礼拝メッセージ 9月7日

2020.9.7

Soshin Jogakko

Peace of cake

宗教主任 藤本 忍

こちらから讃美歌380番「立てよいざ立て」を聞くことができます

【聖書】マタイによる福音書6章19節~21節

「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

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8月は私にとって「戦争」と「ケーキ」の月です。「悲劇」と「祝い事」が同時に訪れる月です。6日の広島原爆投下、9日の長崎原爆投下、15日敗戦記念日、そして20日の私の誕生日。今年の8月はコロナの影響なのか、例年より戦後が少し遠くに行ってしまったような感じがしました。そして、有難いことに何度か誕生日ケーキを食べました。その度に祝ってくれた人達のケーキの切り方が違っていて記憶に残りました。どんなに大きなケーキでも、そこに集った人数に合わせて切る人、逆にどんなに小さくても、公平に同じ大きさに切って余りを出す人、また、ケーキに乗っているフルーツを切らないようにして、大中小様々な大きさに切って、食べる人が好きな大きさを選べるようにする人、等々。

昨日、7号位(直径21cm)のショートケーキの写真を色々な先生に見せて、どの位の量を食べたいか聞きました。Y先生は「全部食べたい。切る必要はないです。」と言い、英会話のM先生は「1/4がいいな。それが私のお腹には丁度いい!」と言い、A先生は「食べられる限り全て」と言いました。私自身はお腹が空いていなかったので、1/8食べられればいいと思っていました。円型の物は偶数だと切り易い、というのも頭にありました。またS先生は「一切れ、一切れ頂ければ充分です。でも二切れ頂けたらなお嬉しいです。」O先生は「イチゴだけ下さい。あとはいりません。」M先生は「ショートケーキは好きじゃないからな~」と具体的な大きさは言いませんでした。最後にD先生。「1/4でいいです。チョコレートケーキじゃないから。」と遠慮がちに言っていましたが、8人に聞いて1/4を要求されるのは分ける側からするとキツかったです。
自宅に帰り、どうやって分けるのが良いのか、写真のケーキに実際に切れ目を入れて、先生達の要望を割り当ててみました。そして、上手く要望に応えようとすればするほど、やはりY先生の「全部食べたい」という要望とA先生の「食べられる限り全て」という要望に対して、どうすればいいのか、そこに焦点が絞られました。要望を減らしてもらうにはどう交渉したらいいのか、寝ずに考えました。

実はこの「Peace of cake」は、ケーキを地球(領土)に見立てて、どうやって平和の裡に、争いなく分けることができるかを考える「実践的平和学習の一環」でした。実際、私は、全部取りを要求するY先生をアメリカの指導者に重ねてみたり、控えめなS国の要求では、いずれY王国に滅ぼされることを想像したり、小さいながらも藤本国は大国Yにどう抵抗しようかなど、真剣に考えたりしました。イチゴだけを要求するO国は、油田だけが目当てなのか、A国には交渉のタイミングさえ間違えなければ、きっと大した量は要求しないないだろう、そんなことも考えました。そして、気付いたことは、この場合の私にとっての平和は「譲ることであり、誰かの為に妥協することであり、自分の言い分をひっこめること」でした。
そして、もし、ここにイエス様が参加していたら、多分、「皆で分けなさい」と言って全てを放棄するのではないか、と考えました。なぜなら、イエス様は普段からお金を一銭も持たず、日々の生計は弟子達に任せ、十字架の死に至るまで、一切の財産を持たなかったからです。ひたすら与えて、与えて、与え続けた方でした。ご自身は手ぶらで生涯を終えて、世界に途轍もない足跡を残しました。「天に富を積む」とは地上のものに執着しない、イエス様のような生き方のことを言うのかもしれません。

イスラエル、ドイツ、イギリス、日本の中学生に聞いたアンケートにこういうものがあります。「正義の戦争はあるか」、「どんな戦争にも反対か」。前者の問いには最も賛成が少なく、後者の問いに対しては8割以上が「反対」と日本の中学生は答えています。4か国中、日本の平和意識は最も高いのです。これは誇るべき数字だと私は思います。戦後75年、引き続き「平和を実現する」ために、私達はこれからも血の滲むような努力をしていかなくてはならない、と改めて決心しました。

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