礼拝メッセージ 6月9日(火)

2020.6.9

Soshin Jogakko

「互いを思いやる心」

高三副担任  笠原裕子

こちらから讃美歌Ⅱ編26番「小さなかごに」を聞くことができます

【聖書】ヨシュア記1章9節

「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

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3か月の自宅学習の後の登校で半日とはいえ、みなさん疲れたことでしょう。私もオンライン授業の準備など、休校期間も決してのんびり過ごしていたわけではないけれど、分刻みの日常に体が慣れず、毎日夕方になると疲れを感じていました。しかし、みなさんの笑顔は、周りの人にエネルギーを注いでいますね。ありがとう。

この日曜日に教会の帰り、3か月ぶりに美容院で髪の毛を切りました。さっぱりして気分がよくなり、店を出たら元町商店街は歩行者天国になっていて、多くの人でにぎわっていて驚いてしまいました。世の中と私には、ずれがあるのでしょう。油断は禁物と、自分に言い聞かせながら、食料品だけの買い物をし、自宅に向かいました。

この休校中、みなさんはどんなことを考え行動したのでしょう。私も多くの人の言葉を聞いたり、本を読んだりして、自分はこの後どのように生きていったらよいのかを考えていました。結論は出ていません。しかし、神様は私たちに大きな宝物をくださっていると思いました。それは、「互いを思いやる心」です。政治家のような偉い人でも幼い子供でも、強い人でも弱い人でも、お金持ちでもお金に困っている人でも、そのようなことに関係なくお日様が昇るように、誰もが感染症にかかるリスクを持っているのです。そのウィルスに対して、最前線で立ち向かう医療従事者の方々は、苦しんでいる人々を助けようと自分を用い、同じようにはできないですが、私たちも苦しむ人を広げないような生活を送っています。「自分が自分が」という利己的な考えでは、ウィルスに勝てないのです。これは、日本を含めた医療が進んでいる先進国だけではなく、私たちから遠く離れた南アメリカやアフリカ大陸の人たちに対しても、地球という家の中のすべての人が命を落とさないように思いやる心が必要なのでしょう。言い方はよくありませんが、コロナ19というウィルスがそれを教えてくれたのかもしれません。そして、私たちが神様から預かった宝物である「互いを思いやる心」(これを愛とよぶのだと思うのですが)を持つことによって、私たちは強められ、未来に進んでいけるのでしょう。

5月22日、あるラジオ番組で村上春樹という作家さんが、話をしていました。

「『コロナとの戦いは戦争のようなものだ』、そういう言い方をする政治家がいます。でも僕はそういうたとえは正しくないと思う。ウイルスとの戦いは、善と悪、敵と味方の対立じゃなくて、ぼくらがどれだけ知恵を絞って、協力し合い、助け合い、それぞれをうまく保っていけるかという試練の場です。殺し合うための力の戦いではなく、生かし合うための知恵の戦いです。敵意や憎しみは、そこでは不要なものです。簡単に戦争にはたとえてほしくない。そうですよね?」

さすが作家さん。的確な言葉で表現されていました。心の中にすとんと落ちるような言葉でした。

私たちは、まだまだ不自由な生活を強いられています。しかし、未来に向かって、全世界の人たちが笑顔になるために今自分に何ができるかを考えて行動していきたいと思います。みなさんも共に思いやり、助け合いましょう。

お祈り

お祈りします。ご在天の父なる神様、今朝も朝を迎えることができ、感謝します。私たちは、毎日の忙しさで心を亡くしてしまうこともありますが、今回のコロナウィルスの蔓延によって、何が一番大切なのかを考えることができました。どうぞ、自分のことばかりだけでなく隣人を愛せる人として役に立てるよう、これからも用いてください。体調の悪い人、心が弱っている人がいましたら、どうぞあなたが癒してください。これから続く授業をもあなたがそばで見守ってくださいますように。この小さき祈り、主イエスキリストの御名によってお引上げください。アーメン

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