礼拝メッセージ 5月15日(金)

2020.5.15

Soshin Jogakko

「神が人類に与えた賜物~Characteristic and sense of humor」

高一担任·宗教主任  藤本 忍

こちらから讃美歌「主のまことはくしきかな」を聞くことができます

【聖書】ヤコブの手紙1 1:17~18

良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生じる陰もありません。御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んで下さいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となされるためです。

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お話を音声でお聞きになりたい方はこちらから

教会に行くとちょっと頑固でとても謙虚な主任牧師と、オタクで緻密なICTに長けた伝道師がいます。彼がいなければ、教会は礼拝を音も映像もあんなに鮮明にYouTube配信できなかったと思います。彼の説教は深くて心に残ります。それは彼の心が繊細だからです。そして、もし今の主任牧師がいなかったら、うちの教会は求心力を失い多分バラバラになっていたと思います。彼は優しく全ての教会員を公平に愛してくれています。

そして教会にはたくさんのご高齢の方がいらっしゃいます。耳が遠いので、食前の感謝の祈りをしている時でも、お喋りをしています。時々、教師の癖でついつい「しーっ!」と目上の方に向かって言ってしてしまうことがあります。チャペルに入る前の生徒に「静かに!」と注意をしているかのように。

時にはご飯を炊くお釜のスイッチを入れたかどうか忘れて、説教中にもかかわらず確認をしに飛び出して行ってしまったこともありました。そして帰ってくると「ちゃんとスイッチ入っていたわよ。大丈夫だったわ。」と言い、それを聞いたもう一人のご婦人が「え、何ですって?」と返し、「だから、お釜のスイッチがね、入っていたのよ。」「あら、良かったわね。」。声が大きいので、説教を聞いているのか、お釜のスイッチの話を聞いているのかわからなくなってしまいました。

また、献金の感謝のお祈りが長くて、ご自身で迷子になってしまう方がいます。お祈りしているのか、報告をしているのかわからなくなってしまったご婦人は、お祈りの最中にそれを神様に確認します。「神様、これはお祈りでしたか。それとも···報告でしたか?」と。しばし沈黙の時がありました。(多分ここで目を開けて辺りの様子を探っていた模様。)すると間もなく「あら、お祈りのようでしたので、戻ります。神様、私達は大変罪深い者ではありますが···。」と何もなかったかのようにお祈りを続けました。

ある時、ご婦人達が牧師たちに聞きました。「先生、私達は死んだら本当に天国に行けるのですか?」と。すると最高齢の引退牧師が「それがわかったら苦労しない。」と答えました。そしてもう一人の牧師は「召されてみないとわからない。」と言いました。私は内心、「嘘でもいいから牧師なら天国に行くと言ってよ」と思いました。しかしご婦人は「あ~良かった。安心したわ。牧師がわからないなら私達がわかるわけがないわよね。」と言い、「ほんと、ほんと」と慰め合い納得していました。

20世紀最高の神学者と言われたカール·バルトも似たような質問を受けました。「ね、先生、教えて下さい。私たちが天国で愛する人々に皆再会するというのは、本当に確かなのでしょうか。」と。ご婦人から聞かれて彼はこう答えたそうです。「確かです。しかし、他の人々とも再会しますよ。」無意識のエゴイズムを暴露されながらも、圧倒的な神の恵みを悟らされ、ご婦人は大変慰められたそうです。

私たちは互いに愛し合うために特性のある弱き者として神様に作られました。そのことに感謝しています。同時に私たち人類には「シリアスなことを笑いに変えられるユーモア(底力)」と、「明確な答えがなくても葛藤に耐えうる成熟さ」と、「課題に対峙して解決する英知」も神様から与えられています。だから嘆くことなく、同時代を生きる人々と共に今のこの危機を乗り越えていきたいと思います。

 

 

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