My Soshin Story

高校3年 R.Kさん2016.1部活(ソフトボール部)

私の捜真生活が始まったのは、5年前…。 今小学生の皆さんがきっと1年生や幼稚園生だった頃に始まりました。 実際のところ私は捜真小学校から通っていたため、捜真生活は今年で12年目になります。 捜真を選んだ理由は、小学校から通っていたからという理由でした。入学した当初は、こんなにも楽しくて自分自身がこんなに変わるなんて思ってもいませんでした。

部活はソフトボール部に入りました。仮入部はバトミントン部やバレーボール部、バスケットボール部などに行きましたが、何故かソフトボール部の仮入部が一番楽しくて全く飽きなかったため入部を決めました。そんな理由で入部を決めたソフトボール部での経験は今の私を作り上げてくれました。ですが、決して楽な道ではなかったです。そのことについて少しお話ししたいと思います。

ソフトボールは9人で行うチーム競技です。ポジションでいうと、ピッチャー、キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、ショート、レフト、センター、ライトです。私はその中でもピッチャーというポジションについていました。
私が中学1年生の時は、1つ上のピッチャーの先輩が上手かったため、なかな か試合に出られず、ただただ憧れ、「ああいうピッチャーになるんだ」という思 いで毎日練習に励んでいました。そして、1つ上の先輩方は、神奈川県私立中 学校体育連盟秋季ソフトボール大会で優勝するなど結果を出していました。そうこうしているうちに私は中学部のトップになり、エースピッチャーとキャプ テンを任されることになりました。エースピッチャーは主に、投球によって失点を最小限に抑え、チームの勝利に貢献することであり、キャプテンはリーダーシップが求められ、練習メニューを考案したりチームを盛り上げる事が主 役割です。想像以上にキャプテンとピッチャーの両立は大変で、通常の練習や試合でその2つの役割を全く果たすことができてなかったと思います。
むしろチームに迷惑をかけ、キャプテンである自分がチームメイトをバラバラ にしていたのではないか、と思うこともありました。そして、本当なら試合を 作らなければならないピッチャーである私が自分で試合をダメにしてしまって いたのです。当時は、同学年とのコミュニケーションがうまくいかなくて、試 合どころではなかったというのが事実です。
そんな状況で迎えた私学大会。一つ上の先輩が優勝した大会です。結果はなん と3位でした。当時の私たちからは想像もできない良い結果でした。その試合 中に今でも鮮明に残っているチームメイトからの声掛けがあります。「うちがバ ント処理全部するからRはバッターだけに集中して」私はこれを言われた時感動しました。今までうまくいかなかった同学年とこうしてやれているんだと。

この大会がきっかけでソフトボールの楽しさ、勝つことによって得られる達成 感が嬉しくて、みんなで頑張ろうと思えたのです。私たちの始まりはここからだったのだと思います。
高校生になって私はエースピッチャーと副キャプテンになりました。 高校チームの目標は神奈川県ベスト8。これは、ここ最近掲げられている目標ですがまだ達成されていません。県ベスト8入りを達成するために毎日トレーニングや基礎練習、練習試合などに励みました。
無事県大会出場が決まり、ベスト16まで行くことができました。ベスト8決 めの相手は、大会第3シードの強豪向上高校でした。目標達成のためには勝た なければならない相手でしたが、やはりシード校の壁は厚く、良い試合展開に 持って行ったものの、3対6で負けてしまいました。 しかし、県16強入りし、優勝候補の学校と互角に戦えたということは私たちに大きな自信をもたらしてくれました。実際のところとても悔しかったです。ですが、気持ちを切り替えて残り少ない引退までの時間でどれだけ伸びることができるか、毎日朝練、昼練、放課後練を欠かさずやりきりました。

