礼拝メッセージ 9月3日
2020.9.3
Soshin Jogakko
「生きている言葉」
高二副担任 山村杏菜
こちらから讃美歌461番「主われを愛す」を聞くことができます
John 15:1-8
‘ I am the true vine, and my father is the gardener. He cuts off every branch in me that bears no fruit, while every branch that does bare fruit he prunes so that it will even more fruitful. You are already clean because of the word I have spoken to you. Remain in me, as I also remain in you. No branch can bear fruit itself; it must remain in the vine. Neither can you bear fruits unless you remain in me.
‘I am the vine; you are the branches. If you remain in me and I in you, you will bear much fruit; apart from me you can do nothing. If you do not remain in me, you are like a branch that is thrown away and withers; such branches are picked up, thrown into the fire and burned. If you remain in me and my words remain in you, ask whatever you wish, and it will be done for you. This is to my father’s glory, that you bear much fruit, showing yourselves to be my disciples.
(【聖書】ヨハネによる福音書15章1節~8節)
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先日、家族で久しぶりに集まる機会がありました。私には姉がいるのですが、この秋から姉夫婦は仕事で海外に行くというので、急遽みんなで集まることにしました。今までであれば、家族で集まるということは、そんなに珍しいことではなかったのですが、このコロナ禍では離れて暮らしている家族が一度に集まることは、とても特別なことのように感じました。
そこで、せっかくみんなで集まったのだから、家に置いてあったワインを開けて飲もうという話になりました。(みなさんは未成年なのに、こんなお話をしてごめんなさいね。)
さて、いざ飲もうと思ったら、ワインのラベルにこんな言葉が書いてありました。
‘I am the vine, you are the branches. John 15:5
夫と私はこのラベルを見てはっと顔を見合わせ、「聖書の言葉だ!」とびっくりすると同時にとても嬉しい気持ちになりました。なぜなら、この聖句は私がとても大切にしている聖句の一つだったからです。私の家族はほとんどクリスチャンではないのですが、この大切な家族の集いの時にイエス様の言葉を見ることによって、「そうか、神様はこんな時にも私たちのことを見守ってくださるのだな。」と嬉しく思いました。
では、なぜ私がこの聖句を大切にしているかというと、「私はイエス様と繋がっているんだ!」という経験があるからなのです。私は20代後半になってから、イギリスの大学院に留学をしていたのですが、留学中に現地の教会に通い、神様に救われました。イギリスに行くまでは、日本語でしか聖書を読んだことがなかったのですが、現地では英語の聖書、英語による礼拝、そして賛美歌も英語でした。私は日本語の聖書を片手に、英語の聖書を開きながら礼拝を捧げていました。不思議なことに、日本語と英語の聖書では、同じ箇所の聖句を読んでいても、目に留まる言葉が違ったり、感じ方が違ったりしました。
私が一番最初にイギリスの教会で参加した礼拝では、イザヤ書の5章を読みました。聖書には「ぶどう畑の歌」と書いてあるように、何度も’vineyard’(ぶどう畑)という言葉が繰り返しでてきました。
Isaiah 5 The song of the vineyard
I will sing for the one I love a song about his vineyard:
My loved one had a vineyard on a fertile hillside.
He dug it up and cleared it of stones and planted it with the choicest vines.
He built a watchtower in it and cut out a winepress as well.
Then he looked for a crop of good grapes, but it yielded only bad fruit.
‘Now you dwellers in Jerusalem and people of Judah, Judge between me and my vineyard.
What more could I have been done for my vineyard than I have done for it?
When I looked for good grapes, why did it yield only bad?
Now I will tell you what I am going to do in my vineyard:
I will away its hedge, and it will be destroyed;
I will break down its wall, and it will be trampled.
I will make it a waste land, neither pruned nor cultivated,
and briers and thorns will grow there.
I will command the clouds not to rain on it’
The vineyard of the Lord Almighty is the nation of Israel,
And the people of Judah are the vines he delighted in.
And he looked for justice, but saw bloodshed;
for righteousness, but heard cries of distress.
(【聖書】イザヤ書5章1節~7節)
これを最初に読んだ時は、本当に何も分からず、ただ一言 ‘ vineyard’ (ぶどう畑)という言葉だけがずっと残りました。そして何故かそれがどうしても気になってしまい、「何でぶどう畑なのだろう?」という疑問がずっと私の頭と心から離れませんでした。結局、私はこのことをきっかけに毎週教会に通うことにしました。「英語で礼拝したい」とか「教会で友達を作りたい」というような理由ではなく、「ぶどう畑の本当の意味が知りたい!神様の言葉が理解できるようになりたい!」という動機から毎週教会に通うようになり、聖書を読むうちにイエス様との繋がりを感じ、気づいたらクリスチャンになっていました。その頃に出会った聖句がまさに今日読んだ箇所です。
‘I am the vine, you are the branches.’
「わたしはぶどうの木。あなたがたはその枝である。」
聖書の言葉に書かれたたった一言の言葉で人生が動き始めるのですから、聖書の言葉は生きているんだなと改めて感じます。
私の経験のように、「今」は分からなくても、きっとどこかで振り返った時に「なるほど、そういうことだったのね!」と思うことがたくさんあると思います。それなので、みなさんも人生において、「何でなんだろう」と疑問に思ったことをそのままにしないで、とことん追及してほしいなと思います。しっかりと向き合うことによって、真実が見えてくるということを神様は私たちに教えてくれているのだと私は思います。きっと神様は私たちの人生の中にいろいろな生きるヒントを与えてくれているのだと感じます。これからもイエス様にしっかりつかまって、豊かな人生にしていきたいなと思います。
お祈りします。
愛する天の父なる神様、今日も私たちを学校に集わせてくださり、そして礼拝を捧げることができたことに感謝します。私たちは自分の目の前にあることに気をとられ、あなたの存在を考えずに自分勝手に行動してしまいます。ですが、このように礼拝を捧げることによって、私たちは「イエス様につながっているんだ!」ということをしっかりと思い出させてくださり、ありがとうございます。ここに集う一人ひとりがあなたの愛を感じ、これからもしっかりと歩んでいくことができますよう、あなたが力を与えてください。このお祈りを主イエス·キリストのお名前によって、御前にお捧げ致します。アーメン。