礼拝メッセージ 7月24日(金)

2020.7.24

Soshin Jogakko

「calling〜愛には抑止力がある」

高一担任·宗教主任 藤本 忍

こちらから讃美歌195番「命の君にます主よ」を聞くことができます

【聖書】マルコによる福音書1章16節〜20節

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った。 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

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心無い誹謗·中傷を受けて、テラスハウスの木村花さんが自ら命を絶った事件は社会に大きな衝撃を与えました。以来、ずっと考えていることがあります。それは、命を絶つその寸前でなぜ留まることができなかったのかということです。そして、もう一つは、なぜあんなにも残酷な言葉を人に向けて発することができるのか、ということです。言い換えれば、言葉を発するその寸前で、これを言ったらどれほど人が傷つくか、考えることができなかったのか、ということです。そして言った後でも、悔いて謝る気持ちにはなれないものなのか、ということです。

コロナ禍で、学校が再開しました。二部制という未だかつて経験したことのない学校生活を送っています。でも、20人でなければ声を掛けなかった人がいたと思います。また20人でなければ友人になっていなかった人もいたはずです。我がクラスは席を出席番号順に縦ではなく横にしています。そのことで席が近くなって友人になっている人達がいます。そして、毎朝検温表を確認しながら移動していくと、やたら35°代が続く列があります。5人ほど続いていて、思わず「ここは低体温グループだね」と言ってしまいました。しかしそのくくりで偶然にも出会った生徒たちは、自分たちの体温の低さを共通点にして会話を楽しんでいることがあります。

そして、あまりにも呆気なく終わってしまう日々が残念で、「何かしたい」という思いから、ある生徒のアイディアで「クイズ大会」をすることになりました。奇数組の生徒が考えたクイズを偶数組が答え、偶数組の生徒が考えたクイズを奇数組の生徒が答えて、点数を競うというものです。20人を更に半分にして10人対10人の対決で、それぞれのチームから代表を一人出して解答をしていく形式です。ルールはただ一つ、自分のチームの代表解答者を下の名前で呼んでエールを送る、です。今回のクラスで初めて出会った生徒も、絶対に下の名前で呼ばなくてはいけません。生徒ならではのアイディアだなって思いました。互いの名前を覚えるだけでなく、一気に親しみが沸くという仕組みです。

そんな日々を送っていると、高入生に日直が回ってきて、HRでお祈りをすることになりました。私は無理をさせず、お祈りは飛ばそうと思っていました。しかし、近くの友人にお祈りの仕方を聞いたらしく、立派なお祈りをしてくれました。そして「前の晩、寝ずに考えました」と言う言葉を聞いて、急いでキリスト教のオリエンテーションをしました。そして、お祈りの仕方と献金の考え方などを伝えました。そして、何か困っていることはないかと聞くと、

「それがないんです。放っておかれないというか。戸惑っていたり、高入生で固まっていたりすると、必ず『どうしたの?』『大丈夫?』と必ず声をかけてくれる子がいるんです。」と。私はその話を聞いて思い出したことがありました。

入社試験の際に「あなたの夢はなんですか?」と聞かれて「世界平和です。」と答えた教え子がいるんですが、私はその子と会う度に「その後、世界平和実現は進んでいますか。」と聞いています。すると、先日会った時にはこう答えたんです。「それが全然です。日常に埋もれてしまっています。」と。私が「あなたの強味って何?」と聞くと暫く考えて、「技術とか、技能とか語学力とか、そういうものではないな~」と言いました。彼女は毎日と言って良いほど英語で、何億という単位の商談を取引していたので、今挙げたものを強味として答えもおかしくなかったのですが、また暫く考え込んでからこう言いました。「私がしていることは、仕事で失敗して、一人でそれを抱えて、落ち込んでいる人に気付いて、声を掛けることかな。それも、だいだいの人が高学歴のエリートで、失敗経験がなく順調に進んできた人たちなので、プライドも高いんです。だから私みたいな年下が声を掛けたのでは、プライドが傷ついてしまうから、その人と同期の、私にとっては先輩にあたる人に相談して、何気なく声を掛けても貰って三人でご飯に行くんですよ。強いて言うならそれかな、私の強味は。」それを聞いて私は、しっかり世界平和を実現してると思いました。

今日、お読みした聖句ですが、イエスという方も、この「人に声を掛けること」を生涯の使命としていました。主イエスに出会い、声を掛けられて人生が変わった人はたくさんいました。事実、ペトロもそうでした。大きな挫折をしたあと、彼は立ち直って、本当に主イエスの言葉通り「人間を取る漁師」になりました。人生に目的ができたのです。彼は大きな挫折をしましたが、だからと言ってそれで彼の人生は終わりませんでした。

正解はわかりませんが、名前を呼んで声をかける人がいたら、自ら命を絶つことも、酷い言葉を浴びせることもなかったのではないか、と思うのです。あなたが心配だ、あなたに関心がある、あなたと友達になりたい、そう思ったら声に出して名前を呼んで、素直に声を掛けていきたいと思います。なぜなら、愛には抑止力があるからです。神さまからの呼びかけ、callingは呼びかけられた人間の人格全体に響き渡ります。響き渡るその言葉を受け止めることで人生は大きく転換していきます。

 

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