礼拝メッセージ 5月13日(水)
2020.5.13
Soshin Jogakko
「驚き」を大切にした歩みを!
中2担任 藤巻 正悟
こちらから 讃美歌「ガリラヤの風かおる丘で」を聞くことができます
【聖書】ルカによる福音書2:1-7
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
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1.「驚き」を失っていませんか?
幼い子どもの目に映るこの世界は、「驚き」に満ちた場所と言えます。
幼児が大人に向けて、実にさまざまな質問を飽きずにぶつけるのは、あらゆる事象に対する「驚き」を抱くからです。
ですが人間は成長していき、やがて幼年時代の生き方を棄てることになります(Ⅰコリント13:11)。
ともすれば、子どもの頃あれだけ心がワクワクした多種多様な事柄に対する「驚き」も、成長の過程と共に棄ててしまうことが多いのではないでしょうか。
2.学びは「驚き」から始まる
哲学の祖プラトン(B.C.427-347)、また彼の一番弟子アリストテレス(B.C.384-322)は、異口同音に『哲学は「驚き」から始まる』という言葉を遺しています。
彼らの金言を、中高生の皆さんに引き付けて言い換えれば、『学びは「驚き」から始まる』となるでしょうか。
授業を通しての学び、宿題を通しての学び、自習を通しての学び、書物を通しての学び、実習や体験を通しての学び……
知らなかった知識を自分のものとする「驚き」、なぜだろうという疑問の「驚き」、もっと調べてみたい意欲をもたらす「驚き」、理解していると思っていたはずの内容がひっくり返される「驚き」……
学びに向かう皆さんは、そのすべての出発点が「驚き」にあることを忘れずにいてください。
3.信仰も「驚き」から始まる
少しでも聖書に触れたことのある人なら、イエス·キリストが家畜小屋で誕生し、飼い葉桶に寝かされたことを当然のごとく把握しているに違いありません。
しかしながら、この場面は「当たり前」や「常識」としてあっさり素通りすることなど決して許されない、「驚き」以外の何物でもないはずです。
どうして神の御子が、きらびやかな宮殿ではなく、粗末で汚らしい家畜小屋の中などで誕生したのでしょうか。
どうして神の御子が、清潔に整えられたゆりかごではなく、家畜の唾液でベタベタし、悪臭を放つ不衛生な飼い葉桶の中などに寝かされたのでしょうか。
これほどまでにみじめでみすぼらしく、救い主の降誕の場面としてふさわしくない情景があるでしょうか。
けれども、聖書という書物は、最も高い所にいるべき方が最も低い所に誕生したという「驚き」を語ります(フィリピ2:6-8)。
神はもはや高い場所から我々を見下ろしているのではない!
この世のいちばん低い場所にまで神がくだって来られた!
この「驚き」に撃たれることが信仰の出発点に他なりません。
学びと全く同じで、信仰も「驚き」に撃たれることから始まっていくのです。
4.「驚き」から始まった2020年度
今年度の歩みは未だ本格的にスタートすることができていません。
この状況はまさに「驚き」そのものです。
もちろんこの場合の「驚き」は望ましくない意味合いですが、不本意な「驚き」の中に置かれた現在だからこそ、考えなければならない事柄や、するべき事柄が必ずあるはずです。
「驚き」の中にいる自分には今、一体何が求められているのか、心を静めてもう一度じっくり考えてみてください。
「驚き」のスタートにはなったものの、捜真生の皆さんが多くの事柄に対する「驚き」を失うことなく、勉強面でも信仰面でも収穫の豊かな2020年度を歩んで行ってほしいと願っています。