礼拝メッセージ 7月17日(金)
2020.7.17
Soshin Jogakko
「Don’t Worry, Be Happy」
中1担任 杉山 知子
こちらから讃美歌174番「起きよ、夜は明けぬ」を聞くことができます
【聖書】使徒言行録20章7節~12節
週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。
「騒ぐな。まだ生きている。」
そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。
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7月3日(金)、久しぶりにチャペル礼拝を担当しました。
パイプオルガンの響きはやはり生(なま)がいいですね。
仁平先生が先月HP礼拝で紹介してくださったこの讃美歌174番は、十数年前に99歳で亡くなった祖父の愛唱讃美歌でしたから、懐かしく思い出していました。
「起きよ」「目覚めよ」という歌詞ですが、当たり前にチャペル礼拝を守っていた頃、チャペルといえば寝る時間だったという人も中にはいたのではないでしょうか。
私たちは、青年エウティコのように、寝るつもりがなくても眠りこけてしまうことがあります。がんばっていても、失敗して「下へ落ちて」しまい、「死んで」いるも同然と自ら思い込んでしまうこともあります。でも、神さまは、そんな私たちを抱きかかえ、「まだ生きている」と言ってくださるのです。
私たちが生きるかどうかは、創ってくださった神さまが決めます。朝、目が覚めたということは、その日、神さまが生きる意味を与えてくださっているということなのです。だから、SNS等の誹謗中傷によって自殺に追い込まれたなどというニュースを聞くたびに、腹が立って仕方がありません。なぜその人を創ってもいない人々にとやかく言われなくてはならないのかと。
ブレイディみかこさんの著書『THIS IS JAPAN』の中で、元アムネスティ日本事務局長の寺中誠さんは、人権について次のように述べています。
「私たちはみな資源に依存して生きている。ところが、その資源が消えることもある。お金もそうだし、体の機能が停止するとか、言葉がわからない国に行かなくてはならないとか。そのときに、資源が全部なくなっちゃったとしても、最後まであるのが人権です。(中略)お金があるならお金を使いなさい。友達がいるなら友達に頼りなさい。体力に自信があるならそれを駆使して頑張ればいい。でも、それが全部なくなって頼るものがなくなったとき、底にある蓋が人権です。」
みかこさんはこう続けます。
「人権というのは、アフォードする力[支払う能力](日本流「人間の尊厳」)もコミュニケーション力(相互扶助スキル)も、すべての力を人間が失ってしまった時にそこにあって、わたしたちを丸ごと受け止めてくれるものなのだ。そう思えば、人権は眉間に皺を寄せて思索するものでも、ましてや、そのために他者を傷つけてまで戦わねばならぬ正義のスローガンでもない。人権とは、わたしたち一人ひとりを楽にさせてくれるものなのだ。」
ここで「人権」を「神さま」に置き換えると、実にしっくりくると思いませんか?
人の悲しみ、苦しみをご自身で味わい尽くし、死に打ち勝ってくださった、この神さまが丸ごと受け止めてくださるから、私は不安に怯えることがありません。この神さまが丸ごと愛してくださるから、私たちも隣人を愛する小さな行いができるのです。
最後に、みかこさんの本に出てきたボビー·マクファーリンの「Don’t Worry, Be Happy」の歌詞の一部をご紹介します。
In every life we have some trouble
みんな人生色々あるさばってん
When you worry you make it double
そげん悩んだっちゃろくなことなかろーもん
Don’t worry, be happy
心配せんとハッピーでおらんね
(Translation by KEI YouTube より)