礼拝メッセージ 7月13日(月)

2020.7.13

Soshin Jogakko

「自分の天分のありたけを尽くそうと思うのである

高三担任 石黒 明子

こちらから讃美歌501番「命のみことば」を聞くことができます

 

【聖書】ヨハネによる福音書8章14節

イエスは答えて言われた。「たとえ私が自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。

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今、現代文の授業では、高三の皆さんと夏目漱石の「現代日本の開化」を読んでいます。休校の4月初めから、岩波文庫で「夢十夜」「文鳥」「永日小品」と読みすすめてきてもらっていて、いずれも小品ですが深い味わいがあります。

「現代日本の開化」は1911年の8月に行われた講演です。この年の前後には漱石の身辺ではさまざまのことが起こっています。前年、修善寺の大患といわれる吐血があり、漱石は生死をさまよいました。また講演と同じ年、幼い末娘の突然の死に直面しています。漱石は全集で換算すると800ページにおよぶ日記と断片を残していますが、1911年の日記には「生きて居るとき」は「ほかの子よりも大切だと思わなかった。死んで見るとあれが一番可愛い様に思う」「表をあるいて小い子供を見ると此子が健全に遊んでいるのに吾子は何故生きていられないのかという不審が起る」という悲痛な声が記されています。

漱石のこの年のメモには「Is it impossible for a Buddha or a Christ to exist in the 20th Cent.」という記述も見られます。漱石は英語の聖書もずいぶん読み込んできました。ちなみに、この聖書をくれたイギリス人女性は熊本時代の漱石に英語を教えてくれたノット夫人で、漱石はイギリス留学に向かう船の中で偶然にノット夫人と再会し、聖書をもらったのです。だから漱石が自分の聖書を手にした日はちょうど120年前の1900年のことだと判明しています。特に漱石の書き込みが多い箇所は「創世記」「ヨブ記」「マタイによる福音書」であるそうです。絶望と苦しみの中にあって神様に問い続けた「ヨブ記」を読み込んでいたということは、とても興味深いです。この聖書を漱石は生涯使い続け、現在は東北大学に所蔵されています。

明治は激動の時代です。日本は開国して地道に内部から発展をしていければ良かったのですが、外国から怒涛の変化の波が押し寄せた時代です。今回のコロナ·ウイルスによる自宅待機で止むに止まれぬ状況でオンライン授業になったことと重なります。新たな進路を切り拓かなければならない高三の皆さんのことを考えても、5年、10年かけて、じっくり自分のやりたいことを探していければそれに越したことはありませんが、実際はそういうわけにはいきません。「現代日本の開化」の中でも、漱石は日本の置かれた状況を皮相上滑りの開化になってしまっていて、どうやって急場を切り抜けるか名案が浮かばないと述べています。漱石はクリスチャンではありませんし、参禅した寺でも悟りを開けませんでした。一つ確実に言えるのは、自分の力ではどうしようもない状況に置かれながらも悩みに悩み抜いて努力をした人であるということです。「現代日本の開化」の翌年書かれた小説「行人」では、「自分に誠実でないものは、けっして他人に誠実であり得ない」と書かれていて、捜真で大切にしている「Trust in God. Be true to yourself. 」という言葉とも、何だかつながるように思えます。

漱石のタイトルの言葉は最晩年の漱石がエッセイ「点頭録」で述べたものです。漱石は生まれてきた以上は、何の理屈もなく生きなければならないとも書いています。葛藤を続けながらも、自らのタラントンを生かす大切さを私たちは漱石の作品から受け取ることができます。捜真の最高学年の人たちと漱石を再読できることは、私の喜びです。大いに悩んでください。きっと最善の道が備わっています。

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