<なりたい自分になる力>
投稿者「soshin」のアーカイブ
捜真女学校 学校紹介動画
<ディアスポラ>
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<世界をひろげる自分がひろがる>
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<気づいて行動できる人へ>
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<気づいて行動できる人になる>
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<学院長より>
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<行事をつくる捜真生>
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<捜真生の一日>
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<捜真の文化祭=捜真祭>
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<捜真の学習>
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<しごとを学ぶ>
2020年度合唱コンクール委員会から
コロナとの闘いが始まってから早くも一年が経ちました。この一年合唱コンクール委員会としては、出来ることが限られていながらもたくさんの新たな挑戦をし、新しい力を見出した一年でもありました。
「道」という曲は、2016年に音楽研究を選択していた卒業生が作った曲です。コロナ禍の中でも新しい形で充実した学校生活を作ろうと、新たな道を築いている今の捜真に、歌詞がぴったりだと思い、今年歌うことにしました。
有志参加で集合した20名の歌声を、私たち捜真生の現状や葛藤、今年の部活動の様子を映した写真と共にお聞きください。
「何度でも」という曲は、日本赤十字社が呼びかけをしている全国の医療従事者の方への応援プロジェクト 「#最前線にエールを何度でも」 に参加したいと考え歌うことにしました。
全校生徒が医療従事者の方へ感謝の気持ちを込めて リモートで合唱しました。中学1年生から高校3年生まで各学年で作成した応援メッセージの写真と合わせてお聴きください。捜真生の感謝とエールが動画を通してお伝えできれば嬉しいと思います。
3月27日 新中1 保護者オリエンテーション
【中学部新入生の皆様】今後の予定について
保護者オリエンテーションと入学式の日時につきまして改めてご案内いたします。
1.保護者オリエンテーション
2021年3月27日(土) 受付 9:30~ 開始10:00~
持ち物:上履き、下履き入れ、筆記用具、マスク
※保護者の方1名でおいでください。
2.入学式
2021年4月6日(火)
8:30 ホームルーム集合
9:30~10:20 入学式
11:50頃 解散
※詳細につきましては、3月27日(土)オリエンテーションにてご説明いたします。
みんなで取り組もうSDGs 第13弾
こんにちは!
SDGs実行会「みんなで取り組もうSDGs」チームです!
今回は自然環境にまつわるSDGsを紹介します!
今、世界で地球温暖化が問題となっています。世界の環境を良くするには私達が世界の現状を知り、身近に出来ることに取り組むことが必要です。何年経っても美しい地球であるように環境問題について向き合ってみませんか?
①水衛生について知ろう!
日本では当たり前に使用できている水や安全に使用できる衛生環境ですが、世界では安全な水を確保することがとても難しい国があります。
そしてその事が子どもたちの命や将来を奪っているのです。
水道のない発展途上国の子どもたちは、8時間以上を水汲みに費やしていて、しかもその水は汚染されている場合があるのです。
水道があっても飲み水としては利用できない、汚れていて身体に危険を及ぼすなどの状況に陥っています。
〜私達が出来ること〜
○水道の蛇口をこまめに止める
○油を流しに流さないで拭き取る
○風呂水を散水や洗濯に再利用する
捜真が行っている里親献金の奉仕先の子どもたちの多くは、水汲みを毎日しています。
同じ学生が水汲みをしている現状を理解して献金しましょう!!
②みなさんはMy箸を持ち歩いていますか?
割り箸などを使うと森林破壊につながります。
〜私たちが出来ること〜
○My箸を持ち歩く
○ My箸を持ち運べない時は、なるべく日本の木で作られた国産割り箸を使う
→日本の林業を応援することになります。
ちなみに、コンビニなどではすでに国産割り箸を使用しています。
みなさんひとりひとりの取り組みが世界中の環境を良くします。
身近な事から始めていきましょう!
