投稿者「soshin」のアーカイブ

6/10(木)学校説明会のお申込み受付を終了させていただきます

6月10日(木)に予定している学校説明会には、午前の部、午後の部ともに多くのお申込みをいただき、ありがとうございました。

誠に申し訳ございませんが、現況を考慮し、お申込みの受付を終了させていただきます。

7/17(土)には学校見学会、9/9(木)には学校説明会の開催を予定しております。是非そちらにもお申し込みくださいますようお待ちしております。

図書館からの本の紹介 5月23日

今日は各国の文化が読み取れる4冊を紹介します。
国際系を進路に考えている高校生は、新書の評論を読む前にこういったエッセイでその国の空気を感じておくとよいでしょう。

『ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか』
~非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間~
                              高松平藏 晃洋書房
朝日新聞(2021.2.6朝刊)の書評に『教育における「自己決定」の重視。』『余暇時間が確保されたうえで、楽しみながらデモクラシーを学び、移民など社会的弱者を包括する社会運動としての意味をもつスポーツクラブ』とありました。もちろん、日本の部活から学べることはたくさんありますが、国の思想、哲学、価値観によって、子どもたちの人生が左右されることを改めて考えさせられました。
印象に残ったのは「社交機会が意図的にデザインされている」。特に「社会全体をデザイン
する=意図的に物事を計画し実行する」力は、今のコロナ禍の日本には喉から手が出るほど欲
しい力だと感じました。
どの国に生まれたとしても、幸福な人生を送れるように、社会は責任をもって子どもたちを
育てていかなければなりません。

『ワイルドサイドをほっつき歩け』~ハマータウンのおっさんたち~
                          ブレイディみかこ 筑摩書房
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者である、ブレイディみかこさんの昨年出版された一冊です。ブレイディさんの著書のテーマには「多様性」があります。ご自身がイギリスで生活される中で感じた違和感を、一つ一つ丁寧に掘り下げてアウトプットしてくれています。この本では、イギリスの時代を(日本のバブル世代や団塊世代のように)ざっくり5つにラベリングして、身近にいるおっさんたちをそのラベリングに照らし合わせて分析しています。
けれどもそこはブレイディさん、人間味あふれるおっさんたちの愛すべき生態も、ばっちり
紹介しています。だから、イギリスは魅力的で、また行ってみたくなるのです。

『《世界》がここを忘れても』 ~アフガン女性·ファルザーナの物語~
                               清水愛砂 寿郎社
アフガニスタン人のファルザーナは、隣国パキスタンの難民キャンプで生まれました。
ターリバーン政権が倒れ、母国に戻った一家の生活はどういったものだったのでしょうか。
白黒の淡々とした挿絵と家族の会話から、緊張した日々の暮らしが読み取れます。皆さんと同世代の少女の思いを受け止めてください。「人権や格差」を学ぼうという人は、この本から初めるといいですね。中学生にもおススメです。

『旅が好きだ!』~21人が見つけた新たな世界への扉~ 14歳の世渡り術シリーズ
      角田光代·益田ミリ·清水浩史·はあちゅう·森百合子他 河出書房新社

世界をくまなく歩いている21人が、旅の魅力について語っています。この本一冊で世界旅行ができちゃう感じ。
中でも印象に残ったのは、北欧ジャーナリストの森百合子さんが「北欧デザインに興味を持つきっかけとなった」と紹介していた、フィンランドの建築家アルヴァ·アールト。春休みに世田谷美術館「アイノとアルヴァ 二人のアアルト」展を訪れたばかりだったので、彼の作品がすぐに思い出されて「私も!そう思った!」と感激しきり。
スウェーデン人がよく口にする「ラーゴム」=「ほどほど」「ちょうどよい」が、日本の「足るを知る」に通じるというくだりは、北欧が肌になじむ理由なのかとすごく納得しました。

 

オンライン神奈川全私立中学相談会に参加しています

オンライン上で開催されている神奈川全私立中学相談会2021にて「校長が語る捜真の教育」と「6年間の始まりの日-入学式-」にて動画参加しています。ぜひご覧ください。

  • 「校長が語る捜真の教育-ことば教育-/-本物体験·本物学習-」

https://www.youtube.com/watch?v=Sa751674vGg

  • 「6年間の始まりの日-入学式-」

https://www.youtube.com/watch?v=a2LU2pafzF4&feature=emb_logo

 

図書館から本の紹介 5月20日

『神さまの貨物』ジャン=クロード·グランベール   ポプラ社

新聞の片隅に紹介されていて、“本屋大賞”受賞も気になりました。
帯に書かれていた「涙なしには読めない、人生の課題図書」が少しうさん臭く思えましたが、表紙の絵の雰囲気がなんとなく柔らかく、小ぶりでページが少ないところで、手を伸ばしました。
どこか童話のようで、雪の平野や森の奥の小屋などが目に浮かぶような描写でした。でも、登場する人たちに迫られた決断は、辛く厳しいものでした。何を決め手にして、人は右と左を選ぶのでしょうか。それは、捜真でも最も大切とされているもの。書評にはフランクルの『夜と霧』もあわせて読んでみてはどうでしょうか。とありました。涙どころか胸に刺さるような情景が印象に残りました。
『神さまの』には一体何が積まれていたのでしょうか??

