礼拝メッセージ 7月20日(月)

2020.7.20

Soshin Jogakko

「自分から進んですることの価値」

高等学部教頭 鳥居 敬一

こちらから讃美歌2編191番「主のまことはくしきかな」を聞くことができます

【聖書】 マタイによる福音書5章41節

だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。

********************************************先週、中山校長先生が礼拝で、この有志のチャペル礼拝が生徒たちの提案で始められ、今も続いていることに心を打たれるとおっしゃっていました。
私も毎日集まってくる皆さんの姿を見て感動を覚えます。
今朝は「自分から進んですることの価値」についてお話します。

今日の聖書の箇所の背景をお話しすると、当時のユダヤはローマ帝国の支配下にあったため、ローマ兵たちはユダヤ人を徴用して強制労働をさせることができました。重い荷物を「あそこまで運べ」と言われれば、ユダヤ人は従わなければなりませんでした。
1ミリオンというのは約1.5㎞のことです。1ミリオン行くように強いられたら、更に強いられていない1ミリオン行きなさい、とイエス様は教えています。1ミリオンだけなら、ただ命令に従っただけですが、その先の1ミリオンは自らの意志によるものです。強制されて仕方なく行うことではなく、自分から進んで行うことにこそ価値があると言われているように思います。

ところで、休校期間中に運動不足で体力が低下するのを防ぐために、自宅でトレーニングに励んでいた人も多かったのではないでしょうか。
皆さんは「トレーニングの5つの原則」をご存じですか。高校の保健の教科書にも載っていますので、興味のある人は調べてみてください。
その原則の一つに「意識性の原則」というのがあります。
例えば、腹筋のトレーニングをする時には、どの辺りの腹筋を鍛えているのかを意識しながら行うと、ただ何となくトレーニングするよりも、効果がはるかに高いと言われています。ましてや誰かからやらされて意味もわからず嫌々やっていたら、高い効果が望めないのは当然です。

幼い時期から子供の意志に反して詰め込み型の英才教育をすることには、様々なデメリットがあると言われるようになりました。例えば、何をやっても心が波打たない子になるとも言われています。それだけでなく、伸ばそうとしていた能力も最初は高い伸びを示すけれど、殆どは英才教育を受けなかった子供たちに抜かれてしまうとも指摘されています。

私自身が気になるのは、能力を伸ばすメソッドとして何が優れているかということよりも、何のために子供の能力を高めようとしているのか、ということです。伸ばされた能力を何のために、どのように使うのかということにはあまり関心が払われていないように思われます。
「能力を伸ばすこと = 良いこと」という考えのもとに、大人顔負けの能力を身に着けさせることを目的に育てられた子供が、将来どういう大人になっていくのかが心配です。

そういう私もかつて数々の習い事をしていました。
例えばヴァイオリン、オルガン、ピアノ、エレクトーン、水泳、剣道、そろばん、などです。いかにも英才教育っぽいですよね。
どれも自分がやりたくて始めたのではなく、親にやらされていました。
人からあれこれ指図を受けるのが大嫌いな性格の私には、長続きするはずもなく、全て中途半端に終わってしまいました。

好き好んでではなくても、必要を感じて自分から取り組んだことにはそれなりの効果があると思います。皆さんの勉強もそうでしょう。苦手な教科でも「自分から」が大事なポイントです。

さて、話は変わりますが、このコロナ禍で様々な分野でオンライン化が一気に進みました。今までは学校や職場に行くのが当たり前でしたが、行かなくても多くのことが済ませられることに多くの人が気づきました。
しかし、こうなると学校に集まって授業をすることの意味が問われます。オンラインではできない様々な活動があることは確かですが、集まることの価値を考え直す必要があるように感じます。
私はその中の一つに「集団として前に進む力」があると思います。
一人ひとり自分が満たされることだけしか考えなければ、社会は前へ進みません。自分のことだけで精一杯であっても、周りの人の必要に応えようとすれば、自分も含めて社会が動き始めます。これが集団として前に進む力だと思います。
「情けは人の為ならす」ということわざの通りです。
周りの人を助けている余裕なんて自分にはない、と思っている人も、敢えて助けの手を差し伸べてみてください。それが結果的に自分を進めることになります。集まることで、助けを必要としている人が見えるようになります。
全ての力をそれに使う必要はありません。献金と同じように与えられている力のほんの一部を他の人のために使うことで、神様にお返しすることになります。
神様はその小さな力を祝福して何倍にもして用いてくださいます。
ここでも自分から進んで捧げることが大事なポイントです。

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