメリカを中心として新型インフルエンザがパンデミックになっていて、渡航を自粛したからです。(ちなみに2020年は5月にオンライン開催でしたから日本からも参加し、受賞したチームもあったそうです。)
2009年の新型インフルエンザは若者がかかりやすいと言われていて、日本で最初の感染者はカナダへ短期留学していた高校生たちでした。その学校の校長先生がテレビで泣きながら謝罪したのが当時有名で、そこに通っていた知り合いの子のお母さんが「うちの校長先生がかわいそうだ」と怒っていたのをよく覚えています。自粛警察的なムードがその頃もあったということですね。
夏前から捜真でもぽつぽつと感染者が出始めて、自然教室で数十人が感染したり若い先生が感染したりして一時は大騒ぎでしたが、日本では重症化する人が少なく、1年でほぼ沈静化しました。もちろん学校生活に今のような制限はありませんでした。

二つ目は、ISEF2009の出場者の一人がハンセン病だったということです。
BBというニックネームの16歳の女の子が診断を受けたときのお母さんの第一声、「まだハンセン病にかかる人がいるの?」が、まさに私の思いそのものでしでした。多磨全生園やハンセン病資料館に何度も行ったり話を聞いたりして、21世紀の今はよほど風土や衛生状態が悪い場合しか新たにかかる人がいないと思い込んでいたので衝撃的でした(実際、日本では新規感染者はほぼゼロ)。日本にも差別の歴史がありますが、アメリカでは聖書に親しんでいる分、根深い偏見があるそうです。らい菌という細菌は新型コロナや新型インフルエンザなどのウイルスとは異なり伝染力がきわめて弱いことや、ほぼ自然治癒すること、薬で伝染力は完全になくなることなどが、日本同様十分に知られてないのです。
毎週日曜日に礼拝出席するクリスチャンであるBBにとって、ハンセン病の知識は聖書のみ、それも悲惨なものばかりでした。恐れと悲しみのどん底に突き落とされた彼女は、気を取り直すとすぐに調べ始めました。結局、知識こそ力であり、事実を手に恐怖と戦うことを決意したのです。インターネットで調べ、本を読み、国立ハンセン病療養センターを訪れ、専門家に話を聞きました。ハンセン病について解明されていることはすべて、人間とアルマジロしかかからないことまで調べ尽くしました。そのうち、ドラマや映画など、いたるところで「『らい病患者』のように放り出す」のような悪い比喩としてハンセン病が取り上げられていることに気づいたのです。
そこからがBBのすごいところです。自分の次の課題は、ハンセン病に対する人々の誤解を解くことだと考えたのです。恐怖は感染症のように広がります。日本でも療養所に暮らしている元患者さんたちの多くは偽名ですし、アメリカでもハンセン病だということをほとんどの人が隠していて、知識のない医者がハンセン病患者を差別する例もあるそうです。そんな中、友人たちに「わたし、ハンセン病って言われちゃった。心配しないで。うつらないから。」と打ち明けたのです。
幸いあからさまな拒絶反応はありませんでしたが、無知ゆえに皆心配しました。彼女の病気の話はあっという間に広まり、脚の発疹をこっそり見られているのではないかと気になって黒タイツをはいた時期もありました。しかし、正しい知識が浸透するにつれ、「ハンセン病?クールだね!」みたいな感覚になっていったそうです。ハロウィーンの衣装をボロボロのローブを着て鈴を持った『らい病患者』(現在の新共同訳聖書では「重い皮膚病」となっている)にしたらどうかと提案してきたり、薬の副作用で尿がオレンジ色になると聞いて数人で個室についてきたり。そうこうするうちに発疹も消え、サイエンス·フェアに向けてハンセン病について一緒に研究しようと申し出る友人が現れました。この友人と二人で投薬によるらい菌の数の変化を調べる実験を重ね、州の大会へと勝ち進み、あらゆるメディアに取り上げられ、BBはついに国際学生科学フェア2009に乗り込むことになるのです。研究のくわしい内容は本を読んでくださいね。

12年前にもパンデミックがあったことを思い起こし、今でも病いそのものではなく無知と偏見にさらされて苦しむ人々がいることを改めて認識した私は、人間の弱さをつくづく思い知らされています。
私たちの体を作る細胞が日々新しくなるように、新たなウイルスが次々生まれています。環境破壊など大きく言えば人類が原因を作ったかもしれませんが、生きるために自粛要請に応じられない店の責任ではないし、ましてや留学を許可した校長先生のせいでもありません。
現在、医療従事者の方々が 感染力の強いウイルスと命懸けで闘い続けていらっしゃるのに、本人や家族が差別される事例が報道されています。一方、少なくとも日本では、ハンセン病に関わった医療従事者の中には一人もかかった人がいません。それほどまでに伝染力が弱いにもかかわらず、1996年にらい予防法が廃止されるまで危険手当が支給されていました。絶対安全なのにお金がもらえる、そのことを世間は知らない、知らせない方が得。それも廃止が遅れた理由の一つでした。とっくに治った方々が隔離され続け、世間は隔離が続いているから恐ろしい病気だと思い込まされていたのです。
他方で、本当に危険な福島の原発で命懸けの事故処理を続けていらっしゃる原発労働者の方々に、危険手当が支給されなくなっている現実もあります。最も危険な作業の多くは非正規雇用の方々が担っていて、1年間に浴びる放射線量の制限があるので雇用は不安定だし、政治の都合で待機させられても手当が出ない、経費削減で防護服や安全設備もどんどん劣悪になっていく。国の政策により稼働していた原発の後始末のため、制限があるとはいえ非常に高い線量を浴びているのに、病気になっても何の補償もないのです。危険手当もいらないくらいもう安全だ、オリンピックもできるくらいだ、とアピールする裏には、使い捨てにされている人々の存在があるのです。「ふくしま原発作業員日誌」もぜひ読んでください。図書館にあります。最初だけ英雄視され、次第に忘れられたり差別されたり···現在の医療従事者の方々に重なって、暗澹たる気持ちになります。

でも、若い皆さんがいる限り大丈夫です。
若者は経験や責任が少ない分、しがらみに縛られずに損得勘定を超えた発想や行動ができると思うからです。
BBはこう述べています。
「後悔ばかりして生きている人や、取り乱すばかりで問題解決に向けて一歩も踏み出さない人もいるでしょ。わたしは災難を引き寄せるタイプなんだけど、どんなときでも明るい面を見るようにしているのよ。」
ハンセン病にかかっても恥ずべきことではないと世界に訴えかえたBBは、「新しい挑戦を成し遂げるときに神を信じる心が勇気をくれた」とも語っています。同時に、窮地に追い込まれたときの救いは科学だったのです。
科学的な態度とは、「私は知らない」と謙虚に認識することだと思います。
知らないから調べ、知らないから学ぶ。
受け身でいるだけだと事実は隠されることもあるので、時には賢く疑う。
迷ったときはイエスさまを模範とする。
イエスさまは誰のことも、ハンセン病患者をも差別しませんでした。そのイエスさまが誰のことも見捨てないと約束してくださっています。キリストの復活が約束の証拠なのです。
だから、私たちは、キリストの約束を信じて喜んで今日の命を生き、分断ではなく平和を作り出していきましょう。

1月15日(金)中学部礼拝