投稿者「soshin」のアーカイブ

図書館だより 5月30日(土)

杉山先生から是非皆さんにと、本の紹介が届きました。

『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』カウテル·アディミ 作品社

「1960年4月9日
ここは恐ろしい場所だ。外出しないよう言われるが、もちろん働かなくてはならない。外出を控えるよう新聞で書く連中は、僕らがどうやって生活費を稼ぐと思っているのだろう。」

エドモン·シャルロの手帳のこの1節を読んだとき、ぎょっとしました。
ちょうど60年後の今、新型ウイルスで命を落とさなくても経済で亡くなる人がいるかもしれない状況だからです。

60年前の外出禁止令は、アルジェリアの独立戦争のさなか、フランスに住むアルジェリア人に対して出され、パリ警察による虐殺も起きたそうです。
エドモン·シャルロはアルジェリア生まれのフランス人で、21歳のときアルジェに書店兼出版社を開き、今話題の『ペスト』を書いたアルベール·カミュを世に送り出した実在の人物です。

〈真の富〉と名付けられた店には「若者の、若者による、若者のための」という看板を掲げ、激動の時代に命をかけて本を愛しぬきました。

著者はアルジェ生まれの女性作家。この作品は現代の大学生(読書嫌い!)のエピソードが挟み込まれている巧みな構成で、「高校生のルノドー賞」をはじめ、いくつもの文学賞を受賞しました。フランスの高校生に選ばれた作品なので、ぜひ捜真生にも読んでほしいです。

 

 

学校再開に向けて

以下は、5/25(月)15:00に配信したメールから抜粋しました。

保護者の皆様

新型コロナウイルス感染拡大のための長期に渡る休校にご協力くださり、誠にありがとうございます。

緊急事態宣言とそれに伴う外出自粛要請の成果が現れ、緊急事態宣言が解除された府県が大半になりました。そしてご存知の通り、北海道及び首都圏の緊急事態宣言の解除も本日中に公表される模様です。つきましては、学校における教育活動を6月1日より再開いたします。

しかしながら、市中にどの程度ウイルスが残っているのか把握する手段もなく、横浜市、神奈川県、東京都の現状から慎重に登校を再開させるべきであるという判断をいたしました。学校再開を待ちわびていた児童·保護者の皆様には本当に申し訳なく思いますが、どうぞご理解くださいますようお願いいたします。

具体的には、学年をクラスで分けて、午前·午後の二部登校を実施いたします。期間は概ね4週間といたします。

6月2日(火)は、入学式をクラス別に午前·午後に分けて行います。これに伴い、2年生〜6年生は6月2日(火)を再び休校とさせていただきます。

○学校の対策

①手洗い

登校時

登校時に子どもたちが確実に手を洗えるように、昇降口前に蛇口やポンプに触れなくても手を洗え  る器具を設置しました。また、一日に何度も手を洗うことを踏まえて、紙タオルを用意し手を拭けるようにします。

学習時間帯

定期的に教師の指導の下、蛇口やポンプに触れないかたちでクラス全員で手洗いを行います。更に頻繁に手を拭きたい場合は、ウエットティッシュを持たせていただき、児童が適宜拭くようにしてください。

②消毒

子どもたちが教室内にいる時間帯を利用して、蛇口、トイレの扉·ボタン·バルブ、階段の手摺りなど、多人数が触れることが想定される箇所を1日に複数回消毒します。一日の学習活動が終了後、児童の使用した机を同様に消毒します。教室の机·椅子は午前と午後で別とし、専用で使うようにします。

③換気

教室は必ず2方向の窓を開けて、換気を図ります。

④水分補給

個人の水筒から行うことといたします。マスクを外す場面になりますので、着席して教員の指導の下、マスクの片側だけを外すかたちで行います。尚、前述の手洗いの方法と水分補給の仕方などの動画を明日配信いたします。お子様と一緒にご確認ください。

