【PTA活動】史跡巡り

2022.11.4

Soshin Jogakko

目が覚めるような清々しい秋晴れのこの日、少し肌寒いとは言え、神大寺バス停に集まった約50名の参加者はお互い高ぶったように声を掛け合いながら、始まりの時を待っていました。
まずは徒歩で三ツ沢墓地を目指し、そこで中島学院長をお迎えし、いよいよ今年の史跡巡りがスタートとなりました。

中島学院長は、生徒たちが学んでいる冊子『捜真と横浜』を読みながら、捜真女学校と、捜真に関わってこられた歴代の先生方について大変詳しくお話をしてくださいました。
高台にあるカンヴァース先生のお墓は、捜真女学校の十字架が見えるように立てられています。お墓には【初代校長】と刻まれていますが、事実は【二代校長】だそうで、一度刻まれると訂正できないのでそのままになっているそうです。

中島学院長は、毎年「何か新しい情報を」と考え、先生ご自身がさまざまな資料を掘り起こし、お話をしてくださっており、何度参加しても新鮮な話題を提供してくださいます。
今年の話題としては、カンヴァース先生の祖先は実はフランス人であり、カトリックの国でプロテスタントの信仰を持ったがゆえに迫害され、イギリスに逃れ、さらにアメリカに移住された一族であったことが分かったとのことです。また、カンヴァース先生の曾祖父にあたる方がアメリカの独立戦争に従軍したことが分かっており、その後、グラフトンに移り住んだのだそうです。
このお話は、まだ生徒たちにも伝えてられておらず、このようなお話をあえて保護者向けに初めてしてくださる、中島学院長のお心遣いも感じることが出来ました。

その後、2台のバスに分乗し、30分ほどかけて山手方面に向かいました。
車中ではスマホとバスのマイクを使って、中島先生の解説をどちらのバスでも聞けるよう配慮してくださいました。中島学院長のお話をうかがいながら楽しく過ごしていると、あっという間にバスの目的地である山手に到着しました。

バスを降り、一行は山手風致地区を、先生の解説を聞きながら見学しました。
最初に捜真の校舎が建てられた山手34番から、明治3年に日本初の洋式公園として造られた山手公園横を歩き、校舎が建てられる前にシャーロット先生が塾をはじめた聖書の印刷所があった、現在のユニオン教会に到着。この場所には「捜真学院発祥の地」として記念碑が建てられています。

その後、路面電車を通すためにトンネル建設が行われる関係で山手34番から現在の中丸に移転となりました。

最終目的地である横浜外国人墓地に入りました。
ネイサン·ブラウン宣教師が66歳の時に、妻シャーロットと共に日本に移り、ここ横浜で布教活動をされたことを始まりとし、シャーロット先生が立ち上げられた、たった7名からスタートした捜真女学校は、今ではこんなにも歴史のある学校へと成長しました。
中島学院長のお祈りの後、お花を捧げ、明治初期に活躍した色々な外国人の方のお墓の説明を聞きながら、墓地の下まで降りてきたところで解散となりました。

キリ研委員の皆様が、下見からお花やスピーカー等々、きめ細やかなご準備をされ、今日の爽やかな日を迎えることができたことに感謝するとともに、中島学院長の捜真愛に包まれ、癒される史跡巡りとなりました。

(広報委員 高二)

Back

page top