礼拝メッセージ 8月31日

2020.8.31

Soshin Jogakko

「本当に大切なこと」

                        高二担任 内山仰太郎

 

こちらから讃美歌291番「主にまかせよ汝が身を」を聞くことができます

【聖書】マルコによる福音書12章28節~31節

彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

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古い話ですが、「ベストキッド」という映画があります。1984年のアメリカ映画です。気弱なひとりの少年が空手を通じて大人として成長するという王道の青春映画です。コロナ禍で礼拝の話をしなければと考えて、ここ最近、なぜか私が高校生の時に見たその映画の1シーンを私は思い出していました。
主人公の少年はミヤギという空手の達人に弟子入りします。しかし、ミヤギはカラテを全く彼に教えません。彼が少年に命じたのは、クルマのワックスがけと塀のペンキぬりを正しい形でていねいに手を抜くことなく毎日行え、ということでした。
少年がミヤギに命じられたことの意味が分からず、仕事をいい加減にし始めると、ミヤギは怒り、与えられている仕事にちゃんと向き合ってやれ、手を抜くなと怒ります。少年は意味は分からなくても、ミヤギに空手を教わりたい一心で、目の前のことに集中し、命じられた仕事を最後までやり抜きます。そして、彼は後に人生をかけた試合に臨んだときに気づくのです。ワックスがけとペンキ塗りでたたき込まれた動きが空手の防御の型として、彼の身体操作の完全な一部になっていたということを。

私たちは新型コロナの流行という予期せぬ出来事に、今、翻弄される日々を生きています。当たり前のように出来ていたことが出来ない日常、「新しい日常」とは何なのかを考える日々を送っています。
コロナが明らかにしたことは、これまで私たちが当たり前だと思っていたこと、普通に出来ると思っていたことは、当たり前でも普通でもなかった、ということです。
将来、何になりたいのか、どんな職業につきたいのか、そいうことを考える前提となってきた社会のありようは、コロナウイルス一つで変えられてしまうような不確実なものであった、ということです。皆さんが将来、生きていく社会のシステムは、間違いなく今とは大きく変わっていることでしょう。そんな時代にあって、将来のことが決まらない、決められない、そう思い悩むのは当たり前のことです。
混乱の中で、何が「最も大切なこと」なのか「正しいこと」なのか、その大切なことを得るために、今、私は何をすればいいのか、それを真剣に考えれば考えるほど、むしろ迷いは大きくなるのかもしれません。
しかし、きっと一生続くであろう、その問いを若い時から答えがわからなくとも問い続けることが、実は私たちが生きていくために最も大切なことなのではないだろうか。そのことを今回のコロナの問題は思い出させてくれたと私は今、思っています。

古代ギリシア世界が、それまでの秩序が壊れ混乱の中にあった時に登場した哲学者ソクラテスは、「無知の知」という言葉を私たちに残しました。「私はまだ何も知らないということを知っている。だからこそ、混乱の中にあってもよく生きるために本当の事を知ろうとするのだ」という意味のことばです。「美しい」とは何であるか、「正しい」とは何であるか。それを知らない、わからないからこそ、人生を通してそれを追い求める、そのために生きる、そこに人生の意味がある、ということです。
捜真女学校という校名は、このソクラテスのことばに通ずるものがあると思います。真を捜す、それこそが生きること、その精神を校名として掲げる学校に、今、皆さんは学んでいる。そのことを、この困難な時にこそ今一度思い出したいと私は心から思います。
聖書に示された言葉を変わらぬ真理であると信じ「神を信じ、隣人を自分のように愛せ」という言葉が意味すること、自らの具体的な人生の中で追い求めること、今、私が目の前にしているなさねばならぬ務めは、その真理を知る道につながっていると信じ、その務めに忠実であること。迷いの中にある時、混乱の中にある時こそ、そのことを思い出してほしいと私は思います。

だから、今は意味がわからずとも、迷いの中にあったとしても、私自身に与えられているなすべきことにしっかり向き合いましょう。うつろいやすいこの世で何が損なのか、得なのかではなく、それを超える真理を見つけるためにも、なすべきことに全身全霊を尽くしてみましょう。それが「本当に大切なこと」を教えられる最善の道だと信じて。

その先で、私たちはきっと「ベストキッド」の少年のように、真理が私の一部になっているということを知らされる日を与えられるのだと私は思うのです。
今、赦されている目の前の学校生活を、学びの日々を、それが真理に至る道なのだと信じて、共に歩んでいきましょう。

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