礼拝メッセージ 5月20日(水)

2020.5.20

Soshin Jogakko

「たとえ今できなくとも」

高二担任  内山 仰太郎

 

こちらから讃美歌512番「わが魂のしたいまつる」を聞くことができます

 

【聖書】 ヨハネによる福音書13章36節~38節

シモン·ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは言われた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」

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新型コロナウィルスの流行によって一時的な休校が決まったのが2月末。それからこんなに長く学校が閉鎖になるとは、だれが予想したでしょうか。本当に私たちは、私たちが思いもよらない形で、今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなることがあるのだ、ということを思い知らされています。皆さんも、多くの人が、今これをやりたいのに出来ない、なぜ今これが出来ないのか、という焦りや悲しみの気持ちを心の中に抱えているのではないでしょうか。頑張ってきた部活の最後の大会やコンクールがなくなってしまったり、予定していた留学が中止になったり、当たり前のように行われてきた行事が中止や延期になったり、授業だけでなく「今したい」のに、できなくなってしまったことがたくさんあります。特に、高校三年生の人たちは、なぜ今年なの?という思いが強くあることでしょう。世の中の人がみんな苦しいのだから、と言われても、それだけでは割り切れない思いがあることでしょう。

先日、高校三年生の生徒とオンラインで話す機会がありました。受験への不安、友達と会えないことへの嘆きなどを話してくれた後に、何か前向きなれるような「いい話」はないか、と言われ、私の頭に浮かんだのが冒頭に掲げたペトロとイエス·キリストとのやりとりでした。前向きになれる「いい話」かどうかは別にして、私は、何かしら人生の苦境に立つたびにこの聖書個所のペトロのことを思い出します。ペトロはイエスの一番弟子であり、自分は当たり前のようにイエスを誰よりも愛し、イエスの行く所ならどこにでもついて行ける、と信じて疑わなかった人です。イエスが逮捕され十字架につけられる、その直前の時、ペトロは「わたしは最後まであなたについていきます」と言うのですが、イエスは「わたしの行く所にあなたは今ついて来ることはできないが、後でついてくることになる」と答えます。この言葉はきっとペトロにとっては大きなショックであったことでしょう。だからこそペトロは「なぜ今ついて行けないのですか」と食い下がるのです。

私たちは、今、この時、本来できるはずのことができないこと、これをなかなか受け入れることが出来ません。「なぜ今できないのですか?今でなければだめなのです」。今できないことに直面した時、私たちはこの時のペトロのような思いを抱くことがあるのではないでしょうか。しかし、ペトロはこの後、自らの保身のためにイエスが逮捕される場から逃げ出し、イエスが予告したように「イエスのことは知らない」と三度も言ってイエスを裏切り、「今できる」と言ったことができなかった自分に絶望することになります。自らの弱さを思い知らされ、打ち砕かれるのです。

イエスはそのようなペトロの弱さを最初から知っていたのだと思います。だからこそ「わたしの行く所に、あなたは今ついてくることができない」と言ったのだと思うのです。しかし、イエスはペトロにこのようにも言いました。「後でついてくることになる。」このイエスの言葉に、私は希望を見出したいと思うのです。たとえ今できなくても、後でできるようになる、それをわたしは待っているのだ、そうイエス·キリストに呼びかけられているように感じるのです。

ペトロは、イエスが天に挙げられた後、その後一度たりともイエスを知らない、と言うことはありませんでした。むしろ、多くの迫害や困難にも恐れることなく、イエスこそ真の救い主である、という福音を力強く証しする真の一番弟子となるのです。自分の弱さに打ち砕かれたからこそ、その弱さをひっくるめて「後でついてくることなる」と言ったイエスの言葉を信じることが出来たのだ、と私は思うのです。私たちもまた、今できないことに直面し、自らの弱さや力のなさに直面する日々を送っています。しかし、たとえ今できなくとも、後でできる、それを私は待っている、というイエスの言葉を信じたいと思います。冒頭の聖書個所の続きには次のようなイエスの言葉があります。「心を騒がせるな。神を信じなさい。…わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなた方をわたしのもとに迎える。」困難の先にも、私たちが迎えられる場所はある、そのことに私たちは希望を持ちたいと思います。

 

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