礼拝メッセージ 6月25日(木)

2020.6.20

Soshin Jogakko

「田中先生のレッスン」

中2副担任  普川 桃花

こちらから讃美歌Ⅱ編157番「この世のなみかぜさわぎ」を聞くことができます

 

【聖書】 ルカによる福音書6章41節〜42節
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

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登校が再開されて3週間が経ちましたが、コロナ禍による世界の混乱は依然として続いています。社会が混乱する時、私たちはしばしば余裕を失い、他者への配慮、とくに弱い立場の人のことを忘れてしまいがちになります。私は、こういう時によく思い出す、ある英語の授業があります。捜真で高校一年生の時に受けた、田中先生の授業です(私はこの学校の教員でもあり、卒業生でもあります)。田中先生はたいへん厳しく、ちょっとコワイ先生でしたが、教え方が丁寧で分かりやすく、希望者には個別でも文法の練習を見てくださる熱心な先生だったので、私は大好きでした。

秋ごろの授業だったかと思いますが、ある英文が課題になりました。第二次世界大戦中のドイツで迫害を受けたユダヤ人の話だったと思います。「〜と思います」というのは、当時からかなり時間も経って、その文章の細かい内容自体はかなり忘れてしまっているからです。
さて、こんなにも記憶がおぼろげな話が、なぜ忘れられない授業なのかというと、授業の最後に先生から私たちに投げかけられた言葉が、とても印象的だったからです。

「さて、みんなはこのドイツ兵がユダヤ人に銃口を向けているシーンを見て、どう思いましたか?」

「ひどいと思いました」とか「戦争って残酷だと思います」とか声が上がります。

「そうですね、その通りです。その通りなんですが、もうちょっと立ち止まって考えてみて。ほとんどの人が被害者のユダヤ人の立場でこの写真を見ますよね。···でもね、私は、こう思うんです。自分は、この時代のドイツ人に生まれていたら、このドイツ兵と同じように加害者になっていたかもしれないなって。この時代のドイツは、これがある意味、正しいと信じられ、「正義」だったんです。皆さんは世界中を見渡してみれば、比較的恵まれた家庭で育つ、「良い子」です。当時のドイツにいたそういう人たちは、ほとんど皆、ユダヤ人を迫害したんです。そんななか、「これは残酷」とか「間違っている」なんて声を上げたら、自分の命が危なかったかもしれない。私たちは、正直なところ、自分が安全ならば良いという考えに簡単に陥ると思います。人間って、周りの意見に流されて、あるいは自分が傷つかないために、平気で弱い立場の人たちを傷つけることができてしまうと思いませんか?本当に、このドイツ兵のしたことを、あなたは非難できますか?自分は絶対にしないと本当に言えますか?もしかしたら、自分もこの時代、この環境に生まれていたら、人に銃口を向けていたかもしれない···、とは考えられませんか?本当に戦争を二度と起こさない、というのは「戦争ってひどい」と言うことだけでなく、自分も戦争に加担したり、加害者になる可能性があるってことを疑ってみることじゃないかな。」

ドキリとした瞬間でした。非行に走るわけでもなく、ひどいイジメの加害者になったこともない私でしたが、戦時下のドイツに生まれ、そういう風潮に触れて育ち、ユダヤ人を批判するようなニュースを毎日のように聞いたら、間違った正義を信じ、大勢のなかの1人としてナチス·ドイツに加担している自分が、簡単に想像できてしまったからです。

自分の弱さに気付かずに、過ちを犯す危険性は誰にでもあると痛感させられた授業でした。そして、その危険性は社会の混乱や大きな変化の時には、とくに高まるのかもしれないな、と考えさせられました。だから、こういう世の中が混乱するような時期には、この授業でドキリとしたことを、今でも鮮明に思い出すのかもしれません。

お祈り
御在天の父なる神様、コロナ禍で、働き方や学校教育まで、いろいろなことが混乱しながら変化しています。世の中の価値観もガラリと変わるような気がします。
その一方で、混乱のなか人々から余裕がなくなると「命の選別」や「自己責任」という言葉の下で、自分たちの命は見捨てられてしまうのではないか、と大きな不安にかられる社会的弱者の方たちがいる状況です。
神様、もし私たちが安全で恵まれたところにいるときには、自分よりも困っている人を想像し、振り返り、助け合うことができますように。知恵と勇気をお与えください。もし私たちが困難に直面し、孤立し弱っているときには、そばにいて慰めてください。あなたが与えてくださった周りの人たちと協力しながら、困難を切り抜ける道を見つけることができますように。そして、どんなときもあなたが共にいてくださることに気付くことができますように。イエス·キリストの御名によって、御前にお捧げいたします。アーメン

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