礼拝メッセージ 6月19日(金)

2020.6.15

Soshin Jogakko

「怒られる『時』」

事務職員  野見山紗弥

こちらから讃美歌536番「報いをのぞまで」を聞くことができます

 

【聖書】コヘレトの言葉3章1節~13節

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
わたしは知った
人間にとって最も幸福なのは
喜び楽しんで一生を送ることだ、と
人だれもが飲み食いし
その労苦によって満足するのは神の賜物だ、と。

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突然ですが、皆さんの一番好きなジブリ映画は何ですか。
私は真っ先に『魔女の宅急便』と答えます。魔女の血を受け継ぐ13歳の少女がしきたりに従ってのどかな田舎町を旅立ち、魔女のいない大都会で一人挫折を味わいながらも自分ができることを探しながら修行をし、様々な人に出会いながら成長していく姿を描いたお話です。(原作の角野栄子『魔女の宅急便』もおすすめです。)

エンディングで松任谷由実さん作詞作曲の『やさしさに包まれたなら』の歌詞、「全てのこと~は~、メ~セェ~ジ~♪」というところでじんわり泣きそうになります。頑張る女子の応援映画ナンバーワンの太鼓判を押したいです。

話は変わりますが、私自身の「旅立ち」はいつだったかなと思い返すと、捜真を卒業した時だったのではないかと思います。

私は中高生のころ、実はほとんど怒られた記憶がありません。逆に、一度だけ怒られたことを鮮明に覚えているくらい、私はいわゆる「優等生」でした。反抗期と呼べる反抗期がなかった私は、幼いころは両親に怒られることもありましたが、中高生くらいになると両親の期待にも応えつつ、その見返りに自分のやりたいことを自由にやらせてもらっていたように思います。

今思うと、私は両親や先生から喜んでもらえることをするのが「正しい行動」だと認識してきたのだと思います。家や学校で認められることが私の喜びだったし、幸いそれは私のやりたいことと大きく違わなかったので、思春期にありがちな衝突をあまりすることなく、両親や先生のサポートを受けながら、守られながら学校生活を100%満喫することができました。

ところが、高校を卒業した途端、私は今までとは全く違う世界に足を踏み入れることとなります。私がこれまで培ってきた経験や価値観が通用しない世界があることを知ります。井の中の蛙とは正にこのこと。失敗をしてたくさん怒られました。また、時には理不尽だと感じることで怒られる経験もしました。人や場所によって「正解」は異なり、一つではなかったのです。

怒られ慣れていない私は、恥ずかしながら「怒られた=ダメな人間だ」という負のスパイラル思考に陥りました。

そんな時に私を支えてくれたの言葉が捜真に在学中に礼拝で聞いたこの聖句でした。そうか、今は「怒られる時」なんだ、と。何事にも定められた時(意味)があって、困難にあってもそれが私にとって意味のある時間なんだと思えた瞬間、私は前を向くエネルギーを与えられました。怒ってもらうことでしか得られないものがあったのです。今振り返ってみれば怒ってもらえたことのありがたさが分かります。理不尽なことでさえも、それをやりすごす心の訓練だったように思えるのです。

最後にもう一つ私の好きな聖句をご紹介したいと思います。

テサロニケの信徒へ手紙一 5章16節~18節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト·イエスにおいて、神があなたがたに望んでられることです。

自分が今いる場所が、苦しい、生きづらいと感じている人もいるかもしれません。自分と周りとの衝突に疲れることもあるでしょう。さらに、変化を強いられる時代、正解のない問いと向き合い続けなければいけない時代。私たちが与えられた「時」に感謝しながら、「全てのことはメッセージ」と受け取れる心の強さを持てますように、困難を乗り越えることができるように、お祈りして礼拝の言葉とさていただきます。

 

 

 

 

 

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