Life as a Journey  高三 コミュニケーション英語

Summer grass:

Ruins of the dreams

Of warriors past.

(夏草や 兵どもが 夢の跡)

高校3年生のコミュニケーション英語IIIの授業では江戸時代の俳人、松尾芭蕉に関する文章を読み、英語に翻訳された芭蕉の俳句にも触れました。そして英語の俳句や歌には「韻を踏んだり、同じ言葉を繰り返す」ことでリズムを良くしたり、それによって聞きやすくしたりする工夫がなされているということを学びました。大学の英語学でも扱われる学びです。

そこで、グループごとに自分たちが好きな英語の歌を1つ選び、その歌詞を分析し発表するという活動をしました。ここぞとばかり自分の「推し」の歌を紹介する生徒もいました。

これまで何となく聞いていた歌の歌詞を分析してから聞いてみることで、新たな発見がいろいろありました。

6月8日(火)”shishokukai”(女子校合同説明会)に捜真も参加します

“shishokukai”は、6年一貫教育のメリットを活かし、生徒一人ひとりの可能性を追求し続ける私立中学が集い、「私学の魅力」をお伝えする会です。
21年目を迎える今年は、東京·神奈川の私立女子中学34校が一堂に会し、皆様をお迎えします。

当日は個別ブースでのご相談、捜真の学校生活をお伝えできる展示をご用意します。多くの方に捜真の魅力をお伝えしたいと思っておりますので、ぜひお出かけください。

捜真の魅力を“shishoku”して味わってみてください!

私触会についてのご案内はこちらから

4月29日 オンライン神奈川全私立中学相談会 スタート!

例年4月29日に行われている「神奈川私立中学相談会」。今年はオンライン開催となりました。捜真も参加しています。4月29日から動画をご覧いただけるようになりますので、お楽しみになさってください。

神奈川全私立中学相談会のHPはこちらから

6.19 捜真クルーズ お申し込み受付を開始しました

6.19(土)の捜真クルーズのお申し込み受付を開始致しました。

10時スタートのツアーから、14時スタートのツアーまで、各回8組様限定となります。

在校生や卒業生が少人数で校内をご案内致します。ぜひ生徒の生の声をお聞きください。

 

また、急遽ですが今週末5/22に開催予定の捜真クルーズの受付枠が増加しました。

あわせてご検討ください。

お申込みはこちらより:イベント | 捜真女学校中学部(神奈川県) (mirai-compass.net)

7月10日 「私立中学・高校フェスタ2021」に参加します

7月10日に行われる「私立中学·高校フェスタ2021」の武蔵小杉会場に参加します。

ブースでの個別相談で捜真の学校生活についてなんでもご質問ください。丁寧にご説明いたします。

なお、このフェスタは完全予約入れ替え制となっています。ご予約は6月上旬から始まる予定ですが、詳しくは下記ホームページでご確認ください。

私立中高フェスタ公式HPはこちらから

 

本校のカンボジア研修が特集されました (みくに出版様「進学レーダー」)

中学受験誌「進学レーダー」に「宗教校はこんなにすごい!」特集としてご掲載いただきました。

本校のカンボジア研修の特集です。“宗教校だからこその 国際理解教育“として中山校長へのインタビューをしてくださいました。

「漫画 実録·女子校生活!」や「卒業生アンケート やっぱり大好き女子校」もまさにこの通り!と感じられる興味深い特集でした。

ぜひ皆様もお手にとってご覧ください。

http://www.mikuni-webshop.com/html/page3.html

(みくに出版様 web Shop)

       

 

図書館から本の紹介 5月15日

『ルワンダでタイ料理屋をひらく』唐渡千紗 左右社

コロナ感染拡大に伴って、国内にも海外にも旅にでることが叶わなくなっています。でも逆に、旅にでようと思っていなかったあんな国こんな国に、本の中で出会えるって結構楽しいです。
アフリカ、ルワンダ。ルワンダといえば「大虐殺」。詳しいことは知らないのに、そのフレーズが自然と口から出てきてしまいます。
日本人のシングルマザーが、タイ料理屋をルワンダで開業します。コロナ禍で起こる、現地のスタッフとのドタバタ騒動が次から次へと紹介されています。日本との文化や価値観の違いに目が回るような日々。ちょっぴり笑えちゃいます。
でも「おわりに」に書かれた「選択肢があること。それを自分で選び取れること。それは、世界の一部の人にだけ許されていることなのだと、ルワンダが教えてくれた。持って生まれた特権を、あなたはどう使うのか?誰のために使うのか?いつもルワンダが私に問うていた問いを、これからは自分で自分に問い続けるだろう。」筆者の唐渡さんが、ご自分の体験から感じた素直なこの言葉を、私たちも忘れてはいけないですね。
グローバルとは、いったい何なのだろう。眺めていないで、一歩前に進んでみよう。

捜真SDGs実行会 みんなで取り組もうSDGs!