⑤教員·学習

子どもたちと対面するかたちになる教師は、マスクを必須とすることはもちろん、全体に説明するような場面では児童から2m離れることを心がけます。大きな声を出さないよう、簡易的なマイク を必要に応じて使用します。また、飛沫を飛ばす恐れのあるホイッスルの使用は止め、電子ホイッスルを使用します。

以下のような子どもたちが同時に発声するような学習は当面行いません。(個別に行う場合はあります。)

歌唱、音読、発声練習、リコーダー·ピアニカ演奏 等 接触が増えるグループ学習などは当面行いません。また、休校期間  が長かったこと、気温が上昇する季節になっていることを考慮して体育の学習は穏やかなものから少しずつ進めていきます。

○保護者の方、子どもたちへのお願い

マスク

登下校時および学校内では十分な距離をとれない場面もありますので、マスクの着用は必ずお願いします。市販の大人用マスクを使う場合は子どもの顔の大きさに合うようにゴム紐の長さを調節してください。ずれると顔を頻繁に触ったり、口·鼻を覆えなくなり意味が薄くなります。マスクは、使い捨てのサージカルマスク、布マスク、手作りマスク、ハンカチを折って作った簡易マスク、政府配付の洗えるマスク、どのようなものでも構いません。色柄も問いません。汚れた場合に備えて、予備を一つ持たせてください。

検温および欠席のお願い

登校前には必ず検温してください。平熱と差がある場合、その他、咳が出る、のどが痛い等の風邪症状がある場合は欠席をお願いいたします。

子どもたちへのおねがい

子どもたちへは、①マスクをつける ②手を洗う に加えて、③友だちと手をつながない ④友だちや自分の顔を触らない。心配があるご家庭は花粉症用の眼鏡を着用させてください。 ⑤相撲のような抱き合う感じになる遊びはしない。以上の5つをお願いします。(子どもたちだけで自由に遊ぶ時間は、当分の間設けません。)

休校期間中の取り組みはこちらから

図書館だより 5月29日(金)

『犬は神様 DOG is GOD』山本容子 講談社

偶然にも、前回の本同様、表紙に犬が描かれています。
山本容子さんは、銅版画家でエッセイストでもあります。
銅版画を描いたことはありますか?私は捜真の高校時代に美術研究で一度だけ描いたことがあります。銅板に鉄筆で傷をつけ、さらに薬品でその傷を腐食させ、凹んだところにインクをのせて紙に摺って完成。なかなか思い通りならず、苦心した思い出があります。

山本さんの作品は銅版画にのせた薄い黄色や橙色の明るい彩色が特に印象に残ります。鉄筆でつけた線の太さ細さ、線を重ねた濃いところ、一本の繊細な線が豊かな表情をあらわしています。目を凝らすと手作業で創られた優しい世界が見えてきます。絵を描く感性は、文章を書く感性にもつながるのでしょうか。

この作品は、長年一緒に暮らしてきた犬の“ルーカス”との思い出がつまったエッセイです。犬を飼うまでは想像できなかった生きもの同志の深い関わりが、胸の奥に届いく作品でした。
昨冬に16歳で逝った我が家の柴犬を思い出しては、幸せだった日々を又期待するこの頃です。
疲れてしまった時は、近くの誰かに「ただそばにいてもらう」ことをおすすめします。

礼拝メッセージ 5月29日(金)

「W.W.J.D.?」

中学部教頭  島名 恭子

こちらから讃美歌7番「主のみいつとみさかえとを」を聞くことができます

【聖書】ヨハネによる福音書1章1節

初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。

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長かった休校期間も終わりが近づき、来週からは学校への登校が再開できるようになりました。少しずつであっても日常が戻ってくることはうれしいことですが、ここに至るまでに多くの方の命が失われたこと、医療や介護、その他の様々な場所で、今も命がけで働いてくださる方たちがいらっしゃることを、私たちは忘れてはならない。そう思います。

