【PTA活動】広報委員会 捜真画廊 第二回

2023.2.27

Soshin Jogakko

捜真の校内にある絵画をご紹介する捜真画廊。今日はその第二回です。

第二回

―校内にこれほどの作品を置くようになったきっかけは?
横山理事長:初代学院長の日野綾子先生が、「芸術に関わるものは贅沢品なので、とても学校のお金では買うことはできないが、卒業生からの寄贈等で情操教育のために校内に集めたい。」ということをずっと仰っていたと聞いています。また捜真は戦前に英語科と技芸科があり、現在も中1から高三まですべての学年で音楽が必修となっているように、伝統的にキリスト教に深くかかわる音楽や美術に重きを置いています。捜真の音楽科教員でいらした鈴木寛一先生は日本を代表するテノール歌手ですが、のちに東京藝術大学名誉教授になられていますし、小倉先生、森田先生、小田切先生といった芸術家の方々がいる土壌が捜真にはずっとあるため、作品を学校の中に置き生徒に触れてもらいたいという思いも伝統的に引き継がれてきました。

中島学院長:私が鈴木寛一先生に音楽を習っていたという話を(捜真以外の)友人にして、驚かれたことがあります。「芸大だったの?」って。もちろん違います。小田切先生が院展に入選されたら院展を見に行きますしね。私たちにとっては当たり前の環境ですが、他の学校の先生にお話しすると驚かれます。現在も小田切先生には課外美術で教えていただいています。捜真では何年かに1回、文楽(人形浄瑠璃を受け継いだ日本の伝統的な人形劇で日本の三大古典芸の1つ)を校内で演じていただきますが、そのような学校も珍しいのではないかと思います。

―小倉遊亀先生と言えば、《百寿の書》が石碑となって東大寺に置かれていると伺いました。そのことについて教えてください。
横山理事長:この歌が詠まれた場所の近くに石碑を建てたいと思われた方が、小倉先生のこの書をご覧になられ、「ぜひこの字で石碑を建てたい」と採用されたそうです。小倉先生は関西のご出身ですので、以前生徒と一緒に修学旅行で薬師寺に訪れた際、売店に小倉先生の絵葉書が売っていて生徒が大感激していました。

小田切先生:小倉先生は常に「無欲の絵を描きなさい」と仰っていました。先生の絵は無意識の面白さがいっぱいあります。間がきちんとあります。絵は思いを入れて全部描けばいいのではなく、見ている人が参加できるような絵がいいと思います。日本画は余計なものは取り払って、空間に観ている側の想像力を加えて絵が完成するものです。そのような事を小倉先生から学びました。

次回、最終回につづきます。

(広報委員 中1·中3)

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