こんにちは!

捜真SDGs実行会「みんなで取り組もうSDGs」チームです!
今回は、14番「海の豊かさを守ろう」、16番「平和と公正をみんなに」を取り上げます。

①海の豊かさを守ろう

MSCマークを知っていますか?海のエコラベルと呼ばれています。
環境や社会に配慮した養殖場で生産された水産物を表すマークです。また、水産物を加工しても、乱獲されたものと混じっていないことも示しています。
現在は、約100ヵ国で使用されており、30000品目以上の商品が登録·販売されています。

MSCマークが始まるきっかけは、1992年、カナダ東海岸での乱獲です。政府が漁を禁止し、現地では多くの漁師さんの仕事がなくなってしましました。
その時、持続可能な漁を続けるためにはどうしたらいいか、消費者がそのような水産物を選ぶにはどんな仕組みが必要か、議論が行われました。
そこで誕生したのがMSCマークです。

今、海の生き物たちの多くが、気候変動や乱獲によって絶滅の危機にさらされています。水産物を買うとき、MSCマークが付いたものを選びましょう。そして、感謝していただきましょう。海の豊かさを守る第一歩につながります。

 

②平和と公正をみんなに

世界中の人達が一緒に世界平和の実現に取り組むためには、差別されることなく、暴力を受けることなく、災害や紛争に苦しむことなく、安心で安全な生活を送り、同じ立場で公正に話し合うことが大切です。

平和で公正な世界のために、私たちができることは、一人一人の価値観を否定することなく、多様性を受け入れ合うことです。

未来から「ありがとう」を言われる世界をつくりましょう。
愛があふれる星になりますように!

中学3年生 レシテーション(暗唱)コンテストが開催されました。

中学2年生、そして審査員の方々が見守る中、二回の予選を突破した中学3年生10名によるレシテーションコンテストが行われました。

1人5分程度の本校に関わる方々のストーリーを暗唱。審査員の方々が発音だけでなく総合的な表現力を基準に審査してくださいました。優勝者は学校代表として高円宮杯に出場します。

コンテスト後には留学生による自己&自国紹介も行われました。

英語のシャワーを浴びる価値ある時間となりました。審査員を務めていただいた皆様、有難うございました。

第1回学校説明会・捜真クルーズ 申込ページ

ご覧いただきありがとうございます。こちらのページでは捜真女学校説明会

·5/15(土) 第1回学校説明会
·5/22(土) 第1回捜真クルーズ(在校生による学校案内)

にお申し込みいただけます。

お申し込みページリンク·詳細


◆第1回学校説明会お申し込みはこちら

第1回学校説明会では以下のブースより3つをお選びいただき、ご興味のあるテーマを詳しくご紹介致します。混雑を避けるため、①9:00~/②10:30~の2回に分けて開催致します(内容は同じです。いずれかにお申し込みください)。
※感染症対策のため、各ブースごとに人数制限がございます、先着順となっておりますので予めご了承ください。

〈第1回学校説明会 ブース一覧〉

①中学1年生の生活
中学1年生の入学後の生活や学習面についてご説明します。新生活を楽しむ中学1年生の様子をお伝えいたします。

②捜真のキリスト教教育
捜真の土台であるキリスト教教育をぜひ感じていただければ幸いです。身近な疑問に始まり、本当の愛を知って捜真生は卒業していきます。

③捜真の新たな取り組み-制服編-
135年を迎えた本校は絶えず新たな取り組みを続けています。今回は制服·生活指導の面からご紹介します。

④捜真の体験学習-SDGs活動-
机の上の勉強に終わらない、体験的な学びの場を多く提供しています。SDGsにつながった家庭科の学習についてご紹介します。

⑤理科教育-実験とレポート-
捜真では「本物学習」を掲げ、「本物」に触れ「本当の力」を身につけます。年10回以上の実験を行い、数多くのレポートに取り組む理科教育をご紹介します。