ご卒業おめでとうございます
2020年度のPTA活動報告 そして高三保護者の皆様へ【PTA役員会】
保護者の皆さま
捜真の100年桜もかわいらしいつぼみをつけはじめました。皆様にはお健やかにお過ごしのことと存じます。
PTAの活動もコロナ禍でのスタートとなりました。例年のような活動が行えない中、皆様のご協力により2学期には中古制服の販売を行うことが出来ました。制服を献品くださった皆様、ありがとうございました。
また、小学校と女学校との共同行事になりました史跡巡り講話がチャペルにて開催されました。
広報委員会が作成した映像を使い、中島学院長にお話しいただき、捜真の歴史にふれることのできる貴重な時間を持つことができました。
これからも新しい形でのPTA活動を試みていきたいと思います。
そして、高三保護者の皆様
お嬢様のご卒業おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
3月に予定しておりましたお別れ会が中止となり、楽しみにしてくださった皆様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。PTAからの心ばかりの気持ちとして中島学院長からのメッセージと新しいデザインのミニタオルをお嬢様経由でお贈りいたします。捜真で過ごした日々を時々思い出していただけたら幸いです。
お嬢様のこれからのご活躍、そして皆様のご健康をお祈りしています。
これからも捜真PTA活動を温かくお見守りください。
主に在りて
図書館から本の紹介 3月11日
年度末が近づいてきました。春休みに向けて、冊数無制限で貸出しますので、ひと段落したら図書館にいらしてください。今回は新刊を紹介します。
『with you』濱野京子 くもん出版
以前にも紹介しました「ヤングケアラー」(18歳未満で家族のケアをしている子ども)が主人公です。
兄との比較に振り回され、中学3年生の悠人は逃げるように夜のランニングで出かけていく。そこで出会った少女朱音に心が惹かれていく。
「他人に助けを求めることは、大切なことなのよ」と悠人の母が二人に告げた言葉は、私や
あなたの背中をそっと押してくれるのではないでしょうか。「助けを求めている人がそばにいれば、手を伸ばすことも同じように大切なこと」。人と人との温もりを感じさせてくれる一冊。
『サード·プレイス』ささきあり フレーベル館
友達からの一言が、欠けたガラス片のように心に刺さる。そんな時、日常から少し離れた場所で自分を取り戻していく中高生たち。なんと生きにくい世の中になってしまったのでしょう。ほんのちょっぴり立っている場所を動いてみれば、今の自分がそのまま受け止めてもらえる。
いつもと違う場所、違う時間を過ごすことで見えてくる新しい世界。若者、老人を問わず、
~『はじめて』に出会う~時に、手を伸ばしてみよう。
第164回芥川賞受賞作
『推し、燃ゆ』宇佐見りん 河出書房新社
一度読み始めて、途中でストップしました。
「推しが燃えた。」最初の一行がするっと頭の中に入って来ませんでした。この言葉、いったい何だろう。しばらくして「応援しているアイドルへのコメントが、SNS上に次から次からへと燃え上がるように書き込まれていく」ということがわかりました。
私にも最近「推し」のバンドが出来て、確かに夜中の配信時間をカレンダーに書き込んで心待ちにすることがあります。あれか。「沼にはまる」。私は還暦を過ぎたれっきとしたおばあさんですが、気持ちは一緒です。もちろん年の功で、日常に差しさわりが出るようなところまで
はまりはしませんが(体力的にも難しいです)「推し」を持つ快感は想像できます。
そんな時代の一こまを切り取ったこの作品、ところどころに私にはどこか懐かしい描写が登場してきて、宇佐見さんは今までどんな本を読んできたのだろうか、と気になりました。
若い人たちは、とか言っていないで、同じ時代を共に生きている私たちなのですから、それぞれの道を認めていけたらお互いをもっと広げることができるかな、と思った一冊でした。
礼拝メッセージ 3月9日
「隣人を自分のように愛する」~東日本大震災を覚えて~
高二担任 大和 由祈
【聖書】マルコによる福音書12章31節
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
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突然ですが、皆さんはここ捜真で毎年3月11日の14:46に何が行われているか知っているでしょうか。3月11日は出校日ではなかったり、出校日であっても共練会総会や答案返却日で、午前中で解散してしまったりと、全員が学校にいることはほとんどないので、もしかしたらその瞬間に学校にいたことがない人もいるかもしれません。また、昨年の3月11日は、すでに新型コロナウィルスの影響で皆さんは学校に来ていなかったので、2年前のこと、それよりも更に前のことは覚えていないかもしれません。
