礼拝メッセージ 6月4日(木)

2020.6.4

Soshin Jogakko

「『自分の居場所』のない救い主」

中2担任·聖書科  藤巻 正悟

こちらから讃美歌Ⅱ編196番「救い主は待っておられる」を聞くことができます

 

【聖書】ルカによる福音書2:1-7

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

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1.誰にでも必要な『自分の居場所』

『自分の居場所』がない、それほどつらいことはありません。

子どもであれ大人であれ、人間が人間として生きていくには『自分の居場所』が必要です。捜真生の皆さんは『自分の居場所』と聞くとどこを思い浮かべますか? 家でしょうか? 自分の部屋? リビング? ダイニング? 学校でしょうか? 教室? 部室? カフェテリア? チャペル?

もちろん家や学校以外に『自分の居場所』がある人も大勢いるはずです。

 

2.目には見えない『自分の居場所』

『自分の居場所』というのは、目に見える物理的な空間のことだけではありません。『心の居場所』という言葉を聞いたことがありますか? 『心の居場所』とは、何かをしている時や誰かと一緒にいる時などに「飾らない自分でいられる」「リラックスした自分でいられる」、そういった「時間」や「つながり」を意味しています。

それが存在することによって、安心感や自己肯定感を持って自分らしく過ごせる『心の居場所』、これも『自分の居場所』に含まれます。 物理的にも精神的にも、人間は誰もが『自分の居場所』を不可欠としているのです。

 

3.生まれた時からイエスには『自分の居場所』がなかった

イエスの誕生、それは非常にみじめなものでした。

「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」、これがイエスが家畜小屋で生まれた理由です。ヨセフとマリアは、ローマ帝国の指示で住民登録をするためにベツレヘムを訪れ、そこで予定より早く出産をすることになりました。しかもどこの宿屋も満室で、2人は泊まる場所を確保できませんでした。『自分の居場所』のない夫婦のもとに生まれた『自分の居場所』のない赤子、それがイエスだったのです。

そのようにして生まれたイエスは、敵対する権力者たちに捕らえられ、十字架で処刑されて死んでいく最期を遂げることになりますが、その意味でイエスは最初から最期まで『自分の居場所』のない生涯を歩んだと言えます。

 

4.『自分の居場所』のない救い主が共におられる

家畜小屋に生まれたイエスは、高い所から人間を見下ろしているのではなく、この世のいちばん低い所に身を置くことで、徹底的に人間と共に生きようとする救い主です。私たちと共にいてくださるイエスは、悲しみや悩みなど全く知らないという方ではありません。痛みやうめきをどこまでも知り抜いています。

みじめな誕生から十字架の死に至るまで、『自分の居場所』がないという最大の苦しみを味わい尽くした救い主だからこそ、私たちが経験するあらゆる苦しみに寄り添ってくださいます。

「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブライ2:18)

共におられるイエスが『自分の居場所』のない方であったことを深く悟る時に、私たちには「苦難から立ち上がる力」と「もう一度新しく生きようとする力」が与えられるのではないでしょうか。

 

 

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