礼拝メッセージ 9月11日

2020.9.10

Soshin Jogakko

弱い時にこそ強い

高二担任 大和 由祈

こちらから讃美歌291番「主にまかせよ 汝が身を」を聞くことができます

 

【聖書】コリントの信徒への手紙二12章9節~10節

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

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これまで、典型的なアウトドア人間だった私は、暇さえあれば予定を入れてあちこちに出かけていたので、家でのんびり本を読んだり映画を見たりということはほとんどありませんでした。生徒の皆さんには「本を読むことが大事だ」「沢山のインプットをして知識を増やすべきだ」と言っておきながら、自分自身はほとんどその時間を取っていなかったのです。しかし、今回このコロナがあったことで、私はこの2020年を自分の中で「インプットの年」にすることに決めました。そして4月から、読んだ本と観た映画の記録をつけはじめ、今日までに読んだ本は45冊、そして観た映画は80本になりました。自分が気になっていたもの、友人や先生、皆さんがClassroomや英語のWritingで紹介していたもの、ネットで話題になっていたものなどジャンル問わず様々なものに触れてきましたが、この雑多なもののインプットというのは、自分の思っていた以上に自分に多くのものを与えてくれていると感じながら、今も空いた時間を見つけては楽しんでいます。

今日はその中でも特に印象に残った、実話をもとにしたドイツ映画「5パーセントの奇跡」という作品を少し紹介したいと思います。

主人公の青年サリーは、ホテルマンになることを夢見ていましたが、就職活動を前に先天性の病気が見つかり、視力の95%を失ってしまいます。彼は「障碍者」として就職活動に臨みますが、「障碍者である」ということを正直に言うと、どこの会社も雇ってはくれません。そこで彼は自分が「障碍者である」ということを隠してホテルマンに応募してしまい、そしてそのホテルで研修生として採用されることになりました。

サリーはほかの研修生たちと一緒に、客室の清掃作業、クローク、キッチン、パーティー会場、バーと様々な部署で研修をしていきます。しかし目がほとんど見えないサリーが、その障碍を隠して、他の研修生と同じ業務をこなしていくことは決して容易ではありません。研修をしていく中で、同じく研修仲間だった青年マックスや、そのほかの何人かの同僚には、それぞれちょっとした出来事で「サリーの目がほとんど見えない」ということがバレていきます。しかし彼らは、サリーの真面目な態度や強い意志をくみ取り、サリーの障碍をホテル側にバラすことなく、そればかりか様々な形でサリーをサポートしてくれるようになりました。特に研修仲間のマックスは、ホテルの間取りを一緒に歩きながら歩数で教えてあげたり、カクテルを作る練習に連日付き合ってあげたりと、とても手厚いサポートをしてくれます。そのおかげもあって、サリーは「目が見えない」ということを隠したまま、順調に研修の課題をクリアしていきます。

順風満帆と思われたサリーの研修生活も、最終課題を前に、壁にぶち当たります。厳しい教官·難しい課題、研修での失敗、さらには家庭のトラブルと悪いことが重なり、サリーはついに心が折れ、ホテルから逃げ出し、自暴自棄になってしまいます。そんな彼をもう一度、ホテルに引き戻してくれたのは、研修仲間のマックスでした。マックスの説得もあり、サリーは研修先のホテルに戻ります。サリーはそこで初めて、ホテルの責任者の人たちに「自分は目がほとんど見えていないこと」を告白し、「そのことをこれまで隠していたことを謝罪」、その上で「でも自分はホテルマンになる夢を諦めたくはないので、最後の修了試験を受けさせてほしい」と頼み込むのです。ホテルの責任者の人たちは、サリーの告白に驚きましたが、「他の人と同じ判断基準で」という条件で修了試験を受けることを認めてくれました。そしてサリーは、そこからまた猛勉強し、無事その修了試験を突破するのです。

このかなりザックリとしたあらすじの説明だと、良くありがちな「障碍を乗り越えて夢を諦めなかった青年を描いた映画」だと思う人もいるかもしれません。勿論、サリーの姿からは「夢を諦めないこと」の大切さを感じますし、そしてそのサリーを支えてくれる周りの人の温かさも、この映画の重要な要素だとは思います。しかし、私がそれ以上にこの映画から考えさせられたのは、「自分が出来ないこと」「自分の欠けているところ」と向き合い、そしてそれを受け入れることの大切さでした。

サリーは、「ホテルマンになりたい」という夢をかなえるためではありましたが、自分の障碍を周りの人に隠すという選択をしました。勿論彼自身は、常に目が見えないという現実を突きつけられながら生活をしていたとは思いますが、周りの人には「目が見えない」ということを隠し、つまり「自分は他の人と同じように目が見える人のふりをして」生活をしていたのです。最初は、彼自身の人一倍の努力もあり、その「嘘をついたままの生活」もうまくいっているように見えました。しかし、トラブルや失敗が重なった結果、彼は限界を迎え、全てから逃げてしまいます。この挫折は、彼に「自分は目が見えないことで、普通の健常者と同じようには出来ないことがある」という現実を、改めて突きつけた辛いものであったでしょう。しかし、この挫折を経て、サリーはこの「目の見えない自分」「それによって出来ないことがある自分」というのを、本当の意味で初めて受け入れることが出来たのではないかと思います。そしてサリーは、自分自身の弱さ·欠けを受け入れることが出来て初めて、それをようやく、自分の口から臆することなく周りの人にも打ち明けることも出来たのです。

サリーは、自分が「目が見えない」ということをホテルの責任者たちに告白するとき、「1人じゃ何も出来ない僕だけど、夢は諦めたくない」と言います。この言葉には、「1人じゃ出来ないことがあるから助けてほしい」というSOSを周りの人に出す一方で、「自分の夢も諦めたくない」という強い意志も感じることが出来ます。「夢を諦めない」という点では、最初のサリーの姿から変わっていないように思いますが、やはりこのありのままの自分を認めた上での姿の方が、真の強さを得ているのではないかと私は思いました。

私たちも日々生活をしている中で、自分に出来ることを見つける一方で、それ以上に自分が出来ないこと、自分の思い通りにいかないことに出会います。そして、そのような壁にぶち当たると、私たちは多くの場合、それを見て見ぬふりをしたり、そこから逃げようとしたりしてしまいます。
しかし、出来ないことがある自分、思い通りにいかないことがある自分も、自分自身であり、いくら逃げようとしたところで、その自分でなくなることはありません。その弱さを受け入れて、自分の中で認めることで初めて、本当の自分に出会い、その本当の自分が出来ることを見つけていくことが出来るのではないかと思うのです。

そして、この弱さがある自分、欠けがある自分が突きつけられたとき、私たちが思い出すべき存在が神様だと思います。神様は、どんな私たちであっても無条件に受け入れてくれ、そしてどんなときでも私たちと共にいてくださいます。そのことは、先ほどお読みしたパウロの言葉にも述べられています。9節にあるように「神様の恵みは、神様の力は、私たちの力が弱っているときこそ、十分に働くもの」だということです。

私たちはこの言葉を信じ、自分自身の弱さを痛感してしまうときこそ、この神様の存在を思い出し、そして助けを求めていきたいと思います。「出来ない」「分からない」その自分をさらけ出すことによってこそ、その神様の助けに気付く瞬間というのも訪れるのです。そして、その力も借りて、自分自身の弱さを認め、その中で自分に出来ることを見つけていかれればと思います。

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