さて、今日のタイトル「WWJD?」とは何でしょう。これは「What would Jesus do?(イエス様ならどうなさるでしょう)」を略して表したもので、ネックレスとかブレスレット、キーホルダーなどのデザインとしても使われていることがあります。
捜真では「WWJD?」といえば、J.O.C.のキャッチフレーズでもあります(中1の皆さん、J.O.C.については入学したらきっと紹介がありますから、楽しみにしていてください)。

先日、東京にある「上馬キリスト教会」のTwitterを見ていて思わず笑ってしまいました。有名な「最後の晩餐」の絵を題材にして「新しい生活様式、はじめました。対面でなく横並びで座ろう」とツイートしていたのです。誰でも知っているいわゆる「名画」に、こんなユーモアたっぷりのツイートは不似合いなのでしょうが、とにかく楽しくなりました。もし、イエス様が今、ここにいらしたら、きっとこんなふうに私たちを笑わせてホッとさせる、あたたかな言葉をかけてくださるにちがいない、とも思いました。

今回の「コロナ禍」と呼ばれる状況で、家にいる時間が長い分、私たちはテレビやネットでたくさんの言葉を聞いてきました。人を励ます言葉もたくさん聞かれました。でも、人の心がささくれだつような言葉を聞くことも、それと同じくらいたくさんあったと思います。私自身ももしかしたら人を傷つけるような言葉を使っていたかもしれません。「イエス様だったらどうなさるでしょう?」と考えるゆとりもなかったことに気づきます。

本来、言葉は人を生かすものであるはずです。ヨハネによる福音書の最初に「言は神と共にあった」とありますが、神様は私たちをいかしてくださる方ですから、その神様と共にある言葉もまた、私たちをいかすものであるはずなのです。

聖書には、言葉によって人の病をいやし、人を生かすイエス様のことがたくさん書かれています。
もし、今、ここにイエス様がいらしたらいったいどうなさるでしょう。きっと、今、苦しさ、孤独、弱さ、寂しさを感じている私たちをいやし、生かす言葉をかけてくださるに違いありません。時にはユーモアたっぷりに私たちを笑わせてくださるかもしれません。

まず私たち自身がイエス様の言葉から生きる力をいただきたいと思います。そして、少しでもイエス様に倣って、私たちの近くで苦しんでいる人、つらい思いをしている人、寂しくて助けてほしいと思っている人にあたたかな生きる力となる言葉をお伝えできるものでありたいと思います。「イエス様ならどうなさるでしょう?」と考えながら今日一日を過ごしたいと思います。

お祈り
天にいらっしゃる父なる神様。今日、このような形で多くの方とともに礼拝を守ることができましたことを感謝します。
その時々で、「イエス様ならどうなさるでしょう?」と祈り考えることができるものと、私たちをしてください。イエス·キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

 

新しい学校生活

学校再開に向け、新しい学校生活のお約束を動画にて児童とご家庭にお伝えさせていただきました。

(動画が表示されない場合は、再度読み込みを行ってください。)

こんにちは。enjoy_your_timeです

高三有志団体enjoy_your_ timeは総勢24名で活動しています。
私達は、コロナ禍において何かできることはないか、自分たちの休校期間の時間が誰かを幸せにするものになってほしいと考えて、この団体を作りました
私たちは、自分たちのやりたいと思うことや社会貢献など、主体性をもって自ら提案し、様々な活動を行なっていくことを目指しています。

今回は、毎日家にいる捜真の、主に小学生に届けたいと思い、読み聞かせをしてみようと考え、私たち独自の紙芝居を作成し、動画にしてみました。家で退屈している子供たちとお母さんの助けに少しでもなれば幸いです。

小さな行動でも何か大きなものに繋がる、そして誰かの幸せに繋がると思い、引き続き、精一杯頑張って行きたいと思っています。

 

