礼拝メッセージ 10月27日

2020.10.29

Soshin Jogakko

自分の価値            

高等学部教頭 鳥居敬一

こちらから讃美歌243番「ああ主のひとみ」を聞くことができます

【聖 書】 ルカによる福音書7章36節~50節
さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

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皆さんは遊園地にあるジェットコースターのような絶叫マシーンが好きですか?私は乗れば楽しめますが、好んで何度も乗りたいとは思いません。
でも、ジェットコースターはどこの遊園地でも人気が高く、長蛇の列ができるほどのものもあります。特に怖いものほど人気が高い傾向にあるようです。
ではなぜ、人はジェットコースターに乗りたがるのでしょうか。それは、きっと安全であることが前提になっているからなのでしょう。もし、行ったきりで帰って来れないジェットコースターがあるとしたら、恐怖心はMAXですが、長蛇の列はできないと思います。小さい子供が高い遊具の上から下にいる親の腕にダイブするのを楽しむことができるのも、受け止めてもらえるという安心感が前提になっているからだと思います。
ある研究によると、ジェットコースターに惹かれる理由の一つに、人間がもつ内臓が浮くような感覚を味わいたいという願望があるそうです。内臓が浮くような感覚は、人に恐怖を抱かせます。その恐怖は体内の心拍数を上げ、浅い呼吸となり、エネルギー消費量を増加させます。血液中の神経伝達物質エンドルフィンが上昇して強い高揚感を得ることができます。つまり、安全が確保されている状況での恐怖感は、非常に高い幸福感をもたらしてくれるのだそうです。また、人は幸福感とストレスを同時に経験すると、ストレスをポジティブなものと捉えるようになると言われています。
私たちの人生にもジェットコースターのようなことが起こります。大きな失敗をした時、信頼していた人に裏切られた時、想像もしていなかった不幸に見舞われた時。その瞬間は体が深い谷底に落ちていくような感覚に襲われることもあるでしょう。そのストレスフルな経験をポジティブなものと捉えられるか、ネガティブなものと捉えてしまうか、その違いは少し先の安全を確信できるかどうかによります。

先週のニュースで「小·中·高校生の自殺が2年連続で300人を超えた」と報じられていました。文部科学省が、全国の小中学校や高校から報告を受けた、昨年度自殺した児童生徒の人数は317人でした。これは過去最多だった前の年度からは15人減ったものの、それに次ぐ多さで2年連続で300人を超えたということです。内訳は、小学生が4人、中学生が91人、高校生が222人でした。
自殺の要因は、「家庭の不和」「進路の問題」「父母などの叱責」「いじめ」などがありますが、最も多かったのは「不明」の188人で、全体の6割近くに上りました。
自殺の理由は一つではなく、色々なことが重なっているのだと思います。「生きているのが辛い」「こんなに苦しいのなら死んだほうが楽なのかも」、程度の差こそあれ、誰でもこんな風に感じることが人生の中では何度か訪れるのではないでしょうか。しかし、それだけでは自殺につながりません。自殺する人は、自分では客観的に判断できない精神状態に陥っているので、本人が冷静に自殺を決意するわけではないようです。

どうしたら、そういう人たちを助けることができるのでしょうか。私は「言葉」が大きな力を持っていると思います。
私の場合、悩みごとで頭が一杯になってきた時に、自分自身に問いかけるようにしている言葉があります。それは「この問題は100年後にはどうなっているか?」という問いです。今悩んでいる目の前の問題は、一時的であり、100年後には跡形もなく、なくなっているものがほとんどです。悩んでいる私自身も100年後にはこの世には存在していないでしょう。ですから、100年後も残る問題であれば悩む価値があると思うようにしています。そうすると、狭くなっていた視野が広がり、開き直りに近いのかもしれませんが、冷静でポジティブな気持ちになれます。
さて、話を元に戻します。どうすれば人は、自分の命や体を大切にすることができるのでしょうか。どうすれば自分に価値があると思えるのでしょうか。

先程読んだ聖書の箇所に出てくる女の人は、ファリサイ派の人たちから見ると価値のない人でした。立派な行いをしている彼らは価値が高く、それに対して女の人は罪深く価値がないと見下していました。ですから、女の人がイエス様の足を涙でぬらして髪の毛でぬぐったり、足に接吻したり、高価な香油を足に塗ったりすることをイエス様が受け入れていることが許せませんでした。
そのことを見抜いたイエス様は譬えを使って諭します。金貸しから、500デナリオン借りている人と50デナリオン借りている人が二人とも返済できなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてあげました。帳消しにしてもらった額の多い方が、その金貸しを多く愛する、という譬えです。
自分には償いきれない罪があるにも拘わらず、その罪が赦された人はその感謝の気持ちが行いとなって表れます。
自分に価値があると思えるのは、人から大切にされていることがわかった時なのかもしれません。何かができるとか、何かを持っているとか、そういうことではなく、自分を大切にしてくれる人によって自分の価値を知ることができるのだと思います。
神様は私たち一人ひとりに価値があると聖書を通して語りかけています。それは、単なる言葉ではなく、独り子のイエス様の命と引き換えにするという保証書つきの価値です。しかもその保証期間は永久です。
私たちに価値があると太鼓判を押してくださる神様がいつも共にいてくださいます。これほどの安心感は他の何によっても得ることができません。たとえジェットコースターのような人生だとしても、この安心感があれば、幸せを感じて人生を楽しむことができるのだと思います。

(10月27日放送礼拝)

 

 

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