毎年3月11日の14:46に、捜真では共練会執行部の人たちのリードの下、1分間の黙とうが捧げられてきました。これは、2011年に起こった東日本大震災を覚えてのことで、2011年度の当時の共練会執行部の人たちが始めたのがきっかけとなり、それ以来ずっと続けられてきました。私は、この瞬間が、1年の中のたったの1分間に過ぎない瞬間が、実はとても好きです。「好き」という表現はおかしいかもしれませんが、「すごく捜真らしい瞬間だ」と思っています。生徒たちは部活動や委員会活動、さらには友達とのお喋りも止め、私たち教職員も仕事の手を止め、学校中が静かになり、黙とうをする、東北に思いを馳せる、その瞬間を大事に出来る環境が捜真にはあるということが、とても良いなと毎年思います。
ある年、私はこの瞬間を弦楽部の生徒たちと過ごしたことがあります。私たちは3月の末に行われる定期演奏会に向けての練習をしていましたが、共練会の人たちによる放送が流れたのでいったん練習を止め、1分間黙とうをしました。そしてそれが終わったあと、部員の一人が「こんなに静かな学校初めて。何だか新鮮」と言っていたことがとても印象に残っています。そしてその瞬間を部活動の生徒たちと共にしたことで、私自身も、「自分たちが今こうやって生徒たちと部活動が出来ているのも、決して当たり前のことではないのだ」ということを改めて痛感させられたような気がしました。
昨年は、この日を生徒の皆がいない、教職員しかいない静かな学校で迎えることになりました。しかし、そのような中でもあっても、我々教職員は千葉ホールに集まり、短い祈りのときを持ちました。生徒の皆がいない静かな学校ではありましたが、そして新型コロナウィルスという未知なるものへの対応で右往左往していた私たち教職員でしたが、そんな中でもそのような時間をちゃんと持てる環境が引き続き与えられていることに、私は捜真のブレない部分を感じ、そこにいられることに喜びと感謝を感じました。
そしてそれと同時に驚いたのが、その日、卒業生たちがSNSに東日本大震災を覚えての投稿をしていたことでした。投稿したからといって、誰かの役に立つとか、誰かを助けられるとかそういったことはないかもしれませんが、こうしたふとした瞬間に、他者に思いを馳せ、そしてその人たちのために祈ることが出来る、それを捜真から巣立ったあとも続けているということに私は嬉しくなりました。
先週の内山先生の礼拝でもありましたが、私たちは11日で、東日本大震災から10年のときを迎えます。東北地方をはじめとする被災地に住む人たちにとっても、そしてここにいる私たちにとっても、様々なことがそれぞれにあった10年でしょう。震災当時、まだ幼稚園や保育園に行っていた皆さんにとっては、もしかしたらこの震災自体の記憶もあまりなく、その後もあまり考えることなく過ごしてきた10年かもしれません。それ以上に自分自身の問題に悩んでいる人も当然ながらいるでしょう。ですからこの震災に対する思いも人それぞれ違うと思いますし、またその話?と思う人もいるかもしれません。しかし、節目が近づいている今、今日は私も少しこの震災について話をしたいと思います。
私はこの10年、色々な機会に東北地方を訪れ、そしてその回数はちょうど10回になりました。その目的は毎回様々でしたが、ボランティア活動、中学3年生と一緒に行った修学旅行、岩手県の釜石市で行われたオーケストラのコンサートに参加したとき、宮城県の石巻市で行われた音楽フェスに行ったときなど、東北地方に行ったときの多くは、被災地と呼ばれるところを訪れ、自分自身でその現状を目にし、そしてそこで震災を実際体験した人たちと出会い、そして様々な話を伺ってきました。その中でも特に印象に残っているのは、震災から5か月後の2011年の夏に宮城県の石巻市と気仙沼市でボランティア活動をしたときと、2015年に当時の中学3年生と修学旅行で岩手県の大槌町を訪れたときのことです。
2011年の4月から私は教員として捜真で働き始めましたが、その最初の夏休みにわずか4日間という日程で宮城県を訪れました。当時の自分が、なぜこの貴重な夏休みをボランティアに費やそうと思ったのか、どんな思いが強かったのかというのは正直覚えていません。4日間というわずかな期間しか行けませんでしたから、自分のボランティアとしての活動が誰かの大きな役に立つ自信はなかったように思います。しかし、とにかく自分の足で被災地を訪れ、自分の目でその光景を見なければいけない、そして自分が見たもの触れたものを、実際にはなかなか訪れることの出来ない自分の生徒たちや海外の友人たちに伝えなければならないというような思いに駆られていたことは何となく覚えています。とは言え、当時被災地で自分が目にしたものは想像を絶するもので、それをどう生徒に伝えるかというにはかなり頭を悩ませました。また、当時の生徒には礼拝や授業を通して自分の経験を伝えましたが、それを持続してやり続けたかといえばそれは十分に出来ませんでした。実際、この礼拝を考えるにあたり、そのとき撮った写真や当時礼拝で話した原稿を見返したりしましたが、自分の中でもかなり「久しぶりに見た」という感覚で、やはり時間が経つにつれ、自分の中でも記憶が薄れ、またそのことを考える余裕がなくなってきていることに気付かされました。
