礼拝メッセージ 7月1日(水)
2020.7.1
Soshin Jogakko
「希望」
高二担任 大和 由祈
こちらから讃美歌Ⅱ編64番「のぼれ高く」を聞くことができます
【聖書】 ローマの信徒への手紙11:11〜12
「ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、どんなにかすばらしいことでしょう。」
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「カンボジアのアンコールワットがある街·シェムリアップでは、幸いコロナウィルスの感染拡大は食い止められているものの、産業の柱である観光業が大打撃を受け、街は壊滅しています。ホテル·レストラン·スパは軒並み廃業もしくは休業。街はゴーストタウンと化し、多くの人が失業しています。」
私がインターネットでこの記事を見たのは、5月中旬のことです。この記事を見た途端、私の頭の中には、様々な人·そして様々な場所が思い浮かびました。
毎年カンボジア研修でお世話になっている、現地ガイドやバスドライバー、ホテルやレストラン、アンコール遺跡群で働いている人たち、マーケットで流暢な日本語を操って私たちとやり取りをしてくれるお姉さんたち、訪問するCCH(児童養護施設)やピートゥヌー小学校の子供たち…
彼らの生活は今どうなってしまっているのだろう。失業し収入がなくなって、食べるものにも困り果てるような生活をしているのだろうか。学校が休みになって何をして過ごしているのだろうか。彼らのあの素敵な笑顔が失われてしまっているのだろうか。
残念ながら彼らと連絡を取る術はありませんから、今の私に出来ることと言えば彼らの安全な生活が守られるよう祈ることしかありません。
そんな中、私は、日本のNPOが母体となって始められた、SALASUSUというブランドの活動を知る機会を与えられました。SALASUSUは、カンボジアの農村部に工房を構え、そこに住む女性たちを雇い、カバンやサンダルなどを作り販売しています。更には、女性たちの自立を促すためのソーシャルスキル教育·給食の配給などのプログラムも行っています。
しかし、今回のコロナウィルスの影響で、店舗は休業、彼女たちの働く工房も閉鎖を余儀なくされ、また彼女たちの家族も失業に追い込まれ、と彼女たちの生活は苦しくなっています。
SALASUSUはそのような彼女たちの給料だけはなんとか補償したいと、クラウドファンディングにも取り組んでいました。しかし驚くべきことに、彼女たち自身も、この状況に困り果て途方に暮れていただけではなく、新たなチャレンジを始めていたのです。彼女たちは農作物や家畜を育てたり、自分で作った食べ物を売ったりすることで、少しでも自分たちの家族の生活費を確保する努力を始めていました。この試練の中で、何とかして自分たちで自分たちの道を切り拓こうとしているのです。
今日の聖書の箇所でパウロは、ユダヤ人たちがイエス様を裏切ってしまったことを「つまずき」と言っています。しかし、そのユダヤ人の失敗によって、異邦人、つまり私たちを含む世界中の人々に救いが与えられたとも言っているのです。そう考えると、このユダヤ人の「失敗」「つまずき」でさえも、神様が「全ての人に救いをもたらす」ための計画の一部だったと言えるのではないでしょうか。
カンボジアの人たちだけではなく、私たち自身も今はまだ、自分たちの思い通りに物事が進められない「試練」の中にいます。しかし神様はきっとこの「試練」の先に必ず「希望」を与えてくださっていると思うのです。私たちも今のこの現状にただ嘆き続けるのではなく、カンボジアの女性たちのように、「自分に出来ること」を見つけ、それに挑戦し、神様が必ず用意してくださっている「希望」へと近づいて行きたいと思います。
*SALASUSUホームページ https://salasusu.com/