礼拝メッセージ 6月12日(金)

2020.6.11

Soshin Jogakko

「しなやかな強さ」

事務職員  山田 園子

こちらから讃美歌536番「むくいをのぞまで」を聞くことができます

 

【聖書】ローマの信徒への手紙 5章 3-4節
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

コリントの信徒への手紙二 4章 16節
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

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最近のひそかな楽しみ、それは毎週日曜日の新聞の「短歌」「俳句」欄を眺めることです。
読者から寄せられた中から、歌人·俳人である選者が、よりすぐりの十首を取り上げ、一面には60~70ほどの句や歌が載っています。わずか17文字ないし31文字の中から読み上げられる世界は端的に仕上げられとても魅了されます。
日常の発見を詠う人、世情を問うような歌など、読み上げる目線の先を思い返したり、くっきり彩られたものを、顔も知らぬ紙面の向こうにいる読み手から教えていただく。
先日、“戦争もしらないわたしは、きっとこのコロナ禍のできごとを語ってゆくのだろう、(かつて祖父母らが戦争を語ったように)大事な局面で、これからも”との思いを綴った歌が詠まれていました。世界が一変したことを、心に刻み忘れてはいけないのだ、そんな決意を感じました。

ふっと十数年前の記憶が呼び覚まされました。大学の授業の一環、家の建築活動ボランティアとして訪れたフィリピン。初めての海外旅行、20数名の仲間との共同生活、慣れない暑さ、突然襲ってきて作業を中断させるスコール、煙と匂いがたちこめるごみや瓦礫の山であるスモーキーマウンテンの有り様と、対照的な首都マニラの喧騒。2週間の旅程中、大きなショッピングモールで買い物を楽しむ時間がありました。
午後、鐘の音がモール全体に鳴り響き、タガログ語の放送が入りました。人々は足を止め、少し頭を傾け手を組み、祈りを捧げる姿勢へと変わっていきました。「アメリカ合衆国で起きた同時多発テロ事件の犠牲者を追悼するためよ」と、NGOスタッフの方が後から教えてくれました。事件から3年目を迎えた2004年9月11日の出来事です。

8月6日、9日以外で大勢の人が黙祷を捧げるのを見た瞬間でした。日常が、変わった日。

事件当時、私は高校生で、夜ニュース番組を見ていると画面が切り替わり、世界貿易センタービルに飛行機が衝突していく様が流れ込んできたのをよく覚えています。映像の衝撃はとても大きくその夜は中々寝付けず、この先どうなってしまうのだろうと不安な気持ちが芽生えました。

世界情勢は大きく変わりましたが、寝付けなかった夜から日々が過ぎてゆくにつれ、私の生活は、目の前のことに取り組むことで精いっぱいでした。

フィリピンで見た光景が強く心に残ったのは、当時の混乱した状態、わからなさを埋めていく作業や大きくうねる世界情勢とそれらの報道の先に、振り返る時間をひとりひとりがもつことの大切さを祈る姿から教えてもらったからです。

本日の聖書箇所は私のすきな御言葉の一部です。
年を重ねるごとに、困難さ·複雑さが増すような出来事が起きるたび、この二つの御言葉がもつしなやかな強さを思い、立ち返り、少し冷静になることができます。
困難な状況にあっても、また少し先の未来から今を振り返った時、実るものがあるように働きたい、そのように思います。

 

 

 

 

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