こちらから紙芝居をご覧いただけます

中1のために高三が動画をつくりました

高校三年生が中学1年生に向けて応援のメッセージ動画を作ってくれました。
テーマは「中学1年生の時不安だったこと……。」
中学1年生はようやく入学式の日が近づいてきたところです。これまでも大変だったことでしょうし、また実際に登校の日が近づくにつれて不安も募るかもしれません。高校三年生も最初は同じように不安だったようですね。
高校三年生の思いが届いて、1年生が穏やかで楽しい捜真生活を送れるよう、教員もお祈りしています。
高校三年生の皆さんも、本当にありがとうございました。

礼拝メッセージ 5月28日(木)

「狭い門から入りなさい」

中1学年主任  佐々木 広

 

【聖書】マタイによる福音書7章13節~14節

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。

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ゴッホという画家を知っていますか?

ゴッホの代表作「ヒマワリ」の1つが日本にある、というのは有名な話です。安田海上火災という会社が、1987年に58億円で競り落としました。

ゴッホは37歳という若さで死にましたが、死ぬまでの約10年間で、860枚の油絵を描きました。しかし、生きていた時には、彼の絵はたった一枚しか売れなかったそうです。

もしもゴッホの生涯を「勝ち」「負け」で判定するとしたら、あなたはどっちだと思いますか?生きているときに絵が売れたかどうかを基準とするならば、「負け」かもしれません。

では、ゴッホ自身はどう思っていたのでしょう。

「10年間で860枚」を単純計算すると、4日で1枚というハイペースで絵を描きあげていたことになります。絵が売れないことを気にしていたら、そんな風に描く意欲がわいてくるか。たぶん無理だと思います。

ということは、ゴッホは売れるかどうかを自分の基準にしていなかったことになります。そして、そこがゴッホのすごさだと思います。

世の中の評判や評価ではない、もっと次元の違うことを自分の基準にしていたから、ゴッホにしか描けない独自の画風を確立できたわけです。

私たちは、周りの評判や評価が気になって、周りに受け入れられることを優先してしまいがちです。でも、そうした生き方は、勝っているように見えて、実は負けているのかもしれません。そういう生き方は、他人の人生になってしまっていて、自分の人生を生きていないのです。そんなことを、ゴッホの人生から考えさせられます。

さて、あなたは、世の中の多数派でいたいと考えますか?

今世界は、ウィルスの感染拡大によって大きな混乱と不安の中にあります。

何が正しいのか、どうするのが正解なのかわからない、そんな混乱の中で生きていると、私たちは「拠りどころ」がほしくて、自分で考えるより先に、周りに情報と基準を求めます。そしてテレビでニュースを見たり、インターネットで検索したりします。

しかし私などは、ニュースを見て、たとえば「ある学校がこんな最新の方法をとりいれて成功している」などの情報に触れると、「拠りどころ」を得るどころか、かえって不安になります。「自分は競争に乗り遅れ、脱落してしまうのでは」と。そして不安に負け、「乗り遅れてはいけない」という「思考停止」の生き方に流されてしまうのです。

今日の聖書の言葉は、狭き門から入れ、と言っています。なぜイエスはそう言ったのでしょうか。

周りを見て、皆がこうしているから私もそうしなきゃ、という生き方では、真に価値のある、「いのち」に至る道を見つけることはできない、ということだと思います。

「私の人生」にとっての価値は、多数決では決められません。自分一人になってさがし求めていくしかありません。それは孤独な作業ですが、その孤独に耐え、自分1人しか通れないような、自分の「狭い道」をさがし求めなさい、とイエスは言っているのだと思います。

お祈り

今日もともに、礼拝の時間をもてたことを感謝します

自分の人生にとって最も大事なものは、人と同じではないはずです。しかし、私たちは、周りと同じであると安心し、大事なものが何か、考えることをやめてしまいがちです。

一人になって、静かに聖書の言葉と向き合い、自分と向き合う時間をつくることができますように、私たちを導いてください。

悩みの中にある人、体調がすぐれない人、苦しみの中にある人を、あなたが守り、いやし、励まして下さい。イエス·キリストの名によって祈ります。

 