⑥異文化体験-留学·英語学習-
外国人宣教師によって設立された本校は、コロナ以前はもちろん、コロナ禍にあっても異文化体験の場を出来る限り提供し続けています。

⑦捜真の部活動
本校は部活動も大変盛んです。ようやく部活動も再開でき、校内で輝く生徒の姿をご紹介します。

ご案内ポスターはこちら

◆第1回捜真クルーズお申し込みはこちら

在校生が少人数で学校をご案内致します。生徒の語る捜真をぜひお聞きください。
(人数に限りがございます。あらかじめご了承ください。)

捜真学院中期計画実行プラン(SOSHIN ACTION PLAN 135)

捜真学院中期計画実行プラン<SOSHIN ACTION PLAN 135> 

 本学院は2021年度に創立135周年を、2022年度に小学校開校65周年を迎えます。これを機に19世紀から21世紀に至る今日も変わらず大切にしている建学の精神と教育方針を確認し現在学んでいる児童·生徒への教育の質のさらなる向上のために、学院中期計画実行プラン<SOSHIN ACTION PLAN 135>を下記の通り策定いたしました。今後、この計画に沿って行われる教育について、学院報などでご報告申し上げます。 

 なお、周年の記念行事につきましては、感染状況などを考慮に入れて検討し、7月ごろ改めてお知らせ申し上げます。 

2021年4月 

捜真学院 理事長 横山 茂
学院長 中島昭子
捜真小学校 校長 新藤啓二
捜真女学校中学部·高等学部
校長 中山謙一
 

 

<SOSHIN ACTION PLAN 135>                        2021年4月

 捜真学院は、創立135年を迎え、スクールモットーである“Trust in God. Be true to your best self.”(神を信頼し、最善の自己に忠実であれ)をこれからの捜真教育に於いて実現するためのSOSHIN ACTION PLAN 135を定めました。 

 捜真学院は、ミッションスクールとして、一人ひとりが神を信頼し、真理を捜し、自分で自己の道を切り拓き、他者を思いやり、平和な社会を築くことに貢献する「やさしさとたくましさと」を持った人の育成をめざします。 

 捜真学院は、グローバル化·多様化·高度情報化した社会で活躍する人を育成するために、教育内容·教育方法の改革に取り組み、「言葉」にフォーカスした「21世紀型教育」を進め、主体的に学ぶことを学修※1できるようにします。

1. 教育の質をさらに改善·向上させます

① アクティブラーニング·問題解決型学修を展開し、ICT学修および反転学修などと組み合わせて、基礎学力とともに論理的思考力·判断力·決断力·実行力を養えるようにします。併せて、高度情報化社会にあって主体的に信頼できる情報を活用できるリテラシーを学びます。
② 全教科にわたって「言葉」にフォーカスした教育を実践し、他者の考え方を学び、自己の意見を論理的かつ説得的に発表できるようにします。
③ リベラルアーツ教育(学問への誘(いざな)い)※2·英語教育をさらに充実し、豊かな教養と広い視野をもった社会人になれるようサポートします。
④ 個を大切にする教育を行い、一人ひとりの個性を伸ばし、自分の存在が認められていることを実感できるようにします。
⑤ 小学校と女学校(中学部·高等学部)の連携を強化するとともに、大学との高大連携の取組を促進します。
⑥ 21世紀型教育を実現するために、クラス編制·カリキュラム·授業日数·学校行事·海外研修·評価方法などを見直します。

2. 学院の伝統を受け継ぎ、新しい時代の教育を実践できる人材を育成し、教育力の向上を図ります。 

3. 21世紀型教育を実現するため、学校組織のあり方·運営方法を見直します。 

4. 財政基盤を確立し、教育を支える基盤を強めます。 

※1 「学習」が一時的な点としての学びであるのに対し、「学修」は学んで身につける一連のプロセスを指します
※2   大学やその後の人生に必要な人文·科学へ誘う広い視野と深い知識を身につけるための基礎的な学びのことです

捜真学院中期計画実行プラン(SOSHIN ACTION PLAN 135)

捜真学院中期計画実行プラン<SOSHIN ACTION PLAN 135> 

 本学院は2021年度に創立135周年を、2022年度に小学校開校65周年を迎えます。これを機に19世紀から21世紀に至る今日も変わらず大切にしている建学の精神と教育方針を確認し現在学んでいる児童·生徒への教育の質のさらなる向上のために、学院中期計画実行プラン<SOSHIN ACTION PLAN 135>を下記の通り策定いたしました。今後、この計画に沿って行われる教育について、学院報などでご報告申し上げます。 

 なお、周年の記念行事につきましては、感染状況などを考慮に入れて検討し、7月ごろ改めてお知らせ申し上げます。 

2021年4月 

捜真学院 理事長 横山 茂
学院長 中島昭子
捜真小学校 校長 新藤啓二
捜真女学校中学部·高等学部
校長 中山謙一
 

 