2015年度の修学旅行は早い段階から、どう震災学習を盛り込んでいくかということを学年の先生たちと考えていました。捜真ではその前の年から東北修学旅行が再開されていて、その年も一部の生徒が岩手県宮古市に震災学習で訪れていましたが、この年からは何とかして学年全員が震災学習を出来ないかと思い、色々な市が行っている震災学習のプログラムを探しました。そして、2クラスずつ岩手県の大槌町と陸前高田市に分かれて行き、それぞれの場所で1日震災学習を行うというプログラムを行いました。震災から4年が経ち、少しずつ復興にむかって進んでいる大槌町と陸前高田市でしたが、津波の爪痕がのこっている建物が未だにあったり、その建物を今後どうしていくかといった課題を抱えている現状を伺ったりしたことは、実際現地に行かないと出来ないことであったなと今振り返っても思います。
自分自身のボランティアの経験を生徒に伝えようと思ったときも、震災学習を通して生徒たちに何かを考えてほしいと思ったときも、私の中にあった思いは、「知ることだけでも何か意味があるのではないか」ということでした。特別な技術や能力を持っていない私が、ボランティアとして出来ることはほとんどありません。ボランティアと聞けば聞こえは良いかもしれませんが、私がこういった活動に参加していつも思うことは、「ボランティアとしての自分の無力さ」、そして「たとえ現地に行ったとしてもわずかな部分しか知ることは出来ないということ」です。ならばなぜ行くのかとも思う部分もなくはないのですが、しかし何もやらないよりは、何も考えずにいるよりは、何か知ろうとする、自分の目で見ようとする、そのことで得るものが必ずあると思うのです。実際現地に行かなくとも、様々な形で情報を得ることは出来ますが、一度直接何かしらの関わりを持つことで、よりそのものに対して関心を抱いたり、心を寄せたりすることが出来るような気がするのです。
実際、修学旅行で中学3年生と大槌町と陸前高田市を訪れたあとは、生徒たちがこの経験をどのように受け止めていくのかというのは、正直予想がつかない部分もあり、不安もありました。しかし卒業したあとも、そのことを思い出して大学でそういったボランティア活動に参加していたり、昨年の3月11日のSNSへの投稿を見たりしていると、捜真で「知ったこと」が卒業生たちの中に根付き続けているのだなと思いましたし、そして東北修学旅行がなくなった今でも毎年3月11日に共練会のリードで黙とうを捧げ続けられていることや、クラス献金の送り先など様々なタイミングでこの震災のことを思い出す機会が与えられていることを考えると、これからも何等かの形で捜真生の中で伝わり続けていく思いなのかなとも思っていますし、そうあってほしいと願っています。
震災から10年が経ち、横浜に住む私たちの多くにとってはこの震災も過去のことになりつつあるかもしれません。そして、あと数年もすれば、捜真にもこの震災を経験していない年代の子たちが入学してくるようになり、ますますこの震災のことも「過去のこと」になっていくのだろうと思います。しかしその中でも、捜真の中で、何等かの形でこの震災のことを覚える、この震災のことに限らず自分とは違う環境にいる他者に思いを馳せることが続けられたらと思うのです。
そして、そういった遠くの人だけでなく、自分の身近にいる人たちとの関係の中でも、自分だけのことを考えるのではなく、周りの人のことを考えられる、そういった心の余裕をもって毎日の生活を送ることが出来たらと思います。「隣人を自分のように愛しなさい」この聖書の言葉は簡単なようで、本当に難しいことです。それが出来ない、自分のことしか考えられなくなる弱さが私たちの中にはあります。しかしこの聖書の言葉を、震災から10年という節目を迎えるにあたり、そしてこのコロナ禍で様々な境遇に置かれている人がいることを日々ニュースで目にする最近の日常の中で、改めて心にとめて生活していきたいと思います。
3月9日 高等学部礼拝
学校紹介動画をご覧ください
捜真教育を総合的にご紹介する動画で、ナレーションは卒業生によるものです。
また、高三の生徒へのインタビュー動画では、実際の生徒たちが捜真教育について語っています。
捜真の受験をお考えの皆様、捜真教育に関心を持ってくださる皆様、どうぞご覧ください。