イースター礼拝 メッセージ

2020.4.13

Soshin Jogakko

捜真生の皆さん

今日はイースター礼拝をご一緒に守りましょう。担当の宗教主任、藤本 忍先生の礼拝メッセージを読んで、それぞれの場所で祈りの時を持っていただきたいと思います。音声でお聞きになりたい方は一番下をご覧ください。

明日以降も、学校での礼拝の時間に合わせて午前10時に礼拝メッセージをアップしていきます。日々の生活リズムの中に祈りの時を加えてください。

 

 

Happy Easter!

宗教主任 藤本 忍

【聖書】

マルコによる福音書16章1節~8節

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐに墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの意思を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げてみると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

ペトロの手紙一1章3節~5節

わたしたちの主イエス·キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス·キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐものとしてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。

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人を裏切ったことがありますか。また、謝りたくても相手が亡くなってしまって謝れていないという経験はありますか。ずっと一緒にいるよ、と言っておきながら、簡単に離れ、その人を独りにして、自分だけ安全地帯にいたことはないですか。

キリストの十字架は、まさしく弟子達の裏切りの日と言っても過言ではありませんでした。イエス様の十字架のそばにいたのはイエス様を「神の子」と告白したローマの百人隊長でした。遺体を引き取りに行ったのは神の国を待望していた議員のヨセフでしたし、埋葬の様子を見守っていたのもイエスに従ってきた女性達でした。弟子は誰一人イエス様のそばにはいませんでした。他の福音書には、罪悪感と迫害の恐怖で家の扉にカギを掛けて、閉じこもっていたと書かれています。自分の罪に苦しみ、取り返しがつかないと自ら命を絶った弟子さえいました。

しかし、そんな弟子たちに対して、主イエスはこう言っています。「以前から言っていたように、先にガリラヤに行っている。そこで会おう。」と。この言葉が何を意味しているのか。それは、あなたがその罪を犯す前から、とっくのとうに赦されているということ、だから、もう自分を責めないで、初めからもう一回やって欲しいということです。そして私達人間は「イエスという方を墓に閉じ込めてはおくことはできなかった」ということ、そして「イエスという方はいつも私達の先に立って進んでいる」ということです。

大切な人を亡くして大きな喪失感に打ちのめされた経験はありますか。その人がどこに行ったのか、探したことはありますか。私は両方あります。打ちのめされたことも、探したことも。

そして「あの人は、あの子は、どこに行ったの?」と聞かれたことも、幾度かあります。その時は必ずこう答えています。「神様のもとだよ。」と。「どうしたら会えるの?」と聞かれたら「必ず再会できるから、それまで地上での命を生き切ろう。」と答えています。これはイエス·キリストの復活の命にあずかり、私が神様から与えて頂いた答えです。

主イエスの復活は、罪と死という二つの絶望は「絶望ではない」ということを私に教えてくれました。イエス·キリストの復活は「罪の赦しと永遠の命を生きる(死者との再会)」という希望を与えてくれたのです。

そして、今、世界がこのような状況の中で最も大切なことは、このような自分の身に起こった赦しと希望を、神は私以外の他者に対しても同様に与えてくださっていること、私たち人類は同じ神の被造物であって、互いに愛し合い、支え合い、助け合うために存在しているということ、そのことをしっかりと自覚することです。決して、今の事態を争いの種にしてはならないのです。

このメッセージを音声でお聞きになりたい方はこちらから

 

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