 

図書館だより 5月27日(水)

『希望という名のアナログ日記』角田光代 小学館

石黒先生が注文された本ですが、本屋さんから届いた箱をひょいと覗いてみたら、なんとも魅力的な題名に手が伸びてしまい、一気に読んでしまいました。(先に読んでしまってスミマセン石黒先生)

表紙は『100万回生きたねこ』の作者、佐野洋子さんの装画。木の枝に足をかけさかさまにぶら下がった子どもはいったい誰でしょう?周りの鳥や犬やカエルがにぎやかに画面に収まっています。

目次を開いてみると、

Ⅰ<希望を>書く Ⅱ旅の時間·走るよろこび Ⅲまちの記憶·暮らしのカケラ

帯に「作文の得意な少女は作家になる夢を追いかけた」とあったので、小学生時代のお話が書かれているかなと想像しましたが、Ⅰには、みなさんが「これって、もしかしてここの教室?」と思える箇所が出てきます。Ⅱには、旅やマラソンなど自分の時間に感じた思いがさらりと書かれています。みなさんも同じように感じたこと、あるかもしれません。Ⅲには(中高生にはもう少し先の風景かもしれませんが)私には「そう、それだよ」と思っていたけれど言葉にするとこうなのね。と、すとんと納得できる文章が書かれていて、読んだ後に「一緒だね」というほっこりとした気持ちになりました。

言葉は不思議ないきものだと思います。乱暴に使って傷つけることもできるし、優しく慰めることもできるし、角田さんのように読者の気持ちを代弁して共感させることもできるし。

「目の前しか見えていない。」とおっしゃる角田さんですが、その目の前を切り取ったアナログな画面が特に今、魅力的です。

ところで、あなたはどのように言葉を使っていますか。私はどうやって使っているかしら。

 

 

 

礼拝メッセージ 5月27日(水)

「相手を思う」ということ

英語科  登道 孝浩

こちらから讃美歌313番「この世のつとめ」を聞くことができます

 

【聖書】イザヤ書 58章9節
「あなたが呼べば主が答え あなたが叫べば 『わたしはここにいる』と言われる。」

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2月末に休校になってから3か月近くが経とうとしています。自粛生活が長く続いていますが、皆さんはいかがお過ごしですか。さて今回礼拝の依頼を受け、パッと頭に浮かんだのが今回の聖書箇所でした。パッと頭に浮かんだというよりは実際に目の前にあった、と言う方が正しいかも知れません。
いま、自室の作業机の上に「ヘブンズドロップス ”Heaven’s Drops” (空色のしずく)」という名前の日めくりカレンダーがあります。これは一日一日異なる聖書箇所が選ばれ、それぞれの聖書箇所によせて「ひとこと」が書かれているカレンダーです。このカレンダーは、私が大変尊敬するある先生からいただいたものです。毎朝、自分の活動を始める前に必ずその日の「ひとこと」を確認するようにしていて、そこに紡がれている言葉は私の一日を過ごす活力になっています。クリスチャンではない私の妻も、時折私の部屋に来てはその日の「ひとこと」を確認して、自らの行動指針にしています。
今月25日の鳥居先生の礼拝で、「プレゼントそのものよりも、相手の思いのほうが嬉しい」という言葉があったと思います。私にとってこの日めくりカレンダーはそれ自体が宝物ですが、それ以上に、このカレンダーをプレゼントして下さった先生の自分に対する深い思いを感じて、感激したことを覚えています。
緊急事態宣言が全面解除されて皆さんが待ちに待った学校生活が戻りつつありますが、まだまだ予断は許しません。新型コロナウイルスは、私たちの生活のみならず考え方(価値観)や人生観さえも変えてしまいました。ともすれば「自分さえ感染しなければ、それでよい」というような自分勝手な考えに陥りがちです。そういうときだからこそ、いま一度「相手を思う」ということの大切さを認識し、実践してみてほしいと思います。

