礼拝メッセージ 5月12日(火)

2020.5.12

Soshin Jogakko

「ありがとう」

中2担任  小澤 淑恵

こちらから讃美歌312番「いつくしみふかき」を聞くことができます

 

【聖書】ヨナ書 4章5節~11節

そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。

すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰を作ったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」

神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」

彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」

すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

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緊急事態宣言による休校が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか。担当学年の生徒さんたちからは、課題に取り組んでいる、身体を動かしている、家の手伝いをしている、趣味を楽しんでいるなど、前向きな返答をたくさんいただき、とても元気づけられています。

誰もが不自由な生活を強いられている状況で、今まで当たり前だったことが当たり前でなくなり、大きな戸惑いを覚えている人も多いでしょう。私自身、失ってはじめてその大切さを知る、ということが多いので、この期間は色々見つめなおして考える貴重な時となっています。

自然教室でのある講演で、「『ありがとう』の対語は『あたりまえ』だ」という言葉を聞き、目から鱗のようなものが落ちた経験をしたことを思い出しました。「ありがとう」とは「有り難い」こと、つまり「有って当たり前ではない」こと、というわけです。「ある」ことの奇跡に感謝、ということなんです。

今この時も、人々の「当たり前の」生活を守るために、命をかけて働いている方々がいらっしゃいますが、その働きは決して「当たり前」ではありません。本当に「有り難い」ことです。心から感謝します。

今日も(ヨナのように)「ない」こと、「できない」ことに不満を言うのでなく、「ある」こと、「できる」ことに注目して、「ありがとう」の気持ちを忘れずに過ごしたいと思います。

 

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