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横浜市神奈川区中丸8番地 045-491-3686(捜真女学校)

My Soshin Story

高校2年 K,Nさん2018.11全校修養会のための祈祷会

私が将来の夢を打ち明けたとき、誰もいい顔はしませんでした。家族はみんな、最初は冗談だろうと笑っていましたが、高2になってからは真顔で「やめておけ」と何度も私を諭してきました。面談での、担任の先生のなんとも言えない表情は忘れられません。三者面談では母が私の隣で泣き出してしまうという始末。

 

このような感じで、高2になってから家族や先生と進路について話し合いを繰り返していく内に、自分では分からなかった「他人から見た自分」を知る機会が沢山出来ました。正直言ってしまうと、私は、私がどういう人間なのか、何を考えていて、どうしたいと思っているのかが全く把握出来ていません。「自分のことが理解出来ないから知ってみたい」と思う意識が今まで湧かなかったのは、自分の中身が空っぽだからだと思います。私はどうしても自分に興味を持つ要因がなく、ずっと抜け殻のように生きてきました。

 

私には7歳上の姉が1人います。姉は頭が良く、努力を欠かさない人です。私も昔はそんな姉に強く憧れて、それに負けじと努力をしていました。しかし、ある日親しい友人から言われた「Kちゃんはこんなに頑張ってもお姉さんみたいにはなれないんだね、可哀想。」という一言に、私は小学生ながらにショックを受けました。この出来事がきっかけで、家族も先生も、本当は私を見てそう思っているのではないか、心の奥底では姉のようになれない私にウンザリしているのではないかと思い始め、頑張る自分が馬鹿らしく思えてきました。次第に、周囲から受ける賞賛の声を疑うようになってしまった私は、「努力する」ということが嫌いになり、何事にも手をぬいて生きるようになりました。母や姉は返ってくるテストの成績を見たときや、先生から私の日頃の行いについての電話があるときには、必ず泣きながら私を叱りました。「どうして反省しないの」「どうして次から頑張ろうと思わないの」。家族は、自分に無関心な私の代わりに、いえ、私以上に私のことについて悩んでくれていました。私自身、罪悪感は感じていました。でも何度怒られても、何度親が泣いても、どこか他人事のように聞こえて、全く心には響いてなかったのです。きっとこの頃には、私は「空っぽな」人間になっていたのでしょう。

 

空っぽになってからはどれだけ毎日をだらしなく過ごしていても、どれだけテストで悪い点を取っても、誰も何も言って来ないのでとても楽でした。最初のほうは自由気ままに生きていましたが、不意に寂しさや不安を感じることが多くなりました。友達はもちろんいるし、私が「寂しい」と声に出せばみんな優しいからきっと心配して、そばにいて話を聞いてくれたでしょう。それが分かっていても私が声を出さなかった理由は、どれだけ素敵な励ましをもらっても、空っぽの私には届かないと分かっていたのと、他人を深く心に立ち入らせるのに強い抵抗があったからです。強いコンプレックスによって変わってしまった私の心を自らさらけ出す自信は、私にはありませんでした。

 

今年の聖書の授業の中で、文化祭に展示するために「今の自分を表現する」という課題が出されました。私が描いたのは、雨の中、ボロボロになった傘が置かれている絵でした。題名は「私はもうそこにいないよ。」です。自分を守っているものを捨てて、夢に向かって走り出した、というのを表現したくてこのデザインにしました。正直、なにが私に夢を与えてくれたのか、なにが私をここまで本気にしたのかは分かりません。一つ確かなのは、空っぽな心のどこかで変わりたいと強く思っていたということです。そして変わるためには自分が頑張れることで勝負する しかなかったのです。家族が私の将来の為に準備してくれた沢山のものを投げ打ってしまってのですから、一生嫌われるのも覚悟の内でした。でも、最終的に応援すると言ってくれたとき、家族からの温かい視線に涙が出そうになりました。私の描いた絵を見た聖書の先生の、「Kさん、すごいなぁ」という何げない一言で、先生が私を応援してくれているんだと気付いたときは、その場で泣きそうになるのをこらえるのが大変でした。

 

 

私が夢に向かって走り出して見えたのは、決して明るい空とかではなく、真っ暗闇でした。改めて自分と向き合ってみたら、改めて自分の中身の空っぽさに困惑し、ここからどうしたものかと悩んでいます。それでも私はそれを悪いとは思いません。たとえ暗闇でも、見える景色が変わったのもまた事実です。私は自分の将来のためならどんな無謀な挑戦もしていきたいし、その経験を得てどんどん変わっていきたいと思います。

 

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