礼拝メッセージ 6月5日(金)

2020.6.5

Soshin Jogakko

「希望の歌」

音楽科  仁平のぞみ

讃美歌174番「起きよ、夜は明けぬ」を聞くことができます

讃美歌346番「たえに麗しや」を聞くことができます

 

 

【聖書】詩編 84編6節〜10節

いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気をだし/心に広い道を見ている人は。

嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。/雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

彼らはいよいよ力を増して進み/ついに、シオンで神にまみえるでしょう。

万軍の神、主よ、わたしの祈りを聞いてください。/ヤコブの神よ、耳を傾けてください。

神よ、わたしたちが盾とする人をご覧になり/あなたが油注がれた人を顧みて下さい。

ヨハネによる黙示録22章16節

わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。

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新型コロナウイルスが蔓延して、社会全体が落ち着かなくなってきた3月末頃、なんとなく気持ちが沈むような時に、私は2つの讃美歌をふと思い出し口ずさみました。それは讃美歌174番「起きよ夜は明けぬ」と346番「たえにうるわしや」です。学校の礼拝ではほとんど歌うことがないので、知らない人が多いと思います。

この2曲は16世紀後半にドイツで活躍したルター派の牧師フィリップ·ニコライ(1556~1608)が作詞作曲した曲です。このニコライが北ドイツ、ヴェストファーレン州のウンナという町の教会で牧師をしていた1597年の夏から1598年の初めにかけて、恐ろしい感染症ペストが大流行しました。この期間、牧師であるニコライは毎日毎日、亡くなった人々の埋葬に立ち会いました。多い時は1日に30人もの人を埋葬したと伝えられています。町の通りには埋葬が間に合わない棺が並べられ、嘆きの声が溢れていました。彼自身も大切な家族を亡くしています。

ペストの惨禍が過ぎた後には、生きることに絶望した人々や、神などいるものかと自暴自棄に陥って荒れた生活に身を落としていく人々が取り残されました。このような中でニコライは聖書のことばに集中し、人々の救いのために祈り続けます。そしてこの讃美歌の詞にたどり着くのです。

174番はマタイによる福音書25:1~13「10人のおとめ」のたとえから、346番は上記の聖書箇所から言葉が取られています。文語体の詞はみなさんには判りにくいかもしれませんが、どちらの詞も“キラキラ”していて希望に溢れ、ひたすら神様を讃美しほめたたえています。そしてイエス·キリストの救いのみわざを喜び歌い、その歌声は途切れることはないといっています。まるで遠くにいる恋人に宛てたラブレターのようです。人々が嘆き悲しみ、心を震わせ、暗闇をさまよっているような時に不謹慎ではないのかと思うほど、この詞のことばは“キラキラ”と光っています。

ニコライは苦難の時こそ心を荒げるのではなく、静かに主の救いに希望を持つようにと町の人々を慰め励ましたのです。生も死も人の想いをはるかに超えた主のご計画の中にあるのだから、恐れず、主に全幅の信頼をおいて歩むこと、主の声に耳を傾け、花婿を心待ちにしているおとめたちのように、心の目を覚まして救いにあずかるようにと声を上げ続けました。心の平安を得るにはそれが一番良いことだと確信を持ってこの讃美歌を作り歌ったのです。その歌は町から町へ希望の歌として歌い継がれ、後世の多くの作曲家たちによって合唱曲やオルガン曲にアレンジされて、今や世界中で歌われています。

「感染症」というキーワードでこの歌が私の心によみがえりました。心を騒がせることなく、静かに主のみことばに耳を傾けて平安であれと神様が呼びかけてくださっているように感じます。自主的にSNSを通して毎日礼拝を守るグループが起こされて、静かに祈る生徒たちがたくさんいるこの学校で、私自身もそのようでありたいと思います。

お祈り

毎日暗い重苦しいニュースばかりが社会を覆っている今この時も、神様が共にいて慰め励ましてくださることに感謝いたします。私たちが自分のことばかりでなく、広く社会に目をむけてたくさんの人々のために祈ることができるよう力をお与えください。命を救うために日々働く医療従事者、私たちの生活を守るために働くたくさんの仕事従事者、その他私たちの目に触れないところで苦労を重ねていらっしゃる多くの方々のうちに主よりの励ましと慰めが豊かにありますようお祈りいたします。主の聖名によって アーメン

 

 

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