礼拝メッセージ 3月9日

2021.3.10

Soshin Jogakko

「隣人を自分のように愛する」~東日本大震災を覚えて~

 高二担任 大和 由祈

【聖書】マルコによる福音書12章31節

第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

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突然ですが、皆さんはここ捜真で毎年3月11日の14:46に何が行われているか知っているでしょうか。3月11日は出校日ではなかったり、出校日であっても共練会総会や答案返却日で、午前中で解散してしまったりと、全員が学校にいることはほとんどないので、もしかしたらその瞬間に学校にいたことがない人もいるかもしれません。また、昨年の3月11日は、すでに新型コロナウィルスの影響で皆さんは学校に来ていなかったので、2年前のこと、それよりも更に前のことは覚えていないかもしれません。

毎年3月11日の14:46に、捜真では共練会執行部の人たちのリードの下、1分間の黙とうが捧げられてきました。これは、2011年に起こった東日本大震災を覚えてのことで、2011年度の当時の共練会執行部の人たちが始めたのがきっかけとなり、それ以来ずっと続けられてきました。私は、この瞬間が、1年の中のたったの1分間に過ぎない瞬間が、実はとても好きです。「好き」という表現はおかしいかもしれませんが、「すごく捜真らしい瞬間だ」と思っています。生徒たちは部活動や委員会活動、さらには友達とのお喋りも止め、私たち教職員も仕事の手を止め、学校中が静かになり、黙とうをする、東北に思いを馳せる、その瞬間を大事に出来る環境が捜真にはあるということが、とても良いなと毎年思います。

ある年、私はこの瞬間を弦楽部の生徒たちと過ごしたことがあります。私たちは3月の末に行われる定期演奏会に向けての練習をしていましたが、共練会の人たちによる放送が流れたのでいったん練習を止め、1分間黙とうをしました。そしてそれが終わったあと、部員の一人が「こんなに静かな学校初めて。何だか新鮮」と言っていたことがとても印象に残っています。そしてその瞬間を部活動の生徒たちと共にしたことで、私自身も、「自分たちが今こうやって生徒たちと部活動が出来ているのも、決して当たり前のことではないのだ」ということを改めて痛感させられたような気がしました。

昨年は、この日を生徒の皆がいない、教職員しかいない静かな学校で迎えることになりました。しかし、そのような中でもあっても、我々教職員は千葉ホールに集まり、短い祈りのときを持ちました。生徒の皆がいない静かな学校ではありましたが、そして新型コロナウィルスという未知なるものへの対応で右往左往していた私たち教職員でしたが、そんな中でもそのような時間をちゃんと持てる環境が引き続き与えられていることに、私は捜真のブレない部分を感じ、そこにいられることに喜びと感謝を感じました。
そしてそれと同時に驚いたのが、その日、卒業生たちがSNSに東日本大震災を覚えての投稿をしていたことでした。投稿したからといって、誰かの役に立つとか、誰かを助けられるとかそういったことはないかもしれませんが、こうしたふとした瞬間に、他者に思いを馳せ、そしてその人たちのために祈ることが出来る、それを捜真から巣立ったあとも続けているということに私は嬉しくなりました。

先週の内山先生の礼拝でもありましたが、私たちは11日で、東日本大震災から10年のときを迎えます。東北地方をはじめとする被災地に住む人たちにとっても、そしてここにいる私たちにとっても、様々なことがそれぞれにあった10年でしょう。震災当時、まだ幼稚園や保育園に行っていた皆さんにとっては、もしかしたらこの震災自体の記憶もあまりなく、その後もあまり考えることなく過ごしてきた10年かもしれません。それ以上に自分自身の問題に悩んでいる人も当然ながらいるでしょう。ですからこの震災に対する思いも人それぞれ違うと思いますし、またその話?と思う人もいるかもしれません。しかし、節目が近づいている今、今日は私も少しこの震災について話をしたいと思います。

私はこの10年、色々な機会に東北地方を訪れ、そしてその回数はちょうど10回になりました。その目的は毎回様々でしたが、ボランティア活動、中学3年生と一緒に行った修学旅行、岩手県の釜石市で行われたオーケストラのコンサートに参加したとき、宮城県の石巻市で行われた音楽フェスに行ったときなど、東北地方に行ったときの多くは、被災地と呼ばれるところを訪れ、自分自身でその現状を目にし、そしてそこで震災を実際体験した人たちと出会い、そして様々な話を伺ってきました。その中でも特に印象に残っているのは、震災から5か月後の2011年の夏に宮城県の石巻市と気仙沼市でボランティア活動をしたときと、2015年に当時の中学3年生と修学旅行で岩手県の大槌町を訪れたときのことです。