<SOSHIN ACTION PLAN 135>                        2021年4月

 捜真学院は、創立135年を迎え、スクールモットーである“Trust in God. Be true to your best self.”(神を信頼し、最善の自己に忠実であれ)をこれからの捜真教育に於いて実現するためのSOSHIN ACTION PLAN 135を定めました。 

 捜真学院は、ミッションスクールとして、一人ひとりが神を信頼し、真理を捜し、自分で自己の道を切り拓き、他者を思いやり、平和な社会を築くことに貢献する「やさしさとたくましさと」を持った人の育成をめざします。 

 捜真学院は、グローバル化·多様化·高度情報化した社会で活躍する人を育成するために、教育内容·教育方法の改革に取り組み、「言葉」にフォーカスした「21世紀型教育」を進め、主体的に学ぶことを学修※1できるようにします。

1. 教育の質をさらに改善·向上させます

① アクティブラーニング·問題解決型学修を展開し、ICT学修および反転学修などと組み合わせて、基礎学力とともに論理的思考力·判断力·決断力·実行力を養えるようにします。併せて、高度情報化社会にあって主体的に信頼できる情報を活用できるリテラシーを学びます。
② 全教科にわたって「言葉」にフォーカスした教育を実践し、他者の考え方を学び、自己の意見を論理的かつ説得的に発表できるようにします。
③ リベラルアーツ教育(学問への誘(いざな)い)※2·英語教育をさらに充実し、豊かな教養と広い視野をもった社会人になれるようサポートします。
④ 個を大切にする教育を行い、一人ひとりの個性を伸ばし、自分の存在が認められていることを実感できるようにします。
⑤ 小学校と女学校(中学部·高等学部)の連携を強化するとともに、大学との高大連携の取組を促進します。
⑥ 21世紀型教育を実現するために、クラス編制·カリキュラム·授業日数·学校行事·海外研修·評価方法などを見直します。

2. 学院の伝統を受け継ぎ、新しい時代の教育を実践できる人材を育成し、教育力の向上を図ります。 

3. 21世紀型教育を実現するため、学校組織のあり方·運営方法を見直します。 

4. 財政基盤を確立し、教育を支える基盤を強めます。 

※1 「学習」が一時的な点としての学びであるのに対し、「学修」は学んで身につける一連のプロセスを指します
※2   大学やその後の人生に必要な人文·科学へ誘う広い視野と深い知識を身につけるための基礎的な学びのことです

“Beyond the Classroom” 高1、高2オンライン英会話

例年であれば参加していたはずのオーストラリアやアメリカへの研修が中止になってしまいました。それでも英語学習の目的は、机の上、教室の中を超えたところにあるという事を忘れないで欲しい。そんな願いを込めて高1と高2でオンライン英会話を実施する事にしました。本日はあるクラスがトライアルに協力してくれ、25分間フィリピン在住の先生と一対一での対話に挑戦しました。「フィリピンと繋がるんだよね!」「1人で無理ー!」など興奮気味の生徒たちも開始とともにコンピュータ画面に釘づけ。教室の中から一人一人がフィリピンに旅立ち、緊張の面持ちながらも生き生き対話を楽しんでいる様子が見られました。

高一 英語表現 Opinion Writing OREO

今日は意見文を書く練習です。

OREOという言葉に「大好きー!」などの声があがる中、まずは英語でHow do you eat OREO cookies? と方法を尋ねるやり取りでwarm up。しかし、本日のメインはライティング。Opinion-Reasons-Explanations-Opinion という順番で述べる意見文の基本を練習をしました。まずは与えられたトピックについて4人グループでブレスト、さらに他のグループともアイディアをシェアし、様々な視点に触れたところで自らの意見をまとめてみました。
自分1人で考えるだけでは得られない沢山のアイディアに触れて「なるほど!考えてもみなかった」「これいいね!」と言いながら、互いに助け合い学ぶ事ができました。

礼拝メッセージ 4月23日 高等学部礼拝

あの日を境に

高二副担任 森川 亮

【聖書】ヘブライ人への手紙12章4節~7節

あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。

********************************************

高3現代文で取り上げた評論、「大人への条件」は非常に興味深い内容でした。簡単に内容を説明しますと、現代人はどのようにしたら大人と定義されるのかということです。昔の日本ではある一定の年齢に達したら、元服のような儀式を経て、大人として承認されました。
ミャンマーの少数民族の村では子供ができると、土地にその人の名前が付けられて、「○○の畑」と呼ばれるようになるそうです。これは財産を含めて地域社会から大人として承認されたということです。