 

 

 

礼拝メッセージ 5月26日(火)

「種をまく人」

高二副担任  山村 杏菜

こちらから讃美歌352番「あめなる喜び」を聞くことができます

 

【聖書】マルコによる福音書4章3節~9節

「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」そして、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われた。

 

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私が聖書と出逢ったのは、みなさんよりも少し大きくなってから、大学に入ってからのことでした。私の家族にはクリスチャンはいませんでしたから、それまでの人生で聖書に触れることはほとんどありませんでした。もしかしたら中1のみなさんにも、そんな人がいるかもしれませんね。でも、こうやって聖書を手にとって、「神様の御言葉に耳を傾けることが、こんなに素晴らしいことなんだ!」と気づく時がきっと来るでしょう。今日は私が聖書を読み始めた頃に、心に残ったお話を共有したいと思います。

みなさんは、フィンセント·ファン·ゴッホの「種を蒔く人」の絵画を知っていますか?この絵を見ると、「なんだ、農夫がただ種を蒔いているだけではないか。」と思う人もいると思います。私も当時はそんな気持ちでした。しかし、ある時、牧師さんが「この絵は聖書の言葉を知っている人と知らない人とでは、見方が大きく変わるんですよ。」とお話してくださいました。

実はこの絵画は、イエス·キリストの語った『「種を蒔く人」のたとえ』というたとえ話の一つとされています。このお話の中で、「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。」(マルコ4章14節)とイエスは語っています。さらに、その「種」がその後どのような場所に蒔かれていくのか、イエスはとても詳しく伝えているのです。では、それぞれの「土地」とは一体何を表しているのでしょうか。きっとそれは、私たちの「心」の状態のことを語っているのだと思います。

ゴッホは、自分自身も聖職者を目指していた時期があり、この作品の中にはキリスト教の宗教観が込められていると言われています。また、画家のジャン=フランソワ·ミレーの影響も強く受け、この作品を描いたそうです。さて、ゴッホはどんな気持ちでこの作品を描いたのでしょう。それはゴッホ自身にしか分かりませんが、聖書のお話を知ることで、今までとは何か違った見方ができるかもしれません。

このお話を聞いてから、私はキリスト教やクリスチャンの見ている世界観に惹かれるようになりました。そして、「聖書」という不思議な本との出逢いは、後に私の人生を大きく変えてくれました。今日の私の礼拝メッセージも本当に小さな小さな「種」かもしれませんが、どうかみなさんの心に神様の言葉が届きますように、お祈りしたいと思います。

「種をまく人」

フィンセント·ファン·ゴッホ 作

クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー

 

「自粛中でも取り組めるSDGs」プロジェクト第3弾

こんにちは、捜真SDGs実行会です。
今日は、「自粛中でも取り組めるSDGs」の第三弾を配信していきたいと思います!

まず、報告のメールを下さった皆さん、ありがとうございました。
グループ一同、皆さんの取り組み、協力に感謝の気持ちでいっぱいです。
近々、集まった報告をまとめて紹介するので楽しみにしていて下さいね!

今週も引き続き、みなさんの報告のメールをお待ちしております。
こちらのメールアドレスにお送り下さい。

stayhomeSDGs@gmail.com

どんな些細なことでも大丈夫なので、報告して頂けると嬉しいです!
他に良いアイデアが思いついたという場合も是非ご連絡下さい!

(報告の例)
①電気を節約しよう
•スマートフォンやタブレットなどの充電器は一回一回コンセントから抜いています!
•太陽の光が入る明るい部屋で本を読みました。

【第三弾】
①節水を心がけよう!
お風呂、歯磨き、食器洗いなど、身近に隠れているたくさんの節水チャンスを見つけて実践してみましょう。

②ビニール袋は捨てずに再利用!
ビニール袋を貰った時は、捨てずにシンクの生ゴミ入れにしたり、掃除の時に手袋代わりにするなどして再利用しましょう!