2011年の4月から私は教員として捜真で働き始めましたが、その最初の夏休みにわずか4日間という日程で宮城県を訪れました。当時の自分が、なぜこの貴重な夏休みをボランティアに費やそうと思ったのか、どんな思いが強かったのかというのは正直覚えていません。4日間というわずかな期間しか行けませんでしたから、自分のボランティアとしての活動が誰かの大きな役に立つ自信はなかったように思います。しかし、とにかく自分の足で被災地を訪れ、自分の目でその光景を見なければいけない、そして自分が見たもの触れたものを、実際にはなかなか訪れることの出来ない自分の生徒たちや海外の友人たちに伝えなければならないというような思いに駆られていたことは何となく覚えています。とは言え、当時被災地で自分が目にしたものは想像を絶するもので、それをどう生徒に伝えるかというにはかなり頭を悩ませました。また、当時の生徒には礼拝や授業を通して自分の経験を伝えましたが、それを持続してやり続けたかといえばそれは十分に出来ませんでした。実際、この礼拝を考えるにあたり、そのとき撮った写真や当時礼拝で話した原稿を見返したりしましたが、自分の中でもかなり「久しぶりに見た」という感覚で、やはり時間が経つにつれ、自分の中でも記憶が薄れ、またそのことを考える余裕がなくなってきていることに気付かされました。

2015年度の修学旅行は早い段階から、どう震災学習を盛り込んでいくかということを学年の先生たちと考えていました。捜真ではその前の年から東北修学旅行が再開されていて、その年も一部の生徒が岩手県宮古市に震災学習で訪れていましたが、この年からは何とかして学年全員が震災学習を出来ないかと思い、色々な市が行っている震災学習のプログラムを探しました。そして、2クラスずつ岩手県の大槌町と陸前高田市に分かれて行き、それぞれの場所で1日震災学習を行うというプログラムを行いました。震災から4年が経ち、少しずつ復興にむかって進んでいる大槌町と陸前高田市でしたが、津波の爪痕がのこっている建物が未だにあったり、その建物を今後どうしていくかといった課題を抱えている現状を伺ったりしたことは、実際現地に行かないと出来ないことであったなと今振り返っても思います。

自分自身のボランティアの経験を生徒に伝えようと思ったときも、震災学習を通して生徒たちに何かを考えてほしいと思ったときも、私の中にあった思いは、「知ることだけでも何か意味があるのではないか」ということでした。特別な技術や能力を持っていない私が、ボランティアとして出来ることはほとんどありません。ボランティアと聞けば聞こえは良いかもしれませんが、私がこういった活動に参加していつも思うことは、「ボランティアとしての自分の無力さ」、そして「たとえ現地に行ったとしてもわずかな部分しか知ることは出来ないということ」です。ならばなぜ行くのかとも思う部分もなくはないのですが、しかし何もやらないよりは、何も考えずにいるよりは、何か知ろうとする、自分の目で見ようとする、そのことで得るものが必ずあると思うのです。実際現地に行かなくとも、様々な形で情報を得ることは出来ますが、一度直接何かしらの関わりを持つことで、よりそのものに対して関心を抱いたり、心を寄せたりすることが出来るような気がするのです。

実際、修学旅行で中学3年生と大槌町と陸前高田市を訪れたあとは、生徒たちがこの経験をどのように受け止めていくのかというのは、正直予想がつかない部分もあり、不安もありました。しかし卒業したあとも、そのことを思い出して大学でそういったボランティア活動に参加していたり、昨年の3月11日のSNSへの投稿を見たりしていると、捜真で「知ったこと」が卒業生たちの中に根付き続けているのだなと思いましたし、そして東北修学旅行がなくなった今でも毎年3月11日に共練会のリードで黙とうを捧げ続けられていることや、クラス献金の送り先など様々なタイミングでこの震災のことを思い出す機会が与えられていることを考えると、これからも何等かの形で捜真生の中で伝わり続けていく思いなのかなとも思っていますし、そうあってほしいと願っています。

震災から10年が経ち、横浜に住む私たちの多くにとってはこの震災も過去のことになりつつあるかもしれません。そして、あと数年もすれば、捜真にもこの震災を経験していない年代の子たちが入学してくるようになり、ますますこの震災のことも「過去のこと」になっていくのだろうと思います。しかしその中でも、捜真の中で、何等かの形でこの震災のことを覚える、この震災のことに限らず自分とは違う環境にいる他者に思いを馳せることが続けられたらと思うのです。
そして、そういった遠くの人だけでなく、自分の身近にいる人たちとの関係の中でも、自分だけのことを考えるのではなく、周りの人のことを考えられる、そういった心の余裕をもって毎日の生活を送ることが出来たらと思います。「隣人を自分のように愛しなさい」この聖書の言葉は簡単なようで、本当に難しいことです。それが出来ない、自分のことしか考えられなくなる弱さが私たちの中にはあります。しかしこの聖書の言葉を、震災から10年という節目を迎えるにあたり、そしてこのコロナ禍で様々な境遇に置かれている人がいることを日々ニュースで目にする最近の日常の中で、改めて心にとめて生活していきたいと思います。

3月9日 高等学部礼拝

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