現在の日本で、人はどうしたら子供から大人になれるのでしょうか。成人式を経たら大人になるのか、それとも大学を卒業したら大人になるのか、就職し、親から独立したら大人になるのでしょうか。現代は周囲の人がもうあなたは大人であると承認する時代ではなく、自分自身で、これが自分にとって大人となる出来事だったという事柄を見つけていかないと大人にはなれない時代なのです。
そう考えると、現代の日本人は「ある日を境に」突然、大人になるのでしょう。私自身も勝手に自分の解釈で、この日から大人になったのではないかという日、時点があります。それは周囲の人には全くわからないことでしょう。

大人になるということとは少しずれるのですが、私の「あの日を境に」の話を一つしたいと思います。
小学校3年の夏休みのことです。当時ナルニア国物語にはまっていた私は、夜から「銀の椅子」という本を読み始めました。あまりに面白い内容に引き込まれました。そして、途中で決めたんです。今日は徹夜してでもこの本を読み切ろう。私の中では徹夜するということに憧れがありました。部屋を暗くして机の電燈だけをつけて本を読み続けました。空が明るくなってきたときに思いました「僕はやりきった」いや「俺はやりきったんだ、ついに徹夜した」そしてみんなに徹夜をしたんだ!と自慢した後、深い眠りにつきました。

同じころです。それまで母親のことを「お母さん」と呼んでいました。しかし友人と話しているときに、「まだお母さんなんてよんでいるのかよ」と言われ、恥ずかしくなったのです。その日からどうしようか迷い始めました。母を何と呼んだら大人っぽいのか。「お母さん」でだめなら、と数日考えた末に「オッカー」と呼ぶことにしました。そして「オッカー」と呼ぶんだ、オッカーと呼ぶんだ、と思いながらついにその時が来ました。「ねぇ、オッカー」その時の母の反応はおぼえていませんが、「ある日を境に」勇気を振り絞って、しかも小さな声で「オッカー」と言った気がします。ある日を境に「お母さん」から「オッカー」と呼ばれた母はどのように感じたのでしょうか。その時「なにオッカーって?」などと言われなくて本当に良かったと思います。知ってか知らずか、スルーしれくれたのは、もしかしたら「私の中で生まれた変化」を承認してくれたのかもしれません。親が気づかないところで子供は何かをきっかけに、大人になる契機をつかんでいるだと思います。そして「その境の日」を作ろうとしているのでしょう。

知り合いの話です。その人は両親が医者の家系で、彼はその家の初孫·長男という状況でした。親戚はその人を医者にしようと、幼稚園、小学校時代から塾通い、お受験と医者にするべく英才教育を施そうとし、親は躍起になりました。ある時点までその人は母親の言うことを絶対だと信じて生きていました。しかし、その人はものすごく運動が好きで、医者になることよりも、みんなと放課後サッカーをしたいのだということに気がついたそうです。小学校6年生の時に、それまですべて従っていた母親に「もうこんな勉強なんかいやだ、僕は僕の行きたいと思う学校に行きたい」と言って親に反抗し、自分の進路を勝ち取ったそうです。お母さんは非常にびっくりしたそうです。その人に言わせると、あの母親に反抗し、初めて大声を出した日が自分に取って大人になる「境目」だったのかな、ということでした。

今度は親としての立場からの「あの日を境に」ついてです。現在、私の子供たちは中3と高二です、考えてみるとある日を境に手をつながなくなりました。当たり前のことですが、多分どこに行くにしても手をつないでいた子供たちはいつの日からか手をつながなくなったわけです。実はその時のことを私は覚えています。下の娘が手をつなごうとした時に、恥ずかしくて拒否してしまったことがあるのです。これは私にとっては大きな失敗でした。なぜならこれは親が選択することではなくて、子どもが選択すべきことだからです。同じようなことをあげると、私の家には車がありませんので、娘たちが遅刻しそうになると自転車で駅まで送ります。制服を着ているとき、日中でひと目がある時には彼女たちは私のおなかにつかまることはなくなりました。人目を気にしているから当たり前のことですが、昨晩、駅まで迎えに行った時にひと気が少なかったので、久しぶりにお腹につかまる娘の手に懐かしさを感じました。多分、子どもたちは自分で何かを選択しながら、自立していくのだろうなと思うと嬉しい気持ちになります。

どんなに年若くあろうと、人は自分の人生をそれぞれ歩んでおり、親の知らないところでどんどん大人になるきっかけをつかんでいるのだろうなと私は思います。そしてその「ある日を境に」という日が来た時には、大人はその変化を怒ったり潰したりしてはいけない、突然「オッカー」と呼ばれた私の母のようにスルーしなくてはいけないのです。