【第三弾の目標ゴール】

【目標ゴールに関する豆知識】

「13 気候変動に具体的な対策を」
·地球上に存在する水の約97%は海水。人間が利用できる水は地球上のわずか0.01%
しかないのです。
·水道水を作るには多大なエネルギ ーが投入されています。 地球環境を守るため節水
への取組みが必要です。

「12 つくる責任 つかう責任」
·日本人1人当たりのプラスチックごみ廃棄量は32kgで米国に次いで世界第2位です。
·地球上の陸や海における資源、石油や石炭などには限りがあります。資源を消費する
私たちの責任は、提供された資源を最大限に活用することです。

 

 

礼拝メッセージ 5月25日(月)

「神様とのつながり」

高等学部教頭  鳥居 敬一

こちらから讃美歌24番「父の神よ」を聞くことができます

 

【聖書】ルカによる福音書15章11節~32節
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

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先日、ある生徒からこういう質問をされました。
「先生は父の日のプレゼントにお子さんから何をもらったら嬉しいですか?」
「欲しかった物をもらって嬉しいということもあるけれど、それ以上にプレゼントしてくれる気持ちが嬉しい。」「物がなくてもカードなどで思いを伝えてもらうことのほうが嬉しいと思う。」と私は答えました。
子供の頃はプレゼントそのものを嬉しく感じました。しかし、今はプレゼントそのものよりも、相手の思いのほうが嬉しいです。その人と自分との関係を喜ぶようになったのだと思います。
今日の聖書の箇所の放蕩息子の兄弟が大事にしていたものは何でしょう。
この兄弟が共に大事にしていたのは父からもらう財産でした。弟は放蕩(好き勝手にふるまうこと)した末に、やっと父との「つながり」が大事であることを悟りました。それに対して兄は、ずっと父とつながってはいましたが、大事にしていたのは「つながり」ではなく財産でした。
私たちは神様に何を求めているでしょうか。神様の恵みは絶えず上から降り注いでいます。それを私たちは手のひらを上に向けて受け取ることができます。しかし、その手の上に載ったものだけを見て握り締めてしまうと、上からの恵みを受け取ることができなくなります。手にしたものが一番になってしまうと、与えてくださった神様とのつながりが切れてしまします。
放蕩息子の父は最後にこう言っています。
『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。』
つまり、神様と一緒にいることは、恵みを全て手にすることであり、神様から離れることは、死んだのと同じ状態だということです。
全てを与えてくださる神様とのつながりを最も大切にできるように日々祈りたいと思います。

図書館だより 5月23日(土)

『ファーブル昆虫記の虫たち』熊田千佳慕 絵·文 小学館

横浜出身の画家(長く三ツ沢にお住まい)。若いころはデザイナーとしてポスターや資生堂の椿柄の包装紙などを手がける。戦後絵本作家として、細密な描写でその才能が評価された。昆虫の視線から見える世界を美しく描く。地元横浜での思い出は『熊田千佳慕のハイカラ人生記』に詳しい。(捜真生についても書かれている)

昆虫と植物がおしゃべりをしているように描かれた絵は、一度見たら忘れられない。

 

『熊田千佳慕の言葉 私は虫である』熊田千佳慕 求龍堂

熊田さんの語録ノートからの抜粋とインタビューをまとめたもの。

「人間も虫や花と同じ生き物としての仲間です。命も重さも同じです。最近、身のまわりのささいなことから愛を感じる心を忘れてしまい、悲しい事件が増えているように感じます。いつの間にかなくしてしまった、愛を感じる心を気づかせてくれるのが小さな命たちです。人々がそのことに気づいてくれたら、もっと素敵な世の中になるのではないでしょうか。微力ながらそんな思いも抱きながら、私は絵を描いています。」コロナ禍にこの一言が心に沁みます。

 

