4月15日(水)礼拝メッセージ

2020.4.15

Soshin Jogakko

隣人になる

学院長  中島 昭子

 

【聖書】ルカによる福音書10章36節~37節

「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 

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捜真生の皆さん、お元気ですか?今皆さんはご自宅でさまざまな工夫をし、忍耐強く生活していることと思います。多くのことが、「いつもの」「ふつうの」時とは違う形になっているでしょう。不安やストレスを感じている方もあるかもしれません。皆さんの声が聞こえない学校も本当にさびしく感じられます。中庭のテューリップは満開、藤は白と紫の花をつけ始めたところです。誰もいない中庭に美しい花が咲いているように、皆さんもお家で「最善の自己」を覚えて過ごせるようにと願っています。そして、皆さんが学校に帰ってくる日を祈りつつ待っています。

さて、今日の聖書の箇所は「善いサマリア人」というイエス様の語られた有名なたとえ話です。はじめての方はぜひ30節(新約聖書126頁)からお読みください。

追いはぎに襲われて苦しんでいるユダヤ人が道に倒れていました。通りかかった人たちは皆、見て見ぬふりをしたのですが、サマリア人だけが「憐れに思い」(33節)手当をしました。サマリア人は隣人になったのです。「行って、あなたも同じようにしなさい」と、イエス様は聖書を通して私たちに教えられます。

捜真生の日頃の活動を思いますと、この「隣人になる」取り組みの何と多いことでしょう。炊き出しのお手伝いをする、オレンジリボン運動に参加する、被災地や福祉施設にボランティアに行く、フィリピンの子どもたちの里親になる、カンボジアに建てた小学校の子どもたちを支援する、アジアの子どもたちに絵本を送る、アフリカの子どもたちが労働から解放されて教育を受けられるようにするなど。他にもたくさんありますが、書ききれません。まことに誇らしいことと思います。

また、東日本大震災の被災地ボランティアに参加した生徒がこんな話をしてくださいました。「私には何もできないということが分かりました。重機を動かせないのだから瓦礫の撤去ができるわけではなく、医師や看護師ではないから怪我をした方の手当てもできない、献金をするのだって自分で働いたお金ではありません。何かできるようになって、誰かの隣人になりたいのです」と。尊い思いであると感じました。

そして、皆さん、追いはぎに襲われた人を私たち、サマリア人をイエス様と考えてみたらどうでしょう。私たちが苦しんでいる時、悲しい時、孤独な時、イエス様が隣人となり、助けてくださる、私たちの人生を一緒に歩んでくださるのです。何と心強いことでしょう。

 

お祈りします。全知全能の父なる神様、私たちに新しい一日を与えてくださり、ありがとうございます。復活のイエス·キリストが私たちの隣人となってくださることを信じ、感謝します。私たちもまたどなたかの隣人となることができますように導いてください。捜真生に今日なすべきことをあなたが示し、一人ひとりの心と体の健康を守ってください。また、病とたたかっている全世界の医療従事者の方々、私たちの日常生活を支えるために仕事をしてくださっている方々を、あなたが特別に祝福してくださいますようお願いいたします。この祈りをイエス様のお名前によって御前におささげします。アーメン

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