卒業礼拝に寄せて

2020.3.11

Soshin Jogakko

捜真生の皆さん

本日は高三、高二の生徒による「卒業礼拝」が予定されていた日です。

高二の皆さんは、この礼拝のために練習してきた「ラシーヌ賛歌」を歌うことができなくなって、残念に思っていらっしゃることでしょう。

共に集まって礼拝を行うことができませんでしたが、お話をして下さることになっていた塩谷直也先生が卒業生へのメッセージを送ってくださいましたので、ここに掲載します。在校生の皆さんも保護者の皆様もどうぞご覧ください。

「トンネルをぶつかりながらススメ」

青山学院大学宗教部長  塩谷直也

捜真を卒業される皆さんに、次の1文を送ります。

「あなたがたは暗いトンネルの中を通り過ぎるでしょう。」

この文の説明は省きます。なぜなら卒業後、この言葉の意味は、しみじみと了解されていくからです。みんなとふざけて笑っているこの瞬間、家路に向かう夕暮れのあの瞬間、12時を過ぎて寝るでも勉強するでもなく、無意味に呼吸だけが続く、そう、その時に。ですので、このトンネルを過ぎる時の注意点だけ申し上げます。

●出口があります。

トンネルには出口があります。出口のないトンネルは、ただの穴です。墓です。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント 10:13) 「逃れる道」を探し出し、利用することは恥ずかしいことではありません。どこに「逃れる道」があるのか常々アンテナをはっておくことを心がけてください。人生は前進だけではありません。立ち止まる時も、退却の日も、「逃れの道」に駆け込む季節も必要なのです。

●あまり光にこだわらない。

光が一時的に見えなくても大丈夫。生きていけます。いやそれどころか闇の中でしか見えないものもあります。夜中にならないと浮かんでこない考えもあるのです。一日中昼間のような明るさであれば、逆に私たちは病んでしまいます。闇の中、手探りでぶつかりながら歩く練習をしましょう。

●「助けて!」と言える人になる。

「助けて」と言える人は自分が何に困っているのか、自分に何が足りないのか理解しています。自分を客観的に見つめることができる人です。同時にそれを言葉化して誰かに伝えられるわけですから、豊かなコミュニケーション力を持っています。その意味で「助けて」と言える人が、自立した人。大人です。逆に苦しみを一人で抱え続ける人はいまだ成長途上の人。みなさん、ぜひ、成熟した、自立した大人になってくださいね。

では、行ってらっしゃい。お元気で。

 

【聖書】 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章7b節~10節

それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

 

 

塩谷直也牧師 ご紹介

青山学院大学宗教部長 法学部教授。

国際基督教大学教養学部卒、東京神学大学大学院修士課程修了。

日本基督教団中京教会、知立伝道所、梅ヶ丘教会牧師を経て現職。

ご著書

「にゃんこバイブル」(保育社)

「視点を変えて見てみれば―19歳からのキリスト教―」(日本キリスト教団出版局)他

 

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