4月16日(木)礼拝メッセージ

2020.4.16

Soshin Jogakko

「正しさは時に人を傷つける」

高等学部教頭 鳥居 敬一

【聖書】ルカによる福音書10章38節~42節

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

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 早く平常の生活に戻りたいと世界中の人たちが心から願う日々が続いていますが、皆さんはどのように過ごしていらっしゃいますか。願う方向にはなかなか進まない状況ですが、今だからこそできることがあるのではないかと感じています。そして、今までの平常の生活が当たり前ではなかったことを痛感させられます。今後、平常の生活に戻っても、この思いを心に刻んでおきたいです。

さて、今日の聖書の箇所は、「マルタのように忙しく働くことよりも、マリアのように座ってイエス様の話を聞くことのほうが良いことである」と読むこともできます。

しかし、ここではマルタの心の状態に注目してください。マルタは最初、イエス様をもてなすために自分にできることを一生懸命やっていました。そのこと自体は立派で尊い働きです。しかし、忙しく働いているうちに心に余裕がなくなって、「私だけに働かせて、何もしないマリアはずるい。」と感じるようになりました。マルタの主張はもっともで、行いも正しかったように思われます。しかし、その正しさは、人に向かって振りかざされた瞬間に相手を傷つける武器に変わります。そこには愛も平和もありません。

私たちも自分の正しさを示すために、人を攻撃してしまうことがあります。戦争も突き詰めれば、このことが原因で起きていると言えます。

では、私たちはどのようにすれば良いのでしょうか。正しさを主張する前に、相手のために神様に祈ってみてください。祈りは神様との会話です。それによって心が整えられ、相手を傷つけることなく自分の主張を伝えることができるようになったり、あるいは、自分の主張が絶対的に正しいとは限らないと気づかされたりするではないでしょうか。

この休校期間中も毎日、礼拝の時間をもって神様に祈ってください。そうすれば、不安や恐れで心が乱されることなく、あなたにとって本当に必要なことに目を向けることができるようになると信じています。

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