『ナショナルジオグラフィック 2020年5月号 昆虫たちはどこに消えた?』

最新号の特集は昆虫。ナショナルジオグラフィック(以下ナショジオ)は、130年余りの歴史があり、36か国語で出版されている権威ある写真雑誌。

今回の特集は、「昆虫の絶滅は地球の崩壊の前触れか?」現場や研究者の取材をもとに、私たち人間が何に向かっていくべきかの提言がされている。

捜真生が興味を持つ、SDGsの裏付けになる記事が毎号満載されているので、是非こういった科学的な根拠を参考にして活動につなげていってほしい。

礼拝メッセージ 5月22日(金)

「時にかなって美しい」

中1副担任·留学委員長  森 美和子

 

こちらから讃美歌213番「みどりのまきばに」を聞くことができます

 

【聖書】箴言23章18節 確かに未来はある あなたの希望が断たれることはない。

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マンションの我が家のベランダからは小さな川が下に流れているのが見えます。コンクリートで両岸を固められた川ですが、色々な生き物が見られます。少しだけブロックがダムのようになって流れをゆるやかにしているところもあり、白や灰色のサギが来て魚を捕えたりもします。大きな鯉がたくさん泳いでいますが、名前のわからない小さな小魚たちが群れているのも見えたりします。春になるとカメが何匹か泳ぎだして、水から突き出た小さな岩の上で甲羅干しをしています。首の長い黒い鵜が見事な潜水を見せて魚を捕えています。カルガモの親子が泳いでいることもあります。冬になるとおそらく渡り鳥と思われる水鳥たちが何種類か越冬していきます。そして何よりも私がうれしかったのは、背中の青く光る小さなカワセミが時々姿を見せて、「ピーッ」という澄んだきれいな鳴き声を響かせてくれることです。引っ越してきたばかりのころ、こんなコンクリートに囲まれた川がたくさんの小さな生き物たちの世界になっているとは思いもよりませんでした。

コロナウィルス感染拡大により外出が制限されるようになって、ベランダから小さな生き物たちの世界を眺められるのは、私にとって気分がリフレッシュできる大事な時間になりました。ある風の強い日に、私はまたベランダに出て川を眺めようとしました。川の水はとても澄み、鯉が泳いでいる姿がとてもよく見えました。白いサギが一羽、魚を狙ってジッと水面を見つめていました。ポカポカしたなんとものどかな雰囲気でした。その時です。強い風がザザッと吹いて、風の動きと一緒に川の水面が大きく波立ちました。私が見ていたのどかな川面の様子は、まるでテレビの画面が乱れたかのように揺れ動き、一瞬の風だけで世界が一変してしまいました。私はがっかりしました。でも、その5秒後です。波打った水面に太陽の光線が乱反射して、キラキラキラッと川一面がそれはそれは美しく光り輝いたのです。太陽の自然な光があんなにきれいに瞬く川の様子を私は初めて見ました。川面の揺れがおさまるまでの数秒間、まるで川が星に覆われているかのようでした。最後にチカッと光ったあと、川は元の静かな様子に戻りました。でも、その10秒後には、また強い風がサーッと吹き、川の中は何も見えない状態になります。でもそれで終わることなく、最後には川はキラキラと星の輝くカーテンのようになるのです。

そのくりかえしは何度見ても美しく、あきることはありませんでした。そして、私は神様から大きな安心をいただいたような気持ちになりました。私たちの日常生活は、コロナウィルスの突然の出現により一変してしまいました。これからどうなるのか、わからないことだらけ、見えないことだらけで、不安はつきません。でも、神様は私たちに乗り越えられない試練は与えませんし、神様のなさることには必ず意味があります。神様は私たちに一番よいものを用意してくださいます。絶対に大丈夫なのだから、私たちは日々自分のなすべきこと、できることに一生懸命取り組む、これこそが一番大事なことなのだと思うことができました。たくさんの方々がそれぞれの場でこの世界の生活を守るためにできることを一生懸命してくださっているということに心から感謝しつつ、早く安心して暮らせる世界に変わることを神様に祈り続けたいと思います。