現代は多様なライフスタイルが認められているために、単純に一人前である、とか大人であるとか言いきれない時代です。あなたはいつ親から離れ、自分の生き方を獲得するのでしょうか。呼び名が変わるのか、それまでしたがっていた生き方を変え、自分の価値観にしたがって生きようとするのかわかりません。すべての大人が暖かくあなたの自立を見守るとは限りません。しかし、私にとって「この日が境目だ」という、その日が来たら勇気をもって自分の思いを伝えたり、行動したりしなければいけない時が来るはずです。「どうせ言っても無理だし」とか、「抑え付けられているから何もできない」と文句を言うだけでなく、その抑えを自分自身の力で解き放つ勇気をもってほしいと思います。そうすれば、その日はあなたにとって「あの日を境に」という大人になれた記念する一日になると思います。「私の幸せは私が決める」。人に決めてもらうのではなく、勇気を持って自分で決断する人生を歩んでください。それでも迷う時は神様が最善の道を備えてくださると信じ生きていくのです。

礼拝メッセージ 4月22日 中学部礼拝

強いられた恵み

中2担任 杉山知子

【聖書】ローマの信徒への手紙8章31節~34節

「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるイエス·キリストが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」

********************************************

今日、4月22日は、私にとって特別な日です。2つ目の誕生日であるとも言えます。
37年前の今日、私は洗礼を受けてクリスチャンになりました。その年のイースターでした。(今年のイースターは4月4日でしたね)

私の父方の先祖は、幕末にプロテスタントの宣教師たちが日本に来て間もなくクリスチャンになったので、キリスト教は先祖代々の宗教と言えるかもしれません。私が洗礼を受けた教会は母方の祖父母が通った教会であり、父方の祖父の親友が牧師だった時期もあるので両親が出会った教会でもあり、偶然にも両親の結婚記念日に(当時両親は海外にいましたが)私はイエス·キリストの復活にあずかるバプテスマを受け、新しく生き始めました。

こんな話をすると、私がクリスチャンホームで純粋に育ち、素直に洗礼を受けたように聞こえるかもしれませんね。しかし、全くそんなことはありません。

時々、先祖代々医者の家系だから医者にならなくてはいけないとか、親戚がみな〇〇大学だから〇〇大学に進学しないと肩身が狭い、などという話を聞きます。一人一人別人格なのに変ですよね。それぞれが希望する進路があって当たり前ですし、好みや適性もそれぞれちがうはずです。ただ、似たような価値観の中で育つと、自然と影響されることもあるかもしれません。
宗教も、ユダヤ教の一部の人々のように先祖代々信仰を守るのが掟であり義務であるという考え方もありますし、イスラム教の信者の多くも親から子へ信仰を継承しています。そのために迫害されている人々もいます。
日本では、特定の宗教に属していると明言する人や意識的に信仰生活をしている人の割合は世界的に見ても多くありません。キリスト教人口に至ってはずっと1%前後です。その少数派の家庭に生まれた私は、キリスト教以外の宗教行事をほとんど経験することなく育ちました。大学時代は教会学校で奉仕もしていました。だからと言って洗礼を受ける気にはなれず、周囲に期待されると反発を感じ、でも友人が洗礼を受けるとうらやましく思ったりもしました。神さまにとらえられているという感覚はありましたが、なんだか悔しくて、まだまだ自分の力で何とかしたいと意地を張る気持ちがあったのです。

優柔不断な日々に終止符を打つきっかけとなったのは、実はこの捜真でした。
洗礼を受ける半年前に捜真の採用面接を受けた際、当時校長だった日野綾子先生にクリスチャンにならないと採用しないと言われた、いや、そんなことを言われたわけはないのですが、そのように言われたと感じてしまったのです。日野先生は後日、「私はちょっとプッシュしただけよ」とおっしゃっていましたが、まさにそのプッシュが決め手となり、私は泣く泣く(!) 洗礼を受け、2か月後の6月に大学を卒業し、9月から捜真で働き始めました。もし捜真に就職が決まらなければ、私はクリスチャンになりそびれていたかもしれません。神さまの導きを感じます。

キリスト教ではよく「強いられた恵み」という言い方をします。

今、このチャペルでお話ししているのも「強いられた恵み」と言えます。
チャペルで話す先生方はとても苦労なさっていると思います。もしかしたら授業準備よりも時間と気力をたくさん費やすこともあるかもしれません。チャペル当番がうれしくてたまらない先生はほとんどいらっしゃらないでしょう。それでもやはり「恵み」なのです。中2の皆さん、昨年生徒礼拝を担当していかがでしたか?お話を考えるのは大変だったかもしれませんが、話し終わったらけっこう達成感がありませんでしたか?共感してくれる感想をもらってうれしかった人や、自分のことを深く考えるきっかけとなった人もいたことでしょう。中1の皆さんも、2学期からは一人一人順番にクラスのみんなの前で礼拝のお話をすることになるはずです。希望者でなく、全員が担当するのが捜真流です。ぜひ「強いられた恵み」を体験してください。

