【PTA活動】史跡めぐり 10月24日(金)
2025.11.25
Soshin Jogakko

秋空の下、キリスト教教育研究会委員会(通称キリ研委員会)主催の史跡めぐりが開催されました。
「神大寺入口」バス停から10分ほど歩いた小高い丘の上に、二代目校長クララ·A·カンヴァース先生と、先生の右腕だった山田千代子先生のお二人が眠るお墓があります。丘から見下ろす広大な墓地の景色は圧巻でしたが、この地域は昔、雑木林や茶畑などの畑だらけの土地だったそうです。捜真学院にゆかりのある先生方·宣教師の先生方のお墓の多くは山手の横浜外国人墓地にある中で、カンヴァース先生と山田先生のお墓はこの三ツ沢墓地にあることが不思議に思われましたが、お二人は捜真女学校の十字架が見える場所に眠りたいと希望され、この小高い丘の上の墓地を購入されたのだとか。この日も曇り空ではありましたが、お墓からはっきりと捜真女学校の十字架を望むことができました。

続いて捜真学院設立時の山手34番から中丸8番地へ移転するまでのお話を、中島学院長がご自身の経験談を交えながらの和やかに語ってくださいました。参加者の皆様は先生のお話に夢中になりながら、娘たちが通う女学校の歴史に耳を傾けていました。
最後にお祈りをした際、中島学院長より「お祈りは亡くなられた先生に向けてではなく、先生を私たちに与えてくださった神様へ祈るのだ」ということを教えていただきました。このような素晴らしい学び舎を作り、現在まで支えてくださったすべての人々と神様にあらためて感謝の思いを深くしました。

教会では礼拝と中島学院長や教会牧師である小野慈美先生のお話を伺いました。まず、1913年当初の捜真女学校の写真パネルを見ながら、旧校舎に関するお話しを中島学院長から伺いました。カンヴァース先生がアメリカのヴァーモント·アカデミーに似せて造った校舎であったことや、校舎の周りに植えられた桜は「百本桜」と呼ばれ、保護者から贈られたものであったこと。そのほとんどは横浜大空襲で焼けてしまったものの、1本だけ生き残った木が現在の捜真小学校の前に植えられた桜であること。中庭にある藤の木(藤棚)は空襲前に移植されていたこともあり、焼けずに残ったとのこと。今まで知らなかった戦時中の話を聞くことができ、初めて聞く内容に驚くとともに考えさせられる時間を過ごしました。

続いて小野牧師先生からは、捜真教会の始まりについてのお話を伺いました。最初は、捜真幼稚園の園舎内に礼拝堂ができ、1957年に園舎の隣に、1970年に現在の場所に建てられたのだそうです。「捜真」の名前が付いていますが捜真学院の教会という意味ではなく、「すべての民の祈りの家」として万人に開かれた教会であるというお話でした。真新しい館内は白く輝き、チャペル内も明るく安らぎに満ちていて、とても素敵な空間でした。

チャペルでのお話しの後は、中島学院長と小野牧師先生もご一緒に、軽食と共に歓談の時間を持ちました。保護者の皆様も学年の垣根を越えて楽しそうにお話しされている様子でした。
今回の史跡めぐりでは、さらに詳しい捜真女学校の歴史や、捜真バプテスト教会について学ぶことができました。学び舎の話は、お嬢様との会話の良いきっかけになることでしょう。
また、捜真バプテスト教会の礼拝にはどなたでも(クリスチャン以外の方·捜真学院に直接関わりの無い方でも)自由にご参加いただけるそうです。皆様もぜひ一度、素敵な教会を訪れてみてはいかがでしょうか。
(中1,高三)