2015年5月30日、高3最後の大会となるインターハイ神奈川県予選に出 場しました。ここでもベスト8以上の成績を目指しました。しかし、初戦の相 手は強豪の座間総合高校。試合会場も座間総合高校でした。
緊張から初回にいくつかのミスが重なり3点を先制され、苦しい展開となりま した。2回以降は持ち直し互角の展開に持ち込むことができました。終盤には 高1が執念の内野安打を放ち、代走で出た高3がホームインして1点を返すことができました。
最終的にはスコア1-6で初戦敗退。私たち高3は引退となりました。試合が終わった瞬間、「明日はバッティングをやらないと」と一瞬考えましたが、 「そうだ、もうできないんだ」と思い悲しく思わず泣いてしまいました。今まで中1から高 3 まで休まず練習にも出で、高校生活のほとんどをソフトボールに捧げてきたのに、終わる時は一瞬のように思えました。

約6年間こうして部活を続けられたのは、学校、家族、友達の協力があったからです。こんな私を指導してくださった顧問の先生には本当に感謝しています。顧問にあんなに怒られていなかったら、今の私はいません。そして、いつも応援してくださった捜真の先生方。廊下ですれ違った時などに「次の大会頑張って」とか「応援してる」など声をかけていただいた時は本当に嬉しかったです。 ありがとうございました。かなり前、たまたま帰りに中島学院長先生にお会いした時部活の悩みをお話ししたら、アドバイスをしてくださいました。心のモヤモヤが消えた気がしました。きっと、先生と生徒の距離が近い捜真だからできることなのだと思います。

捜真ソフトボール部にはスローガンがあります。「初志貫徹」という四字熟語です。意味は「初めに心に決めた志を最後まで貫き通すこと」です。私は引退してからもこの言葉を意識してきました。私は進路を考える際にも、この言葉を忘れずに自分に言い聞かせてきました。それもあり、高1で決めた第一志望の大学から内定を頂くこととなったのかもしれません。最初に自分で決めたことを中途半端にするのではなく、それを最後まで諦めなければ目標は達成できるのだ。ということを教えられた言葉です。
自分に強い意志を与えてくれています。
この言葉はこれからも私を強くしてくれるはずです。
そして、ソフト部の仲間は一生モノです。喜怒哀楽を共にしてきたからこそ信頼が厚いのです。みなさんもそういう仲間にめぐりあえるよう今、頑張ってください!是非、ソフトボール部、見学にいらしてください!

捜真には、三ツ沢競技場で陸上競技の様々な種目の測定をする体育記録会、横 浜国際プールのメインプールで行う水泳大会、全身クラスカラーに染め騎馬戦や綱引き、応援団などを行い縦割りで6学年が一つになって戦う体育祭。 様々な行事を通じて横だけでなく、縦の繋がりを持ち、私たちは大きく成長できたと思います。
そんな68thと、去年の5月20日から22日まで自然教室に行ってきました。自然教室は、御殿場にある捜真の寮に2泊3日でいく宿泊行事です。高3は6年間の締めくくりとして、「信仰と人生」というテーマで、聖書の先生や、中島学院長先生からお話しを聞いたり、グループディスカッションを行いました。このディスカッションが私にはとても心に残りました。普段自分が思っていることや考えていることや悩みを語り合いました。いつもあまり話さない同級生とも本音でぶつけ合うことができました。そして、学年の先生方の思いも包み隠さず語ってくださいました。

普段の学校生活では、担任の誕生日を祝ったり友達の悩みを熱心に聞いたり。 生徒礼拝を通じて友達の意外性に気づかされたり。毎日が本当に楽しくて楽しくて仕方なかったです。高3の3学期は自由登校なため、68th のみんなに会 えません。授業も、もうありません。毎日当たり前のように通っていた学校、 部活に行くことはないのです。そうなった今、とても寂しいと思うと同時に卒業しなければならないという事実を突きつけられています。 こんなに居心地がよくて自由で大好きな捜真を卒業したくないと思う反面、次の新しい場所での生活が楽しみ、という非常に複雑な感情を抱いています。 捜真は自由を学び、大切な仲間、後輩、先生、経験を与えてくれる場所です。それらによって自分は大切な存在である、と気づくことが出来る場所だと思います。

私は、捜真に入って、ソフトボール部に入ってよかったと心から思っています。
この捜真での経験を生かして、自分の将来の夢に向かって進んでいきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

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