生きていく上で、この「強いられた恵み」はしょっちゅう現れます。

皆さんは義務教育の年齢ですから、 保護者に義務があり、 たとえば学校に通わせるなどして皆さんに教育を受けさせなくてはいけません。 眠くても面倒くさくても朝早く登校しなくてはならないのは 、皆さんにしてみれば「強いられた」と感じることもあるかもしれませんが、世界の子どもたちの現状を考えると、教育を受ける権利が保障されているのは「恵み」と言えますよね。
私たち教員にも義務があるので、授業をし、課題を出し、試験をします。皆さんの年頃で、課題も試験もなしに自分を高めるために勉強できる人は、まだそう多くはないと思います。手帳を使って課題の管理をする、試験に向けて学習計画を立てる、など、「強いられた」ことで身につく力は多いのではないでしょうか。それも「恵み」ですよね。

クラスや部活での役割も、ときに「強いられた恵み」になります。
よく「強みを生かす」という言い方をしますが、強みを生かすことを強調しすぎると、苦手を克服する機会を失ったり、やってみたらできるかもしれないのに食わず嫌いで終わってしまったり、ひどいときは自分が得意なことだけしてその他のことは人に押し付けることにもなりかねません。
皆さんはまだ人生経験が浅いのですから、意識して未経験のことに挑戦してみてください。するつもりがなかったのに、たとえばじゃんけんで負けて、ある役割を押し付けられた形になったとしても、そこから思わぬ出会いや発見につながるかもしれません。
また、よく私も経験するのですが、得意なことをしていると、「あの人はあれが得意だから」と思われるのか、大変でも周りがあまり手伝ってくれないことがあります。でも、苦手なことを一生懸命している人の周りには応援する人が集まりますよね。特に捜真生はそうだと思います。捜真生は本当にやさしいです。だから、安心して苦手なことにも挑戦してほしいです。弱いロボットってご存じですか?強いロボットが知らないうちにゴミを全部片付けてくれるイメージだとすると、弱いロボットの1つである「ゴミ箱ロボット」はよたよたと動き回るのですが、自分ではゴミを拾えません。ゴミの存在を周りの人に教えるような仕草をするだけです。自分の弱さをさらけ出すことで、周りのやさしさを引き出すのです。

生きていることそのものが、時として「強いられた」と感じることもあるかもしれません。なぜこの顔なのか、なぜこの性格なのか、なぜこの家族なのか等、人生を考え始めた皆さんの中には、こんなにも自分の望んでいることとかけ離れた自分がなぜ生きていなければならないのか、と考えたことが全くないという人は少ないのではないでしょうか。
でも、聖書のメッセージは明快です。神さまはあなたを愛している。あなたは大切な存在。あなたの生きる目的は神さまから与えられていて、それは、あなたと同様に大切な存在である隣り人を愛して神さまを喜ばせること。
何よりすばらしいのは、結論はすでに神さまが決めていてくださっていて、私たちが何回失敗してもその結論は変わらないということです。こんなにもダメな自分は神さまにゆるしていただけるはずがない、もうがんばっても無駄だ、どうせ自分は死んだら無になってしまうのだ···まじめな人ほど自分を責めたりあきらめたりしてしまいがちですが、聖書ははっきり述べています(今日の聖書個所を見てください)。神さまは私たちの味方である。義としてくださるのは神さまである。さらに神さまの隣りにはイエスさまがいて、私たちのために弁護してくださる、と。
このイエスさまこそ、人間のすべての苦しみをご自身で味わい、人間のすべての罪を背負って殺され、しかしそれで終わりではなく、死に打ち勝って復活なさった方だと信じるかどうか。
私たちが愛の足りない存在であるという現実に打ちのめされるか、それでも神さまの愛は揺るがないという真実を信じるか。
現実か真実か。
神さまの真実を信じる方に一歩踏み出したのが、今思うと37年前の今日だったのだと思います。
私が罪を犯す存在であるという現実が変わったわけではありません。自分は神さまに無条件にゆるされているのに、自分に不当なことをした人々をなかなかゆるせません。それでも、 神さまの側の結論が変わらないのですから、何があっても生きていることは「恵み」なのです。

神さまは、あなたのできなかったことを責めるおそろしい方ではなく、できたことをほめてくださる方です。失敗しながらも隣り人を愛そうと努力したあなたに、終わりの日に「よくやった」と言ってくださる方です。
あなたも、自分のできたことを、小さなことであっても喜びましょう。友だちがしてくれた小さなことを喜びましょう。それが、自分を愛するように隣り人を愛する第一歩となり、自分も友だちが喜ぶこと、そして神さまが喜ぶことをできるようになると信じます。